#44 キャンベル家②
キャンベル家で宿泊することになり、ナグサはご両親と家族水入らずの時間を過ごしている。
一方でハートは、自分の用意していただいた部屋で従者として待機していた。
彼女にもご両親と過ごすよう提案したが、従者としてそれはできないと断られてしまった。
おそらくナグサや当主夫婦、ハートのご両親の手前、持ち場を離れて素直に甘えられないのだろう。
なんとか彼女にも時間を作ってあげたいところだが……。
そう考えていると、ドアがノックされてハートの父親が入ってきた。
何やらハートに確認したいことがあるらしい。
「それではご主人様、何かあればすぐにお呼び出しを」
ハートは一礼し、父親と共に部屋を出ていった。
これで部屋には自分一人。
静かになった客室で考え事をしていると、再びドアがノックされた。
「クローバー様。少々よろしいでしょうか」
入ってきたのはハートの母親。
彼女は真剣な面持ちで自分を見つめた。
「娘のハートについて、クローバー様にどうしてもお伝えしておきたい大事なお話があります」
どうやら真面目な話があるらしい。
自分は姿勢を正して彼女の話を待つ。
「娘は......クローバー様の従者として、お役に立てていますでしょうか?」
「至らない自分をいつも支えてくれていますよ。自分には勿体無い、素晴らしい従者ですよ」
自分がハートを褒めると、母親はほっと胸を撫で下ろすように安心した笑みを浮かべた。
だが、すぐにその表情を引き締める。
「クローバー様。あなた様は我々『獣人』について、どこまで詳しくご存じですか?」
「えっと、人族よりも身体能力が高く、五感などの感覚が鋭いなどでしょうか」
「それ以外には?」
「......すみません、それ以上はあまり」
すると、狐の獣人である母親が少しだけ耳を伏せて声を潜める。
「獣人には一年に一度、『発情期』というものがあるのです」
「は、発情期……ですか?」
「はい。私やハートのような狐の獣人は、冬にそれを迎えます。時期で言えば、あと一月か二月ほど先ですね」
母親は困ったように、目を少し伏せた。
「今までは仕えていた主人が女性であるナグサ様でしたため、特に心配もしていなかったのですが……」
そこで母親の視線が、まっすぐ自分へと向けられる。
「今年は男性。それも過去に命を救っていただいた、あの子が深く慕っている人物です」
「それは……心配しすぎではないでしょうか?」
「獣人の発情期は『感情の大きさ』に比例して強く現れます。正直なお話、冬になったらあの子がどうなってしまうか母親の私にも想像がつきません」
真剣であり、そしてどこか哀願するような母親の目。
「万が一、娘がクローバー様に粗相をしてしまったらと思うと……」
「粗相なんてそんな、彼女は一度も――」
そう口にし掛けた瞬間、自分の脳裏にハートから嘔吐を浴びせられた出来事がフラッシュバックする。
あの出来事をこの母親が知ってしまったら、あまりのショックで寝込んでしまうかもしれない。
「――したことありませんよ。お嬢さんは意思の強い子です、きっと一時の感情に流されたりなんてしませんよ」
すると母親は少しだけ頬を赤らめ、困ったように溜息をついた。
「ですがあの子、私に似て欲望に忠実なところがありますから......」
どうやら欲望に忠実なのはお父様の方ではなく、お母様の方らしい。
もしやハートのお父様も、ヘリオのお父様のように苦労しているのだろうか......。
「そんなことを言わず、どうか彼女を信じてあげてください」
「そこまで言っていただけるのでしたら、彼女の母としてこれほど安心なことはありません」
上品に微笑み、深く一礼する母親。
だが、クローバーは知らないだけだった。
ハートが自分の洗濯物を嗅いでいることを。
主人が寝ているベッドへ忍び込み、その匂いを熱心に嗅ぎ回っている事実を。
すでに欲望への忠実さは遺憾なく発揮されているのだが、知らない方が幸せなこともある。
話が終わり、自分はお母様に一つ相談をする。
「あの、もし可能であれば……ハートをご両親の元で甘えさせてあげられませんか?」
「え……?」
「自分やナグサの手前、ハートは自分から甘えられないんだと思うんです」
母親は嬉しそうに目を細めたが、困ったように眉を下げた。
「そう言ってくださるのは本当にありがたいのですが、私も夫も仕事がありますので……」
真面目な従者の家系だからこそ、職務を放棄するわけにはいかないのだろう。
「分かりました。それではナグサとご両親に、少しだけお話をさせていただけないでしょうか」
こうなればナグサを巻き込んでしまい、彼女経由で当主夫妻にお願いしてみよう。
ナグサたちの部屋を訪れ、ナグサとご両親へ向けて頭を下げた。
「宿泊させていただいた上にお願い事で大変恐縮なのですが、出発までで構いません。ハートと彼女のご両親に、臨時でお暇をいただけないでしょうか」
突然の提案に、ナグサのご両親は驚いたように顔を見合わせる。
だが、すぐに納得したようで表情を和らげた。
「なるほど、その通りだ。娘に再会できた喜びでつい浮かれていたが、彼らだって同じ親なのだ。そこに気が回らず、申し訳なかった」
「ハートちゃんも、お父さんとお母さんと過ごしたいよねー!」
ナグサも満面の笑顔で提案に賛成してくれた。
お父様はすぐにハートの父親、執事長を部屋へと呼び出す。
そして、この場に集まったハートの両親へ向けて言葉をかけた。
「君たちはいつも、我が家のために本当によく尽くしてくれている。幸い、他の従者たちも揃っている。彼女たちの出発まではすべての仕事を忘れ、子供とゆっくり過ごしなさい」
「旦那様、それではお世話が……」
ハートの父親が言葉を詰まらせるが、ナグサの父親は首を横に振る。
「これは主人としての命令だよ。いいから、今日は三人家族水入らずの時間を過ごすんだ」
「……寛大なお心遣い、心より感謝いたします」
ついに彼も折れ、母親と共に頭を下げた。
これでハートも、久しぶりの家族との時間を過ごせるはずだ。
ハートは最初、甘え方がわからなかったようだが今はもう大丈夫だろう。
彼女は自分の部屋を離れ、ご両親と共に過ごしている。
一人になり手持ち無沙汰となってしまったため、自分は許可をもらって屋敷を散策させてもらうことにした。
長い廊下を歩いていると、客間の一室からふわりと芳醇な香りが漂ってきた。
「いやー、やっぱり貴族様はいいお酒を出してくれるね~」
開いたドアから中を覗いてみると、ランティアが見るからに高そうな酒瓶を嬉しそうに傾けていた。
明るいうちから、かなり飲んでいるようだ。
厄介な予感がしたために、そっと逃げようとしたが彼女と目が合ってしまう。
結局、捕まった自分は彼女の向かいの席へと同席することになった。
自分はお酒が苦手なので、甘いジュースをグラスに注ぎ口を付ける。
せっかくの機会なので、ランティアについて気になっていたことを尋ねてみることにした。
妖精という種族でありながら、彼女が知識を求めている理由を。
「アタシの知識欲?」
ランティアはグラスを揺らし、どこか遠くを見るような目を向けた。
「なんてことはないさ。アタシの両親は歴史学者でありながら冒険家でね、世界中を旅してるんだよ。だから、家には数え切れないほどの書物があったんだ」
まだ小さかったランティアは、その旅路には連れて行ってもらえなかったらしい。
ご近所さんに面倒を見てもらいながら、留守番の毎日で暇を持て余していた彼女は、家にある書物を片っ端から読み耽っていたのだという。
「その影響だろうねぇ。気付けば本を読んだり、知らない知識を深めることが何よりも好きになっていたのさ」
優しい微笑みを浮かべる彼女に、自分はふと疑問を口にする。
「そのご両親は、今はどこに?」
「さぁね……もう数十年は帰ってきていないよ」
数十年。
彼女の年齢から考えても、かなりの期間だ。
妖精の寿命は長いとはいえ、そんなに戻らないということは……。
「……ごめん、嫌なことを聞いちゃったね」
失言に気付いて謝罪すると、ランティアは笑い声を返した。
「気にしなくていいさ。父さんも母さんも、知的好奇心に憑りつかれたバカだからさ。案外、世界のどこかで今も元気にしてるかもしれないよ」
そう言って、彼女はまた豪快にお酒を流し込む。
「それにさ、アタシはアンタにも、みんなにも感謝してるんだよ」
グラスを見つめたまま、ランティアがぽつりと言葉を続けた。
本当はずっと前から里の本だけでは物足りなくなっており、外の世界に出たかったのだという。
「どうして今まで出なかったんだい?」
「……中々、勇気が出なくてね」
「ランティアも案外臆病なんだね」
自分が苦笑しながらからかうと、彼女は子供のように悪態をついた。
また一杯、お酒を煽るランティア。
真っ赤になった彼女の口から、今度は堰を切ったように言葉が漏れ出した。
外の世界で、様々な知識に触れられる喜び。
里にはなかった、多種多様なお酒を楽しめる喜び。
今までできなかった、知識を誰かと語れる喜び。
彼女はグラスを置くと、潤んだ瞳でこちらを見つめてきた。
「父さんと母さんはさ、いつも冒険に行く前に仲睦まじく計画を立てるんだ。小さかったアタシは、そんなやり取りをしてる二人がなんだか羨ましくてね。だからさ、アンタとこうやって話してる時間が……アタシは……」
彼女は何かを言いかけたが、机に突っ伏してそのまま寝息を立て始めてしまった。
どうやら、相当酔いが回っていたらしい。
「……ランティア?」
声をかけてみるが、返ってくるのは規則正しい小さな寝息だけ。
彼女は最後に、何を言おうとしたのだろう。
自分は小さくため息をつき、酔いつぶれた彼女をそっと抱き上げてベッドへと運んだ。
それから部屋の机を片付けていると、背後から不意に名前を呼ばれる。
「……くろーばぁ……」
もう目が覚めたのかと思いベッドへ近づいたが、どうやらただの寝言だったらしい。
それにしても、せっかく掛けた布団を彼女はもう蹴飛ばしていた。
「ランティア、風邪ひいちゃうよ」
苦笑しながら布団を直そうと手を伸ばした瞬間、腕を引っ張られ彼女の小さな身体に抱き着かれてしまった。
ランティアはまるで、抱っこ人形のように自分の腕にしがみついて離そうとしない。
彼女の小さいながらも柔らかい体を、腕からダイレクトに感じてしまう。
無理やり引き剥がそうかと頭を悩ませていると、彼女が寂しげに小さな寝言を漏らした。
「……とー、さん……かー、さん…………」
いつもは強気で悩みなどないように思えるランティアだが、彼女もまた、帰らぬ両親をずっと待ち続けている一人の寂しい女の子なのだ。
そんな寝言を聞いてしまっては、無理やり引き剝がすなんてことは自分にはできなかった。
自分は諦め、彼女の小さな温もりに寄り添うように、そのままベッドの上で仮眠をとることに決めるのだった。




