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愛犬と一緒に異世界転生したら、うちの子が神獣に⁈いいえ、普通のパピヨンです  作者: kotao


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第二十九話 白き獣〜私たちの選択

本編最終回。

グランツ公爵領の声はどうなるのか?

そして、境界の門でエレナとロブの選んだ道は……

 ロブが境界の門へ飛び込んだ。


 白い姿が、青い光の中へ消える。


「ロブ!」


 私は黒い石の円へ走った。


 ルークに腕を掴まれる。


「離して!」


「待ってください。今入れば、どこへ出るかわからない」


「ロブもわからないまま入ったんです!」


 門の内側では、景色が次々に変わっている。


 雨に濡れたアスファルト。


 青い光だけが広がる場所。


 深い森。


 王宮の中庭。


 どれも一瞬で消え、別の場所へ変わる。


 そのどこにも、ロブはいない。


「閉じ始めています!」


 ミラが叫ぶ。


 七つの透明な石へ亀裂が入っていた。


 門が小さくなっているのではない。


 輪郭が崩れている。


 青い光が黒い円の外へ漏れ、謁見の間の床を這う。


「七標を止めた力が、門へ集中しています。このままでは、閉じる前に形を保てなくなる!」


「ロブを戻す方法は」


「名前を呼ぶな」


 ミラより先に、サレスが言った。


「ここで名を呼べば、どの岸から返事が来るかわからない」


 石柱の内側から聞こえた私の声のように、何十もの声が、ロブの名を呼んでいる。


 呼べば、今の私の声まで、その中の一つにされてしまうだろう。


「じゃあ、どうすればいいの?」


 誰も答えられない。


 グランツ公爵だけが、門を見ていた。


 印章を押しつけていた右手は、玉座から離れている。


 七標が完全に起動した今、公爵にも止められない。


「白き獣は、こちらを選んだ」


 かすれた声で言った。


「自ら門へ入った。やはり、声のある岸へ」


「違う!」


 私はすぐ答えた。


「ロブが何を選んだか、あなたにわかるはずない」


「では、君にはわかると?」


 ロブの心はわからない。


 門へ入った理由も。


 向こうに知っている何かを見たのかもしれない。


 苦しむ声へ向かったのかもしれない。


「あなたの望む答えとは限らない」


 私も、自分の望むことを答えにはしない。


 ロブは私を待っている、そう決めつけて飛び込めば、公爵と同じ。


 それでも。


 ロブがどんな理由で入ったとしても、ひとりで向こうへ行かせることはできない。


「私は行きます」


 ルークの手が、私の腕を掴んだまま動かない。


「エレナ」


「ロブが選んだことを変えに行くんじゃありません。連れ戻すわけでもない」


 自分の言葉を確かめながら言う。


「ひとりにしないために行きます。ロブが何を見て、どこへ行こうとしているのか、隣で見ます」


 ルークは私を見る。


 そして門を見る、腕を掴む力が緩んだ。


 でも手を離したのではない。


 ルークは腰にあった白い紐を外した。


 大神殿から持ってきた、結界を張るための紐。


 片方を自分の手首へ巻き、もう片方を、私へ差し出した。


「何ですか」


「一人で行かせない」


「ルークまで入るつもりですか」


「俺は境界を越えたことがないので、入れば名や記憶を失う可能性があります」


「なら、駄目です」


「だから、ここに残ります」


 白い紐の端を、私の手首へ結ぶ。


「エレナが戻る岸を、ここへつなぐ」


 大神官の口伝にあった。


 ――契り手は名を呼び、帰る岸に道を結ぶ。


「でも、私はロブの契約者で」


「今は、俺があなたを呼ぶ」


 ルークの指が、結び目を確かめる。


「門が閉じても離さない。紐が切れても、あなたの名を呼びます」


「私が、日本へ帰ると決めても?」


 ルークはすぐには答えなかった。


「そのときは、この紐を切ります」


「止めない?」


「止めたい」


 まっすぐな声だった。


「だが、俺が望む岸へエレナを連れてくるために、これを結ぶのではない」


 ルークは私を見る。


「ここに戻るなら、ここで待つ。元の場所へ帰るなら、門を閉じる。どちらでも、あなたが選んだことを俺の望みに変えることはない」


 自分の望む答えを選ばなくても受け入れる、とルークは言ってくれた。


「君に伝えたいことがある」


「伝えたいこと?」


「戻ったら言います」


「今、言ってください」


「戻る理由を増やしたと思われたくない」


 こんなときまで、ルークらしかった。


 笑いそうになった。


 泣きそうにもなった。


「じゃあ行きます」


「待っています」


 門の輪郭が、また大きく崩れた。


 時間がない。


 ミラが白い紐へ小さな透明石を結ぶ。


「向こうの魔力が逆流したら、石が割れます。全部割れる前に戻ってください」


「はい」


「ロブを見つけても、すぐ触れないで。姿だけを真似るものかもしれません」


「確かめる方法は」


 ミラは一瞬考えた。


「枝を投げる」


 そう言って、ポケットから木片を取り出した。


「これを。神獣様がお好きだと思って。持ってきました」


 木片を受け取る。


 これを投げてもロブは、追うかもしれないが、追わないかもしれない。


 気分が乗らなければ見送る、それがロブだ。


 私は白い紐を握り、黒い円の前へ立った。


「行ってきます」


「エレナ」


 ルークが私の名を呼ぶ。


 石の中から返る声とは違った。


 私は境界の門へ入った。


     ◇


 落ちると思っていた。


 けれど、足は何かに触れていた。


 水面のように揺れる薄い光が、一歩進むと、足元に丸い波のように広がる。


 上も下も、遠くも近くもない。


 周囲には、いくつもの景色が浮かんでいた。


 日本の部屋。


 小さな台所。


 ロブのおもちゃ。


 王宮の私の部屋。


 窓際のクッション。


 リーネ村の広場。


 見たことのない海。


 どれも膜の向こうにある。


 手を伸ばせば届きそうなのに、歩いても距離が変わらない。


「ロ…」


 呼びかけそうになり、止める。


 代わりに白い紐を握る。


 ルークが向こう側にいる。


 紐は光の中へまっすぐ伸びていた。


 私が戻ると決めたときだけ、辿れる道。


 声が聞こえた。


 何百もの声。


 高い声。


 低い声。


 人の声。


 魔獣の鳴き声。


 一つに重なった声は、意味をなしていない。


 灰の狩人が集めた声。


 公爵領の村名。


 鐘が呼んだ土地の名。


 全部が大きな一つの声になり、境界の中を満たしていた。


 白い姿が見えた、ロブが立っていた。


 こちらに気づかず、重なった声の中心へ顔を向けている。


 ふわふわの白い毛、茶色い耳、姿は同じ。


 私は木片を出した。


「これ、いる?」


 ロブの耳が動き、こちらを振り返った。


 木片を見る、そして私を見る。


 もう一度、木片を見る。


 尻尾が一度揺れた。


 私は木片を投げた。


 光の上を、木片が滑る。


 ロブが追った。


 しかし木片を拾わず、私の方に戻ってくる。


 私の靴を嗅ぎ、前足を載せた。


「本物だね」


 ロブを抱き上げた。


 温かい。


 鼻先が私の頬へ触れた。


 それで十分だった。


「どうして入ったの?」


 聞いても、ロブは答えない。


 腕の中から下りようとしたので、地面へ戻す。


 ロブは重なった声へ近づく。


 そこには、黒いものが浮かんでいた。


 輪ではない。


 何千本もの糸が絡まった塊だった。


 一本ずつの先に、景色がある。


 森。


 籠の中の翼猫。


 旧鉱山の魔獣。


 公爵領の村。


 人の顔。


 名前が違うものを、同じ方向へ引くため束ねた糸のようだった。


 ロブが鼻を近づけ、一番外の糸へ前足を置いた。


「わん!」


 黒い塊から、小さな光が離れた瞬間、蛍尾リスの声がした。


 ロブは次の糸へ触れる。


「わふ!」


 今度は翼猫の高い声。


 黒い塊の一つだった声が、分かれていく。


 ロブは糸を切っているのではない。


 一頭ずつの声を聞き分けているのだ。


 双角山でも、そうだった。


 大きな苦しみとしてではなく、違う場所にいる違う魔獣の声として聞いていた。


 ただ聞いている。


 一つずつの声が一つずつの場所に戻るまで。


 大神官の口伝、そのままだった。


 ロブが次の糸へ触れる。


 岩角猪の低い声が戻った。


 名なき声を、一頭ずつへ返していく。


 それが、ロブが門へ入った理由なのかもしれない。


 でも、決めつける必要はなかった。


 今ロブがしていることを見ればいい。


「私も手伝う」


 黒い塊へ手を伸ばす。


 触れた瞬間、知らない記憶が流れ込んだ。


 暗い檻。


 矢の痛み。


 子供の声。


 枯れた井戸。


 冷たい冬。


 多すぎる記憶に、思わず手を離しそうになる。


 ロブが私の指へ鼻をつけた。


 一つずつ。私は細い糸を一本取った。


 先に、小さな村が見える。


 第三標の鐘に刻まれていた名前。


「ハルナ村」


 名前を読むと、糸が黒い塊から外れた。


 景色の中では、村人たちが南門を開けていた。


 魔獣が通れるよう、荷車を動かしている。


 村は、公爵の名の一部ではない。


 そこに暮らす人がいて、それぞれの人生がある。


 次の糸。


「セレム川」


 水の音が分かれる。


「風止まりの礼拝所」


 石の音が戻る。


 ロブと私で、一つずつ名前を返していく。


 魔獣の声。


 村の名。


 人の記憶。


 グランツという一つの名にまとめられていた土地が、それぞれの場所へ戻る。


     ◇


 黒い糸が半分ほどけたとき、日本の景色が現れた。


 以前住んでいた、私の部屋だった。


 テーブルの上に、飲みかけのカップ。


 壁の時計。


 床にはロブのおもちゃ。


 事故の日の朝、置いたままだったものが、何も変わらず残っている。


 ロブもその景色を見ていた。


 自分の寝床。


 お気に入りのぬいぐるみ。


「帰りたい?」


 ロブに聞くと、耳が少し動いた。


 日本の部屋に前足を一歩出した。


 光の膜が揺れる。


 私はロブを止めなかった。


 ロブは部屋の匂いを嗅ぐように鼻を動かした。


 次に、私を見上げる。


 日本に戻るのか。


 この世界にとどまるのか。


 どちらを選んでも、一緒に行くよ。


 そう言おうとしたとき、景色の中で強い光が走った。


 事故にあった夜だ。


 道を歩く私たちと迫る車のヘッドライト。


 私はロブの名前を叫びながら抱き寄せた。


 私の記憶はそこで途切れていた。


 今は、景色の中でその先が見える。


 車が衝突する前に、ロブの体から白い光が広がった。


 私がロブを呼び、ロブが私の腕へ顔を押しつける。


 二つの光が結ばれた。


 その瞬間、境界が緩み、ロブと私は向こう側に落ちた。


 私がロブの名を呼んだから、ロブはロブのまま境界を越えた。


 ロブもそうだ。


 言葉で名前を言えなくても、声や匂い、温もりで、私を私として覚えていた。


 だから私も、私のまま境界を越えたのだろう。


「私がロブについてきたんじゃない」


 景色を見ながら言う。


「ロブが、私を連れてきたんでもない」


 互いを認識し、共に境界へ入った。


 互いの名をつなぎ止めたまま。

 

「それが、共渡り……」


 後から結ぶ契約でも、どちらか一方の岸で待つ者でもない。


 誰かに与えられた役目でもなかった。


 ロブが日本の部屋から足を戻した。


 私の周りを一度回ると、白い紐を嗅いだ。


 そしてその先を見たように、耳を立てた。


「向こうに、行く?」


 王宮の部屋。


 窓辺に置かれた丸いクッション。


 この世界で出会った人々。


 助けた魔獣と、まだ助けられていないもの。


 日本に帰りたいと思ったことがないわけではない。


 誰にも神獣の契約者と呼ばれず、仕事の予定だけを気にしていた日々。


 家と職場の往復だけだったとしても、平穏だった世界。


 日本で生きてきた年月も、ロブと過ごした時間も消えることはないだろう。


 でも今、私たちを待つ人がいる岸はひとつだと思った。


「私は、この世界が好きだな」


 ロブに私の気持ちを伝える。


「ロブは?」


 白い尻尾が動く。


 ロブは白い紐の先へ歩き出す。


 それが答えのように見えた。


 私はロブの隣を歩いた。


     ◇


 最後の黒い糸、ほかより太い糸の先に見えるのは、公爵城。


 グランツ公爵自身の名。


 領地と自分を結んだ中心。


 糸の中から、公爵の声がした。


 ――残せ。


 ――この土地を。


 その奥に、別の声がある。


 老若男女、さまざまな人の声。


 守れなかった領民、墓へ入った人たちの名前。


 公爵は、その全員まで土地と一緒に境界の向こうへ連れていこうとしていた。


 生きている者を救うためだけではない。


 失ったものも全て一緒に。


 ロブが糸を嗅ぐが、前足を置かない。


 私を見上げた。


「公爵自身が、離さないといけない?」


 答えはない。


 しかし、公爵の選択を私たちが代わりにすべきではないと思った。


 白い紐を通して、向こう岸の音が聞こえる。


 ルークの声が、私の名を呼んでいる。


 一度ずつ。同じ間隔で。


 境界の声に混ざらないよう、急がず、でも強く。


 私は黒い糸を掴んだ。


「グランツ公爵!」


 境界から、呼びかけた。


「あなたが離してください!」


     ◇


 謁見の間で、グランツ公爵は黒い円を見ていた。


 門の中から、呼びかけられた声。


「あなたが離してください!」


 公爵の右手には、まだ印章がある。


 七標の力は、印章と公爵の名を通って門へ流れていた。


「離せば、土地が戻る保証はない」


 公爵が言う。


「離さなかったとしても、望む岸へ着く保証はない」


 ルークは白い紐を手首へ巻きつけたまま答えた。


 公爵は窓の外を見る。


 南へ逃げる魔獣。


 庭から城外へ出る領民。


 公爵が守ろうとした者たちが、自分の足で輪の外へ向かっているのを目の当たりにした。


「彼らは、どこへ行こうとしているのか」


 公爵の手が震えた。


 ミラが透明な石を支えている。


 七つすべてに亀裂が広がっていた。


「今なら戻せます!」


「戻したところで、土地が死ぬのをただ待つだけだ」


 公爵が叫ぶ。


「そのときは、今度こそ領民へ話すのだ」


 サレスが答えた。


「王宮が動かなければ、大神殿が祈りだけで済ませるつもりならば、私が記録を持って訴えよう。私の観測も公開する」


「それで間に合わなければ」


 公爵は、すぐには印章を離さなかった。


「一人で全部を決めるより、できることは多いはずだ」


 正しいと認めたわけでも、説得された顔でもない。


 そのとき、公爵が見るその先で、一人の子供が転んだ。


 公爵家の兵が助け起こそうとするのを振り切り、自分でまた歩き始めた。


 公爵の指から、力が抜けた。


 印章が床へ落ちる。


 最後の黒い糸がほどけた。


     ◇


 門の中で、公爵の糸が光へ変わった。


 墓にあった名前が、一つずつ違う声になる。


 公爵領を一つに束ねていた声がなくなる。


 七つの標から流れ込んだ力が、行き先を失った。


 光の空間が大きく揺れる。


「帰ろう!」


 ロブを抱き締める。


 私は、白い紐を辿って走った。


 日本の部屋が遠ざかる。


 深い森が消える。


 足元の光が割れ始め、紐についた透明石が一つ砕けた。


 二つ、三つ目。


 門の形が歪み始めた。


 前方に、黒い円が見える。


 向こう側で、ルークが手を伸ばしている。


「エレナ!」


 どこから呼ばれたかわかる。


 私たちが選んだ岸。


 ロブを胸へ抱いたまま、円に飛び込んだ瞬間、足元がなくなった。


 白い紐が強く張り、体が引かれた。


 ルークの手が私の腕を掴んだ。


 もう片方の腕で、ロブごと抱えられる。


 謁見の間の床へ倒れ込んだ。


 すぐ後ろで、境界の門が閉じる。


 青い光が一本になり、黒い円の内側から消えた。


 七つの透明石が、同時に砕ける。


 遠くで鐘が止まり、静けさだけが残る。


 私は床に横たわったまま、腕の中を確かめる。


 ロブがいる。


 いつもの目で私を見つめ、顔を舐めた。


「戻った……」


「ああ」


 ルークの声が近い。


 私とロブを抱えたままだった。


「苦しいです」


 言うと、腕が少し緩む。


 でも離れなかった。


「すまない」


「もう少しなら、大丈夫です」


 自分で言ってから、顔が熱くなる。


 ロブが間に挟まれ、もぞもぞ動いた。


「くぅん」


「ロブが苦しいみたいです」


 今度こそ腕が離れた。


 ロブは床へ下り、体を大きく振る。


 境界の光も、神獣の役目も、全部振り落とすように。


     ◇


 七つの標は、完全には壊れていなかった。


 公爵が加えた術式が消え、本来の向きへ力を戻している。


 第一標から順に、ミラが状態を確かめた。


 一つずつ。


 同じ方法で。


 ロブを近づけず、水皿と鈴を使って。


 中央の門は閉じた。


 公爵領を囲んでいた青い輪も消えた。


 南へ逃げた魔獣の多くは、すぐには森へ戻らなかった。


 境界の揺れが収まるまで、村や騎士が道を確保することになった。


 それぞれの状態を見て、戻る場所を探す。


 人の畑へ入ってしまう魔獣もいるし、家畜が怯えることもある。


 何も問題がなくなったわけではないが、一律に討伐する命令は出なかった。


 グランツ公爵は拘束された。


 印章を手放したあと、抵抗もしなかった。


 灰の狩人も、捕らえられた者から順に名前と関わった事件を調べられる。


 名を捨てたと言っても、罪が消えるわけではない。


 同時に、公爵が訴えていた北東部の異変も、なかったことにはされない。


 サレスの十二年分の観測記録は写され、王宮、大神殿、セレムの街へ一部ずつ保管された。


 井戸。


 森。


 青い霧。


 魔力の減少。


 公爵の罪を裁くことと、公爵が見つけた問題へ向き合うことは別だった。


 どちらか一つにしない。


 それが、私たちの選んだ方法だった。


     ◇


 王宮へ戻った日。


 私の部屋は、いつもどおりだった。


 空気も澄んでいる。


 机の上の一輪挿しは、ピンクのガーベラだった。


 ロブは部屋へ入ると、一通り匂いチェックした。

 

 最後に、届けられていた荷物の袋へ鼻を入れた。


「それは着替えだよ、おやつはこっち」


 ガレドさんがくれた干しりんごを見せると、尻尾が喜んでいた。


 境界を越えても、ロブはロブだった。


 おやつが大好き。


 枝を追いかけたり追わなかったり。


 神獣と呼ぶ人がいても、ロブ自身が何を思っているかはわからない。


 ロブをロブのまま愛せばいい。


 夕方、ルークが部屋へ来た。


 今回の報告のため、王宮に来たらしい。


 七つの標は安定しているということだった。


 翼猫二頭はカルム村へ戻す前に、セレム原神殿で治療を続ける。


 拘束されていた村人は全員解放。


 公爵家の兵は一律に罪を問わず、関与を調べる。


「アレクシス王子らしいですね」


「公爵領の者をまとめて敵にしないと、最初から決めていたようです」


 ルークがこちらをじっと見ている。


「どうしました?」


「門へ入る前の話ですが」


 心臓が、また少し速くなる。


「戻ったら言う、と?」


 ロブは厨房から届けられたロブ用ディナーに集中していて、こちらを見てもいない。


 ルークは窓辺へ視線を移した。


「俺は、エレナにこの世界へ残ってほしいと思っていました」


「はい」


「でも、それを理由には選んでほしくなかったんです」


「はい」


「今も同じです」


 一度、息をつく。


「役目があるからではありません。エレナに、俺のそばにいてほしい」


「騎士団長として?」


「違う」


 すぐ答えた。


「一人の男として。あなたが好きです」


 顔が熱い。何を言えばいいの?


 ロブがディナーを食べ終え、空の器を舐める音だけが、部屋に響いた。


「少し考えてもいいですか」


「もちろんです」


「でも、一つは今、言えます」


 ルークを見る。


「私は、この世界で生きていきます」


 ロブは空の器を前足で押している。


「あまり長くは待たせません、ルーク」


 ルークが目を見開く。


 少しだけ笑った。


 私も笑う。


 ロブが器を押し続け、私の靴へ当てた。


「おかわりはないよ」


「くぅん」


「あるぞ」


 ルークはポケットから、いつもの布袋を取り出した。


 ロブの尻尾は、いつも以上に大きく喜んでいた。


     ◇


 窓の外には、王宮の中庭が見える。


 その向こうに王都。


 さらに遠く、北東部へ道が続いている。


 境界が緩む理由も、過去の神獣たちが、最後に何を選んだのかもまだ全てはわからない。


 それでもいい、誰か一人で答えを出せるものではない。


 私とロブは、互いをつなぎ止めた。


 今度は、この世界で出会った人たちとも、違うままつながっていく。


 窓辺のクッションでくつろいでいるロブの隣へ座った。


 ロブが目を開け、私の膝へ顎を載せた。


 お腹を撫でる。


 いつもの温もり。


「ただいま、だね。ロブ」


「わふ」


 私たちは、ここにいる。


 自分たちで選んだ場所に。


 ――第二十九話おわり

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