↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
愛犬と一緒に異世界転生したら、うちの子が神獣に⁈いいえ、普通のパピヨンです  作者: kotao


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
19/30

第十九話 対峙〜灰の向こう側

魔獣たちが捕らわれていた地下空間に、その人物はいた。エレナたちを待っていたかのように。

「この一頭を先に救出する」


 ルークの声が、地下の部屋に響いた。


 眠り薬の白い煙は、まだ床の近くに薄く残っている。


 その向こうで、長い角を持つ魔獣が横たわっていた。


 呼吸はある。


 皮膚の下を走る赤い光も、弱くなっただけで消えてはいない。


 奥の扉の向こうからは、複数の声が聞こえる。


 一つ。


 少し離れて、もう一つ。


 助けを求める声が重なるたび、ロブの体が私の腕の中で震えた。


「ロブ、今はこっちを見よう」


 白い顔を胸元へ寄せる。


 目の前の一頭を置いたまま奥へ行けば、誰も助けられなくなる。


 私たちが今できることを、一つずつ進めるしかない。


「外周の線を切ります」


 ミラが床の魔法陣を見た。


「ただし、魔術は使えません。私が魔力を流した瞬間、この魔獣がまた反応するかも」


「眠っていても?」


「体へ刻まれた反応は残っているでしょう。意識がなくても、筋肉だけが動く可能性があります」


 魔獣の四本の脚には鎖がつながっている。


 鎖は床の円の一部になり、外から送られる魔力を体へ流していた。


 先に鎖を外せば、一か所へ魔力が集中するかもしれない。


 まずは床下から来る流れを、先に止めなければならない。


「床下へ行く扉は、部屋の奥です」


 マルクが眠った魔獣の向こうを見る。


「魔術を使わず、あそこまで行くしかない」


 騎士たちは灯りの魔術具を布で覆っているが、剣や鎧にも、ごく弱い魔力が込められていた。刃を強くし、衝撃から身を守るためのものだ。


 ミラたち魔術師は、自身が魔力持ちだ。部屋へ入るだけで、足元の円が反応する。


 私は、自分の手を見た。


 剣は使えないし、魔法も使えない。


 この世界に来てから、何の役にも立てないと思っていた。


「私が行きます」


「駄目です」


 ルークが即答した。


「まだ何も説明してません」


「説明されても答えは同じです」


「魔力を持たないのは、私だけです」


「だから安全とは限らない」


「でも、あの子の反応を起こさずに奥まで行ける可能性が一番高い」


 眠っている魔獣を見る。


 長い角は、私の腕より太い。一度頭を振るだけで、人の体くらい簡単に飛ばせるだろう。


 怖くないわけではない。


 それでも、魔力を持つ人が入れば、あの子自身の意思とは関係なく襲ってくるだろう。


「入口まで行くだけです」


 私は続けた。


「床下へ下りて、魔力を送っているものを探す。触る前に、必ずミラへ確認します」


「距離があれば、声は届かないかも」


「縄を使いましょう」


 マルクが持ってきた長い縄を出した。


「合図を決めるんです。一回引けば止まる。二回で右。三回で左」


「穴の中で右と左を教えて、何を選ばせるつもりです?」


 ミラが真面目に聞いた。


「……二回で戻れ、三回で進め」


「引き続けたら?」


「とても危険なので走って戻る」


 合図は、決まった。


 ルークはまだ頷かない。


「ロブは、ここで待たせます」


 私は先に言った。


 ロブが顔を上げる。


「一緒には行けないよ」


 神獣であるロブには魔力があるらしい。


 あの魔獣へ近づけば、また強い感情を受け取るかもしれない。


「くぅん」


「すぐ戻るから」


 ロブのリードをルークへ渡す。


 私が戻るまで、ロブを守ってもらうためだ。


 ルークはリードと私を見比べた。


「三分です」


「短いです」


「二分」


「減らさないでください」


「なら三分で」


 認めてもらえたらしい。


     ◇


 口元を布で覆い、部屋へ入ると、白い煙は薄くなっていたが、薬草の苦い匂いがした。


 一歩。


 赤い魔法陣の外側へ足を置く。


 魔獣の皮膚に変化はない。


 二歩。


 長い角の先を通り過ぎようとすると、眠った魔獣が息を吐いた。


 私は止まった。


 背後で縄が一度引かれる。


 止まれ、の合図だ。


 魔獣の瞼は閉じたままで、赤い光も強くならない。


 ルークが縄を三回引いた。


 進め。


 ゆっくり歩く。


 魔法陣の線を踏まないように、床の何も描かれていない場所だけを選ぶ。


 途中で、魔獣の前脚が動き、蹄が石を擦る。


 私は息を止めた。


 突進はしてこない。


 眠りながら、逃げようとしただけのように見えた。


「怖いよね。もう少しだけ待ってて」


 心の中で話しかけた。


 部屋の奥にある扉に着く。


 取っ手は木でできていた。魔力を通しやすい金属を避けたのだろうか。


 扉を開くと、下へ続く三段の階段があった。


 その先は、人がしゃがんで通れるほどの空間しかない。


 床下から、低い振動が伝わってくる。


 縄を腰へ結び直し、階段を下りた。


 石の間を、赤い線が走っている。


 中央には、拳ほどの黒い石がある。旧鉱山の魔法陣の中心にあったものより小さい。


 黒い石から四本の金属棒が伸び、上の鎖へつながっていた。


 その手前に、白い板が四枚並んでいる。


 一枚目には1本線。


 二枚目には2本。


 三枚目には3本。


 四枚目には、4本…。


 第4段階まで行った処置を、順番に通すためのものかもしれない。


「見つけました!」


 声を上げる。


「黒い石と、白い板が四枚あります!」


 返事は聞こえない。


 代わりに縄が一度引かれた。


 止まる。


 私は何にも触れず、板の周囲を見る。


 白い板は溝へ差し込まれていて、端には布を結ぶための小さな穴があった。


 直接触れずに板を抜いていたのかもしれない。


 持ってきた魔力を通さない布を手へ巻く。


「四枚の板を抜けると思います!」


 縄が一回。


 まだ待て。


 遠くから、ミラの声がかすかに聞こえた。


「順番があります! 4から抜いてください!」


 最後に加えた処置から、一つずつ外す仕組みか。


 薬を重ねた順番と反対に戻すように。


 縄が三回引かれる。


 進め。


 4の板へ布を通した。


 息を吸い、ゆっくり引くと、途中で板が止まった。


 力を入れた瞬間、黒い石の光が強くなる。


 頭上で魔獣が暴れた。


 鎖が鳴り、石の粉が落ちる。


 縄が強く、何度も引かれた。


 危険。走って戻れ。


 でも、板は半分抜けている。


 ここで戻せば、また同じ魔力が流れるかもしれない。


「抜きます!」


 返事を待たず、両手で引いた。


 板が外れた。


 赤い線が一本消え、頭上の音が止まった。


 私は白い板を床へ置いた。


 三枚目。


 二枚目。


 一枚目。


 順番に抜くたび、黒い石へ集まる光が弱くなる。


 最後の板を抜くと、四本の金属棒から赤い色が消えた。


 頭上で、重いものが床へ伏せる音がした。


「止まりました!」


 今度は声が返る。


「戻ってください!」


 ルークだった。


 階段を上がり部屋へ戻ると、魔獣は横たわったままだった。


 皮膚の下の赤い光は消えている。


 黒く変色していた毛の根元から、本来の青灰色が見えた。


 扉の向こうでロブが鳴く。


「わん!」


「戻ったよ」


 急いで部屋を出る。


 ロブは私の足へ前足をかけ、何度も匂いを嗅いだ。


「怪我してないよ」


 顔を舐められる。


「でも、ちょっと煙くさいかも」


 もう一度舐められた。


 ミラが弱い探査術を使った。


 部屋の魔法陣は反応しない。


 魔獣の体も動かなかった。


「外からの流れは切れています」


「元に戻ったんですか」


「処置の影響がすべて消えたとは言えません。でも、魔力に触れただけで攻撃する反応は止まりました」


「中に入っても?」


「まず少量の魔力で試します。全員が一度に入るのは避けましょう」


 ミラが杖の先へ、指先ほどの光を作った。


 扉の隙間から部屋へ入れる。


 光は魔獣の鼻先を通り、壁へ当たった。


 赤い魔法陣は動かない。


 魔獣の脚も、跳ねなかった。


 次に、盾を持つ騎士が一人だけ部屋へ入る。


 鎧に込められた魔力へ反応はない。


「大丈夫そうです」


 騎士が言った直後、魔獣の目が開き、長い角が持ち上がる。


 魔獣は騎士を見た。


 鼻を鳴らし、逃げようと前脚を動かす。


 鎖が鳴ると、体を固くしたが、突進はしなかった。


「今の反応は、術式ではないでしょう」


 私は言った。


「目の前に知らない人がいて、怖いだけだと思います」


 怖がる。逃げようとする。


 それは傷つけられる前から持っていた、魔獣自身の反応だ。


 すべてを消して、おとなしくさせることが救出ではない。


 元の性質へ戻すことも救出なのだ。


「一度、全員下がれ」


 騎士が部屋を出る。


 魔獣の呼吸が落ち着くのを待ち、今度は私が水の器を持って入った。


 魔力のない木の器を、魔法陣の線を踏まない場所へ置く。


「もう、無理に向かってこなくていいよ」


 魔獣は顔を上げない。


 けれど、水の匂いを嗅ぐように鼻先が動いた。


 それだけで十分だった。


 魔獣が目を開けた。


 騎士たちが盾を構える。


 長い角が持ち上がる。しかし突進はしなかった。


 目の前にいる人間を見て、荒い息を吐く。


「怖がっています。でも、さっきとは違います」


 私は扉の外から様子を見る。


「逃げたいと思ってる。体が勝手に動く感じでもありません」


 ロブが私の横へ立つ。


 魔獣の耳が、白い姿へ向いた。


 ロブは近づかない。


 低く鼻を鳴らすだけだった。


 魔獣の頭が少し下がる。


「蒼槍鹿です」


 魔術師が言った。


「青灰色の毛と、槍のような二本の角を持つ魔獣。高い山の草地に棲み、人の気配があれば先に逃げる、おとなしい種です」


「おとなしい……」


 鉄の扉を歪ませた姿を思い出す。


「本来は、です」


 灰の狩人は、蒼槍鹿の力だけではなく、本来の性質まで壊そうとした。


「鎖を外します」


 騎士が一本ずつ金具を切る。


 最後の鎖が外れても、蒼槍鹿は動かなかった。


 ロブと私たちを見ながら、立ち上がれるほど力が戻るのを待っている。


「安全に運び出せますか」


「眠り薬が完全に抜ける前なら、担架を使えます」


 治療魔術師が答えた。


 奥の扉から、また細い声がした。


 蒼槍鹿の耳も、その方角へ向く。


 まだ残る仲間の声を聞くように。


     ◇


 蒼槍鹿のそばへ二人の騎士を残し、私たちは奥の扉を開けた。


 さらに下へ続く階段を降りると、先ほどより広い空間に出た。


 壁には、一定の間隔で灯りが置かれている。


 火はついていないが、油は新しく、芯も使える状態だった。


「撤退した場所には見えません」


 マルクが言った。


「少なくとも、すべてを捨てたわけではない」


 ルークが剣を抜く。


 人の気配はない。そう思っていた。


 階段を下りるほど、空気が変わった。


 魔獣の匂い、薬の甘い匂い、それに混じって、煙の匂いがする。


 誰かが、ついさっきまで火を使っていたのか。


「人がいます」


 ルークが小声で言い、全員を止めた。


 ロブは私の足元で、階段の下を見ている。


 背中の毛が立っていた。


 魔獣へ反応するときとは違う。


 低い唸り声が喉から漏れる。


「どうしたの?」


 ロブは前へ出た。


 そして私の前に立った。


 リードを引いても、下がらない。


「誰か知ってるの?」


 問いに答えるように、暗闇から声がした。


「やはり、先に気づくのは神獣か」


 男の声だった。


 階段の下で、灯りが一つ点き、長い地下室が現れた。


 両側には鉄の檻が並んでいる。


 翼猫。


 翼蛇。


 角鹿。


 見たことのない、魔獣もいた。


 どの檻にも一頭か二頭が閉じ込められ、床へ伏せていた。


 十頭どころではない。


 二十頭?もっといる。


 地下から聞こえた複数の声は、この魔獣たちのものだったのだろう。


 檻の列の一番奥に、その人物はいた。


 黒いローブ。そのフードは深く、顔の上半分が影に隠れている。


 黒い手袋をしている手には、杖も剣も持っていない。


「灰の狩人」


 ルークの声が低くなる。


 騎士たちが前へ出たが、男は逃げない。


 檻の間に立ち、私たちを待っていたようにも見える。


「ローブを脱ぎ、両手を見せろ」


 ルークが言う。


「君たちに危害を加えるつもりはない」


「ここで何をしている」


「見に来た」


 男の顔が、わずかに私へ向く。


「異界の女が、どこまで神獣を人の側へ縛れるのか」


 ロブの唸り声が強くなった。


 普段は警戒心ゼロで、知らない人にも近づこうとし、唸ることなどないはずのロブが。


 唸りながら、私の前から動かない。


「ロブを知っているの?」


「記録した」


 男は答えた。


「雄。小型。警戒心は低い。食物への反応は強い。契約者への執着は予想以上」


 地下で見つけた紙と同じ言葉だった。


 ロブの毛がついた布。


 王宮での行動を記した記録。


「あれを書いたのは、あなた?」


「私だけではない」


「王宮に仲間がいるってこと?」


 男は答えなかった。


「魔獣たちに何をした」


 ルークが一歩進む。


「第4段階。第5段階。その先に何がある」


「お前たちは、一つずつ戻すことしか考えない」


「質問に答えろ」


「戻した先に何がある?」


 男が檻を見た。


「森へ返す。山へ返す。人と魔獣の境界を引き直す。それで同じことが何百年続いた」


「だから攻撃させるの?」


 私は聞いた。


「違う」


 初めて、男の声に強い感情が混じった。


「それは途中の形にすぎない」


「途中?」


「そうしなければ、開かない」


「何が」


 答えはなかった。


 旧鉱山の巨大な魔法陣。


 複数の魔獣から集められた魔力。


 何かを反応させ、注意を向けさせる術。


 全てが向かっているその先には。


「扉?」


 私は言った。


 男の肩が、ほんの少し動いた。


「扉を開けようとしているの?」


「まだ、開かない」


 男はロブを見た。


「声が足りない」


 集められた声。


 傷つけられた魔獣の苦しみ。


 それを魔力へ変え、一点へ集めるということか。


「神獣は最後だ。その前に必要な一頭がいる」


 檻の列へ一度視線を向けた。


 ここにいる魔獣では足りない、別の種類?


 あるいは、別の段階まで進んだ一頭?


「北の村から連れ去った魔獣か」


 ルークが問う。


「何の話だ」


 男の返事は短かった。


 本当に知らないのか、知らないふりをしたのかわからない。


 灰の狩人は一人ではない。


「あなたの名前は?」


 私は聞いた。


 フードの奥で、男が笑ったように見えた。


「名を知れば、止められると思うのか」


「少なくとも、呼び止められる」


「なら、灰の狩人でいい」


「それは名前じゃない」


「神獣も、名ではないな」


 男の視線がロブへ落ちる。


「それをロブと呼び、犬として扱う。だから反応が安定しない」


「ロブはロブなの」


「お前がそうしているだけだ」


「何が悪いの」


「悪いとは言っていない」


「では、何」


「惜しい、と言っている」


 男の声は静かだった。


「三百年、神獣は現れなかった。王も神殿も、理由を知らない」


「あなたは理由を知っている?」


「知ろうとしている」


「そのために魔獣を傷つけた?」


「人は、聞こえない声を傷と呼ぶ。神獣は違う」


 ロブの耳が伏せられる。


「魔獣の苦しみを感じる力」


 男は、それを知っていた。


 どこまで知っているのか。


 ロブにも正確な場所や言葉まではわからないことまで、知っているのか。


「ロブに何をさせる気?」


「させるのではない……選ばせるのだ」


「何を」


「すべての声が一つになれば、神獣は無視できない」


「ロブの優しさを利用しないで」


「優しさ」


 男が初めて、その言葉を確かめるように繰り返した。


「お前はそう呼ぶのか」


「少なくとも、反応とは呼ばない」


 魔獣の苦しみを増やす。


 複数の声を一つに集める。


 ロブが放っておけないほど、大きな声にする。


 そして、何かを選ばせる。


「旧鉱山の魔法陣は、ロブに声を届けるためのもの?」


「それだけなら、あれほどの器は要らない」


「では、ロブの先に何がある」


「神獣が向く先だ」


 意味はわからなかった。


 答えているようで、肝心なことは隠している。


「百年以上前にも、同じ印を使っていたな」


 ルークが言うと、男の顔が、わずかに動いた。


「記録が欠けていることも、お前たちの仕業か」


「記録を残した者と、消した者が同じだと思うな」


「どういう意味だ」


「王宮へ戻って聞け」


「誰に」


「記録を守っているつもりの者たちに」


 王宮の中に協力者がいるという意味なのか。


 昔、灰の狩人とは別の誰かが記録を消したという意味なのか。


 男の言葉だけでは決められない。


「王宮にいたことがあるのか」


「お前たちに、私を見ている余裕があるのか?」


 男が檻へ目を向けた。


 何頭もの魔獣が、浅い呼吸を繰り返している。


「ここにいるものを助けたいのだろう」


「お前を捕らえて、魔獣も全て助ける」


 マルクが言った。


「試せばいい」


 男は一歩、こちらへ進んだ。


 ロブが吠えた。


「わん!」


 小さな体で私の前を塞ぐ。


 男の足が止まった。


「興味深い」


「近づかないで」


 私はロブのリードを握った。


 ロブが飛び出せば、今度は私が止める。


「あなたはロブを記録した。でも、何も見ていない」


「何を見落とした?」


 私は答えない。怖くても、私の前へ出るロブの勇気をこの男に教えてやる必要はない。


 男の顔は見えない。


 それでも、こちらを見ていることはわかった。


「警戒心が低いとか、私へ執着しているとか、勝手なこと言って。でもロブは、記録どおりの個体なんかじゃない」


 蒼槍鹿も同じだ。


 第4段階の術式どおりに突進しながら、一瞬だけ止まった。


 魔獣を反応としてしか見ない人には、その一瞬が見えない。


「だから、あなたたちは失敗する」


 男の声から、笑いが消えた。


「失敗かどうかは、扉が答える」


 右手が上がり、男の手袋から、灰色の粉が広がった。


「伏せろ!」


 ルークが叫ぶ。 


     ◇


 目と喉が痛い。


 私はロブを抱き、床へ伏せた。


 騎士たちの盾が前へ並ぶ。


 魔獣が反応させないために、ミラは魔術を使えない。


 灰色の粉の向こうで、金属の音がした。


「奥です!男が逃げます!」


 マルクが叫ぶ。


 ルークたちが進もうとした瞬間、左右の檻が一斉に光った。


 赤。


 青。


 黄色。


 魔獣ごとに違う色の魔力が、鎖から体へ流れ込む。


 翼猫が甲高く鳴いた。


 翼蛇が檻の鉄棒へ体を打ちつける。


 奥の大きな檻から、岩を砕くような音が響いた。


「追うな!」


 ルークが命じた。


「魔法陣を止めろ。檻から離れろ!」


 男を追えば捕まえられるかもしれない。


 でも、魔術を使えば魔獣たちが苦しむ。


 狭い檻の中で暴れ続ければ、自分の体を傷つけてしまう。


 ロブが私の腕の中で暴れた。


「行きたいの?」


 灰の狩人が消えた奥ではなく、光り始めた檻の列を見ている。


「くぅん!」


 苦しむ声が増える。


 一体何頭いるんだろう。


 私たちが旧鉱山で見た檻の数より、ここにいる魔獣のほうが多かった。


「ロブ、全部受け止めないで!」


 ロブの耳を塞ぐように抱きしめる。


 ロブが感じる魔獣の苦しみは、耳を塞いでも目を閉じても消えないだろう。


 それでも、ロブを一人で声の中へ立たせたくなかった。


 ミラが床を見た。


「魔法陣がすべてつながっています!」


「一つずつ切れるか」


「できます。でも時間が必要です。順番を誤れば、ほかの檻へ魔力が流れる」


「出口は!」


 マルクが奥へ灯りを向ける。


 灰の狩人が立っていた場所の後ろに、細い水路があった。


 流れは速い。


 人が身を屈めれば通れる幅だ。


 黒いローブ姿は、もう見えない。


 水の音だけが遠ざかる。


「外の隊へ知らせます」


 騎士が連絡用の魔術具を手にした。


「待て。ここで起動すれば、檻が反応する」


 ルークが止める。


 連絡するには階段を上がり、蒼槍鹿の部屋を抜け、水路の入口まで戻らなければならない。


 その間に、灰の狩人は山の外へ出るだろう。


「追えません」


 マルクが悔しそうに言った。


「今は」


 ルークは檻を見た。


「追わない」


 選ばなければならなかった。


 逃げる一人を捕まえるか。


 ここに残された何十もの命を守るか。


 答えは決まっていた。


 灰の狩人は、そう決断するとわかっていたのだろう。


「最初から、逃げる時間を作るために話してたんですね」


 私の声は、もうあの男には聞こえない。


 残ったのは、いくつかの答えと、それ以上の疑問だった。


 灰の狩人は、魔獣をただ攻撃する道具にしたいわけではない。


 恐怖と怒りから生まれる力を集め、何かへ届けようとしている。


 その先には、まだ開かない扉がある。


 扉を開く前に、あと一頭が必要。


 そして最後に、ロブを使う。


 あの男は首領なのか。


 王宮の中に、本当に協力者がいるのか。


「エレナ」


 ルークが呼ぶ。


「蒼槍鹿のときと同じ方法が使えるか、見てください。ただし、檻へ近づきすぎないで」


「はい」


 わからないことを追うのは、あとだ。


 今は、見えるものを見る。


 一番近い檻には、二頭の翼猫がいた。


 体を寄せ合い、背中の小さな翼を震わせている。


 赤い光が流れるたび、一頭が檻へ飛びかかる。


 もう一頭は隅へ逃げようとする。


「反応が違いますね」


 私は言った。


「同じ魔力を受けても、一頭は攻撃して、もう一頭は逃げようとしてる」


「処置の段階が違う?」


「それもあるかもしれません。でも、同じに見えても、この子たちは一頭ずつ違いますから」


 魔獣にも個性がある。全てが同じ反応をするとは限らない。


 そこを灰の狩人が見落としているとしたら。


 そこに、救う方法があるかもしれない。


 ミラが床の線を紙へ写す。


「全部で二十四の檻があります」


「魔獣の数は」


「見える範囲で三十一頭。奥に、まだ部屋があります」


 これまで助けた数よりはるかに多い。


 必要な薬も、人手も、担架も足りない。


 魔法陣を止めても、衰弱した魔獣を地上へ運ぶだけで何日かかるかわからない。


 かなり大がかりな救出になりそうだ。ここにいる人数だけでは到底足りない。


「応援を呼びます」


 ルークが言った。


「北部の騎士団、王宮の魔術師、治療師。運搬用の馬車と餌も必要だ。村へも協力を求める」


「人間を怖がる魔獣もいます」


「だからエレナとロブが必要です」


 ロブはまだ震えている。


 それでも私の腕から下り、檻の列へ向かって立った。


 一頭ずつを見るように、右から左へ顔を動かす。


「ロブだけじゃありません」


 私は言った。


「魔獣を大切な命として見る人が、たくさん必要です」


「もちろんです」


 ルークは迷わず答えた。


 檻の奥で、また別の魔獣が鳴いた。


 弱い声、怒った声、怯えた声。


 灰の狩人にとっては、目的を果たすための道具にすぎないのかもしれない。


 でも私たちにとっては違う。助けを待つ声のひとつひとつを大切にしなければいけない。


 今、逃げた男を追うことはできない。


 地下には、まだ複数の魔獣がいる。


 私たちは灰の向こうへ消えた背中ではなく、目の前の檻へ向き直った。


 魔獣たちの救出が始まる。


 ――第十九話おわり

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。