#57 中和薬と前世の真実
悩む時間すらもったいない。
メンバーの意見は一番現実的で可能性が高そうな、ムスカリの『中和剤案』へと急速に傾いていった。
「私に、そんな大役が務まるだろうか」
ムスカリは弱気な声を漏らして躊躇する。
だが、かつて自分を褒めてくれた、助手の優しい笑顔が脳裏をよぎった。
「……分かった。私のすべてを賭けて、彼を救ってみせる」
彼女は覚悟を決め、引き受けることを宣言した。
調合開始から三日目。
必死の作業が続くが、今のところ進捗はなかった。
回復ポーションを彼に服用させてみたが、呪術の毒には一切の効果が見られなかった。
彼の体力低下を抑えるため、回復ポーションは継続して服用してもらう。
開始から一週間。
ルピナスたちが、薬になりそうな材料を片っ端に集めてくる。
あらゆる薬草や魔獣の素材。
今はとにかく、全てを試していくしか方法がない。
開始から二週間。
「……少し、毒の巡りが抑えられたかもしれない」
私の言葉に一同が沸き立ったが、それも数日で気のせいであったと判明する。
ただの思い過ごしだった上に、皆を落胆させてしまった。
三週間目。
彼の肉体は、回復ポーションを服用させていても弱ってきていた。
かつての健康的な肌は血色を失い、ベッドの上で苦しそうに呼吸を繰り返す姿は見るに堪えない。
あの常に明るいナグサも、最近は元気がない。
いまだにまともな進捗はゼロのまま。
彼が死へと近づいていく現実と、自身の不甲斐なさに押しつぶされそうだ。
四週目。
寝る間も惜しんで、手に入るだけの様々な材料を試してはいるが、いまだに何一つ進展はなかった。
ランティアも知り合いの学者に掛け合ってくれているが、情報は何もない。
五週目。
ついに彼から、喀血の症状まで現れ始めてしまった。
真っ白なシーツを鮮血で染め、激しく喘ぐクローバー。
これほどまでに毒の侵食が早いとなると、彼の体力では三ヶ月すら持たないかもしれない。
六週目。
この世界にある、調合可能なあらゆる素材を片っ端から試した。
だが、必要な何かが決定的に足りないのか、どうしても効果が見られない。
リビングに集まるメンバーたちも、彼の前ではできるだけ明るく振る舞おうと必死に努力していた。
けれど、ふとした瞬間に零れ落ちる彼女たちの表情は、どれも一様にひどく暗い。
もし。
万が一彼がこのまま……、最悪の事態になってしまった場合。
このパーティーの何人かは、躊躇なく彼の後を追ってしまうのではないだろうか。
ルピナスも、ヘリオも、ハートも。
ホオズキは分からないが、ランティアも大丈夫ではないかもしれない。
ナグサは一度病死を経験しているためか、悲観的になってきてしまった。
部屋を支配する空気はあまりにも重く、張り詰めた絶望の気配に私は唇を強く噛み締めることしかできなかった。
七週目。
メンバー間の会話も目に見えて少なくなってしまった。
彼がいないというだけで、この家がこうも冷たく静かに変わってしまうものなのか。
何も険悪になってしまったわけではないが、お互いの落ち込んだ顔を見ると、嫌でも現実を思い出してしまうのが辛いのだろう。
八週目。
ついに彼が目覚めなくなってしまった。
中和薬の制作も完全な手詰まり状態だ。
どうしても、中和に必要な『何か』が掴めない。
世にある薬草などの植物も、強力な魔獣素材も、全て試したというのに……。
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―――クローバー視点―――
暗闇の中、自分の意識は奇妙な浮遊感に包まれていた。
目の前には、ベッドの上に横たわり動かない「自分」の身体が見える。
まさか、自分は死んでしまって幽霊にでもなったのだろうか。
『こんにちは、クローバーさん』
すると、一人の女性の声がそばで聞こえて振り返る。
そこに居たのは自分を神下として雇い、この世界へ転生させた張本人。
現在の上司にあたる『愛の神』だった。
『こうやって直接お会いするのは、一年ぶりでしょうか?』
「……直接会う手段があったんですね」
『神様ですから。今までも、寝ている間などでしたらこうやって会うことはできましたよ? 必要がなかったので、こういった形でお会いするのは今回が初めてですけどね』
「そうだったんですね。やっぱり神様って凄いなぁ……」
『凄くても、神下であるクローバーさんを直接助けてあげることすらできないんです。本当にごめんなさい』
「自分の注意不足でこうなっただけですから、神様は何も悪くありませんよ。それに、仕事に支障が出ているでしょうから、謝るのはこちらの方です。……ですが、一つだけお願いがあります」
『なんでしょうか?』
「彼女たちにこれ以上、自分を助けないようになんとか伝えられないでしょうか? 他の神様経由で、神下の方に伝言をお願いするとか……」
『クローバーさんは、死ぬのが怖くないんですか?』
「怖いですよ。怖いですけど、みんながこれ以上苦労している姿を見るのが辛いんです。それに自分が助かってしまったら、今度は仲間である彼女たちに危害が及ぶ可能性があります。そんなの耐えられませんから、このまま見捨ててほしいんです。今更後悔はありません。どうせ前世と同じで無駄死にするだけでしょうから……」
『クローバーさんは、無駄死になどされていませんよ』
「でも自分は、死んだ理由すら覚えていないような人間なんですよ?」
自虐混じりに俯く自分に、女神様は優しく言葉を続ける。
『貴方の前世での死因は医療事故です。それもご家族への臓器提供の際、不運が重なってしまった結果の』
神様のその言葉が引き金となり、前世の失っていた記憶が呼び起こされる。
長く患っていた鬱病がようやく治りかけて、これからという時期だった。
そんな時に、家族にどうしても臓器移植が必要になってしまったのだ。
「……女神様。妹は、妹は無事なんでしょうか!?」
女神様は、はっきりと首を縦に振ってくれた。
『ええ、彼女は無事ですよ。貴方を失ったことを、他のご家族と共に今でも深く悲しんではいますが、彼女の命は確かに繋がりました』
「……あぁ、よかった」
自分は安堵感に包まれ、ボロボロと大粒の涙をこぼした。
妹が、今も向こうの世界で元気に生きている。
ただの無駄死にだと思っていた自分の死には、大切な家族の命を救ったという確かな意味があったのだ。
女神様は自分のその姿を見て、慈愛に満ちた聖母のような微笑みを浮かべた。
『ご自身の理不尽な死に怒ることもなく、ただご兄妹が助かったことを心から喜んでいる。そんな貴方だからこそ私は、自分の神下として貴方に声をかけたのです』
女神様は、ベッドの上で目を覚まさない自分に視線を落とし、言葉を重ねる。
『確かに、前世のあなたは何かに秀でた特別な人ではありませんでした。ですが、困っている人を助けたいという想いは、人一倍強く感じられました。私はそんな貴方の純粋な優しさに、確かな『愛』を感じたのです。だからクローバーさん、貴方が選ばれたのにはちゃんと理由があるんですよ』
「自分の、選ばれた理由……」
己の価値を見出せずにいた悩み続けていた自分に、女神様の言葉がじんわりと温かく染み込んでいく。
『それにクローバーさんだって、仲間の方に何かあれば、たとえ誰かに止められても必死に動かれるでしょう?』
「それは……当然です。みんなは大切な仲間ですから」
躊躇なく答えた自分に、女神様はいたずらっぽく微笑んだ。
『彼女たちは、そんな貴方の優しさに触れたり、異質な在り方に興味を持たれて仲間になった人たちです。きっと、彼女たちも貴方と同じですよ。どれだけ無茶だと言われても、大切な貴方を助けるために今こうして必死に戦っているのです』
女神様は静かに手を伸ばし、自分の頭をそっと撫でてきた。
『だから今は、彼女たちを信じてあげましょう。そして無事に助かったら、そんな彼女たちの真っ直ぐな想いに、応えてあげてもいいんじゃないでしょうか?』
「みんなの、想いに……」
「えぇ、以前にもお伝えしましたが、神下は恋愛自由ですので」
戸惑う自分に、女神様はさらに優しく言葉を重ねてくれた。
『私はこれでも『愛の神』ですから。愛と言っても、そこには色々な種類があります。見返りを求めない無償の愛。互いを認め合い、高め合う友情や信頼の愛。そして、男女が互いを強く求め合う恋人同士の愛』
女神様は慈愛に満ちた瞳で自分を見つめる。
『クローバーさん。貴方はこの世界へ来てから、神下としてすでに二つの愛を体現されているのです。でしたら、あと一つの愛も体現されても、バチは当たりませんよ?』
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九週目。
今の私には、ただ彼のそばにいて、弱っていく姿を見ていることしかできなかった。
そんなある日、もうこのまま目覚めないと思っていた彼が静かに目を覚ました。
私は情けなさと悔しさで涙をこぼし、彼へ深く謝罪する。
「クローバー。私では、どうしても君の毒を――」
「いいんだよ、ムスカリ。君の努力は全て知っているから……」
彼は掠れた細い声で優しく返し、私に『眼鏡』を求めた。
手渡すと、彼はそれを確認して穏やかに微笑む。
「……あはは、こっちじゃ、ないや……。これは、マルゲリータさんに貰った……『花晶鉱石』の方だね……」
そういえばあの美しい鉱石を採掘しに、みんなでお揃いのコートを着て遠征したこともあった。
今となっては、それすらも遥か昔のことのように懐かしく感じてしまう。
手元にある、彼の特製眼鏡。
その眼鏡が、部屋の明かりを受けてキラキラと神秘的な輝きを放っている。
その光を見ていると、私の脳裏に一つの考えが浮かんでしまう。
そういえばまだ、『鉱石』は試していなかったはずだ。
薬の調合に鉱石を使用するなど、錬金術の常識からすれば論外なのだが、今の私には関係なかった。
(ダメもとではあるが、試してみる価値はあるかもしれない)
すぐさまガレージへと走り、そこに保管されていた『花晶鉱石』をいくつか回収して調合台へと戻った。
だが、当然ながらこのままの状態で薬に混ぜても何の効果も得られない。
ならば、と私は思考を巡らせる。
この鉱石を、錬金術スキルを使って『素材変換』してみたらどうだろうか。
私は魔力を集中させ、手の中の鉱石へと注ぎ込んだ。
眩い光とともに、硬かった結晶が綺麗なピンク色の粉末へと変換された。
私は震える手で、その粉末を未完成の中和薬へと慎重に混ぜ合わせる。
その瞬間だった。
濁っていた液体が、まるで生き物のように美しく、鮮やかな『七色』へと次々に変色していったのだ。
これほどまでに不思議な発色を見せる薬は、一度だって聞いたことがない。
私は七色の薬を容器に移し、ベッドの彼の元へ駆けつけて服用させた。
服用をさせてから五分後。
彼の容体に明確な変化はない。
三十分後。
苦しげな表情のまま状況は変わらず。
集まったメンバーたちも、祈るようにベッドの周りで固唾を呑んで見守っている。
一時間後。
「あっ……!」
ルピナスが小さく声を上げた。
クローバーの、あの浅く激しかった呼吸が目に見えて安定してきている。
二時間後。
彼の額にそっと触れてみる。
ずっと私たちを絶望させていた、あの恐ろしいほどの高熱が嘘のように下がっていた。
そして三時間後。
右腕に刻まれたあの不気味な蛇の入れ墨こそ消えはしなかったが、彼の容体は完全に安定しているように見えた。
それまで彼から強く感じられていた、死相も消えている。
「……よかったっ!!」
誰からともなく、大粒の涙が溢れ出した。
メンバーが彼の体にすがりついて泣き崩れ、互いに肩を寄せ合って涙を拭っている。
九週間。
地獄のような絶望の中にいたメンバーの顔に、ようやく心からの安堵が戻った。




