巫女のミコちゃん 7
どさりと……頼もしかったその人の身体が、崩れていく。
まるで果物が破裂したように、鮮血が吹き出していた。私はその姿を、眼を見開いて見つめていました。
「はぁはぁ……! はぁはぁっ……!」
呼吸が、荒くなる。目頭が熱くなって、視界が滲んでいく。溢れた血がどんどんと広がって、私の足下を汚していきます。
「ひぃ……!!!」
尋常ではない量の血液に、私は腰を抜かしていました。
べちゃりと、手に生温いナニカが付着しました。分かっているはずなのに、私は反射的にそのナニカを見てしまいます。
粘性が高い、赤黒い血でした。鉄臭くて、生臭くて、なのに手の平にジクジクと馴染んでいくその様が……私の精神にヒビを入れていきました。
「いやぁああぁあああ!?!?」
びちゃびちゃと、血の海を這いずって悠さんの身体に縋り付きます。ですが、既にそこにあったのは、悠さんではありませんでした。
「いや! 辞めて! 悠さんを返してぇ!」
それはもう肉の塊でした。腕がだらりと垂れ、温度は失われ、冷たくなり始めています。
悠さんは死んでいました。いつものように冗談を言って、ふざけて、けれどもひたすらに優しかったあの人は、もういない。
「いや……いや……! 貴方が居ないと、私は……!」
絶望が、私を覆っていく。力が抜けて、全てがどうでも良くなっていきます。
もはや、今すぐ私も自決して悠さんを追いかけたいとすら思ってしまいました。
「え……? ここ、は……?」
みっともなく泣いて、喚いて、気が付けば周囲の風景が変わっていることに気付きます。
体育館、でしょうか……たった一人で、暗い場所に一人きり。その事実が、私から冷静さを奪っていきます。
「巫女様!」
「っ……! 悠さんっ!!!」
「良かった! 目を覚まされたのですね!」
その時、愛しいあの人が暗闇から現れました。先ほどまで死に体だったはずなのに。
平静を保っていられたのなら、少しでもこの状況を疑問に思えたのなら、きっと気づけたはずです。
こんか状況は、明らかにおかしいと。
「がはっ……!? みこ、さ、ま……?」
「―――え? な、んで……?」
「どう、して……? 俺は巫女様を、信じて、いたのに……!」
血を吐いて、藻掻き苦しむ悠さん。その瞳は憎悪を宿し、聞いたことのない声色で私を謗りました。ヒビが、一気に広がっていくのが分かりました。
「死ね……! お前のせいだ! お前が俺を巻き込んだんだ!」
「そんなこと悠さんは言いません! それ以上あの人を愚弄するなぁ!」
「がふっ……!? 痛い……! 辞めろ、辞めてくれぇぇえぇ!!!」
「ああぁぁぁああぁぁぁあぁ!!!!!」
うるさい……うるさいうるさいうるさいっ!!! 黙れ!!!!!
ただ力任せに、刀を振るう。刃が悠さんの偽物斬る度に、今度はリアルな血飛沫が舞っていました。まるで本当に私が殺しているみたい。
「違う……私は、殺してなんか……!」
「嘘をつかないでください、巫女様。全部貴方のせいですよ?」
「…………! やめて……! もう、やめて……!」
「お前のせいで全員死ぬ。村の人間も、お前の友人も、家族も……愛した男すらも、お前が、自分で、殺すんだ」
血に塗れ、臓物を垂らした悠さんはそんなことを囁き続けます。耳を塞いでも、目を閉じても、その声や光景が消えることはありませんでした。
「うあぁぁああぁあぁぁあ!!!」
全部、私のせい。私が生きているから、皆死ぬ。私のせいで……悠さんが、死んだ。
あまりに認めがたい現実を否定したくて、闇雲に刀を振るいました。けれど、削れていくのは体力と精神ばかりで、事態は何も好転しません。
「巫女様のせいです、死んでください」
「お前のせいだ……! 死ね、死んで詫びろ!」
「助けてください……みこ、さま……!」
「あぁぁあぁぁぁぁぁぁ!!!」
ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。
生きていてごめんなさい。役目を忘れてごめんなさい。助けて貰おうとしてごめんなさい。
全て私が悪かったのです。私が死ねば全て解決するのです。私に決定権なんて、なかったのですから。
迷惑かけてごめんなさい。私は、きちんとお役目を果たします。新美神社の巫女として、この命を捧げます。
だから……許してください。あの人にだけは、手を出さないでください。
これ以上……その人を弄ばないで……!!!
「あぁ、良いぞ。コイツの命はタスけてやる」
「巫女様……巫女様……」
「ゆ、う……さん……貴方だけでも、逃げて……」
「そのカわり、おまエの力ヲ、貰ウぞ。良いな」
黒い影と、満身創痍の悠さんが私に問いかけます。私は嗚咽を溢しながら、ただその言葉に頷くだけでした。
「ごめんなさい……私は、もう……」
「眼ヲ閉じ、口ヲ噤み、耳ヲ塞ぎ、タだ己ガ浅ま死き欲望だけ視よ。そうスれば、お前の望むスベてを、与えよう」
「…………は、い」
もう、限界でした。元々、不満や諦観なんていくらでもあったのですから。
そんな倒れかけの私を、悠さんは支えてくれました。傍に居て、守ってくれて、愛してくれました。
なのに……私の傍に、あの人はもういない。私が、殺したから……
「…………」
……私が、殺した? それはどうして……? なんでそう思うの?
「く、くくくっ……! あの男モ愚かダな。自ら異界を去っテ、守るべキ巫女を捨テ置くとは」
『人が最も油断するのは、勝ちを確信した時です。山の怪異が巫女様を取り込もうとするのが目的なら、その瞬間は必ずやってきます』
段々と近付いてくる、黒い影。そんな黒い影に捕まり、うわごとのように巫女様と呟き続ける。その声も、その姿も、悠さんそのものでした。
何度も死に、何度も生き返り、そして私の情緒を乱してきます。
目の前で自殺したショックで失念していましたが、悠さんはそんなことをするのでしょうか。そんな人が、わざわざ無関係な私を助けになんて、来てくれるのでしょうか?
違う。断じて違う。あの人はそんな容易い人じゃない。
自らの命よりも他人の命を尊んでしまう。だからこそ、私は惹かれてしまった。
誰かを救うことを最も優先しているのに、その枠に自分が含まれていない。だからこそ、私は恋い焦がれ、あの人の傍に立ちたいと思った。
悠さん。その瞳の奥はずっと冷めていて、いつも違うナニカを見ている人。
自分のことを許せなくて、認められなくて、それでも藻掻いている優しい人。
「ふふ……あははっ……!」
「狂ったカ。まぁ良イ、その方ガ楽だ」
『気を強く持ってください。恐怖に負けてはいけません。私はいつでも、巫女様と共にあります』
あの人はきっと、自分と私の命を天秤に掛けた時に迷わず私の方を選ぶのだろう。
でも、そんな悠さんだからこそ、命を粗末に扱うような真似は絶対にしない。どちらかを選べと言われたからと言って、素直に従うあの人じゃ、決してないのです。
私は悠さんを信じています。あの人が諦めない限り、私も諦めたりしません。
私は……新美ミコは、いつまでも貴方と共にあります。もう、そのことを忘れたりなんてしません。
「―――ハ?」
「悠さんの居ない私なんて、ただの小娘だと思いましたか? 自分一人では立つことすらままならない、非力な子供だと思っていましたか?」
「がっ、あぁぁあ、あぁぁあ!?」
私は悠さんの真似事した怪異ごと、黒い影を突き刺しました。不意の一撃は確かに怪異へ突き刺さりましたが、しかし次の瞬間には透けて消えてしまいました。
「くそくそくそくそっ、クソがっ! いてぇ、いてぇだろがぁ!?」
「……あまり喋らないでください。不愉快です」
山の怪異の話す言葉は、東新美村の住人の声でした。この怪異はずっとそうなのです。自らの醜い姿を覆い隠すように、人や怪異を真似て欺く。不快なんてレベルではありません。
「また山に引っ込みますか? 神様の真似事をして、その幼稚な自尊心を満たしますか? ほら、今なら見逃してあげますよ」
「クソガキがぁっ!? 調子に乗りやがって……!」
「……ようやく土俵に上がってくれましたね」
「たかが巫女の分際で、よくも儂を愚弄したな……! 防人から見捨てられた巫女なぞ、力尽くで喰らってくれるわ!!!」
若い男性の声から、今度は嗄れた老人の声へ変わっていました。その姿は幾人もの人が交じり合い、ひしめき合い、瞬く間に膨らんでいきました。
それは肉の塊でした。あの山で追いかけられたものと同じ、気持ちの悪い物体。それが体育館中に広がっていき、私を包囲していきました。
「喰らう、貪る、犯す……! 泣いて許しを請うても、もう遅いぞ……!」
あまりに質量が違いすぎました。既に四方を囲まれ、逃げ場はありません。山の怪異はいくつもの顔を残虐に歪め、少しづつ私に迫ってきます。
ですが、恐怖はありません。既に、この怪異は私達の術中に嵌まっているのですから。
――ようやく、姿を現したか。
「なっ……!? 何故、お前の声がするのだ……!?」
――なに、簡単なことだ。巫女様の御身は俺の腕の中だ。声を届けるくらい、造作もないことだ。
「やっぱり、傍に居てくれたのですね……」
悠さんが生きている。その事実が分かっただけで、私にはもう迷う理由は無くなりました。後は、私が頑張る番です。
「それがどうした! 既に巫女の魂は皿の上だ! 精神を安定させたところで、無理矢理奪ってしまえば良い!」
――そうか。なら、やってみろよ。お前はもう、巫女様に指一本触れられないだろうからな。
「何を言っ――っ!? コレは、まさか……!?」
――間抜けめ。詰めが甘いんだよ。
「き、貴様ぁ……!? 巫山戯たことをしよってぇ……!!!」
山の怪異……いいえ、もうそんな大層な存在では、ありませんね。
歪な肉塊は至るところから煙を吹き出し、焼き爛れていきました。まるで内側から炎に包まれているよう。
あっという間に火は怪異全体を包み込みました。しかし、その火は全く熱さを感じません。怪異のみを焼き尽くす、不思議な焔でした。
――さぁ、どうする? その姿……『学校の怪談』という事象を捨てなければ、お前はそのまま火だるまになって死ぬぞ?
「くそ……! くそ、くそ、くそ、くそぉ! こんな、こんなこと、がぁ……!?」
炎の嵐に耐えかね、一つの塊が飛び出してきました。
それは人間が歪に絡まりあった大きな肉塊でした。大きな魚のように身体を跳ねさせ、その度に黒い液体を垂れ流していました。
恐らく、これがこの怪異の本体。その権能の殆どを失った、山の怪異のなれの果てでした。
「あなたは、人を喰いました。人を喰い、神を自称し、神域を穢した。その罪、万死に値します」
「やめろ……やめて、くれぇ……死にたくない……」
「あなたは神などではない。山の怪異でもない。ただの人喰いです。人を喰らうだけの、低俗な怪異です」
既にこの怪異に異界を保つだけの力はなく、全てが私に委ねられていました。
東新美村の人間を喰い、山の怪異としてこの世界を牛耳っていた山の怪異。その最後は……
「―――ぁ」
「……さようなら、みんな」
何とも呆気なく、終わりを迎えたのでした。




