#20 祈願祭からの逃亡者
今日は、この世界でいう七夕の行事にあたる『祈願祭』の当日。
普段は職人たちの鉄と煙の匂いが立ち込めている無骨な工房都市も、今日ばかりは華やかに様変わりしていた。
街中は色鮮やかな布や美しい花々で綺麗に飾り付けられ、街全体がどこか心地よい、少しだけ神秘的なお祭りの雰囲気に包まれている。
自分たち一同は、それぞれ木札に願い事を書き込み、街の中心にある広場へと持ってきていた。
この祈願祭のルールとして、願い事は絶対に他者へ教えてはいけないらしく、各自お互いに秘密にしている。
ちなみに、自分の書いた願い事は、『みんなの安全と健康』にしておいた。
街の中心の広場に設置されている、笹によく似た不思議な木に、自分の木札をしっかりと結びつける。
これで、今日のお祭りとしてのメインイベント自体は一通り終わりだ。
広場には楽しそうな屋台もたくさん出ていたため、ひとまずここで一度解散し、各自で自由散策をするという気楽な流れになった。
自分は賑やかな出店をのんびりと眺めながら、とある屋台で一袋の甘い林檎味の飴を購入した。
あとでみんなと一緒におやつとして楽しもうと、それを上着のポケットに大切にしまい、次の出店を見ようと歩き出した――まさに、その時だった。
薄暗い路地裏の方向から、耳を刺すような、ただ事ではない男たちの粗暴な怒鳴り声が響いてきた。
何事かと自分が様子を伺うと、数名のガラの悪い男たちが、一人の小さな幼女を脅すように威圧的に取り囲んでいたのだ。
幼女は無表情のまま何かを呟いているようだが、それに対して男たちはドンドンと頭に血を上らせてヒートアップしているようだった。
自分はたまらず、幼女と男たちの間に割って入る。
「ちょっとちょっと、そこのお兄さん方。こんなに小さな子供を相手に、そんなに大声で怒鳴り上げなくてもいいじゃないですか」
「あぁ!? なんだお前、こいつの知り合いか何かか!?」
「いや、知り合いってほどじゃあ、ないんですけど――」
自分がなんとかその場を丸く収めようとした仲裁は、頭に血が上りきっていた男たちには意味を成さなかった。
――ドガッ!!!
自分のセリフが終わるより早く、真正面から強烈な拳の打撃が飛んできた。
次の瞬間には、自分は地面に派手に殴り飛ばされており、鼻からはタラリと熱い血が流れ出て、口内には生臭い鉄の味が広がっていた。
――凄まじく痛い。
ここまで話が通じないとは思っていなかった。
このままでは幼女の身に危害が加わるか分かったものではない。
自分は痛む顔を歪めながら、地面から必死に這い上がると、幼女の身体をしっかりと抱え込んだ。
「――っ、おいで! 走るよ!!」
「おい、待ちやがれクソガキ!! ナメた真似しやがって、ぶち殺してやる!!」
背後から、男たちのおぞましい怒号と、石畳を激しく蹴る荒々しい複数の足音が猛然と追いかけてくる。
幼女を一人抱えた自分の貧弱な足では、これ以上の全力疾走を続けたところで、ものの数十秒で背後から簡単に追いつかれて背中を叩き斬られるのは確実だった。
だが、とにかく今は、この小さな子を守るために必死に逃げるしかない。
冷や汗と鼻血を撒き散らしながら、自分は必死に薄暗い路地の角を直感で次々と曲がっていく。
その途中――。
ドンッ!!!
自分の背後のから、何か鈍くて、重いものが衝突したかのような音が響き、男たちの足音が消え去ったような気がした。
――だが、今の自分には、後ろを振り返って確認する余裕など、一ミリたりとも残されてはいなかった。
自分はただただ腕の中の小さな幼女の体温を強く抱き締めながら、暗い路地裏の先へ向かって、必死に走り続けるのだった。
――同時刻、薄暗い路地裏に――
「一つだけ質問する。彼のケガは、貴方たちのせい?」
「あぁ!? なんだテメェ、ガキの分際で! そこをどきやがれ!!」
「邪魔する奴は、まとめてぶっ殺すぞ!!」
「そちらこそウチのリーダーに手を出して、無事に済むと思わないでくださいよ!」
「ご覚悟を」
「あっちに、私の家があるよ」
自分の腕の中の幼女が小さな指で指し示す方向へと、自分は息を切らして必死に走り続けた。
自分たちは何とか彼女の自宅らしき一軒の建物へと滑り込むように飛び込み、男たちの追跡を完全に振り切ることに成功した。
バタン、と頑丈なドアを閉めて鍵をかける。
「ふぅ……っ。ここまで来れば、もう流石に大丈夫かな……」
痛みの残る顔を歪め、荒い息をなんとか整えながら、自分は一安心してポケットから先ほど購入したばかりの飴の袋を取り出した。
「さっきは本当に怖かったでしょ? ほら、この甘い飴でも食べて落ち着いて……。あ、一応確認のために聞くけど、君は何か食べ物の『アレルギー』とかは持っていないかい?」
「……アレルギー?」
幼女は不思議そうに、小さな首を傾げた。
まだ目の前の年齢の子供には、少し難しい単語だっただろうか。
「ええっとね。特定の食べ物を口にすると、急に肌が真っ赤に荒れたり、息がハァハァと苦しくなったりすることなんだけど」
「ふーん、じゃあ問題ない。これ、助けてくれたお礼のポーション」
幼女はアレルギーの説明をあっさりと流すと、部屋の棚から、何やら淡い光を放つ液体の入ったガラス瓶を取り出して差し出してきた。
「あぁ、ありがとう。『回復ポーション』かな? 口の中も切れてるみたいだから、すごく助かるよ」
自分がお礼を伝えてそれを口に含むと、幼女はすかさず、もう一本別の色のポーションを自分へ渡してきた。
「これも、一緒に飲むといい。より効果があるから」
自分は言われるがまま、手渡された二本目のポーションを喉の奥へと一気に流し込んだ。
すると視界が急速に真っ黒に染まっていく。
――どれほどの時間が経っただろうか。
背中を刺すような冷たい床の感触でゆっくりと目を覚ますと、自分は全身を縄で身動きが取れないほどぐるぐる巻きに縛り付けられていた。
自分の目の前には、大きすぎる白衣のような衣装を纏った、先ほど路地裏で救い出したはずの小さな幼女が立っている。
彼女は、狂気じみた目で自分を静かに見下ろしていた。
「……え、えっ……?」
「ようやくお目覚めだね。それでは、第一の質問。……先ほど貴方が口にした『アレルギー』という概念。私が読んだことのあるどの医学書にも、そんな記載はどこにも無かったと記憶しているのだけれど……貴方は一体どこで、その知識を獲得したのかな?」
「えっ……ええっ!?」
「第二の質問。先ほど私が渡したのは、痛みを和らげるためのただの『鎮痛ポーション』であって、『回復ポーション』なんて薬は存在しない。肉体の損傷を治すのは回復魔術が常識のはず。どうして貴方は当然のように、存在しない薬の名前を口にしたのかな?」
――やってしまった。
どうやら自分は、この世界の住人の前で二種類も存在しないものを平然と口走ってしまったらしい。
「……黙秘か。時間の無駄だね、仕方ない」
幼女は容赦なく、自由の利かない自分の口の隙間から、ドロリとした世にも不気味な紫色の謎の液体を無理やり流し込んできた。
次の瞬間、自分の脳細胞が急速にとろけていくような感覚が襲い、頭の中の何かが、パァンと音を立てて消し飛んでいくのが分かった。
――数分後。
「ここです……! この家から、ご主人様の匂いがしています!!」
路地裏で男たち半殺しにした一行が、ハートの恐るべき嗅覚によってクローバーの居場所を突き止め、幼女の家へと勢いよく入っていく。
彼女たち五人が室内になだれ込み、そこで目にしたのは――。
縄でぐるぐる巻きに縛られながら、トロンとした完全にキマった虚ろな目で天井を見つめ、凄まじい熱量で一人熱弁しているクローバーの姿だった。
「――ルピナスもさぁ、いつも部屋着のシャツとか短パンとか無防備な服装ばかりしてさぁ、あれ、無防備すぎて男としてはどうしても視線がいっちゃうというか、我慢して見ないように注意するこっちの気にもなってほしいんだよぉ……! ヘリオだってさぁ、何かあるたびに隣にピッタリくっついてきてさぁ、腕に肌とか胸とかをグイグイ押し当ててきてさぁ! 理性としては本当に我慢の限界なんだよ分かって!? ハートもハートでさぁ、真面目な顔をしておきながら、夜中に廊下で『夜のお相手をお求めでしたら、いつでもお声がけください♪』なんて言ってきてさぁ! こっちの覚悟を揺さぶらないでほしいし……! ホオズキも、男の自分が普通に入浴中だっていうのに当然のような顔をしてお風呂場にノーモーションで突撃してくるしさぁ……! ランティアも、お酒でベロベロに酔っ払うとすぐに服を脱ぎ散らかしてセクハラしてくるしぃ……! 嫌じゃないよ!? 女の子たちにそんな風にされて嫌なわけないじゃないか! 嫌じゃないけどさぁ……!! こっちにも大人の事情とか! 年齢差とか! 色々な葛藤があるんだからさぁ……!?」
「「「「「…………っ!?!?!?」」」」」
飛び込んできた五人の顔が、一瞬にして真っ赤、あるいは真っ青に染まり、絶句した。
結局、クローバーからは期待していた情報が得られず、幼女はつまらなそうにいじけていた。
ルピナスたちは、意識を失ったクローバーを一旦ソファへ放置。
そこから、この不届きな幼女をどう処刑するかの多数決が始まった。
「いまからコイツをどうするか、多数決を取る。……処すやつ、手ぇ挙げな」
ランティアの声に、ルピナス、ヘリオ、ハート、ホオズキの全員が無言のままスッと手を挙げた。
有罪確定である。
「よし、じゃあお嬢ちゃん。お前の親を呼びな。」
だが、それに対して白衣の幼女は、冷めた目で短く答えた。
「呼んでも誰も来ないよ。私は実家から追い出されているからね。父も母も、迷惑ばかりかける私のことが邪魔なんだろう。最低限の生活費だけは、毎月送ってくれているけれどね」
幼女が淡々と語るその家庭環境に、五人は言葉を失って沈黙した。
クローバーに意識があれば、間違いなく同情していたであろう重い空気だ。
だが、幼女自身はそんなことなど一ミリも気にしていないかのように、ソファで寝ているクローバーを小さな指で指し、好奇心に目を輝かせて言葉を続けた。
「それより、あのクローバーって人、実に面白いね。どこであんな知識に触れたんだろう……。ねぇ、私も君たちの仲間に加えさせてよ」
「はぁ!? アタシたちはこれでも冒険者パーティーだぞ? 子守なんかできるか!」
ランティアが即座に反対するが、幼女は不敵な笑みを浮かべた。
「お荷物にはならないからさ。これでも錬金術師だから、素材や薬だって自作できるから、役には十分に立てるよ?」
「あのクローバーって人、実に面白いね。どこであんな知識に触れたんだろう……。ねぇ、私も君たちの仲間に加えさせてよ」
「はぁ!? アタシたちは冒険者パーティーだぞ? 子守なんかできるか」
「お荷物にはならないからさ。こんなナリだけど、素材や薬だって作れるから役には立てるよ?」
メンバーはそれを聞いて少し悩み始めた。
確かに、目の前の幼女は小さいながらも錬金術の腕は優秀そうだ。
しかし、流石にここまで小さい子供を同行させるのは、リスクが高すぎるだろう。
不採用の空気が漂いかけた、まさにその瞬間だった。
幼女は、彼女たちの欲望を完璧に見透かしたかのように、悪魔の言葉を付け足したのだ。
「……ちなみに。私にそれなりの設備と材料さえ用意してくれれば、『惚れ薬』とか夜の行為を盛り上げる『興奮剤』なんて代物や、今まで誰も飲んだことのない『未知のお酒』なんかも、私のこの手で作成して、内緒で提供できるかもしれないけれど……?」
――そして、翌朝。
自分は、自室のベッドの上で、スッキリと快適に目を覚ました。
「……あれ? 自分、いつの間に家に帰って来てたんだっけ? それに……祈願祭の記憶が、なんだか上手く思い出せない……」
不思議なことに、昨日の記憶がかなり曖昧だ。
疲れのせいかと悩みながら、自分はなんとかベッドから起き上がり、朝食を食べるためにリビングへと降りていった。
「あっ! おはようございます、クローバー! 今日も朝から暑いですね!」
自分がリビングに入るなり、ルピナスが、顔を真っ赤にしながら、襟元をパタパタと手で煽っていた。
白い鎖骨や胸元が見えそうになっており、目のやり場に困る。
「……お、おはよう、ルピナス。朝から随分と元気だね……」
「……クローバー、おはよう。さぁ、こっちに来て、ボクの隣に座って」
自分が席に向かうよりも早く、音もなく近づいてきたヘリオにガシッと腕をホールドされ、そのまま彼女に食卓へと強引に誘導される。
――そして、その着席のタイミングを完璧に計ったかのように、キッチンからハートが「ご主人様、おはようございます♪」と、ほかほかの温かい朝食を嬉しそうな表情で運んできてくれていた。
席を見渡せば、ホオズキとランティアの二人はすでにマイペースに食べ始めている。
その隣には、幼女がスープを啜っていた。
「……ん?」
自分は何か違和感を感じながら、美味しい朝食を始めるのだった。




