第十七話 4という数字
4という数字が何を示すのか、図の示す場所はどこなのか、謎が少しずつ解き明かされる。
朝、目を覚まして最初に感じたのは、ロブの鼻息だった。
近い、すごく近い。
目を開けると、ロブのわずかに濡れた鼻が私の顔のすぐ前にあった。
「おはよう」
「ふん」
「起こしてくれたの?」
ロブは返事をせず、私の頬を一度舐めてから、ベッドを降りた。
窓の外はまだ薄暗い。
昨日、旧鉱山から戻った私たちは、リーネ村の外れにある空き小屋を借りた。
森に近く、人の家から離れたこの場所なら、岩角猪も少しは安心して治療を続けられると思ったからだ。
ロブはすでに扉の前で待っている。
「岩角猪のところ行く?」
尻尾が一度動いた。
私は上着を羽織り、ロブと一緒に小屋の裏へ回る。
騎士が一人、柵のそばで見張っていた。
「岩角猪はどんな様子ですか?」
「夜中に一度、水を飲みました。ディート先生によれば、熱も下がっているそうです」
柵の中は、厚い藁が敷かれ、岩角猪はその上で横たわっていた。
後ろ脚には新しい包帯が巻かれ、血はにじんでいない。呼吸も昨日より深く、ゆっくりしている。
ロブは柵の前で止まった。
近づきすぎない距離。
岩角猪の耳が動き、閉じていた目が少し開いた。
「おはよう」
私もロブの横へしゃがんで、岩角猪に話しかけてみる。
「昨日より、少し楽?」
岩角猪は答えない。もちろん、答えるはずはないのだが。
けれど目は昨日のように見開かれていなかった。こちらを見ても唸らず、鼻から長く息を吐く。
ロブが伏せる。
二頭の間には、柵一本分の距離。
しばらくすると、岩角猪の鼻先が動いた。
ロブも鼻を動かす。
朝の冷たい空気の中で、二頭は互いの匂いを確かめているようだった。
「昨日、鶏肉をあげたこと覚えてる?」
ロブが私を見る。
「ロブにじゃなくて、この子に聞いたんだよ」
尻尾が一度、地面を叩いた。
鶏肉という言葉だけは、自分への話だと思うらしい。
「神獣様の朝食なら、まだです」
見張りの騎士が真面目に教えてくれた。
ロブはもう小屋の方を向いていた。
岩角猪を心配する気持ちと、朝ごはんを早く食べたいという気持ちは両立するらしい。
私も見習ったほうがいいかもしれない。
昨日は一頭を助けられた。
そして、十一の空の接続枠と、動き始めた魔法陣を残してきた。
喜びと悔しさのどちらかを捨てなくてもいい。
岩角猪の穏やかな呼吸を確かめてから、私たちは小屋へ戻った。
◇
朝食のあと、机の上に三つのものが並べられた。
旧鉱山周辺の地図。
昨夜、ミラが描き写した魔法陣の術式。
そして、地下で見つけた薄い金属板。
金属板の表には、三日月の内側に一本の塔がある。
裏には、山の形と三本の波線。それから数字の”4”。
「これを通行証と呼んでいますが、本当に通行証かどうかもわかりません」
ミラが最初に言った。
「持ち主の魔力を一度記録する術がある。門や結界へ触れたとき、登録された者だと示す用途が考えられます。ただ、記録を読むための側がないので」
「鍵だけあって、扉がないようなものですか」
「そう考えてください」
私は金属板を覗き込んだ。
三日月と塔の印は、灰の狩人が使っていた青い瓶にもあった。
印そのものは、彼らの集団を示している可能性が高い。
問題は裏側だ。
「4は、4番目の拠点という意味じゃないんですか」
マルクが言った。
「そうかもしれないが」
ルークはすぐには頷かなかった。
「場所の番号、運ぶ順番、使用回数、作られた年。数字一つでは、どれも否定できない」
「では、何から調べます?」
「まずは場所から考えてみよう」
ルークが地図を広げた。
「違っていても、周辺を確認する価値はある」
旧鉱山を中心に、村、川、山道、使われなくなった採石場が記されている。
数字がついた場所は、村の倉庫が二つと、鉱山の坑道だけだった。
一番坑道、二番坑道、三番坑道。
四番坑道はない。
「昔はあったけれど、地図から消えた可能性は?」
「鉱山で働いていた人に確認しました」
マルクが別の紙を出した。
「坑道は三つだけです。試掘した穴には数字ではなく、掘った人間の名前をつけていたそうです」
「村を四つに分けていたとか」
「それもありません」
私は地図の上を指で追った。
4に当てはまる場所は見つからない。
なら、数字から探すのではなく、絵から探してみる。
「この山は、形に特徴があります」
地図作りに詳しいという騎士が言った。
「頂が二つに割れている。山そのものの印ではなく、特定の稜線を表している可能性があります」
金属板に刻まれた山は、ただの三角ではなかった。
左の頂が高く、右の頂が少し低い。
その下に三本の波線がある。
「川が三本?」
「三つの川が並ぶ場所は、この周辺にはありません」
「波線が川一本を表していることは?」
「あります。古い地図では、川や水場を三本の線で示すことが多いです」
地図の中から、二つの頂を持つ山と川が近い場所を探す。
候補は五つあった。
旧鉱山の西に一つ。
南に二つ。
北東に二つ。
「これでは多すぎますね」
私は言った。
「一つずつ行けば、十日はかかります」
「十日で済めばいいが」
ルークが答える。
「地図にない道や、崩れた橋があればさらに延びる」
ロブは机の下で伏せていた。
金属板を見せても、昨日と同じように顔を背けるだけだった。乾いた薬の匂いが嫌なのだと思う。
「ロブに、どっちか聞きます?」
マルクが冗談のように言った。
「聞いても、答えはくれませんよ」
私はすぐに返した。
「ロブが感じられるのは、傷ついた魔獣の苦しみと大まかな方角です。いつでも感じるわけではないし、灰色の粉があれば方角も乱されます」
旧鉱山へ来るまで、私たちはロブの反応を追った。
その結果、敵の罠へ誘導された可能性もある。
ロブを信じないのではない。
ロブだけに、すべてを背負わせないためだ。
「地図と物証で絞りましょう」
「はい」
ルークが頷いた。
「神獣様の反応は、最後の確認でいい」
候補を一つずつ見直す。
西の山は、二つの頂が金属板と逆だった。
南の一つは川が涸れている。もう一つは王都へ続く街道沿いで、荷車を隠して出入りするには人目が多すぎた。
北東の一つには、山のそばを流れる大きな川がある。
もう一つには、地図へ細く記された水路があった。
「この線は?」
私が指す。
「昔の鉱山町へ水を送っていた水路です。今は使われていません」
「川じゃないんですか」
「三本の流れを石で一つへ集めた水路だと、村の記録にあります」
三本。
私は金属板を地図の横へ置いた。
「波線は、一つの川を描いたんじゃなくて、三本の流れが合流する場所?」
「あり得ます」
騎士が古い地図を重ねる。
北東の山は、左の頂が高く、右が低い。
麓で三つの小川が一つになり、そこから古い水路へ入っていた。
金属板の絵と同じ向きだった。
「山の名前は?」
「双角山。その麓に、ノルデン水路があります」
「今も人が住んでいますか」
「水路の管理小屋が残っているだけです。鉱山町が閉じたあと、道も使われなくなりました」
人目につかない。
旧鉱山からさらに北東。
荷車なら一日半。森を抜ける古い道を使えば、捕らえた魔獣を運ぶこともできる。
「空の檻からついていた車輪の跡は?」
ルークが追跡役の騎士へ聞く。
「正面坑道を出て、北へ向かっていました。岩場で消えていますが、西や南へ折れた跡はありません」
候補が一つに重なる。
山の形。
三本の波線。
荷車の向き。
使われていない水路と管理小屋。
「拠点でしょうか」
「可能性は高い」
ルークは、それでも断定しなかった。
「少なくとも、この金属板が示す場所である可能性は、ほかの候補より高い。偵察隊を先に出し、道と周辺の人の出入りを確認してから向かいます」
「今日、出発できますか」
「準備が整えば」
目的地を決めたあと、今度は持っていくものを決めた。
古い水路の地図。
魔力を通さない布。
灰色の粉を拭うための水と、薬を入れる密閉箱。
捕らわれた魔獣がいた場合に備えた担架を二つ。
眠り薬は、岩角猪へ使ったものより量を細かく調整できるよう、三種類に分けた。
「魔獣の大きさがわからないのに、量を選べるんですか」
「体重と呼吸を見て決めるんだ」
ディート先生が薬包へ印をつける。
「ただし、興奮させる薬をすでに使われていれば、効き方は変わってくる。眠らせれば必ず安全、とは考えないで」
前回と同じ方法が、次も使えるとは限らない。
「正面から水路へ入りますか」
マルクが地図を見た。
「入らない」
ルークが答える。
「水路は逃げ道が少ない。まず高い場所から管理小屋と周辺を確認する」
「魔獣の声が聞こえても?」
私は聞いた。
昨日と同じ問いだった。
「入口と退路を確認してからです」
「はい」
今度は迷わなかった。
騎士たちは二組に分かれ、一組は山の南側、もう一組は古い水路沿いを調べることになった。
連絡用の魔術具は旧鉱山で一つ消耗したため、残りを誰が持つかも決める。
「神獣様用の毛布は?」
荷物を確認する騎士が尋ねた。
「持っていきます」
私は即答した。
前は荷物を減らそうとしたけれど、地下の冷たさを知ったあとでは必要だと思う。
「鶏肉は?」
「もちろん持って行きます」
「枝は?」
「いりません」
机の下から、ロブが顔を出した。
「どうせ、途中で捨てるから」
ロブは何もくわえていないのに、先に注意されたことが不満そうだった。
「岩角猪は?」
「今は動かせる状態じゃない」
ディート先生が戸口から入ってきた。
「傷が閉じるまで、ここで治療するよ。僕も残る」
「先生も?」
「あの脚で馬車に乗せれば、せっかく助かった命をまた危険に晒すことになる」
先生は机の下のロブを見る。
「ロブちゃんも残るなら、患者は喜ぶかもしれないね」
ロブが顔を上げた。
「ロブは行きます」
「鶏肉も持って行きますから」
ロブが立ち上がる。
「今ので決めたみたいに思わないでくださいね」
「違うの?」
否定しきれなかった。食いしん坊め!
◇
私たちが出発の荷物を整えていた頃、岩角猪が初めて立ち上がった。
柵のほうから藁の擦れる音がして、ロブが駆け出す。
「走らないで」
言いながら、私も走った。
岩角猪は三本の脚で立っていた。
包帯を巻いた後ろ脚は地面へつけず、体が大きく傾いている。
「無理しないで」
近づこうとすると、岩角猪が短く唸ったので、慌てて止まった。
昨日より元気になっても、人を怖がらなくなったわけではないようだ。
ロブは柵の外で伏せなかった。
立ったまま、岩角猪を見ている。
岩角猪もロブを見た。
それから、ゆっくり顔を動かした。
北東。
これから私たちが向かおうとしている方角だった。
鼻を高く上げ、何度も空気を吸う。
ロブも同じ方向を向いた。
白い耳が前へ立つ。
「何かいるの?」
返事はないが、走り出すそぶりも怖がる様子もない。
ただ、岩角猪と並ぶように、同じ方角を見つめていた。
「あなたも何か感じてる?」
私は岩角猪へ聞いた。
岩角猪の喉から、低い音が漏れた。
痛みの声ではなかった。
仲間を呼ぶ声とも違う。
でも、何も感じていないようには見えなかった。
ロブは傷ついた魔獣の苦しみを感じる。
もしかしたら岩角猪も、遠くの何かを感じているのだろうか。
魔獣同士にしかわからない気配があるのかもしれない。
魔法陣が集めていた、それぞれ違う魔力。その奥に何か共通するものがあるのだとしたら。
灰の狩人は、それを「反応」と呼んでいた。
偶然かもしれない。でも、二頭はしばらく同じ方向を見ていた。
やがて岩角猪の脚が震え、藁の上へ座り込む。
ディート先生が駆けつけ、傷を確認した。
「立てたのは良いことだけど、立ち続けるのは良くない」
岩角猪は注意を聞いた様子もなく、横になる。
「患者というのは、どうして動くなと言ったときほど動くのかな。人も魔獣も一緒だ」
「元気になると動きたくなるんですよ」
「元気と無謀は別だからね」
先生が私を見た。
「なぜ私を見るの?」
「患者に言ったんだよ」
岩角猪は目を閉じている。
たぶん、私に言った。
◇
同じころ、王宮では、別の金属板が机の上に置かれていた。
アレクシス王子は、届いたばかりの報告を二度読んだ。
旧鉱山で見つかった印。
三日月の内側に、一本の塔。
それと同じ形を、王宮の記録官が古い資料の中から見つけていた。
「これは、いつの記録だ」
「およそ百二十年前です」
記録官が答えた。
「北部の関所で押収した荷に、同じ印があったと書かれています」
「荷の中身は?」
「記載がありません」
「持ち主は」
「それも」
机には、古びた目録が開かれている。
日付。
関所の名前。
押収品の数。
そこまでは読めた。
肝心の品名と取り調べの記録があるはずのページは、数枚まとめて抜け落ちていた。
破れたのではない。
糸をほどき、必要な紙だけを外してから、もう一度綴じ直したようだ。
「最近抜かれたものか」
「いいえ。紙と糸の傷み方から見て、数十年以上前です」
アレクシスは印を写した紙を手に取った。
灰の狩人が最近作った印ではない。
少なくとも百年以上前、同じ印を使う何者かが王国の北部を通っていた。
そして、その詳細を知る記録は意図的に抜かれている。
「ほかに目撃情報は」
「二十七年前、東部の廃修道院で石壁に刻まれていたという報告があります。ただし、子供の悪戯として処理されています」
「その報告書も持ってきてくれ」
「すでに探させています」
アレクシス王子は窓の外を見た。
エレナとロブは、王宮から遠い旧鉱山にいる。
けれど事件は、彼らのいる場所だけで起きているのではない。
王宮の書庫から消えた記録。
北部の関所。
東部の廃修道院。
百年以上前から残る印。
複数の場所で、何かが起きていると感じる。
「北部の古い記録だけではなく、各地の関所、神殿、魔獣被害の報告を調べる」
アレクシス王子は命じた。
「三日月、塔、青い瓶。それぞれ別の言葉でも探せ。写しを取る前に、原本が欠けていないか確認すること」
「承知しました」
記録官が去ったあと、アレクシス王子は青い石が嵌められた小さな魔術具へ触れた。
エレナに渡した護符は、一度だけ居場所を知らせる。
まだ、光っていない。
それが無事の証明とは限らない。
それでも今は、光らない石を信じるしかなかった。
◇
熱心に資料を読んでいたミラと魔術師たちがざわついていた。
「何かわかったんですか」
「4について、別の可能性を見つけたかもしれません」
資料の横に通行証と、旧鉱山から写した二つの術式を並べる。
「第4の拠点以外に?」
「はい。場所ではなく、処置の段階です」
ミラが地下の杭に刻まれていた術式を指した。
「岩角猪の鎖の下にあった線を調べました。上の魔法陣へつなぐ術だけではありません。体へ外から魔力を流した痕跡があります」
「薬を投与しただけじゃなかったんですか」
「はい。捕らえた魔獣に、複数の処置を行っていた可能性があります」
他の魔術師も、興奮したように続ける。
「感覚を鈍らせ、恐怖や怒りを強くする。そのあと、ほかの魔力へ反応しやすくするんじゃないでしょうか」
ミラは、数字のように見える、小さな記号を四つ描いた。
「4回、違う魔力を重ねた跡があった。つまりあの岩角猪は、第4段階まで進んだ個体なんだと思います」
「それで、この通行証には4と」
「通行証はあくまで仮定です。人間の魔力を記録する術は、運んだ者を示すためかもしれない。どの者が、どの個体を扱ったかとか」
金属板の意味が変わってくる。
山と三本の波線は場所。
4は、その場所の番号ではない。
そこで行われた処置か、あるいは運ばれた魔獣の状態か。
「では、双角山に第4段階まで進められた魔獣がいる?」
「はい」
ミラは慎重に答えた。
「ただし、まだ仮説です。4が拠点の場所の番号である可能性も残ります」
「第4段階の次は?」
私が聞く。
ミラの指が、もう一枚の紙へ移った。
昨日、旧鉱山で見つけた銀色の箱の文字。
――基準個体。直接接続は未実施。
――反応の安定後、最終段階へ移行。
魔獣へ段階的な処置を行い、第4段階で反応を安定させる。
最後に、基準個体であるロブを直接つなぐ――最終段階。
「4段階目が最後とは限りません」
ミラが言った。
「五や六がある可能性もあります。ただ、鉱山で見つけた術式には四種類の重なりがある。そして神獣様は、ほかの魔獣と別に扱われている」
「この先にいる魔獣は、岩角猪より危険な状態かもしれないということですか」
「恐怖や怒りを強められていれば」
マルクの手が剣の柄へ触れる。
「こちらを見ただけで襲ってくるかもしれません」
「襲いたくて襲うわけじゃない、きっと」
私は言った。
「わかっています」
マルクは私を見た。
「だから私は剣で人を守ります。エレナ様は、その牙の奥を見てください」
以前、黒牙狼を前にしたときと同じ言葉だった。
でも今は、少し意味が違う。
私たちは、魔獣が傷つけられていることをもう知っている。
それでも、傷ついた魔獣が人を傷つけないとは限らない。
どちらか一方だけを守るのではなく、両方を守るための私たちの役割だ。
「お願いします」
私は頷いた。
ルークが金属板を布で包んだ。
「目的地は変えません」
「4の意味が違っても?」
「山と三本の流れは、双角山を示す可能性が高い。4が場所の番号でも処置の段階でも、そこを調べる意味はあります」
物証から場所を見つけた。
術式から、そこで起きているかもしれないことを考えた。
ロブの反応は、まだ使っていない。
それでいい。
ロブは私の足元で、荷車へ積まれた鶏肉の入った鞄を見ていた。
◇
窓のない部屋で、男が報告を読み上げていた。
「神獣が鉱山へ入った」
灯りは一つしかない。
三日月と塔の印がついた燭台の向こうに、人影が座っている。
顔は見えなかった。
「基準個体の反応は」
「装置が一度、捉えました。短い時間でしたが、間違いありません」
「接続していないのに?」
「近づいただけで、三本が起動しました」
紙を持つ男の声には、興奮と恐れが混じっていた。
「やはり、神獣です。ほかの個体とは違う」
奥の人影は答えない。
机の上には、空になった青い瓶が並んでいる。
その横に、十一枚の金属板が重ねられていた。
「移送した個体は?」
「予定の場所へ。ですが、反応が安定していません」
「まだ一頭足りない」
「神獣なら、すでに」
「あれは最後だ」
低い声が、男の言葉を止めた。
「最後を先に置けば、扉は開かない」
扉。
何を指す言葉なのか、報告する男は聞かなかった。
「狩人を北東へ戻せ。いずれあの者たちも印を読む」
「では、あの場所を捨てるのですか」
「いいや」
人影の指が、十一枚の金属板の一番上へ触れた。
そこには4ではなく、空白があった。
「見つけさせる」
灯りが揺れた。
「次に、何を選ぶかを見る」
◇
昼を少し過ぎたころ、偵察隊が戻った。
北東へ続く古い道は通れる。
新しい荷車の跡がある。
双角山の近くで煙を見たが、木々に隠れて建物までは確認できなかった。
私たちは、次の目的地、双角山へ向かう。
出発前、ロブは岩角猪の柵へ行った。
岩角猪は藁の上へ伏せているが、朝より目に力があるようだ。
ロブが柵の間へ鼻先を入れると、岩角猪も鼻を近づけた。
今度は、柵越しにゆっくり触れ合う。
「お別れだよ」
私が言うと、ロブの耳が後ろへ向いた。
「ちゃんと元気になったら、森へ帰れるって」
ディート先生は、傷が治ったあと、街道から離れた山へ戻すと言っていた。
この岩角猪がもともとどこにいたかはわからない。
でも、少なくとも檻や鎖のある場所ではないだろう。
岩角猪が低く鼻を鳴らした。
ロブが柵の前へ座る。
離れようとしない。
「一緒に連れてはいけないよ」
「くぅん」
「先生がいるから大丈夫」
「僕がしっかり診てるよ。患者が勝手に走り出さなければ、順調に回復するよ」
先生は岩角猪の水桶を確認する。
「ロブちゃんが戻る頃には、歩けるようになってるかもね」
ロブがようやく立ち上がった。
岩角猪も顔を上げる。
別れを惜しむように、二頭はもう一度、鼻先を合わせた。
ロブは三歩進み、一度戻った。
岩角猪を見てから、また私のほうへ来る。
「そろそろ行こうか、ロブ」
何度も振り返りながら、馬車に乗り込んだ。
馬車が走り始め、柵と小屋が少しずつ遠くなる。
岩角猪は伏せたまま、こちらを見ていた。
森の角を曲がり、その姿が見えなくなる。
ロブはしばらく荷台の後ろに座っていた。
私は隣へ座り、白い背中へ手を置く。
「また会えるよ」
何の保証もない言葉だったが、それでも、言いたかった。
やがてロブは前を向いた。
道は北東へ続いている。
古い地図では細い一本の線だった。
右手には森。
左手には低い丘。
その先に、二つの頂を持つ山が薄く見え始めていた。
「あれが双角山です」
マルクが指す。
金属板に刻まれた山と、同じ形だった。
私たちは、4という数字の意味をまだ知らない。
第4の拠点なのか。
第4段階の処置を示すのか。
まだ断定はできない。
でも、山と三本の流れは、場所を示していた。
一つの謎が少しだけ解けた。
その先には、もっと大きな謎が待っているのか。
ロブが急に立ち上がった。
耳が前へ向く。
「どうしたの?」
馬車を止めてもらう。
風が森を抜けてきた。葉の擦れる音。遠くを流れる水の音。
それに混じって、何かが聞こえた。
遠吠えではない。
仲間を呼ぶような強い声でもない。
息が漏れたような、弱々しい鳴き声。
一度。
途切れそうになって、もう一度。
山の向こうから聞こえてくる。
ロブが荷台の端へ前足をかけた。
私も双角山を見る。
「あそこにいるんだね」
断定してはいけない。が、地図も、物証も、荷車の跡も、あの山を示している。
それでも、何がいるかはまだわからない。
「いるかもしれない、だね」
言い直す。
ロブが私を見た。
「だから、確かめに行こう」
ルークが前方を確認し、手を上げた。
馬車が再び動き出す。
ロブは山を見たまま、吠えなかった。
弱い声を消してしまわないように、静かに耳を澄ませているかのようだ。
私たちも、その声を見失わないように、北東へ進んでいく。
――第十七話おわり




