#73 海中の……
ある程度泳いだ後、浜辺で休憩していると突如として人々の悲鳴と怒号が響き渡った。
自分たちが慌てて海に目を向けると、そこには信じられない光景が広がっていた。
きらめく青い海の中から、のたうつ巨大な『触手』が多数突き出している。
それは狂暴にうねりながら逃げ惑う人々を捕らえ、海へと引きずり込もうとしていた。
「なにあれー!?」
「イカー?」
「タコじゃねぇか?」
「今はどっちでもいいから! とにかくあの人たちを助けないと!」
呑気なホオズキとケージュに喝を飛ばし、自分たちは一斉に飛び出す。
ルピナスやハートたちが武器を振るって触手を攻撃すると、触手はたまらず捕らえていた人々を放した。
しかし何分、触手の数がやたらと多い。
新戦力のケージュも次々に触手を攻撃しているが、海底から湧き出してくる無数の触手を前に、全員が手一杯になっていた。
非戦闘組には人々の避難指示をお願いし、自分も微力ながら触手を攻撃する。
その最中、不意にホオズキの声が聞こえた。
「っ、危ないー」
見れば、逃げ遅れた親子に巨大な触手が迫っており、ホオズキが身を挺して庇っているところだった。
そのまま触手と衝突してしまい、彼女は気絶してしまう。
「ホオズキッ!」
自分は慌てて彼女の元へ駆けつけたが、それと同時に触手がホオズキの身体を絡め取る。
そして救助に向かった自分ごと、底の見えない海の中へと引きずり込んだ。
視界が激しく泡立ち、一気に冷たい海水が全身を包み込む。
他のメンバーたちは触手の対応に手一杯で、自分やホオズキが海へ連れ去られたことに誰一人として気付いていなかった。
暗く、冷たい水の底。
視界が恐怖で狭まる中、自分は必死に手を伸ばし、囚われたホオズキの体をその腕の中に強く抱きしめる。
水中呼吸の魔道具があるおかげで息はできるが、自分の力だけではホオズキを助けられそうにない。
必死に恐怖を誤魔化しながら策を考えようとするが、触手にぐいぐいと引っ張られていた感覚がふと止まった。
周囲は僅か先も見えないほどの暗闇。
自分とホオズキ、そして自分たちを捕えている不気味な触手以外は何も見えない。
深海恐怖症の自分にとって今の状況は、ただでさえ精神がおかしくなりそうになる。
けれども、腕の中のホオズキを助けたい一心で、なんとか正気を保とうと歯を食いしばった。
その時、暗闇の少し先に二つの巨大な光が灯った。
それが触手の本体であろう、巨大な魔獣の目であると理解する。
その目が、ゆっくりとこちらへ近づいてくる。
暗い海の底でその異形は心なしか、歪に笑っているように見えてしまった。
「――う、あっ……あぁ…………」
呼吸はできているのに息苦しい。
体がすくむ上に、めまいもする。
効果はないだろうと分かっていながら、自分は涙目で魔術銃を構える。
しかし、深海の恐怖と魔獣の圧倒的な存在感の前に、銃を構えるだけで精一杯だった。
せめて、ホオズキだけでも逃がしたいのに。
身体は全く言うことを聞かない。
魔獣がその巨大な顎を裂くように開き、自分たちを捕食しようと迫ってくる。
心の中で、誰かに届くはずもないのに助けを求める。
魔獣の牙が目前に迫り、捕食されるその寸前。
恐怖に耐えかね、自分はついに意識を手放してしまった。
「――あ、気が付きました!」
ゆっくりと、重い瞼を押し上げる。
視界に飛び込んできたのは、自分を覗き込むメンバーたちの心配そうな顔。
状況が掴めずぼんやりとした頭で周囲を見回すと、そこは砂浜だった。
「みんな……? 自分は、一体……」
「よかった……本当に、本当によかったです……!」
ルピナスがボロボロと涙をこぼしながら、自分の胸に顔を埋めてきた。
周囲に集まるメンバーたちの中には、気絶していたホオズキの姿もある。
「ホオズキ、無事だったんだね……。そうか、君が助けてくれたのか」
自分は無事に佇む彼女を見て、安堵から涙が溢れそうになる。
しかし、ホオズキはゆっくりと首を横に振った。
「ちがう。クローバーが、助けてくれたー」
「……?」
訳が分からず目を丸くする自分に、ケージュが感心したような視線を向けてくる。
彼女だけではない。
どうやらメンバー全員が、自分一人で海の魔獣を退治したと思っているらしい。
「いやーそれにしてもボス、アンタもやる時はやるんだな」
ケージュが笑いながら海原を指差した。
言われるがままに視線を向けると、沖合に先ほど自分たちを捕食しようとしたあの巨大な魔獣が、息絶えて浮かんでいた。
(……何が起きたんだ?)
自分が何もできなかったことだけは、自身が一番よく知っている。
それなのに、あの恐ろしい魔獣が死んでいるなんて絶対にあり得ない。
混乱していると、ホオズキがそっと自分の右手を指差した。
「クローバー。それー」
彼女に言われて初めて、自分が右手に何かを握りしめていることに気がついた。
指の力を抜き、恐る恐る手のひらを開いてみる。
「これ……」
あまりの衝撃に、自分の心臓が跳ね上がる。
それは、こちらの世界には絶対に存在するはずのないもの。
前世の自分が子供の頃からずっと大好きで、ボロボロになるまで一緒に遊んだ、あの『ヒーローのソフビ人形』。
どうして、前世の玩具がこの世界に存在するのか。
どうして、自分がこれを握っているのか。
謎は深まるばかりだったが、手のひらに残るヒーローを見つめていると、言葉にできない確信が湧き上がってきた。
(そうか。……彼が、助けてくれたのか)
その後、魔獣の事後処理を済ませているうちに、辺りは綺麗な夕焼けに染まっていた。
「それじゃあそろそろ、家に入ろうか」
ランティアの提案に、他のメンバーも疲れた顔で頷く。
自分は沈みゆく太陽を見つめながら、ふと思いついてみんなに振り返った。
「ねえ、せっかくのバカンスなんだ。今夜は家の中じゃなくて、外で『バーベキュー』でもしないかい?」
「ばーべきゅー……? 何ですか、それは」
ルピナスが不思議そうに首を傾げる。
「外に出てさ、みんなで肉や野菜を焼きながらワイワイ食べるんだよ」
「へぇ、なんだか楽しそうだねぇ」
「……お肉ー」
ランティアやホオズキが真っ先に身を乗り出し、メンバーたちの顔が一気に明るくなった。
賑やかに移動を始める自分たちの一団。
その姿を、一匹のウミガメが眺めていることは誰も気付かなかった。
夜になり、展開した携帯式ハウスの庭。
パチパチと爆ぜる音と、香ばしい肉の匂いが辺りに立ち込めていた。
「いや~、お酒も楽しめていいじゃないかい!」
「っかぁー! ボス! 次の肉まだっすか?」
「ランティアもケージュも、クローバーにばかり焼かせないでくださいよ!」
ランティアとケージュが豪快に酒を交わし、ルピナスがそれを叱る。
彼女の気持ちは嬉しいが、自分は元々こういう作業が好きなので特に問題は無い。
「いいんだよルピナス。好きでやってるんだからさ」
「……ボクもおかわりほしい」
「申し訳ございませんが、私も……」
「はいはい。今ちょうど焼けるからね」
ヘリオやハートが自分の両隣に陣取り、期待に満ちた目で串を見つめてくる。
「お肉ー」
「うん、悪くない」
「次の串は何をお願いしよっかなー!」
ホオズキやムスカリ、ナグサも焼きたての串焼きを頬張っていた。
「ピィ!」
「クルゥ!」
ふと足元を見ると、ホオズキの召喚獣たちがズボンの裾を引っ張りおねだりをしてくる。
どうやらホオズキにねだったが、一口も分けてもらえなかったらしい。
自分は苦笑しながら、新しく焼き上がった串を彼らの前へと差し出した。
そこで一瞬、手が止まる。
彼らの中にはペンギンやハチドリ、シマエナガ、そしてヒヨコもいる。
そんな彼らに、今自分が渡そうとしているのはジューシーな『鶏肉』だ。
(……これは、共食いにならないのだろうか?)
一つの疑問が脳裏をよぎるが、召喚獣たちはそんな自分の葛藤などどこ吹く風で、実においしそうにパクパクと平らげている。
……気にするのはやめよう。
だって彼らは普通の鳥ではなく、召喚獣なのだから。
夜風が、みんなの笑い声を優しく乗せて運んでいく。
その賑やかな声が響く庭から、少し離れた自室。
月光が差し込む静かな部屋の棚には、新しく、誇らしげに胸を張る小さなヒーローの姿があった。
自分にとってかけがえのない宝物がまた一つ、増えたのだった。




