夜を裂くために
既に深夜で、それも日付が変わってから相当時間も経過している。
だというのに……家には明かりのついていた。
そしてさもそれが当然のことのように、ぴよこは家の中で待っており、帰ってきた俺を笑顔で出迎えた。
「おかえり」
玄関で、ぴよこは俺に微笑む。
柔らかい、温かい笑み。
そして俺から刀を預かり、そっと壁にかけた。
ただいま。
そう言いたいのに、口が動かない。
唇が震え、言葉が出てこなかった。
「っぁ……あ……」
必死に、必死に言葉を紡ごうとする。
ぴよこはずっと、俺を待ってくれていた。
だから、笑って、無事と伝えて、それで……。
ふわりと、身体が何か温かいものに包まれる。
心が安らぐような、そんな温かい気持ちが湧いてきた。
抱きしめられているとわかったのは、灰色の髪が顔に触れてからだった。
「泣いていいよ。ううん、私は、貴方が泣けるようになったことが、嬉しい」
胸に、強い衝動が走る。
彼女にすべてをゆだね、捧げ、子供のように泣きじゃくりたいと身体が訴える。
彼女は……アセリア・ピュリコットは俺を決して見捨てない。
俺がどれほど恥を晒そうと、落ちぶれようと。
こいつだけは、すべてを失っても俺の味方でいてくれた。
家族を失い、記憶を失い、泣くことさえできなくなった俺の代わりに泣いてくれた。
それでも……。
俺はぴよこをそっと引きはがした。
正直に言えば、涙が零れそうになっている。
これで泣いていないというのは、ちょっとばかり嘘となるだろう。
それでも、今の俺には意地があった。
「泣くわけには、いかないんだ。俺には、責任と罪がある」
そう、俺はメイドを傷つけた。
必至に耐えていた彼女に最後のトドメ刺したのは、間違いなく俺だ。
そんな俺がぴよこに甘え、泣いていいわけがなかった。
「……そか。そんなに立派になっちゃって。お姉さん寂しいなぁ」
「誰がお姉さんだ、ぴよこの分際で」
「なんだとー! いーくんは弟っぽいじゃん!」
「……そうか?」
「あー……じゃあ、お兄ちゃんって呼ぶ?」
「お前みたいな妹はいらん」
「えー! いーくんの分際で生意気な!」
「どっちなんだよ」
そう言ってにらみ合ってから、どちらからともなく笑う。
こんなふざけてじゃれあう喧嘩さえ、俺たちは滅多にしない。
必要ないからだ。
この会話もただ無駄話をして、俺を慰めようとする……そんな優しい家族のような、偽物の喧嘩だった。
「それじゃ、九条先生から多少は聞いたけど、いーくんの口から、改めて何が起こったのか教えて」
俺は頷き、そしてその罪を告白した。
メイドを追い詰めた、俺の罪を――。
途中で口を挟まず、ぴよこは黙って聞き続けた。
俺がどもっても、言うのが辛くなって口をつぐんでも、ただただじっと黙って、俺をいつもの表情で見つめて。
そして聞き終えた後も、俺を叱ることも褒めることも、ましてや慰めるようなこともしない。
俺の罪を咎めず、この咎を責めず。
その代わり――。
「はい。どうぞ」
ぴよこはわざわざ玄関から俺の刀を持ってきて、俺に渡した。
あやねぇが用意したハイエンド実戦向けのもの。
それはどさくさ紛れで、未だにロックの外れたままとなっていた。
ついでにぴよこも、何故か自分の刀を持っていた。
「……どゆこと?」
何を考えているのかわからず、ぴよこを見る。
ぴよこは俺の腕を引き、玄関に向かわせた。
「ほら、早く行くよ。時間は有限なんだから」
「いや、行くよって……どこにだよ?」
「我らがメイドさんの元に、だよ!」
「――は? いや、なんで?」
「助けるために!」
「お前……何を……」
「いーくんはめんどくさく考えすぎ! 助けたいなら助ける。それでいいじゃん」
「お前……わかってるのか? 九条先生でもどうにもならない問題だぞ!? それを俺たち程度で……そんな……」
「できるかどうかじゃなくて、やりたいかどうかじゃない?」
そう……それはいつも俺たちがやっているやり方。
けれど、今回ばかりはそれは通用しない。
「だが、失敗したら……」
ぶるっと、身体が震える。
失敗することより、死ぬことより、そんなことよりも、こいつが死ぬこと。
それが、俺には恐ろしかった。
そんな俺の心配を察してか、ぴよこは微笑んだ。
「大丈夫。私、いーくんと一緒なら死ぬの怖くないから」
平然と、ぴよこはそんなことを言い放ち、俺は言葉を失う。
なんて――なんて最悪な言葉だろうか。
その言葉は、死地に絶対ついて行くという脅迫でしかない。
「…………」
言い返そうと思ったが、何も言えない。
さんざん自分の命を軽視して俺が、こいつを説得できるだけの言葉を持てるわけがなかった。
「行かないなら別にそれでもいいよ? いーくんがそう決めたなら。でも、行くなら一緒だから」
にっこり笑ってのその言葉は、勝利宣言そのものであった。
「……負けたよ」
悔しいが、そうとしか言えない。
業腹で絶対言ってやらないが、罪悪感が、少しだけ注がれたような気がした。
「んでさ、ぴよこ。ここからどうやって行くんだ?」
「……へ?」
「目的の地区は、学園から一時間ほど行った場所。ここからならそこそこ距離あるけど?」
「……は、走りながらタクシーを探して!」
「お前はいつも考えなしだな」
ジト目で見つめると、ぴよこはさっと顔をそらした。
「こ、こんな時にいーくんなら何か素敵なアイディアを出してくれるって信じてるよ!」
ぴよこの言葉を、俺はあざ笑った。
「残念だったな。俺も考えなしだ」
そんな理由で俺たちは、自慢の足を酷使するという愚かな道を選んだ。
失敗したら確実に死ぬだろう。
そもそも無駄となる可能性の方が高い。
それでも、こいつと一緒なら何とかなるような気がした。
ただの気のせいだとしても、縋るもののない今の俺にはありがたいものだった。
ありがとうございました。




