#17 悪夢
――夢の中の自分は、底の見えない深い暗闇の中で、ただ一人ぽつんと立ち尽くしていた。
自分の目の前には、ルピナス、ヘリオ、ハート、そして新しく仲間になったばかりのホオズキやランティアたちの後ろ姿がある。
だが、みんなは自分を振り返ることもなく、暗闇の奥へと向かって、静かに、確実に自分に背を向けて遠ざかっていく。
(……待ってほしい。どうか、自分をここに置いていかないでほしい)
闇に消えゆく彼女たちの背中に向かって、自分は必死に手を伸ばしかける――けれど、その途中で、自分の指先はピタリと止まってしまう。
――いや、自分に、彼女たちを引き留められるような『価値』なんてものは、これっぽっちも無い。
遠ざかる名前を大声で呼びかけようとするが、喉が引きつって声が出ない。
――いや、自分に、彼女たちのこれからの輝かしい未来を縛るような『価値』なんて、どこにも無いんだ。
最近、眠るたびに見る、酷く後味の悪いお決まりの光景だった。
前世の自分は、子供の頃からずっと、テレビの向こうの『ヒーロー』という存在が大好きだった。
誰かの絶望的なピンチに真っ先に駆け付け、優しく無条件に救いの手を差し伸べられるような、そんな強くて格好いい特別な存在に、自分もいつかなりたかった。
だけど、現実の自分にはそんな誰もを圧倒するようなチートの力や才能なんて何一つ無くて。
結局、前世の自分は誰の記憶にも残らない、ただの『都合のいい、ちょっと親切なだけの人』として、ひっそりと終えただけだったと思う。
戦闘職でありながら致命的に貧弱。
おまけに、成長性すら完全に終わっている。
こんな戦闘でお荷物な自分が、規格外に強くて可愛い彼女たちのリーダーでいられるのは、一体いつまでなのだろうか。
いつか、自分のこのメッキが剥がれ落ちて、本当にみんなが自分の元から離れていってしまうのではないか――。
自分は夢の中の冷たい暗闇の底で、中身は三十代のおっさんであるはずなのに、まるで迷子になった子供のようにガタガタと激しく身を震わせ、終わらない孤独の恐怖にただただ怯え続けるのだった。
――そして、それは現世でも何一つとして変わらない。
自分や、分身がなぜ人助けをしていたのかは、今ならはっきりと見当がつく。
行き場を失ってお腹を空かせていたルピナスを助けたのも。
力加減ができずに困っていたヘリオを助けたのも。
賊に襲われていたハートを助けたのも。
――全部、ただの自分の『自己満足』でしかなくて。
「誰かに必要とされたい」「自分の居場所が欲しい」という、浅ましいエゴ以外の何物でもないのだ。
目の前で困っている人がいれば、可能な限り手を差し伸べてあげたい。
前世で鬱を患った自分だからこそ、その気持ちに嘘偽りは一切ない。
でも、相変わらず今の自分には、彼女たちを本当の意味で救い上げてやれるような『本物の力』なんて何一つ無くて。
何かあれば、いつだって全て、彼女たちの圧倒的な力に頼って解決してもらっているのが現実だ。
現世でもそれは変わらない。
お腹を空かせていたルピナスを助けたのも、力加減ができずに困っていたヘリオを助けたのも、賊に襲われていたハートを助けたのも、全部ただの自己満足で、誰かに必要とされたいエゴ以外の何物でもない。
困ってる人には手を差し伸べてあげたい、その気持ちに変化はない。
でも相変わらず自分にはそんな力はない。何かあれば、全て彼女たちの力で解決してもらっている。
自分はみんなを引っ張るヒーローなんかじゃない。
むしろ、彼女たちのこれからの輝かしい可能性や未来を後ろから引っ張って奪っている、ただの『重い足枷』になっているんだ。
それなのに、……自分はそんな足枷のくせに、彼女たちが自分の元から離れていくのが、どうしようもなく怖いと感じてしまう。
一人きりの孤独になるのが怖くて、彼女たちの真っ直ぐな優しさに甘えて、色々な口実を作って自分の側に引き留めようとしてしまう。
(あぁ……。自分は、なんて自己中心的で、なんて浅ましい人間なんだろう……)
自分は夢の暗闇の底で、自分の心の醜さとあまりの無力さに、ただただ一人で咽び泣くことしかできないのだった。
――彼女たちが自分に向けてくれている、真っ直ぐな好意にも、本当はとっくに気づいてはいる。
だけど、自分にはそれに答えられる『資格』なんて、どこにも無い。
自分の脳裏には、いつだって、引き剥がせない父親の陰湿な影がべったりとへばりついている。
前世の自分の父親は、自分にとって地獄のような存在だった。
外面だけは恐ろしく良いが、自分の子供には一ミリの興味も持たなかった男。
自分が仕事のストレスで鬱を患ってどん底に沈んでいた時すら、数年間もそれに全く気がつかなかったほどに、薄情な父親だった。
それだけじゃない。
自分にはあまり向けられなかったが、幼い妹や弟たちには、自分の気分次第で平然と激しい暴力を振るっていたらしい。
世間一般の基準からしても、一発でアウトな『父親失格』の人だったと思う。
――そんな最悪な父親の血を引いている、息子である自分が。
一体、どこの誰を幸せにできるというのだろうか。
できるわけがない。
自分があの男のようになって、いつか誰かを深く傷つけるかもしれないと思うと、いい父親になんて、なれるわけがないんだ。
だから……彼女たちの純粋な好意を受け入れるのが、怖くて、怖くてたまらない。
誰の記憶にも残らなかった前世のしがない自分が、人に優しくして、誰かに必要とされたがっている。
そんな薄汚い『エゴ』の正体を、もしも彼女たちに知られて、軽蔑されて、嫌われてしまったら――。
いっそのこと、最初から一思いにすべてを綺麗に諦めてしまえば、どんなに楽になれるのかもしれない。
それなのに、どうして。
自分の胸の奥には、いつだって往生際悪く、どうしても全てを諦めきれない自分が醜く居座っている。
激しい動悸と共に、ベッドから跳ね起きるようにして自分は目を覚ました。
全身にねっとりとした嫌な汗をかいており、浅い呼吸が上手く続かない。
自分は暗闇の中で必死に何度も深く息を吸い込み、狂ったように乱れた心臓を落ち着かせようと、胸元を強く手で押さえた。
眠るたびに見る、いつもの酷い悪夢だ。
まだ頭がフラフラと揺れて、酷い目眩がする。
枕元でぼんやりとしていると、壁の向こうから、別の部屋でまだ起きているらしい女の子たちの楽しげな話し声が、かすかに響いてきた。
――あぁ、よかった。まだ自分は、彼女たちに見捨てられてはいない。
そんな情けない安堵を抱くと同時に、強烈な後悔が胸を刺す。
彼女たちは、あまりにも優秀で規格外だ。
今までの周囲の環境が悪かったり、偶然行きがかりで関わっただけの頼りない自分に懐いて付いてきてしまっただけで、本来なら『足枷』でしかない自分には、到底相応しくない存在なのだから。
激しくうなされたせいで、喉に耐えがたい渇きを感じた。
自分はひとまず、冷たい水を飲んで頭を冷やそうと、静まり返った夜のキッチンへと階段を降りることにした。
薄暗いリビングを通り抜けようとした時、ソファの隅に、丸まっている小さな塊を見つける。
近づいてみれば、案の定、ランティアがお酒でベロベロに酔っ払い、衣服を少し乱したまま気持ちよさそうに寝入ってしまっていた。
家の中とはいえ、夜の広間はそれなりに冷える。
このまま放置して風邪でも引かせたら、リーダーの責任問題だ。
自分は小さな彼女を優しく抱き上げると、二階にある彼女の個室のベッドまで、音を立てずに送り届けてあげた。
昔は前世の自分もお酒をそれなりに嗜んでいたものだが、あの鬱を患った一件以来、嫌な記憶がフラッシュバックするようになって一切飲めなくなってしまった。
だから、こうして何もかも忘れて幸せそうに酔い潰れられる彼女が、ほんの少しだけ羨ましかった。
ランティアを布団に寝かせ、そっと部屋を出ると、今度は静まり返った廊下の真ん中に、ぽつんと幽霊のように立ち尽くしているホオズキの姿を見つけた。
パジャマ姿のまま、何もない空間の壁をじっと見つめてピクリとも動かない。
「……ホオズキ? こんな夜更けに、一体何をしているんだい?」
流石に気になって静かに声をかける。
するとホオズキはこちらへゆっくりと振り返り、無表情のまま、真っ暗な空中を指さして淡々と語った。
「あ、クローバー。……いま、あそこの彼女が、クローバーのこと、すっごく心配して見てるー」
「…………」
なんだか、夜中の薄暗い廊下でとんでもなく怖いオカルトなことを言いだしたぞ。
まさか、この新居に本物の幽霊でも出没しているのだろうか?
頼むから、彼女がただ派手に寝ぼけて幻覚を見ているだけだと、心の底から強く願いたい。
「ほら、もう夜も遅いから、ホオズキも自分のベッドに戻って早く寝ようね」
「わかったー。んー……」
彼女は気の抜けた返事をしたものの、その場から一歩も動こうとはしない。
「……ええっと?」
「さっき、ランティアがクローバーに優しく運ばれてるの、見たー。……わたしも、『アレ(おんぶ)』がいいなー」
彼女はどこか眠そうに目をこすりながら、両手を差し出してきた。
どうやら、ランティアと同じように自分に甘えて運んでほしかったらしい。
自分は苦笑いを浮かべると、壊れ物を扱うように彼女を背中におんぶして部屋まで連れていき、ベッドに寝かせて毛布をかけて眠るよう促した。
「おやすみー、クローバー」
「はい、おやすみ。良い夢をね」
なんとか二人を無事に送り届けて、自分はふぅ、と小さく息を吐きながら、ようやく自分の自室へと戻ってきた。
(……? 何かを忘れたような気がするんだけど、気のせいかな?)
自分の喉の渇きのことなど、女の子たちの世話を焼いているうちに頭から完全に消滅してしまっていた。激しい頭痛の残る自分は、その強烈な違和感の正体に微塵も気づかないまま、再び自分のベッドへと潜り込み、静かに目を閉じて眠りへと落ちていくのだった。




