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愛犬と一緒に異世界転生したら、うちの子が神獣に⁈いいえ、普通のパピヨンです  作者: kotao


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第二十話 救出〜声の向こう側

灰の狩人は逃げた。

しかし魔獣はまだ捕らわれたまま残っている。苦しむ声を地下に響かせて。

いよいよ、捕らわれた魔獣たちの救出が始まる。第二幕最終話。

 双角山を離れるとき、空はもう暗かった。


 蒼槍鹿は、馬車までの道を騎士四人が担架で運んでいる。


 第4段階の魔法陣から切り離されても、すぐに歩ける状態ではなかった。眠り薬の影響も残り、長い角が担架からはみ出している。


「曲がるとき、角に気をつけろ」


 前を持つ騎士が言う。


「右へ寄せる」


「右は木だし、左は岩だ」


 道が曲がっていてスムーズに動けず、困った四人が同時に立ち止まった。


「角だけ外せないか?」


「マルク、その提案は本人にしろよ。起きているときにな」


「冗談だって」


 真顔過ぎて、冗談には聞こえない…。みんな疲れていた。


 ロブは担架の横を歩く。


 地下で何十もの苦しみを感じたあと、しばらく鶏肉にも反応しなかった。


 今は蒼槍鹿が息をするたび、耳を動かしている。


 それでも足取りは重かった。


「抱っこする?」


 私が聞くと、ロブは一度だけこちらを見たが、そのまま歩いた。


 蒼槍鹿から離れたくないらしい。


「他の子たちも、必ず助けるからね」


 声に出す。


 ロブのためだけではなく、自分にも言い聞かせるように。


 灰の狩人は逃げてしまった。


 地下へ残った魔獣は三十一頭。さらに奥にも部屋があり、正確な数はまだわからない。


 その場で救出を続けることはできなかった。


 人手も薬も、魔獣を運ぶ担架も足りない。


 何より、一つにつながった魔法陣を間違った順番で止めれば、魔力が別の檻へ集中する危険があった。


 地下に見張りを残し、私たちは一度引き返すことにした。


 それでも、またここに戻ってくる。


 全員を連れて帰るために。


 それでも山を離れるとき、後ろ髪を引かれる思いは残った。


     ◇


 リーネ村へ帰り着いたのは、夜が深くなってからだった。


 村の入口には灯りが並んでいた。


 村長と自警団の人たちが、私たちを待っていてくれたのだ。


「魔獣が来るぞ!」


 担架に乗せられた蒼槍鹿を見た誰かが叫んだ。


 何人かが後ろへ下がる。


 自警団の一人が槍を構えかけた。


「待ってください!」


 ルークが言った。


「この魔獣は眠っています。今、人を襲う危険は低い」


 説明しても、すぐには槍が下がらない。


 当然だと思う。


 村の人たちは、魔獣に壊された家を見た。


 怪我をした人もいる。


 魔獣も傷つけられたからといって、魔獣に対する恐怖がすぐに消えるわけがないだろう。


 ロブが担架の横へ座った。


 蒼槍鹿は眠ったまま。


 白い小さな犬と、長い角を持つ魔獣。


 村長が先に槍の前へ立った。


「治療する場所が必要なんですね」


「はい。お借りしている小屋に連れていきます」


「わかりました。小屋周辺の柵を広げましょう。」


 自警団の男が村長を見る。


「大丈夫なのか」


「今は、騎士様たちに任せよう」


 村長は私たちへ向き直った。


「それで、山には何頭いたんですか」


「少なくとも三十一頭です。もっといる可能性があります」


 周囲が静かになった。


「全部、ここへ?」


「一度には無理です。でも、治療と運搬の拠点が必要です」


 ルークが地図を開いた。


「リーネ村を、救出の本部にしたい」


 村長はすぐには答えなかった。


 魔獣への恐怖だけではないだろう。


 灰の狩人が村を狙う危険もある。


 食料も水も、多く必要になる。


「……。村の中へ入れない魔獣は、北の牧草地で保護しましょう」


 やがて村長が言った。


「怪我人の治療所は集会所に。空いている納屋は薬と餌の保管に使える。水は東の井戸ではなく、森側の水場から運びましょう」


「引き受けてくれるんですか」


「この騒動を解決したいのは、あなたたちだけではありません」


 村長の後ろで、宿の女主人が頷く。


「村の魔獣被害が誰かの差し金なら、何もしないで怖がっているだけではだめだからね」


 槍を下げた自警団の男も言った。


「俺たちは檻には近づかない。だが、水を運んだりはできる」


「ありがとうございます、十分です」


 ルークが答えた。

 

 その夜のうちに、村の集会所には大きな地図が貼られた。


 私たちは遅い食事をとることにした。


 温かい具沢山スープがお腹にうれしい。 


 ロブは、集会所の扉の方を見たままだった。


 すぐ外には蒼槍鹿、その向こうの山には、まだ多くの魔獣が残っている。


「まずは食事ですよ、神獣様」


 串焼き肉にがっつきながら、マルクが言った。


「そうだよロブ。食べないと元気が出ないよ。元気があればなんでもできる!」


 私もわざと明るく言った。


 ロブは自分の前に置かれた皿を見た。そして、鶏肉と茹でたじゃがいもをぺろりと平らげた


     ◇


 王宮、会議室。


 王宮には、調査隊からの要請が届いていた。


 魔術具が読み上げる報告を、アレクシス王子は立ったまま聞いた。


 地下施設。


 確認された魔獣、三十一頭以上。


 複数の処置と、連結された魔法陣。


 治療師、魔術師、運搬用馬車、餌、檻を覆う布などが必要。


 灰の狩人一名と接触したが、逃亡。


「北部の騎士団から、何人を動かせる」


「二十名です」


 騎士団の代表が答える。


「魔術師は」


「王宮から六名。ただし、魔獣が魔力へ反応するなら、術を使わない作業員も必要です」


「治療師は八名集められます」


 次々に必要な数が書き込まれる。


 問題は、双角山まで運ぶ馬車だった。


 王都から出せば、到着まで日数がかかってしまう。


 北部の村々にある馬車は、収穫期の仕事で使われている。


「私の領地から出しましょう」


 長机の奥から声がした。


 北東部に広い領地を持ち、王国の流通を支える人物、グランツ公爵だった。


「双角山の南に、我が家の管理する牧場があります。大型の荷馬車が十二台。馬も、扱える者も揃っている」


「公爵領の冬支度に影響はないか?」


 アレクシス王子が尋ねる。


「魔獣が暴れれば、冬支度そのものができなくなります」


 公爵は穏やかに答えた。


「餌になる穀物と干し草も出しましょう。負傷した魔獣を一時的に置ける囲いもあります」


「助かります」


「王国のためです」


 公爵は机上の地図へ指を置いた。


 双角山。


 リーネ村。


 そして、北のカルム村。


「三つの場所へ、別々に荷を送ります。道は家の者が知っている」


「なぜカルム村へ?」


 若い文官が聞いた。


「翼猫が連れ去られたのでしょう。跡を追う隊にも補給が必要になる。一刻を争います。今夜のうちに出発させましょう」 


     ◇


 二日後、リーネ村の外には馬車が並んだ。


 王宮から来た魔術師。


 北部騎士団の騎士。


 治療師。


 公爵領から来た御者と作業員。


 村の自警団。


 全部で六十人を越えている。


 ディート先生も、岩角猪の治療を別の医師へ引き継ぎ、戻ってきた。


「これは、患者が増えそうだな」


 先生は蒼槍鹿の脚を診ながら言った。


「蒼槍鹿の他にも三十一頭以上いたんでしょ?」


「まだ先生の患者じゃないでしょ」


「救出するんだから、予約済みだよ」


「はい…よろしくです」


 先生の鞄は、前より二つ増えていた。


 薬草、包帯、眠り薬、傷を洗う水。


 魔獣の種類によって量を変えられるよう、色の違う紐がついていた。


 集会所では、救出に向かう順番が決められていた。


 最初に魔法陣を調べる隊。


 魔力を使わず、板と金属の接続を外す隊。


 檻を開ける隊。


 魔獣の反応を見る隊。


 治療する隊。


 地上へ運ぶ隊。


 地上で魔獣の種類と状態ごとに分ける隊。


 ロブは、すべての檻を回らないことも決められた。


 前回、苦しみを強く受けすぎたことを踏まえて、そう提案した。


「ロブが近づくのは、ほかの方法で落ち着かない魔獣だけにします」


 全員へ説明する。


「魔獣はロブを見ると、少しだけ反応が弱まることがあります。でも、必ずではありません。ロブにも何が起きているか、全部わかるわけではないです」


「では、何を見ればいいでしょう」


 治療師が尋ねる。


「耳と目と足です」


 私は蒼槍鹿を見た時のことを話す。


「目が怒っているように見えても、耳が伏せて、足が後ろへ下がろうとしていたら怖がっています。逃げる場所を作ってください。食べ物へ反応しなくても、鼻が動けば匂いは感じています。すぐ近づかず、待ってください」


 一頭ずつ違う。


 黒牙狼と岩角猪と蒼槍鹿では、同じ恐怖でも動き方が違った。


「わからなければ、わからないと言ってください」


 これが一番大切だった。


「落ち着いたと思い込んで檻を開けるより、他の人がもう一度確認するほうがいいです」


 ルークが最後に全員を見る。


「目的は、魔獣を討伐することではない。全員を生きたまま地上に出し、人間側も負傷者を出さないことだ。速さより順番を守れ」


 魔獣の救出が始まった。


     ◇


 地下に入る前、魔術師たちは水路の外へ連絡用の術を置いた。


 施設の中では魔力を使わず、入口から地上まで、縄と鐘で合図をつなぐ。


 鐘が一度なら、進む。


 二度なら、治療師を送る。


 三度なら、全員止まる。


「引き続けたら?」


 マルクが聞いた。


「鐘は引けません」


 ミラが真面目に答える。


「前の合図より、よくできていますね」


「前の合図も、役に立っていましたよ」


 私が板を抜いていた間、危険を知らせる縄は何度も引かれた。


 私が従わなかっただけなので、合図が悪かったのではない。

 

 地下の檻は、昨日と同じ場所にあった。


 灰の狩人はいない。


 魔法陣の光は消えている。


 それでも魔獣たちは、眠れずにいたようだ。


 人の足音が響くと、檻の中で体を起こす。


 翼猫が毛を逆立てる。


 翼蛇が壁際へ身を寄せる。


 小さな蛍尾リスは、二頭で一つの餌皿の下へ隠れていた。


「檻の番号ではなく、魔獣の状態で順番を決めましょう」


 ディート先生が言った。


「呼吸が弱いもの。出血しているもの。自分の体を傷つける危険があるものを先に」


「魔法陣の接続順とは違います」


 ミラが床の線を見る。


「先に外せない檻もあります」


 最初から、計画どおりにはいかなかった。


 治療を急ぐべき痛んだ魔獣と、安全に術を止められる檻の順番が違う。


「線を一つずつ切るのではなく、流れの元を分けます」


 ミラたちが施設の奥を調べる。


 床の魔法陣は、四つの区画に分かれていた。


 東の檻が六。


 西が六。


 中央が八。


 さらに奥へ、四つ。


 一つの檻に複数いるものもあり、檻の数と魔獣の数は一致しない。


「四区画を同時に止めれば、ほかへ魔力が集中しません」


 四か所で、同じ瞬間に白い板を抜く。


 一人でも遅れれば、残った区画へ魔力が流れる。


 魔力を持たない作業員が四人選ばれた。


 私もその一人だった。


「エレナは、入口側を担当してください」


 ルークが言う。


「一番戻りやすい場所です」


「奥でもできます」


「知っています。でも入口側です」


 少し納得できない。


 でも、役割は距離で異なるわけではないので、素直に従った。


 四人で配置につく。


 縄を通じ、地上の鐘が三度鳴った。


 全員止まる。


 次に、一度。


 白い板へ布を通す。


 さらに一度。


 引く。


 私の担当する板が溝に引っかかって動かない。


 ほかの区画では、すでに抜け始めている。


「待って!」


 声は遠くまで届かない。


 私は板を戻そうとした。


 隣の檻で翼猫が鳴いている。床の線が赤くなった。


 布を巻いた手へ力を込め、少し手前へ倒してみる。


 前に抜いた板と同じ溝なら、端の金具が内側へ噛んでいるはず。


 左右へ揺らすと、金属の擦れる音がして、板が外れた。


 同時に、四つの区画から光が消える。


 地下が暗くなった。


 灯りの魔術具は使わず、油の灯りが一つずつ点けられていく。


「全区画、停止しました!」


 ミラの声が響く。


 誰かが息を吐いた。


 でも、救出はここからだった。


 最初の檻には、翼猫が二頭いた。


 同じ場所で捕らえられた可能性が高い。


 それでも反応は違った。


 一頭は、檻を開けようとする手へ飛びかかる。


 もう一頭は、餌皿の後ろから動かない。


「同時に出さないでください」


 私は言った。


「飛びかかる子へ盾を見せると、もっと興奮します。人が見えないように布をかけて」


 檻の半分を厚い布で覆う。


 暗くなると、翼猫の動きが止まった。


 逃げる場所ができたと思ったのかもしれない。


 餌皿の後ろにいる一頭は、ディート先生が長い棒で水を近づけた。


 すぐには飲まない。


 先生も動かない。


「先生、次へ行かなくていいんですか」


「待つのも治療」


 翼猫の鼻が動く。


 しばらくして、舌が一度だけ水へ触れた。


「脱水は重くない。こちらはあとに回せそうだよ」


 弱って動けないように見えていたけど、怖くて隠れていただけのようだ。


 次の檻では、翼蛇が自分の尾へ噛みついていた。


 こちらは待てない。


 眠り薬を使い、傷つけないようにそっと木の板を口に入れる。


 魔術師は治療術を使わず、傷を水で洗った。


 その次の岩角熊は、人を見ると立ち上がった。


 全員が下がる。


 ロブが少し離れた場所へ座る。


 岩角熊は向かってはこなかった。


 ロブを見ながら、何度も鼻を鳴らす。


「この子には、ロブが近づいても大丈夫そうです」


 私はロブの耳と足を見る。


 耳は前。尻尾は下がっているが、震えていない。


 ロブが一歩だけ進む。


 岩角熊が伏せた。


 檻を開け、餌で運搬用の囲いへ誘導する。


 ロブは命令しない。


 何をすればいいか教えもしない。


 ただ、捕まえるために来たのではないと伝わるまで、そこにいた。


 地上と地下を担架が往復する。 一頭を運ぶのに、十人が必要なこともあった。


 村人が水を運ぶ。


 公爵領の作業員が、大型の魔獣を乗せられるよう馬車の柵を組み替える。


 騎士は剣ではなく、担架を持つ。


 魔術師は魔力を使わず、術式を紙へ写す。


 ロブがいることで落ち着いた魔獣もいたが、ロブを怖がる魔獣もいた。


「この子は、今は無理です」


 私は黒い鱗の魔獣を前に言った。


「ロブを怖がっています」


「神獣様を怖がる魔獣もいるのですか」


「いるみたいです」


 ロブなら、すべての魔獣を安心させられるということではないらしい。


 神獣の魔力そのものを怖がる魔獣もいるのだろう。


 その檻には、魔力を持たない村人が水を置いた。


 方法を一つに決めず、まずは目の前の一頭を見る。


 それを何度も繰り返した。もう何頭救出したかわからなくなった。


     ◇


 施設の一番奥で、未完成の大きな術式が見つかった。


 すべての檻から伸びた線が、その部屋へ集まっている。


 旧鉱山の黒い石と似た石。


 ただし、こちらには古い文字が残っていた。


 もともと水路の地下に刻まれていたものを、魔法陣へ組み込んでいるらしい。


「読めますか」


 ルークが尋ねる。


 王宮から来た古代術式の専門家が、文字を一つずつ写した。


「すべては読めません。ただ、この言葉は古い神殿の記録にもあります」


 専門家が指した文字を、ミラが現代の言葉へ直す。


「境界」


 その隣。


「獣の声」


 中央の黒い石の下には、門の形が刻まれていた。


 扉ではない。


 何かと何かの間を示す、古い記号。


「灰の狩人が言っていました。すべての声が一つになれば、神獣は無視できない。神獣が向く先に、何かがあると」


 私は言った。


 専門家が術式の流れを追う。


「魔獣の魔力は、この石へ集めるだけではありません。集めた魔力を、神獣を通して別の場所へ流す構造です」


「別の場所とは?」


「境界の向こう側」


「何と何の境界ですか」


「わかりません」


 異界と、この世界。


 人と魔獣。


 生きているものと、そうでないもの。


 いくつもの可能性が浮かぶ。


「こちらにも記録があります」


 ミラが壁の薄い文字を見つけた。


 上から新しい術式を重ねたため、半分が削られている。


 ――異なる獣の声を束ねる。


 ――導くものを基準とする。


 ――境界は、同じ声へ応じる。


 ――門を開き、源へ至る。


「源」


 私は最後の言葉を繰り返した。


「魔獣の魔力が生まれる場所を指している可能性があります」


 専門家が答える。


「古い時代、魔獣は同じ源から力を得ると考えられていました。種類が違っても、神獣を前に同じ反応を示すことがある。その理由を、共通の源に求めたのです」


 岩角猪とロブが、同じ方角を見ていたことを思い出した。


 魔獣たちは何か共通のものを感じているのか。


 第4段階は、外から与えた魔力へ反応させる処置だった。


 その反応を重ね、複数の声を一つにする。


 最後にロブをつなぐ。


「目的は、境界の門を開くこと」


 ルークが言った。


「境界の向こう側へ、魔力を送るための術式」


 ミラが頷く。


「魔獣に攻撃させるのが目的ではない。強い恐怖と怒りで魔力を反応させ、門を開くための力にする。そのための途中の処置段階ということか」


「門を開いたあと、何をするんでしょうか」


 源から力を取り出すのか。


 魔獣をすべて支配するのか。


 新しい神獣を呼ぶのか。


 どれも考えられる。


 でも、もっと大きな疑問が一つある。


「なぜロブなんです?」


 私は聞いた。


「三百年ぶりの神獣だから?」


「それだけではない気がしますね」


 専門家が、基準と書かれた部分を指す。


「神獣が魔獣の源とつながっているなら、どの神獣でもよいはずです。ですが敵は、神獣様が現れる前から準備をしていた。そして現れた神獣様を調べ、基準個体とした」


「ロブだから、開ける門がある」


「その可能性があります」


 ロブは私の足元で、黒い石を見ていた。


 尻尾は下がっている。


 怖がっているのか。何かを感じているのか。


「ロブ、ここを知ってる?」


 答えはない。


 この小さな白い犬が、三百年前の秘密を知っているはずもない。


 私の知っているロブは、日本で生まれ育ち、毎日散歩をして、おやつにはしゃぎ、私と共に事故に遭ってしまった普通の犬だ。


 それなのに、この世界の古い門はロブへつながろうとしている?


 灰の狩人たちの目的の一端はわかった。


 魔獣の声とロブを使い、境界の門を開くこと。


 でも、なぜロブなのかはわからない。


 その答えを、私たちは見つけられるのだろうか。


     ◇


 最後の一頭が地上に出たのは、救出開始から二日目の朝だった。


 小さな風角鳥だった。


 羽を傷つけ、奥の檻の水桶に隠れていたので、危うく見落とすところだった。


 マルクが両手で籠を抱え、水路の梯子を上がる。


「三十七頭目!最後です!」


 地上から歓声が上がった。


 最初に数えた三十一頭より、六頭多かった。


 大きな魔獣の陰や箱の中、壊れた檻の下などに、声を出す力もなく隠れる魔獣がいたのだ。


 全員が地上へ出たあと、ルークとミラが地下をもう一度確認する。


 空の檻。


 空の部屋。


 動かなくなった魔法陣。


 生きた魔力の反応はない。


「救出完了です!皆さんお疲れ様でした」


 ルークが地上で告げると、拍手が湧き起こった。


 騎士も、治療師も、村人も、ほっとしたようにその場へ座り込む。


 ミラは疲れた手で、最後の記録へ印をつけていた。


 三十七頭。それぞれの種類、傷、使われた薬、魔法陣への反応、落ち着かせるために有効だった方法。


 その記録は王宮だけで保管せず、北部の村と騎士団へ写しを渡すことになった。


 同じことが別の場所で起きたとき、魔獣の異変に気づけるように。


 今日見つけた方法も、すべての魔獣へ通じるわけではないだろう。


 それでも、知らないよりはずっといい。


 私も座ろうとした時、ロブが急に走り出した。


「ロブ、待って!」


 ロブが向かったのは、治療用の囲いだった。


 まだ少し足がふらついているようだが、蒼槍鹿が立っている。


 長い角を木の柵へぶつけないよう、広いスペースが作られていた。


 ロブは柵の外で止まる。


 蒼槍鹿が鼻先を下げた。


 二頭の鼻が、柵越しに触れる。


 蒼槍鹿の皮膚に赤い光はなく、人の魔力に触れても、もう突進してこない。


 怖ければ後ろへ下がり、安心すれば水を飲む。


 本来の蒼槍鹿に戻り始めていた。


「よかったね」


 私が言うと、ロブの尻尾が動く。


 囲いの向こうには、救出された魔獣たちがいる。


 眠っているもの。


 餌を食べるもの。


 まだ人を怖がり、布の陰から出てこないもの。


 傷が治れば、棲んでいた森や山に返されるだろう。


 帰る場所がわからない魔獣は、安全な土地を探すだろう。


 もう魔法陣に囚われた魔獣はいなかった。


     ◇


 数日後、リーネ村に静かな朝が戻った。


 集会所の地図は外され、机も元の場所へ戻った。


 村人は畑へ行き、自警団は壊れた柵を直してくれている。


 森から魔獣の声がしても、すぐに武器を持つ者はいなかった。


 魔獣の種類、怪我の有無、村へ近づこうとしているのか。


 まずは確かめるようになった。


 王国全体からすれば、小さな変化かもしれない。


 でも、この村にとっては、大きな変化と言えるだろう。


 岩角猪は三本の脚で歩けるようになった。


 ロブが会いに行くと、鼻を鳴らして立ち上がる。


 蒼槍鹿も熱が下がり、山に戻れそうだ。


 翼猫の二頭は離れようとせず、同じ籠で眠っている。


 ロブは朝になると、すべての囲いを回ろうとした。


「朝ごはんよりパトロールを優先するなんて、かっこいいよロブ」


「わふ」


 立派な返事だった。


 しかし最初の囲いを回っている時、畑のおじさんがじゃがいもを持っているのを見ると、すぐ戻ってしまった。


 見回りと朝ごはんなら、朝ごはんがやっぱり大事らしい。


 私は声を出して笑った。久しぶりに笑った気がした。


 双角山の施設は閉鎖され、三十七頭の魔獣は救出された。灰の狩人が同じ場所で計画を続けることは、もうできない。

 

 しかし灰の狩人は逃げたまま。


 北の村から連れ去られた翼猫の行方も、王宮から記録を消した者も不明。


 三日月と塔の印は、百年以上前から存在していた。


 境界の門がつながる場所。


 魔獣の力の源。


 そして、ロブの存在。


「ロブは、どこから来たの?」


 柔らかな背中を撫でながら思う。


「日本から。私と一緒に」


 それが答えのはずだった。


 ロブが顔を上げる。


「わん」


 愛しい私の相棒の、いつもの返事だった。


 なぜロブが神獣なのか。


 なぜ私が契約者なのか。


 次に追うのは、傷ついた魔獣の声だけではない。声の向こう側にあるもの。


 ロブ、神獣の秘密。


 束の間の穏やかな朝の中で、新たな決意が生まれた。


 ――第二十話おわり

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