第12話 ロザリーと闇の力の識者
とある部屋の前でロザリーは一人立っている。
今からこの部屋の中の人物に会いに行くのだが、緊張と不安で胸がいっぱいであった。
何度か深呼吸をした後、ロザリーが意を決して扉をノックすると、それに応えるかのように扉は自動で開いた。
「お邪魔いたしますわ」
そう言って部屋の中に入ると扉はまた自動で閉じる。
何らかの魔法が使われているのかとロザリーは思った。
「やあ、初めまして。ロザリー・ローゼス・ロッソ」
部屋の奥、机の上に積まれた書物や紙の束の向こうからロザリーを呼ぶ声がする。
まるで、声変わりが始まった十歳くらいの少年のような声であった。
「……おっと、これじゃボクが見えなかったね。ヒヒヒ」
声の主はそう言うと乱暴に机の上のものを手で押し退ける。貴重そうな本や大事そうな書類が床へ散らばるが、気にする様子はない。
そこにいたのは、声の印象と違わぬ小柄な少年であった。
深く被ったフードの隙間から覗く髪は爽やかな青色である一方で陰気そうな目付きをしており、その目の下に刻まれた隈はまるで化粧でもしているかのようにはっきりと黒い。
「改めて、初めまして。そして、ようこそボクの研究室へロザリー・ローゼス・ロッソ」
少年はそう言って二カッと笑って見せる。
可愛らしさよりも、何処か不気味さのようなものをロザリーは感じた。
「……ええっと、貴方がミング先生ですの?」
「そうだよ。ボクがミングだ。ここにはボクしかいない。ボクに付いていける人間がいないからね。ヒヒヒ」
薄暗い部屋に気味の悪い笑い声が響き渡る。
と、ミングは急に笑うのを止め、ロザリーのことをまるで観察するかのように双眸を細めた。
「……話はマグミス先生から聞いてるよ?君、『闇』の力の使い手なんだってね?」
ロザリーは先日の一件から、闇の力についてもっと学ぶ必要があると感じていた。丁度その時、ロザリーの元へ謝罪と謹慎で暫くの間は学園に来れなくなるとマグミスが挨拶しに来たので、そのことを相談していたのだ。
そして、紹介されたのがこの目の前にいるミングという教師であった。
(マグミス先生からは、かなり変わった……いえ、個性的な方だと伺っていましたけれども……)
子供にしか見えぬ外見に、掴みどころのない態度。
ロザリーはそこはかとなく不安を覚える。
「いやいや、闇の力を使う人間なんて滅多にお目に掛かれるもんじゃないからねえ。ついつい興奮を……おやあ?もしかして、ボクの見た目がこんなんだから『大丈夫か?』とか思ってたりする?」
ミングに内心を言い当てられ、ロザリーは思わず目を泳がせそうになった。
それを見て、ミングはまた二カッと笑う。
「ヒヒヒ。別に失礼とか思ってないし、気にしてもいないよ。君たち人間族からしたらボクみたいなちっこいのは子供にしか見えないってのは理解してるからね。でも、ボクはこう見えて立派な成人なんだよ?ヒヒ、そういう種族なのさ。ほら、ご覧」
そう言うとミングはバサッとフードを払った。
「!?」
露わになったミングの頭部には、まるで獣のような耳が生えている。
「じゅ、獣人!?」
「君たちの言葉では亜人とも言うね。まあ、その中の一種さボクは」
「あ、でも、隠していたみたいですけれども、ワタクシに見せてしまってよろしかったのですの?」
「君が闇の力の使い手であることを明かしているのだから、ボクもこのくらいは明かさないと失礼だろ?それに、別にそこまで必死に隠しているわけじゃあない。ただ、ボクがこういう種族なのを知られると面倒なこともあるから普段はフードを被っているんだよ。まあ、滅多に外を出歩かないんだけどね。ヒヒヒ!」
「は、はあ……そ、そうなんですのね」
そう答えるに留まるロザリー。
ミングの独特な語り口に気圧されてばかりであった。
「……さて、雑談はこのくらいにしておいて、本題に入ろうじゃないか。君の目的は闇の力についてだろ?」
「え、ええ。仰る通りですわ。ワタクシ、どうしても闇の力について、知らなければなりませんの」
「ヒヒヒ。マグミス先生も人を見る目があるね。闇の力については、ボクがこの学園の……いや、この大陸一番の識者と言って過言じゃあないよ」
「それはとても心強いですわね」
「だろお?……でも、最初に言わせて貰うけど、答えられない疑問も当然あるから、その時は容赦して欲しいな」
ロザリーは目をパチクリさせる。
「え?大陸一番の識者じゃないんですの?」
「そう。ボクは大陸一番の識者。でもねえ、そんなボクですら分からないこともまだまだある。それが、闇の力なんだよねえ」
ミングは悪びれる様子もなく笑った。
「……ああ。ちょっとニュアンスが違ったかな?魔族の使う闇の力については凡そのことは答えられるよ。それだけの研究をしたからね。ただ、『人間』が使う闇の力となると話は別なんだ」
「違いがあるんですの?」
「大アリさあ。そもそも魔族と人間は体組織や魔力の作りが全然違うからね。人間が魔族の持つ闇の力を使うってことは、人間が魔獣と同じように火を噴いたり毒を吐いたりするのと同じくらい有り得ないことなんだよ」
「それを聞くと、闇の力を持つ人が忌み嫌われるというのも分かりますわね」
ただでさえ強大な力が、人外由来のものであるというのは、それだけで差別意識を生むに十分である。
「……納得はしかねますけれども」
ロザリーとて、好き好んで闇の力を持っているわけではないだけに、その理不尽さを思わず嘆かずにはいられなかった。
「ヒヒヒ。それはきっと『光の力』を持つ者も一緒だろうねえ。神の力と言われてはいるけど、大枠で言えば異形の力には違いない。好悪に関わらず、特別視は避けられないからねえ。ああ、それとボクは君の気持ちが少しは分かるつもりだよ?ボク自身がこういう身だからね」
ミングは耳をピクピクと動かす。
「……とはいえ、ボクにはボクのような仲間が他にもいるけど、闇の力を持つ君はこの世界に君ただ一人。その孤独を分かったつもりになるのは失礼かな?」
「……いいえ、お気遣い有難うございますわ。それにワタクシは孤独じゃない。信じられる人たちがいますもの」
ロザリーはジュールにテスカ、それに実習で一緒の班だった四人の顔を思い浮かべた。
「それはそれは。いい出逢いをしたみたいだね」
ミングはそう言うとにこやかに笑った。
その顔は先程までの薄気味悪さはなく、教師が生徒を見守るような、そんな優しさをロザリーは感じた。
「……まあ、そんなわけで『人間の使う』闇の力については不明な点も多いのさ。でも、基礎的な疑問についてなら粗方は答えられると思うよ?」
「それならば、どうすればワタクシの意思で闇の力を使うことが出来るのか、教えて下さらないかしら?」
あの後、ロザリーはケイオスベアーに放った「フィアー」の練習を行おうとした。
是非とも使いたいというわけでは無いものの、いざという時に使えなければ、それはそれで意味がないからである。
だが、練習では一度も使うことは出来なかったのだ。
(未来のワタクシは、ケイオスベアーと出会った後からは自在に闇の力を使っていましたわ……。ということは、今のワタクシでも使おうと思えば使える筈。それなのに使えないというのは何か理由があるということですわ)
「ふぅむ。その言い方だと、今は自分の意思で闇の力を使うことは出来ないということか。ロザリー・ローゼス・ロッソ、君がケイオスベアーに闇の力を行使した時の状況を教えてくれるかな?」
「あの時は……頭の中に声が聞こえましたわ。『汝、力を求めるか?』という重くて低い声が」
「なるほどなるほど。それならば、闇の力を使うには、その頭の中の声に従うのが一番の近道だろうね」
「でも、あの日を最後に、その声は聞こえなくなってしまいまして……」
「それは恐らく、君自身が今は闇の力を使うことを真に望んでいないからだと思うね」
「え?」
「使えないってことは使おうとしたってことで、多分闇の力を使う練習でもしようとしたんだと思うけど、その時に君は本当に闇の力を使いたいと思ったのかい?」
「……確かに、本気ではありませんでしたわね」
「やっぱり!」
ミングはパンと手を叩く。
「魔族が闇の力を行使する時は、闇にその身を委ねるらしい。闇に全てを預ける……少なくとも人間が使うのであればそのくらいしないと自由には使えないのかも知れないねえ」
「闇に全てを……」
ロザリーはふと「天啓」の中のロザリーを思う。
闇の力をまるで戯れの如く繰り出す彼女は、きっと闇にその身全てを差し出してしまったのだろう。
「……そう言えば、あの声は確か『深淵なる闇の安寧』とか『受け入れろ』とか言ってましたわね」
「へええ〜!頭の中の声とやらはそんなことも言っているんだ!?いやあ、さっき聞いた時も思ったけど、それはとても貴重な情報だよ!!」
ミングは興奮を隠さずにそう言うと、机の上に散らばった紙を一つ取って、そこにロザリーから聞いた内容をメモし始める。
「それで、本気で願えば闇の力を使うことが出来る……ということでよろしかったのかしら?」
ロザリーはミングの熱量に押されつつも、念を押すように聞いた。
「ああ、恐らくね。試してみるかい?」
そう言うと、ミングは書く手を止めて椅子から立ち上がった。
立った状態でも背丈がロザリーの胸くらいまでしかないが、何故か強い威圧感を覚える。
「ミング先生……?」
「……ボクは今から君を殺す。闇の力を使わないと死ぬよ?」
そう言うミングの目が狂気を孕んだものに変わった。
「え?え?じょ、冗談ですわよね?」
「グルルルルルルルル!!」
突如、狼のような唸り声がロザリーの耳に入る。
ミングの表情は一変して、先程まであった人間らしさを消していた。
両の手からはまるでナイフのように鋭利な爪が飛び出している。
「ヴヴゥゥーーガハッ!」
そう吠えると同時にミングの姿が消えた。
次の瞬間、ロザリーは強い力で押し倒される。
「きゃっ!!」
思わず目を閉じるロザリー。
次に目を開けた時には、ミングが馬乗りになってロザリーを見下ろす姿が見えた。
「うう……」
その小さな体に見合わぬあまりの力強さに、ロザリーは払い除けるどころか抵抗する気力さえ奪われかけている。
「うぅ……くぅ……」
「グルルル……」
ミングは低い唸り声を上げながら、その爪をロザリーの首元へと当てた。少しでも動かせば、ロザリーの玉のような肌を容易に切り裂きそうである。
いくら何でもこんな脈絡もなく教師が生徒を殺す筈がない。
頭の片隅ではそう思っている。
(…………怖い)
だが、肉体が感じている現実が精神に作用し、彼女の中で死の恐怖を湧き上がらせていた。
(死にたく……ないですわ!)
《汝、力を求めるか?》
その時、あの日と同じ声がロザリーの頭の中に聞こえた。
(求め……ますわ!!)
ロザリーは躊躇わず、その声に従う。
そして手を翳して唱えた。
「フィアー!!」
ロザリーの手から放たれた黒い靄がミングの頭部を覆うと、彼の瞳孔が開き、呼吸が止まった。
ミングは苦渋に満ちた表情を浮かべた後、すぐに後方へ跳んでロザリーから離れると、何やら液体の入った瓶を取り出してその中身を一気に飲み干した。
少しして、ミングの止まった呼吸が再開する。
「……ハァハァ。ヒヒヒ。これが闇の力か。強い恐怖を与えるもののようだけど、実際に味わうとこれは気が狂いそうになるねえ。全身の毛が逆立つ程の絶対的な恐怖に襲われたよ」
ミングは身震いしながら言った。
まるで憑き物が落ちたかのように先程までの人間離れした雰囲気がすっかり鳴りを潜めている。
「ハァ、ハァ。一体何なんですの!?」
ロザリーは体を起き上がらせると、目に涙を浮かべながらミングへ怒りを表した。
「ヒヒヒ。荒療治みたいなもんさ。こういうのは理屈よりも感覚が大事だからね。言った通りに闇の力を使うことが出来たろう?その感覚を忘れないことだ」
「……だとしても、やり方というものがあると思いますわ!!」
「君の言うことは全面的に正しい。でも、君と信頼関係が出来てからだと、このやり方は使えないからねえ。出会ったばかりの得体の知れない獣人だからこそ、もしかしたらがあるかも知れない。どうだい?本当に殺されると思っただろ?」
「思いましたわ!!それも、短期間でこんな立て続けに!!」
「そいつは悪かった!謝るよ」
ミングはそう言うと深々と頭を下げる。彼なりの謝意なのか、表情は真剣に見えた。
その時、ジリリリリという音が部屋の中に響き渡り、ミングは胸元から懐中時計を取り出す。
「……すまない、ロザリー・ローゼス・ロッソ。今日のところはこの辺にしないといけないようだ。続きはまた今度にしよう」
「ハァハァ、……何か御用ですの?」
「ああ。滅多にこの部屋から出ないボクが出ざるを得ない用事だよ」
ミングは何処となく嫌そうな顔でぼやいた。
「……ボクは基本的にはずっとこの部屋にいる。だから、君が来たい時に来るといい。次はもっと穏やかなやり方で闇の力についてお互いに学ぼうじゃないか。ヒヒヒ」
そう言ってミングは部屋からさっさと出て行ってしまった。
(……マイペース過ぎる方ですわね、ミング先生)
ミングの背中を見送ったロザリーは率直にそう思った。
(でも、芝居だからって本気でワタクシを殺そうとしたことについてはまっっっったく好感は持てないですわ!……うぅ、ジュールとテスカにはこのことは話せませんわ)
この部屋で起きた出来事を聞いたら、ジュールもテスカも当然心配するだろうし、下手したら報復に出る可能性もある。
(……何で、被害者のワタクシがそんな気を遣わなきゃならないのかしら?)
そんなことを思いながらロザリーは部屋を出て行くのであった。




