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第10話 ロザリーと闇の力の目覚め 後編

 ロザリーたちの前に現れたそれ(・・)は距離があっても分かる程の巨躯とそれに見合う極太の牙と爪を持っていた。

 全身を覆う剛毛は逆立ち、その目は血のように赤い。

 地の底から響くような低い唸り声をあげつつ、明確な敵意をロザリーたちへと向けている。


「……あれは、ただの熊じゃない。恐らくケイオスベアーだ」


 カッセルがそう口を開いた。

 急な事態故か、普段の穏やかで丁寧な口調では無くなっていた。


「ケイオスベアー?名前からしてヤバさしか感じないんだが……」


「……確か、冒険者ギルドでもB級以上じゃないと討伐許可が降りないくらいの魔獣だよ」


「そんな化け物が何故、こんなところにいますの!?」


 グレアーは青ざめながら、誰にでもなく問い掛けた。

 マグミスの話によれば、この森は学園の敷地ということになっている筈なので、当然の疑問だろう。


「んなこたあ、今はどうだっていいだろグレアー。今一番考えなきゃならねえのはこっからどう逃げるかだ。アイツ、完全に俺たちを狙ってるぜ?」


 ダイルはそう言いながら、自らを盾のようにして女子三人の前に立つ。


「……何でアイツ動かないんだろ?」


「恐らく、僕たち五人全員で掛かっても敵わないくらいに力の差があるからだろうね。高位の魔獣はそのくらい頭が回るそうだから。奴はゆっくりと僕たちの品定めをしているんだと思う」


 ミシェルの疑問にカッセルが自身の考えを述べる。


「要するに舐められてるってことか……」


 ダイルが忌々しげに呟いた。

 十四歳の少年少女たちとはいえ、特待クラスに入るくらいには実力があると自負しているだけに、そのプライドを刺激するのだろう。


「寧ろ、舐めてくれてるから助かってるとも言えますわ」


 ロザリーは努めて冷静に言った。

 だが、彼女の心臓は今までに無いくらいの爆音で鳴っている。


「で、ですから、何かするなら今しか無いと思いますわ!」


「い、今の内に逃げらんないかな?」


「……いや、それは止めた方がいいと思うよミシェル。ああ見えてケイオスベアーの足はとても速いらしい。それに体力もずば抜けているそうだから、逃げ切るよりも先に追い付かれるだろうね」


 カッセルが冷静に言った。

 ロザリーとは違い、この状況でも心の底から落ち着き払っているように見える。


「グレアー様。緊急用の狼煙を」


「え?あ、は、ハイ!」


 カッセルに促され、グレアーは多少慌てながらもセイヴァンから渡された魔道具の筒を取り出して念じた。

 しかし、何も起こらない。


「……嘘っ!?不発!?」


「ちょっ!俺に貸せ!」


 ダイルはグレアーの手から魔道具の筒を取って念じるも、やはり反応はなかった。


「おいおい、まさかの不良品か!?」


「……思い出した。ケイオスベアーは魔法を使うことは出来ないけど、全身に禍々しい魔力を帯びていて、それが周囲に影響を及ぼすこともあるそうなんだ」


「つまり、奴がいるからこれが反応しないってことか!?」


「恐らく……」


「マジかよ……。おい、カッセル!」


「なんだい!?」


「ここは、俺ら男が体張る場面だぞ?」


 ダイルがそう言って視線を向けると、カッセルはその意味を理解して頷く。


「……そうだね」


「ってことで、お嬢様方はその隙に……」


「馬鹿な真似はお止しなさい!!」


 と、ダイルの言葉を遮るようにグレアーが声を張り上げた。


「あんな化け物相手に貴方たちが盾になっても、大して時間なんか稼げませんわ!無駄に命を散らすくらいならば皆で助かる方法を考えなさい!」


「お、おう……」


 思い掛けないグレアーの言葉にダイルは完全に気圧される。


「……皆様。魔法はどのくらい使えまして?」


 グレアーが尋ねた。


「……取り敢えず、四属性の初級魔法くらいは使えるぜ?」


「わ、私も同じくらいかな?」


「僕も同じだね」


「ワタクシもですわ」


「そう……。私も大差はないですわね。ねえ、ロザリーさん」


「は、はい?」


 急に名を呼ばれ、声が裏返りかけるロザリー。


「貴女、『闇』の力って使えますの?」


「……期待に添えなくて申し訳ないのですけれども、自分の意思で(・・・・・・)使ったことはありませんわ」


 ロザリーが闇の力に目覚めたのは、ほんの些細なことが切っ掛けであった。

 その日、ロザリーの自室の窓は使用人の怠慢で開けっ放しになっており、そこから二匹の巨大な蜂が入り込んだのだ。

 幼いロザリーは、恐怖に慄き泣いて助けを呼ぶも、彼女を冷遇する使用人は誰も助けに来ず、寧ろその様子を覗き見て楽しんでいる始末で、ジュールも運悪く外出中であった。

 全てに見放されたとロザリーの心は絶望に染まり、黒い何かが彼女の中から湧き上がってくるのを感じた時には意識を手放していた。

 その一部始終を覗いてた使用人が言うには、ロザリーはその時黒い靄のようなものに包まれ、それが二匹の蜂に伸びた時には死骸となり動かなくなったという。


「ワタクシが闇の力を使ったのは一回だけ。それも全く覚えていないんですの。本当に申し訳ないですわ」


 なお、テスカの正体を知ったあの夜、無意識に闇の力を使ったことをロザリーは自覚していない。


「……いえ、別に謝ることではありませんわ。ロザリーさん」


「え?」


 皮肉の一つくらいは覚悟していたが、思ってもいない反応が返ってきてロザリーはキョトンとする。


「勿論、使えたらそれに越したことはないのでしょうけれど、今は各自が使える手札を確認するのが大事ですから。使えないと正直に言って下さって有難うございます」


 ロザリーは正直今までグレアーを何処か冷たく厳しい人なのかと思っていたが、それは表面上のことで彼女の本質ではないというのを理解した。


(……もし、ここを無事に切り抜けられたならば、もっと彼女とお話をしてみたいですわね)


 そんな場合ではないのに、ついそんなことを考えてしまう。


「……なあ、火の魔法で周りに火を付けるってのはどうだ?狼煙の代わりにさ」


 そう提案したのはダイルであった。


「ええ!?それ、森林火災になっちゃわない?」


「貴方、何を考えてるの!?」


「……いや、現状僕らに出来るのはそれだけだよ」


 ミシェルとグレアーの反応を他所にカッセルはダイルの案を支持した。


「狼煙を上げてこの状況を知らせる以外にも、火の力で相手が逃げるかも知れないしね。魔獣と言えども獣だし、火を恐れる可能性はあると思う」


「で、でも、火に巻き込まれたらワタクシたちも危険なのでは?」


「どっちみち、このままアイツにやられるだけならば、一か八かに賭けた方がいい」


「いいねえ、カッセル!じゃあ、早速火の魔法を……」



「グォォォオォーッッ!!!!! ガァァァァァァッッッ!!!!」



 その時、ロザリーたちのそんな動きを察知したのか、急にケイオスベアーは耳を劈くような咆哮を上げた。同時に衝撃波のようなものが迸る。


「!!!!!!!!」


 突然のことに耳を塞ぐ暇すら無く、それをもろに食らう五人。

 すると、ロザリー以外の四人が突如蹲り、ガタガタと震え始める。


「こ、これって……!?」


「くっ、体が動かねえ!?」


「もしかして、これは相手を恐怖に陥れて動きを止める奴の能力か何かなのか?……なるほど、だからアイツは悠長にこっちを見ていたということか。何時でもこうやって逃さなぬように出来るんだぞって」


 カッセルは僅かにカールの顔を覗かせる表情でケイオスベアーを睨みつけた。


 一方でロザリー。


「え?何故ワタクシは平気なんですの?」


 耳はキーンとなっているものの、他の四人のように体の震えなどは起きていない。

 ということは、今何か出来るとしたらロザリーしかいないということでもある。


「わ、ワタクシはどうしたら……」


 その時、ケイオスベアーは遂に獲物を仕留めるべくロザリーたちの方へと進行を始めた。

 ゆっくりと、だが確実に距離を詰めていく。


「……こうなったらロザリーだけでも逃げて!私たちはいいからさ!」


「ダメだミシェル!そうしたら、恐らくアイツはロザリー様を追い掛ける!何時でも殺せる僕らを後回しにして!」


「ええっ!?じゃあ、どうすれば……」


「万事休すって奴かよ!クソ!」


「うぅ……。死にたく……ないですわ」


 グレアーは人目も憚らず目から大粒の涙を溢した。

 誰が見ても打つ手のない絶望的な状況。

 ケイオスベアーはまるでそれを愉しんでいるかのように一歩ずつのっしのっしと向かって来る。


(……お願い!)


 ロザリーは目を閉じた。

 だが、それは恐怖から目を背けるためではない。


(お願いですわ!ワタクシの中の闇の力!)


 内に眠る力。

 迫害の対象にもなりかねぬ忌まわしいと言ってもいいその力。

 ロザリーはその力に賭けた。


(ワタクシは死にたくない!そして、この方々も死なせたくない!!)


 カッセル、グレアー、ダイル、ミシェル。

 クラスこそ一緒ではあるが、こうしてちゃんと話し、共に行動するのは今日が初めてであった。

 短い時間ではあったが、それでもロザリーにとっては濃密な時間だったと言える。


(闇の力を持つというだけで避けたり、心無いことを言ってくる連中と違って、彼らは闇の力とか関係なく、ちゃんとワタクシ自身に向き合ってくれましたわ。今だって、この状況で……)


 一人だけ動けるロザリーを見てもやっかみだのはなく、ただロザリーの身を案じてくれた。


(ワタクシは皆を助けたい!!だからお願い!!ワタクシに今、力を頂戴!!)


 ロザリーのその願いが通じたのか。

 突如、ロザリーの頭の中に声が響いた。


《汝、力を求めるか?》


(!?この声は……)


《汝、力を求めるか?》


 同じ言葉が再び頭の中に響く。

 重く、禍々しさを感じる声であった。

 まるで、悪魔の誘惑のように。

 誘いに乗ってはいけないと本能が訴えかける。


(……求めますわ。皆を助けることの出来る力を!!)


 だが、ロザリーは躊躇をしなかった。


《……では、意識せよ。深淵なる闇の安寧を》


 その言葉と同時にロザリーの体を黒い靄のようなものが包み込む。

 それはまるで炎のように素早く全身を回った。


(くっ!?な、何ですのこれは!?)


《受け入れろ。そして唱えるのだ。『フィアー』と》


「……『フィアー』!」


 頭の中の声に促されるままロザリーは右手を翳してそう唱えた。すると、ロザリーの体を覆っていた黒い靄はその手を伝い、瞬時にケイオスベアーの頭を覆い始める。


「ヴォォォォーーーッ!!」


 次の瞬間、ケイオスベアーは咆哮した。

 だが、先程の咆哮とは違い、その声からは苦しみ、或いは怯えのようなものが感じられる。

 と、ケイオスベアーはロザリーたちに背を向けた。


「ハァッ、ハァッ、ハァッ!!」


 そのままケイオスベアーは木々をなぎ倒す勢いで走り去って行く。

 どうやら、先程唱えた力の効果のようだ。


「助かった……んですの?」


 ロザリーは今目の前で起きたことが信じられない様子であった。

 あの声はもう聞こえなくなっている。

 ロザリーはハッとなって四人の方へ視線を向けた。

 全員、病的な震えは止まっており、ケイオスベアーの咆哮効果は切れている模様。


(良かった……。皆、無事ですのね……)


 と、ロザリーの意識は急に暗転する。

 崩れ落ちる身体を必死に支えようと四人が駆け寄ってくるのが一瞬見えた気がした。

 

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