#31 お泊り①
自分はひとまず仲間の元へ戻ろうと、長い廊下を歩いていた。
するとその途中。
大きな柱の陰で、きょろきょろと周囲を見回しているホオズキの姿を見つける。
「ホオズキ?」
声をかけると、彼女はほっとしたように肩の力を抜いた。
どうやら、完全に迷子になっていたらしい。
ヘリオの実家は、我が家とは比べものにならないほど広い。
これなら迷うのも無理はないと、自分は納得した。
廊下の窓辺で一息つきながら、自分はふと気になって、彼女の家族について尋ねてみた。
「そういえばホオズキの家族って、今はどこにいるんだい?」
「……覚えてないー」
ぽつりと返ってきた言葉に、自分は肝が冷えるのを感じた。
「あ、ごめん……! マズいことを聞いちゃったかな……」
彼女にも、触れられたくない過去があるのかもしれない。
慌てて謝罪する自分に、ホオズキは不思議そうに首を横に振った。
「ううん、大丈夫ー。本当に、何も覚えてないだけー」
「本当に……?」
健忘症か何かなのだろうか。
心配になった自分は、彼女の顔を覗き込んで確認する。
「じゃあ、自分の名前は? 仲間の名前はわかる?」
「私はホオズキ。仲間は、クローバー、ルピナス、ヘリオ、ハート、ランティア、ムスカリ」
「よかった、そこは覚えてるんだね。……じゃあ、工房都市のみんなは? ほら、この前合同クエストを受けたガーベラたちとか」
「……覚えてないー。がーべら? も知らないー」
自分たちの名前は完璧に覚えている。
しかし、それ以外の知り合いの名前をどれだけ挙げてみても、彼女は一切思い出すことができなかった。
どうやら――。
自分たち以外の記憶だけが、綺麗に抜け落ちているようだ。
「じゃあ……自分たちの仲間になる前は、どこでどうしていたか覚えてる?」
恐る恐る尋ねる自分に、ホオズキはやはり小さく首を横に振った。
「それも、覚えてないー。……多分、ずっと一人で旅をしてたー」
ぽつりと呟いた彼女の言葉に、自分はなんとも言えない複雑な表情を浮かべるしかなかった。
記憶がない状態で、小さな彼女が一人きりで世界を彷徨っていた。
もしそうなら、それはどれほど孤独で、過酷な旅だっただろうか。
自分の沈んだ気配を察したのか、ホオズキは突然、自分の体にぎゅっと抱きついてきた。
「今はクローバーも、みんなもいるから平気ー」
胸元に顔を埋めながら、真っ直ぐな言葉で自分を安心させようとしてくれる。
そんなホオズキの頭を、自分は優しく撫でた。
(後で、ランティアにホオズキのことを詳しく調べてもらおう……)
せめて、彼女の家族のことだけでも分かればいいのだが。
自分はホオズキの手を優しく引いた。
そして、待たせている仲間の元へと、ゆっくりと歩き出すのだった。
待たせていた仲間たちの元へと戻り、自分はサルビア様との話し合いが無事に終わったことを伝えた。
これからどうやって街へ戻るか、今後の予定を話し合おうとしたその時。
隣にいたヘリオが、みんなを見回して静かに口を開いた。
「クローバー、みんな。今日は、ボクの実家に泊まっていって。パパもママもそうしてほしいって」
彼女の思いがけない提案に、メンバーたちの顔が一斉にパッと華やいだ。
「えっ、本当ですか!? 貴族のお屋敷に泊まれるなんて、滅多にない機会ですよ!」
ルピナスが声を弾ませ、他の面々も嬉しそうに顔を見合わせている。
ほぼ休みなしでの強行軍続きだった。
みんな口には出さないものの、体力はとうに限界のはずだった。
自分はヘリオと、奥から笑顔で見守ってくれているサルビア、グラジオラスへ深く頭を下げた。
「ありがとう、ヘリオ。それじゃあお言葉に甘えて、今夜は一晩お世話になろうかな」
バイオレット家が用意してくれたのは、広々とした豪華な客室だった。
しかも、「みんな一緒の方が楽しいだろうから」という粋な計らい。
使用人たちが、何台ものベッドを事前にこの一部屋へと移動させてくれていたらしい。
「うわぁ、見てください! このふかふかのベッド! 普段使ってるやつと全然違いますよ!」
「ふかふかー」
「……悪くない」
高そうな家具や寝具を前に、ルピナスたちが嬉しそうに騒いでいる。
その賑やかな輪から少し離れたところで、自分はこっそりとランティアを部屋の隅へ呼び寄せた。
「ランティア、ちょっとお願いがあるんだけど」
「ん? どうしたクローバー?」
自分は声を潜め、先ほど廊下で交わしたホオズキとの奇妙なやり取りを話した。
自分たち以外の記憶が、綺麗に抜け落ちている件を、手短に説明する。
「……というわけなんだけど。彼女の過去や家族について、ランティアのスキルで何か調べられないかな?」
「あんまり仲間のプライベートをスキルで覗き見するのは、関係がギクシャクするのも嫌だからしたくはないんだけど……。そういう事情なら、仕方ないか」
ランティアは小さく頷くと、自身のスキルを発動させた。
彼女の手元に、まばゆい光とともに『本』が現れる。
どうやら、彼女にも最低限のプライバシーを守る考えはあったらしい。
自分は問答無用で色々と覗かれた気がするが……。
まあ、あれはメンバーに加入する前だったから、ノーカウントということにしておこう。
ランティアは素早い手つきでページをめくり、情報を読み解こうとした。
――だが、その指がピタリと止まる。
「……こりゃあ無理だね」
「どうしたの?」
覗き込んだ自分に向けて、ランティアは困惑したように本のページを差し出して見せた。
「ホオズキの情報――文字が掠れていて、ほとんど何も読めない」
自分の時は、文字が部分的に『謎の言語』になっていて読めないと言っていた。
対してホオズキは、文字そのものが完全に『掠れていて』読めない。
おそらく、読めない原因が根本的に違うのだろう。
理由はまったくの不明だ。
だが――現状では、これ以上どうしようもない。
自分は小さくため息をつくと、本を閉じたランティアに向き直った。
ホオズキのことについては、また機会を見て相談することに決める。
その後、自分たちはバイオレット家の食堂で、ヘリオの両親と一緒に食事をすることになった。
テーブルには、いかにも高級そうで美味しそうな料理が次々と運ばれてくる。
――だが、そのメニューの内容に、自分は次第に奇妙な違和感を抱き始めていた。
スッポンのスープ。
特製ハーブの肉煮込み。
希少な魔獣の卵料理。
出てくる料理のラインナップに、どこか偏りを感じる。
不審に思ってサルビア様の方へ目をやる。
彼はいつもの穏やかな笑顔を浮かべたまま、顔中から滝のような冷や汗を流して、妻のグラジオラス様を見つめていた。
(ああ……サルビア様、今夜は奥さんに一晩中寝かせてもらえないんだな……)
貴族の夜の夫婦事情を察し、心の中でそっと同情の涙を流しながら視線をテーブルに戻す。
――その瞬間だった。
なぜか、周囲の女性陣から一斉に視線を逸らされた。
ルピナスも、ハートも、ホオズキも。
それどころか、隣のヘリオまで、どこか耳を赤くしてそっぽを向いている。
(……? 自分の顔に何かついていただろうか。それとも、何か致命的なマナー違反でもしてしまったんだろうか……)
そんなことを考えながら、冷や汗を流す未来の義父に心の中で再びエールを贈る。
自分は、運ばれてきたスタミナ料理を、何も知らずに呑気に口へ運ぶのだった。




