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愛犬と一緒に異世界転生したら、うちの子が神獣に⁈いいえ、普通のパピヨンです  作者: kotao


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第二十六話 黒幕の正体

事件を主導した人物の正体が明かされる。

そして、目的も。

ロブに危険が迫った時エレナは?

 ――ロブ。


 私の声が、黒い石柱の内側から聞こえた。


 声の高さも、呼ぶときの息の混じり方も、私の声だった。


 けれど、私は呼んでいない。


 足元にいたロブが、一歩前へ出た。


「待って」


 リードを短く持つ。


 ロブの耳は石柱へ向いたままだった。


 尻尾が下がっている。


 私の声を聞いて喜んでいるようには見えない。


 ただ、わからないものを確かめようとしていた。


 ――ロブ。


 もう一度。


 今度は、石柱の右側から聞こえた。


 最初の声より近い。


「返事をするな」


 サレス前大神官が、砕けた鈴を握ったまま言った。


「呼び返してもならん。ここでは、名を受けた声が響路を回る」


「あれは何ですか」


 ルークが石柱から目を離さず尋ねる。


「わからぬ。わからぬから、呼ぶな」


 サレスは立ち上がろうとして、膝が崩れる。


 ロジェ神官がすぐ体を支えた。


「サレス様、お怪我は」


「私のことより、輪を止めろ。翼猫の首にあるものは、声を標へ流す導輪だ」


 籠の中で、伏せていた翼猫が浅く息をしている。


 もう一頭は格子へ前足をかけ、こちらを見ていた。


 首の金属輪から伸びる銀色の線は、床を通り、三日月形の黒い石へ続いている。


「外せますか」


「順番を違えれば、輪に残った魔力が首へ戻る」


 サレスは息を整えながら、床の七本の溝を指した。


「先に標とのつながりを断つ。次に輪の力を水へ逃がす。最後に留め金だ。だが、二頭同時にせねばならん」


 双角山の時とと同じだった。


 一つずつでは、残ったほうへ力が集まる。


「できます」


 ルークが騎士とロジェ神官を呼ぶ。


 水桶。


 絶縁に使える乾いた布。


 床の線を削るための細いのみ。


 サレスが順番を伝える。


 ロジェ神官が二頭の呼吸を見る。


 ルークたちが道具を分ける。


 私にできることは、ロブを石柱へ近づけないことだった。


 ――ロブ。おいで。


 石柱の中の私が言っている。


 普段、私がロブを呼ぶときと同じ声だ。


 ロブが私を見上げた。


「私は、ここにいるよ」


 名前は呼ばなかった。


 しゃがんで、手の甲を見せる。


 ロブは一度だけ石柱を振り返った。


 それから私の手を嗅ぎ、鼻先を押しつけた。


 石柱の声は同じでも、匂いはない。


 触れたときの温かさもない。


 私が何度か名前を呼んだだけで、私たちは家族になったのではない。


「いい子」


 耳の後ろを撫でる。


 ロブの体から、少しだけ力が抜けた。


 石柱の内側で、私の声が途切れた。


 代わりに、手を叩く音がした。


 一度。


 二度。


 ゆっくりと。


「見事です」


 今度の声は、石柱の中からではなかった。


 礼拝所の入口から穏やかな男の声が聞こえた。


 振り返る。


 深い青のコート、白髪の混じった髪。


 グランツ公爵が立っていた。


 その後ろに、公爵家の兵が八人。


 さらに、黒のローブを着た男が二人いる。


「グランツ公爵」


 ルークが私たちと入口の間へ入る。


 剣は抜いたまま。


「あなたがなぜ、ここにいる」


「領内で王宮の騎士が北へ向かったと聞いたもので。魔獣被害も増えている。領主として、確かめに来たんだよ」


 グランツ公爵は穏やかな笑みを浮かべながら、礼拝所の中を見回した。


 翼猫。


 床の術式。


 黒い三日月と石柱。


 これらを見ても、驚いた顔はしていない。


「随分と早かったですね。私たちが目的地を決めたのは昨夜なのに」


 私は言った。


「北へ続く道は多くない」


「馬を貸すなと命じたのも、領主としてですか」


「混乱を防ぐためだ」


「老人を見たと話した人を拘束したのも?」


 公爵の目が、ほんの少し細くなった。


「誤った噂は、ときに魔獣より多くの人を傷つける」


 否定しなかった。


 私の足元で、ロブが低く唸る。


 大神殿で再会したときと同じ声だった。


 あのときは、匂いかもしれないと思った。


 今は違う、とはっきりわかる。


 ロブが何を知っているかまではわからない。


 だが、わからなくても、目の前にあるものだけで十分だった。


「公爵家の倉庫から、魔石と薬品がここへ運ばれています」


 ルークが床の書類を示す。


「カルム村の翼猫も、公爵家の牧場から出た荷車で運ばれた。命令書には公爵家の封蝋がある」


「割れた蝋と、執務官の署名。それで私の命令だと?」


「だから尋ねている」


「ダリウス・ベルクは?」


 私は聞いた。


「二十年仕えた部下だそうですね。今、どこにいるんですか」


「残念ながら、私も捜している」


 公爵の後ろで、黒いローブの一人が動いた。


 ローブの下から何かを出そうとする。


 ルークの剣先が向く。


「動くな」


 男は手を止めた。


 その手首には、数字が焼きつけられていた。


 2。


 床の書類にあった受取人と同じ。


 公爵は振り返りもしなかった。


「彼らをご存じないとは言いませんよね」


「ああ」


 ようやく、言葉の逃げ道を閉じた。


「彼らは私のために働いている」


 礼拝所の空気が、さらに冷たくなった。


 ロジェ神官がサレスを支えたまま、公爵を見る。


「灰の狩人を作ったのは、あなたですか」


「作った、というのは正確ではないな。名を捨ててもよい者を集め、必要な知識と場所を与えた。それだけだ」


「名を捨てさせた?」


「名は人を縛る。家。土地。過去。罪。境界を扱う者に、戻りたい場所があってはならない」


 公爵は石柱へ目を向けた。


「どちらの岸にも属さない者でなければ、道の途中で己の望みが混ざる」


「あなたの望みは、混ざらないんですか」


 私が聞くと、公爵から笑みがすっと消えた。


「私の望みは、この土地を残すことだ」


 グランツ公爵は、黒い石の輪へ近づこうとした。


 騎士が前へ出る。


 公爵家の兵も剣へ手をかけた。


 狭い礼拝所で、二つの列が向かい合う。


「これ以上近づくな。まずは、翼猫の処置が先だ」


 ルークが言う。


「もちろん。死なせる必要はないからな」


 公爵は足を止めた。


「私は、あの二頭を殺せと命じてはいない。標を起こすだけの声を得たあと、村へ戻す予定だったよ」


「首へ輪をつけ、苦しませておいて?」


「眠り薬を使わせた。痛みも最小限にするよう命じている」


 籠の中で、翼猫が弱く爪を立てる。


 その音を聞いても、公爵の表情は変わらない。


「最小限なら、苦しめてもいいと本気で思ってるんですか」


「何もしなければ、もっと多くが死ぬ」


 その短い答えに、迷いは感じられなかった。


「三十年前、北東部では井戸が七つ枯れた」


 公爵は外の谷を見る。


「公式の記録では、長い日照りが原因とされた。しかし、雨は平年と変わらなかった。二十三年前には森から魔獣が消え、代わりに地面の下から青い霧が出た。十五年前、北の三つの村で、生まれた子の半数が冬を越せなかった」


 知らない記録だった。


 公爵が続ける。


「王宮に報告し、大神殿へも調査を求めた。戻った答えは、土地の病、古い鉱脈の毒、祈りの不足。どれも違った」


「境界のせいだと考えたのですか」


 ルークが尋ねる。


「調べた結果だ。北東部の魔力は、およそ三百年ごとに大きく減る。七つの標が中央の門を閉じるたび、この土地の力まで向こうへ押し戻している」


 サレスが顔を上げた。


「それは仮説だ。変化が同時に起きたことと、原因が同じであることは違う」


「十二年観測しても、あなたは何もしなかった」


「わからぬまま開ければ、戻せぬからだ」


「待っている間に、領民は死ぬ」


 二人の声は大きくなかった。


 それでも、長い間、同じものを反対側から見ていたことがわかった。


 サレスは、わからないから止めようとした。


 公爵は、わからなくても動かなければならないと考えた。


「門を開いて、何をするつもりなんですか」


 私は聞いた。


 公爵はロブを見た。


 その視線を遮るように、私は半歩動いた。


「魔力の源を、こちらの岸へ結ぶ」


「源を奪うの?」


「本来、この世界に流れるべきものを戻すというだけだ」


「そのために、ロブに岸を選ばせる」


「白き獣は二つの岸の間に立つ。集めた声が門を開き、白き獣がこちらを選べば、源はその足跡を道として流れる」


 大神殿の口伝。


 白き獣に、岸を選ばせるなかれ。


 公爵は、それを破ろうとしている。


「ロブがこちらを選ばなかったら?」


「選ぶ」


 公爵は静かに言った。


「こちらには、あなたがいる」


 私がロブの帰る岸を結ぶ?


 だから、私をこの場所へ来させた。


「最初から、私も必要だったんですね」


「神獣だけでは足りない。契り手が必要だと、古い記録にあった」


「私は契り手ではありません」


 公爵の眉がわずかに動く。


「共渡りです」


 それを公爵が知っているか確かめたかった。


 知らなかったようだ。


 ほんの一瞬だったけれど、初めて公爵の顔に計算のない驚きが出た。


「どこで、その言葉を」


「あなたが消しきれなかった記録です」


 記録を消した者が、公爵一人とは限らない。


 何代も前から、同じ目的を持つ者がいたのかもしれない。


 でも公爵は、残った記録だけで計画を立てた。


「ロブに選ばせたら、何が起こるんですか」


「源がこちらへ結ばれる」


「ロブには?」


 公爵は答えなかった。


「元の場所へ帰れなくなる?」


「帰る必要があるのか?」


 答えの代わりだった。


「この世界で、あなた方は居場所を得た。人々に慕われ、守るべき友がいる。失うもののない岸ではなく、こちらを選ぶのは自然でしょう」


 王宮の部屋、窓辺のクッション。


 ルークや王宮の人々、旅をした仲間。


 助けた村の人たち。


 ここは、私たちの居場所になっているのだろうか。


 そうだとしても、選ばせていいわけではない。


「ロブが選んだと、どうやってわかるんですか」


「声のある方へ渡ろうとする。それが白き獣だ」


「苦しませた魔獣の声を一つにして、無視できなくしておいて?」


「選択には、理由が必要だ」


「それは選択じゃない!」


 自分でも驚くほど、声はまっすぐ出た。


「助けを求める声を聞かせて、行かなければ死ぬと思わせる。それで進んだ方向を、選んだことにするんですか」


「一頭で、この地方のすべてを救える」


「一頭にすべてを負わせないで!」


 大神官が言った言葉を思い出す。


 双角山で、私たちが選んだこと。


「領地を守るのは、公爵の役目かもしれない。でもそれをロブに押し付けないで!」


 グランツ公爵の目から、完全に穏やかさが消えた。


「理想で冬は越せない」


「だから、魔獣を苦しませてもいいんですか」


「人も魔獣も選んでいない」


「選んでいます。自分で説明できない相手を」


 公爵が何かを言おうとした。


 その前に、床の銀色の線が強く光った。


「今だ!」


 サレスの声。


 ルークたちが同時にのみを打つ。


 翼猫の輪から伸びていた線が、二本とも床から離れた。


 ロジェ神官が水へ銀線を入れる。


 水面が青白く光る。


 籠の中の二頭が声を上げた。


 高い声が重なる。


 でも、一つにはならなかった。


 片方は短く。


 もう片方は、かすれて長い。


 違う二頭の声だった。


「留め金を!」


 輪が外れる。


 一つ、同時に、もう一つ。


 銀色の術式が消え、黒い石柱の光が揺れる。


 礼拝所全体が、下から押されたように震えた。


 グランツ公爵の後ろで、第2と呼ばれる男が手を上げた。


 指の間に、小さな黒い石があった。


「伏せろ!」


 ルークが叫ぶ。


 石が床へ落ちる。


 次の瞬間、礼拝所に灰色の煙が広がった。


     ◇


 目が痛い、咳が出る。


 私はリードを強く握り直した。


「ロブ!」


 呼んでから、石柱の内側で名前が響くことを思い出した。


 遅かった。


 私の声が煙の中で幾つにも返る。


 ――ロブ。おいで。


 リードが強く引かれ、手から抜けそうになる。


 誰かが向こう側でロブを捕まえている。


「離して!」


 リードを腕へ巻きつけ、力一杯引く。


 白い毛が煙の隙間に見えた。


 黒いローブの男が、ロブの胴に布をかけようとしている。


 布の端は青く濡れていた。


 眠り薬だ。


 ロブが身をよじる。


「きゃん!」


 短い声がした。


 考えるより先に、私は男へ飛びかかった。


 肩にぶつかり、男と一緒に床へ倒れた。


 私の肘が石に当たる。


 痛い。


 それでもリードは離さない。


 男の手が私の腕を払う。


「エレナ!」


 ルークの声。


 ルークがどこにいるのかわからない。


 私はロブの胴に腕を回した。


 青い布が頬へ触れそうになり、思わず息を止める。


 その時、ロブが男の手に噛みついた。


「ぐっ」


 男の力が緩んだ隙に、私はロブを胸へ引き寄せ、床を転がった。


 すぐ上を剣の鞘が通る。


 ルークが男の手首を打つと、黒い短剣が落ちた。


 騎士が男を押さえ付け、拘束した。


「みんな息をするな。煙は低い」


 ルークに腕を引かれ、礼拝所の外へ出た。


 咳が止まらない。


 腕の中のロブもくしゃみをした。


「ロブ、大丈夫?」


 ロブの目と鼻を確かめる。青い布は触れていないようだ。


 体にも傷はない。


 私の肘からは血が出ていた。


 でも動く、骨は折れていないだろう。


「無茶をするな」


 ルークが低い声で言った。


「ごめんなさい」


「相手に飛びかかる前に、せめて俺を呼んでください」


「呼んだら、石柱が真似します」


 ルークが一瞬黙った。


「では、次から別の合図を決めることにします」


 次があることを前提に叱られた。


 ロブが私の顎を舐めた。


「私は大丈夫だよ」


 礼拝所の中では、剣がぶつかる音が続いていた。


 公爵家の兵すべてが、公爵に絶対服従というわけではないようだった。


 三人は命令を聞いて動き、二人は剣を抜いたまま迷っていた。


 残りは翼猫の籠を守る私たちに道を開けている。


「公爵閣下、これはどういうことです!」


 公爵家の兵の一人が叫ぶ。


 何も知らされていなかったのだろう。


 公爵は答えなかった。


 煙の向こうで、黒い石柱へ手を触れている。


「止めろ!」


 サレスが砕けた鈴を投げた。


 石柱の根元に当たり、七本の溝へと、ばらばらの波が走る。


 公爵の手が石から離れた。


 標の内側で、私の声が歪む。


 ――ロ……。


 名前の途中で切れた。


「今のうちに外へ!」


 翼猫の籠が運び出され、ロジェ神官とサレスも続く。


 煙が薄れたとき、公爵の姿はもうなかった。


 石柱の後ろには、人が一人通れるほどの穴が開いている。


 礼拝所の裏へ抜ける古い作業路のようだった。


 公爵に従った兵と、黒いローブの男も消えている。


「追います」


 騎士が言う。


「二人だけだ。負傷者と翼猫を守る人数を残す」


 ルークが命じた。


「深追いするな」


 全員で追えば、またロブか翼猫を狙われる。


 捕まえた黒いローブの第2の男は、地面へ伏せられていた。


 腕の数字を見ても、名前はわからない。


「グランツ公爵の目的は、魔力の源をこちらの岸へ結ぶことでしょ」


 私が尋ねると、男は顔を横へ向けた。


「名前は?」


 ルークが聞いても答えない。


「第2ではなく、お前の名前だ」


 男の瞼が動いた。


「捨てた」


「捨てる前は」


「必要ない」


 それ以上、話さなかった。


 ルークは問いを重ねず、騎士へ男の拘束を命じた。


 公爵は逃げた。


 けれど、もう疑惑ではない。


 灰の狩人を動かしていた者。


 魔獣の声を集めた者。


 ロブに岸を選ばせようとしている者。


 それは、グランツ公爵だった。


     ◇


 翼猫の二頭の様子を確かめる。


 伏せていた一頭は、薬の影響が強く残っている様子だった。


 それでも水を少し飲んだ。


 もう一頭は籠を開けても出ず、相手の隣でうずくまる。


 先に逃げることもできたのに、ずっと寄り添っていた。


 ロブは二頭に近づこうとはせず、少し離れた場所へ座っている。


 ときどき耳を動かし、二頭の声を聞いているように見えた。


「どんな状態ですか」


「今すぐ命に関わる状態ではないようですが、私は医師ではないので」


 ロジェ神官が答える。


「標からは離せた。あとは薬が抜けるまで、呼吸と体温を見ればいい」


 サレスはそう言うと、毛布をかぶり、壁に背を預けた。


「すみません。手紙を見つけるのが遅くなりました」


 私が言うと、深い皺の間にある目がこちらを向く。


「見つけたうえで、連れてくるなと書いた獣を連れてきた」


「はい」


「まったく、神殿の者は昔から人の忠告を聞かん」


 ロジェ神官が困った顔になる。


「サレス様にだけは、言われたくありません」


「私は前大神官だからよい」


「よくありませんよ、ここに来るまで生きた心地がしませんでした」


 少しだけ、周囲の空気が緩んだ。


 サレスはロブを見る。


 ロブも見る。


「ロブ、水飲む?」


 ロブは水の匂いを嗅いだだけで飲まずに、私を見上げた。


「ごめん、おやつ忘れちゃった」


「あるぞ」


 ポケットから布袋を取り出しながら、ルークが言った。


 ロブの尻尾が弾んでいる。


 小さくちぎった干し肉をもらい、ロブは食べた。


 神獣として連れ去られそうになったあとでも、おやつを欲しがるロブ。


 そのことに、救われる思いがした。


「公爵の仮説は正しいんですか」


 サレスへ尋ねる。


「門を閉じたせいで、北東部の魔力が減っていると言っていましたね」


「一部は、私の観測と合う」


「では、門を開いたほうがいい?」


「わからぬ」


 サレスは迷わず答えた。


「門の向こうが源だという証明もない。力が流れ込む保証もない。流れ込んだとして、人や魔獣が耐えられる量かもわからぬ」


「公爵は、土地を救おうとしている」


「おそらく、本人はそう信じている」


 双角山へ送られた馬車や物資で救われた命があることも事実だ。


「人は、一つの望みだけで動かぬ」


 サレスが言った。


「領民を救いたいと願いながら、魔獣を道具にもできる。命を惜しみながら、必要なら犠牲にもできる。矛盾していても、どちらかが嘘とは限らん」


 だから難しい。


 公爵が領地を憎んでいたなら、止める理由は簡単だった。


 でも、公爵は守ろうとしている。


 とはいえ、ほかの命へ代価を払わせようとしているのは正しいとは言えない。


「第七標は?」


 ルークが尋ねる。


「翼猫との接続は切れた。しかし一度、逆流している。公爵が触れたとき、中央の門へ届く線が開きかけた」


「修復できますか」


「七標すべてを見なければならん。ここだけ閉じれば、別の標へ圧が移る」


 七つを同時に確かめる必要がある。


 私たちだけではできない。


「王宮へ知らせます」


 ルークは報告を書くため、紙を広げた。


 公爵本人の関与。


 灰の狩人。


 境界の門を開く目的。


 公爵家の騎士の一部が従っていること。


 翼猫二頭とサレスの保護。


 そして、ロブが狙われたこと。


 最後の一行を書くときだけ、筆先が強く紙へ当たった気がした。


     ◇


 同じ日の夜。


 王宮では、三つの報告がほぼ同時に届いた。


 一つは、グランツ公爵領の関所から。


 公爵家の騎士が街道を閉じ、王都へ向かう荷車を調べている。


 一つは、領都へ入った王宮の調査隊から。


 執務官ダリウス・ベルクの屋敷は空で、帳簿の大半が焼かれていた。だが地下の保管箱から、七つの標へ送った物資の控えが見つかった。


 命令者の署名はない。


 代わりに、公爵本人だけが使う暗号印が押されていた。


 最後は、第七標からルークが送った報告だった。


 アレクシス王子は、会議室でその紙を二度読んだ。


 大神官、宮廷魔術師、騎士団の副団長、記録院の長。


 呼び集められた者たちが、長い机を囲んでいる。


「グランツ公爵本人が、灰の狩人を動かしていた」


 アレクシス王子が言った。


 誰も、すぐには言葉を返さなかった。


 北東部の流通を支え、飢饉の年には私財で麦を運び、双角山の救出にも最も早く支援を出した人物。


 その同じ人が、魔獣を集め、境界を開こうとしている。


「公爵家の兵は、どの程度従うでしょうか」


 副団長が尋ねた。


「不明だ」


 アレクシスは報告書の一節を示す。


「第七標では、事情を知らずに同行した兵もいた。公爵の命令だからと剣を向けた者もいる。領軍すべてを敵と見なすことはまだできない」


 王宮が北東部を力で押さえに来た。


 公爵は領民を守っている。


 そう言わせてはいけない。


「公爵の拘束命令を出しますか」


「出す。ただし罪状と証拠を明記する。公爵家の名だけで、使用人や領民を捕らえることは禁じる」


 アレクシス王子は地図に七つの印を置いた。


「目的は四つ。エレナとロブ、サレス前大神官、翼猫二頭の保護。七標の確保。拘束された領民の解放。そしてグランツ公爵の身柄確保だ」


「中央の門は」


 宮廷魔術師が聞く。


「場所がまだわからない。サレス前大神官の指示を受け、標から調べる。門を探すために標を開くことは認めない」


 王宮の兵を出せば、公爵側も動くだろう。


 出さなければ、第七標にいる人数だけで七つを守ることになる。


 迷う時間は長くなかった。


「北東部へ第二陣を派遣する」


 アレクシス王子は、ルークの報告書をもう一度見た。


 石柱がエレナの声を真似たこと。


 グランツ公爵が共渡りという言葉を知らなかったこと。


 ロブを奪おうとした灰の狩人を一人拘束したこと。


 そして、公爵が逃げたこと。


「選ばせるな」


 フェリアス大神官が口伝の一節を呟いた。


「わかっている」


 アレクシス王子は独り言のように言った。


「ロブ一頭にも、エレナ一人にも、選ばせはしない」


 窓の外は暗い。


 王宮の中庭では、何頭もの馬へ鞍が載せられていた。


 松明が一つずつ灯る。


 人々がそれぞれの役目を持って動き始めている。


 第七の標で起きた逆流は、もう一つの標だけに届いたのではない。


 公爵が隠してきたものも。


 助けを求める声も。


 ようやく、王宮まで届いた。


 ――第二十六話おわり

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