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愛犬と一緒に異世界転生したら、うちの子が神獣に⁈いいえ、普通のパピヨンです  作者: kotao


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第五話 神獣様、まったりな1日

いろいろな出来事が重なり、お疲れ気味のエレナ。そんなエレナを癒してくれるのは?

森から戻った翌日の朝、王宮の騎士団詰所には、見慣れない緊張が漂っていた。


 私はロブを抱き、ルークに案内されて石造りの建物へ入る。壁には剣と盾が飾られ、広い机の上には地図や書類が積まれていた。


 そして机の中央には、森で見つけたあの罠が置かれている。


 茜火狐の足を噛んでいた、鈍い鉛色の罠。


 昨日、ルークが布で包んで持ち帰ったものだ。


「ロブ、触らないでね」


「わん」


 ロブは気になるらしく、机の脚のそばから鼻を伸ばしている。


 でも、罠の近くへ行こうとはしなかった。金属の匂いが嫌なのか、森で怯えていた茜火狐のことを覚えているのかはわからない。


 机の向こうには、髭をたくわえた大柄な男性が立っていた。


 腕には煤がつき、革のエプロンをしている。王宮付きの鍛冶師、バルドさんだとルークが紹介してくれた。


「これを森で?」


 バルドさんは罠を手に取り、重さを確かめるようにゆっくり傾けた。


「はい。小さな狐の魔獣がかかっていました」


「狐用にしては、作りが強すぎる」


 低い声で言いながら、彼は金属の噛み合わせを指先でなぞった。


「普通の猟師が使う罠なら、もっと簡素だ。獲物を逃がさないことが目的で、ここまで細かな細工はしない」


 バルドさんは細い金具を示した。


「見ろ。このばねは、足が外れにくいよう二重になっている。内側の棘も、獲物が暴れれば暴れるほど傷が深くなる形状だ」


 考えるで、胸が痛くなる。狐の魔獣は、罠が外れるまで、ずっと震えていた。


「弱らせるための罠なんですね」


「そうだろうな。生け捕りにするなら、傷をつけすぎるのは損だ。肉や毛皮が目的でも同じだ。これは、獲物を苦しませるための作りだ」


 ロブが小さく鼻を鳴らした。


 ルークの表情も、昨日よりずっと硬い。


「誰でも作れるものか?」


 ルークが尋ねると、バルドさんは首を横に振った。


「いや。この材質は、ただの鉄じゃない。魔力を通しやすい銀鉱を混ぜてある。ばねの強さも、均一でなければ意味がない。王国内でも、こういうものを作れる鍛冶師は限られる」


「限られる?」


「王都でなら、俺を含めて五人。地方まで広げても、十人いるかどうかだろう。魔獣用の拘束具や、魔術師が使う道具を作る技術がいる」


 ルークが机の上の地図を見た。


「つまり、猟師など森にいた誰かが作ったものではない」


「意図的な人の手が入っているかもしれないと」


 私の口から出た言葉は、思ったより重かった。


 黒牙狼は急に荒れた。


 茜火狐は悪質な罠にかかり、森の奥を見て、怯えていた。


 それらが、ひとつにつながっていく。


「この罠には、微量ですが魔力の残り香もあります」


 詰所の隅にいた魔術師が言った。


「ばねへ力を加えるためだけではない。長く触れた獣の魔力を乱すような……まだ断定はできませんが、嫌な残り方です」


 ロブが急に私の足元へぴたりと寄ってきた。


 私は抱き上げ、背中をゆっくり撫でた。


 ルークはバルドさんへ向き直った。


「王国内の鍛冶師へ、同じ作りの罠の注文を受けていないか確認できますか」


「できる。だが、相手が身元を隠して注文した可能性もあるぞ」


「それでも調べます。金属の仕入れ先、道具の刻印、似たばねの注文。わずかでも足取りを掴みたい」


 ルークの声には、怒りが混じっていた。

 

 鑑定が終わるころには、罠の周りに集まっていた人たちの顔から、昨日までとは別の緊張が見えていた。


 黒牙狼を見たとき、多くの人は「恐ろしい魔獣が王宮に現れた」と思ったのだろうが、今は違う。


 誰かが罠を作り、森へ運び、魔獣を傷つけるために仕掛けたかもしれない。


 相手が見えないことのほうが、ずっと怖い。


「ルーク」


 私は罠から目を離せずにいた。


「もし、誰かが魔獣を荒れさせたいなら、何のために?」


 ルークはすぐには答えなかった。


「王都を混乱させたい者がいるのかもしれません。魔獣が村を襲えば、騎士団はそちらへ向かわなければならない。人々が怯えれば、国王陛下の判断を疑う者も出るでしょう」


「クーデター?」


「あるいは、もっと別の目的があるのかもしれません。まだ、決めつけるべきではない」


 決めつけない。


 怖いから斬るのではなく、わからないからこそ確かめる。


 私はロブを抱き直した。


「ロブは、あの狐のことを助けたかっただけですよね」


「ええ」


「だったら、私たちも、ちゃんと知りたいです」


 ルークは少しだけ目を細めた。


「はい」


   ◇


 それから王宮は、急に慌ただしくなった。


 廊下を急ぐ役人が増えた。


 騎士たちは交代で森の周辺へ向かい、王都の門では荷馬車の確認が始まったらしい。


 昨日まで王宮で囁かれていたのは、「魔獣が暴れている」という言葉だった。


 けれど今は違う。


「誰かが魔獣を傷つけているかもしれない」


 その言葉が、王宮の中を静かに巡っている。


 国王陛下は大臣たちを集め、森周辺の村へ警備の増員を決めた。同時に、魔獣を見つけてもむやみに討伐しないよう、改めて命じたという。


 アレクシス王子は騎士団へ、罠や不審な魔道具の情報を集めるよう指示した。


 セシリア王女は、王都の診療所や薬師へ連絡を取り、傷ついた魔獣が運ばれてきたときのための薬を準備している。


 魔獣を敵として扱うだけではなくなっていた。


 そのことに少しホッとしている自分がいた。


 

 午後、私はロブと一緒に、王宮の廊下を歩いていた。


 ロブが朝食を食べたあとから妙に元気で、部屋の中を何度も往復するから、少し歩かせたかったのだ。


 王宮の廊下は広く長い。こんな場所で動き回れる機会は日本でなかった。


 何往復もして、走り疲れて戻ってくるのを、のんびり歩きながら待っていた。


 会議室を通り過ぎようとした時、扉が半分開いた会議室の中から、国王陛下の声が聞こえた。


「森の周辺に住む者へ、魔獣を見かけても石を投げたり、罠を仕掛けたりしないよう伝えよ。むやみに近づかず、騎士団へ知らせること」


「しかし陛下。村人は畑や家畜を守らねばなりません」


「そのために見回りを増やす。被害が出たなら、王宮が補償する」


 誰かが、驚いたように息をのんだ。


「魔獣による被害まで、ですか?」


「魔獣を追い詰めた原因が人の手にあるかもしれぬのだ。すべてを村人の自己責任にはできぬ」


 ロブは扉の隙間を気にするより、廊下の端に置かれた花瓶の匂いを嗅いでいた。


 私はその背中を見ながら、ふと思う。


 政治が動く、というのは、王様や大臣が難しい言葉で何かを決めることだけではない。


 決めたことの先には、国民の暮らしを守る確固とした意志を見た気がした。


   ◇


 走り終えて満足したらしいロブと部屋に戻った。


 元気なロブとは対照的に私は疲れていた。


 森から帰っても、ずっと気が張っていたようだ。


 茜火狐の細い足や、黒牙狼の遠吠えが頭から離れずあまり眠れなかった。


 朝、起きても、心をまだ森に置いてきたままみたいな感覚。


「今日は、何もしない日にしよう」


 私はロブに言った。


 ロブは首を傾げる。


「会議も森もなし。お風呂にゆっくり入って、部屋でまったりする」


 ロブは「それだけ?」という顔をしている気がする。


「もちろんおやつも食べよう」


 すると安心したように尻尾を振る。


 私たちに用意された部屋の隣には、驚くほど広いバスルームがあった。


 大理石の床に湯気の立つ大きなバスタブは猫足。窓の向こうには小さな中庭まで見える。


 ロブ用には、侍女がベビーバスと、香りの弱い石鹸を用意してくれた。


「犬のお風呂まで、用意してもらって」


「神獣様ですから」


「ロブは、普通の犬ですよ」


「はい。普通の犬として、最高のお世話をさせていただきます」


 なぜか少し誇らしそうだった。


 ロブはバスタブを見た途端、三歩後ろへ下がった。


「ロブ、お風呂だよ」


「わふ……」


 散歩は好きでも、お風呂はそこまで好きではない。


 日本にいたころも、バスルームへ連れていくと、自分の足では動かなかった。


 抱き上げると、こちらを見上げて「本当に入るの?」という目をする。


 王宮の立派なバスルームでも、それは変わらないらしい。


 私は先に自分の手をお湯へ入れた。


「お〜。あったか〜い。気持ちいい〜」


 ロブは疑わしそうにお湯を見ている。


 次に、私が濡れた手でロブの背中を軽く撫でた。


「冷たくないでしょ?」


「わふ」


「はい、背中からいきま〜す」


 このやりとりを、扉のところにいた侍女たちが息を詰めて見守っている。


 神獣を湯へ導く神聖な儀式、とでも思っているのかしら。


 実際には、嫌がる犬へ少しずつお風呂に慣れてもらっているだけである。


「神獣様が、何かを警戒しておられます!」


 侍女が心配そうに言う。


「お湯が苦手なんです」


「お湯が……」


 私はロブを抱き上げ、ベビーバスの前に座った。


「ほら、足からね」


 足をそっと浸ける。


 ロブは一瞬、耳を後ろへ倒した。


「大丈夫。気持ちいいよ」


 次にお腹をチャプチャプする。


 するとロブは、諦めたように息を吐いた。


「わふ」


「そうそう。いい子」


 たっぷりと泡立てた石鹸で背中から洗い始める。森で泥がついた足先は特に丁寧に。耳の毛は絡まりやすいから、こすらずに指でほぐす。


 その間に、バスルームの外にギャラリーが増えていることに気づいた。


 侍女が二人。


 昨日、朝食でロブにパンを出してくれた料理長。


 なぜかセシリア王女までいる。


「セシリア様?」


「ごめんなさい。神獣様の沐浴を、少しだけ拝見してもよろしいかしら」


「沐浴というか、犬のお風呂です」


「とても大切なことですわ」


 王女は真剣だった。


 ロブが泡だらけの前足をぺろりと舐めようとする。


「だめ。泡は食べない」


「わん」


「まあ……神獣様は、ご自身を清める泡まで味見なさろうと」


「味見じゃないです。犬だからです」


 料理長が、感心したように頷いた。


「食材以外を口にしないよう、主が見守る。これも深い絆なのですね」


 ただの安全対策だが。


 お風呂が終わると、ロブは大きなタオルに包まれた。


 すると急に元気になり、タオルの中でぐるぐる回る。


「ロブ、待って。まだ濡れてるから」


「わふ!」


 ぶるぶるっと体を振ると、水滴が四方へ飛び散った。


 近くにいた侍女が小さく悲鳴を上げ、セシリア王女の袖にも水が飛んだ。


「わっ、セシリア様、申し訳ありません!」


「いいのです!」


 セシリア王女は濡れた袖を見て、なぜか嬉しそうに笑った。


「神獣様の清らかな雫をいただきましたわ」


 ロブはすっかり気分がよくなったらしい。


 乾いたタオルの上でお腹を見せ、またへそ天になった。


「神獣様が……無防備なお姿を」


「安心してるだけです」


「王宮を、これほど信頼してくださっているのですね」


 結局、何をしてもいい話になる。


 

 お風呂のあとは、窓辺でブラッシングをした。


 ロブの長い耳の毛は、濡れると特に絡まりやすい。私は少しずつブラシを動かし、毛玉を見つけるたび指でほどいた。


 ロブは最初だけ少し嫌そうにしていたが、耳の後ろを梳かれると気持ちよくなったらしい。目を細め、前足を伸ばしている。


「ロブは、ここを撫でられるのが好きなんです」


 私はセシリア王女へ教えた。


「まあ。ここですのね」


 王女様がそっと耳の付け根を撫でると、ロブは目を閉じた。


「わふぅ」


「喜んでくださいました!」


「王女様のことが好きなんだと思います」


「おやつをくださる方だからではなくて?」


 いつの間にか来ていたルークが、扉のそばから言った。


「ルークまで言うんですか」


「事実ですから」


 ロブはルークを見ると、尻尾を振った。


「さあ、お風呂とブラッシングを頑張ったから、おやつにしようか」


 私はガレドさんにもらった袋から、小さなビスケットを一枚出した。


 そして小さなビスケットを手の中へ隠し、左右の拳をロブへ差し出す。


 ロブは真剣な顔で匂いを嗅ぐ。


 右。


 左。


 そして右の手に、鼻先をつんと当てた。


「正解」


 手を開いた中にあったビスケットを、ロブはうれしそうに食べた。


 見学していた人たちから、小さな拍手が起きる。


「なんと……」


 セシリア王女が両手を胸の前で組んだ。


「神獣様は、人の心をお読みになり、隠されたものを見つけ出されたのですね」


「匂いです」


「匂い?」


「犬の鼻はすごいんです」


 料理長が、急に真剣な顔になった。


「では、神獣様に厨房の新作菓子を当てていただく催しを……」


「太るのでやめてください」


 ロブは自分のことを言われているとわかったのか、私の膝へ顎を乗せた。


 その仕草に、部屋の空気がふっとやわらかくなった。

 

 事件のことは、まだ何も解決していない。


 森の奥には何かがいる。誰かが罠を仕掛け、魔獣たちを傷つけている。


 でも今このときだけは、ロブはきれいになった毛を揺らしながら、おやつの次の一枚を待っている。


 それでいいと思えた。なんだか私もホッとした。


 

 午後になると、ある人物が私たちの部屋を訪ねてきた。


 細い眼鏡をかけた白衣姿、薄茶色の瞳が人懐っこい印象の人物。


「お久しぶりだね、エレナさん、ロブちゃん」


「ディート先生」


 私たちがこの世界に来た日に、傷ついたブラックドラゴンを診てくれたディート医師だった。


 あのときは大きなドラゴンを前にしても落ち着いていて、ロブが近づくと、怖がらせないよう静かに様子を見ていた。


 この世界に来て、ロブをちゃん付けで呼んだ人は、この人だけだ。


「またお会いすることになるとは」


「こちらもです。今日はロブの診察に来ていただいたのですか?」


「ロブちゃんが元気そうでよかった。というより僕は人間を診る医者だよ。今日呼ばれたのは、森の魔獣について話をするため」


 ディート先生は持っていた革の鞄を机へ置いた。


「僕は以前、北の国境近くにある診療所で働いていたんだ。そこは魔獣の生息地だったこともあり、診療の傍ら魔獣の生態を研究もしていてね。怪我をした魔獣を診る事もあったんだ」


「魔獣を?」


「うん。人を襲った魔獣だけを見ていれば、誰でも恐ろしいと思う。でも、罠にかかった者、毒を盛られた者、巣を焼かれた者を診ていると、見え方が変わってくる」


 ディート先生の声は穏やかだった。


「魔獣も痛がるし、怖がる。傷が長く残れば、人や同族へ近づけなくなることもある。恐怖が積み重なれば、いずれ何にでも牙を向ける危険もある」


 ロブはディート先生の足元へ行き、靴の匂いを嗅いだ。


 先生は笑いながら、しゃがんで手の甲を差し出す。


「おや。ロブちゃんは、僕を覚えていてくれたのかな」


 ロブは少し匂いを嗅いでから、その手を舐めた。


「わふ」


 先生はロブの背中を優しく撫でた。


「あのドラゴンは、その後どうしてますか?」


 私は尋ねた。ずっとあのドラゴンが気になっていたのだ。


「傷は順調に塞がっているよ。まだ人を見れば距離を取るけど、以前よりは落ち着いているね。ルーク団長が時々、様子を見にきてるよ」


「本当ですか?」


 ルークは少し気まずそうに視線をそらした。


「傷が開いていないか、確認しているだけです」


 ロブはドラゴンという言葉に反応したのか、首をかしげた。


「また会えるといいね」


「わん」


 ディート先生はその様子を見て、静かに言った。


「ロブちゃんがいると、我々は『魔獣』というひとつの言葉で片づけていた存在を、ひとつずつ違う命として見るようになるね」


 その言葉が、心に残った。


 黒牙狼も、茜火狐も、傷ついたドラゴンも。


 名前や姿は違っても、それぞれが恐怖や痛み、不安を抱えているのかもしれない。


 ロブはたぶん、それを最初から難しく考えていない。友達になれるか、困っているか。ただそれを、匂いで確かめているだけだ。


「森でのこと、聞かせてくれる?」


 私は、茜火狐の様子を話した。傷ついた足、森の奥を見て震えたこと、ロブがそばに座っていたこと。


 ディート先生は途中で何度か目を伏せた。


「その罠の棘は、傷口へ特殊な薬を残す可能性がある」


「薬?」


「怒りや恐怖を強める薬があるんだ。昔、戦場で使われたことがあると聞いた。傷口から入れば、痛みが増し、落ち着きがなくなる」


 私は息をのんだ。


「そんなものを、魔獣に?」


「まだ、確証はない。罠そのものを詳しく調べなければ。ただ、もしそうなら、魔獣をわざと荒れさせることができる」


 ディート先生の話を聞くと、ルークはすぐに騎士へ命じる。


「罠は誰にも触れさせるな。鑑定所へ運び、薬師と魔術師、両方に調べさせろ」


「承知しました」


 人が走り去る音が、廊下の向こうへ消えていく。


 ディート先生はすぐに私へ視線を戻した。


「エレナは大丈夫?疲れてない?」


「え?」


「顔色が少し悪い。ロブちゃんは元気そうだけど」


 ロブはちょうど、私の膝へ前足をかけていた。


「私は大丈夫です」


「慣れない場所だから疲れも出やすい。よく眠り、よく食べて。誰かを助けるには、まず自分が倒れないことだよ」


 そう言われて、温かい気持ちになれた。


 私はこの世界に来てから、ずっと周りに助けられている。


 国王陛下も、ルークも、ガレドさんも、そしてディート先生も。


「ロブと、今日はゆっくりします」


「それがいい」


 ディート先生が帰ったあと、ロブと私は大きなベッドで存分にゴロゴロした。


 窓の外には、夕焼け空が広がっている。


 私はロブのお腹を撫でながら、柔らかいもふもふした毛が指を通る感触を確かめた。


「事件ばっかりだね」


「わふ」


「明日は、もっと平和だといいね」


 ロブは答える代わりに、私の手を舐めた。


 王宮の灯りが、ひとつずつ夜の中に灯っていく。


 

 夕食のあと、ルークが短い報告に来た。


「罠を作れる鍛冶師たちには、すでに使いを出しました。王都の出入り口でも、銀鉱を混ぜた金属や、魔獣用の拘束具を運ぶ荷を確認しています」


「手がかりが見つかるといいですね」


「ええ。ただ、相手も痕跡を残さないようにしているはずです」


 ルークは言葉を選ぶように、一度だけ窓の外を見た。


「だから、エレナとロブには、しばらく王宮の外へ出ないでいただきたい」


「私たち、狙われてるんですか?」


「可能性は否定できません。ロブが森で魔獣を落ち着かせたことは、王宮にいた者なら皆、知っています」


 怖い、と思った。


 でも、その言葉を理解していないロブは、私の膝の上であくびをして、体を丸くしている。


「わかりました。しばらく散歩は、王宮の庭だけにします」


「よろしくお願いします」


 ルークは頭を下げた。


「守ると言った以上、警戒を怠りません」


 それから扉の方に歩きかけて、ロブの前で一旦止まり、小さな干し肉を一枚置いた。


「今日、お風呂で頑張ったご褒美だ」


「わん!」


 ロブの尻尾が、眠気を忘れたように動く。


「ロブ、ルークにお礼は?」


 ロブは干し肉を食べる前に、ルークの手をぺろりと舐めた。


「これで、十分です」


 ルークは笑った。


   ◇

 

 その夜、王都から遠く離れた森の奥で、黒いローブをまとった人物が立っていた。


 足元には、鉛色の罠がいくつも並んでいる。


 その人物は、細い瓶から黒い液体を一滴ずつ、罠の棘へ垂らした。


 じゅ、と小さな音がする。


 近くの木陰で、何かの獣が低く唸った。


「まだ足りない」


 ローブの奥から、男とも女ともわからない声が漏れる。


「もっと怯えろ。もっと怒れ」


 月の光が、黒い液体を濡れたように光らせた。


 その人物が誰なのか、まだ誰も知らない。


 ただひとつだけ確かなのは。


 森の魔獣たちを苦しめているのは、偶然でも、自然の乱れでもないということだった。


 誰かの悪意が、暗い森の中で、静かに、確かな形を持ち始めていた。


 ――第五話おわり

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