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天憧ヤオヨロズ-神宿りの刃と鳥の歌-  作者: あらまき


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威力偵察(前編)


 あれだけ頼もしかった月光が――今はただ恐ろしかった。

 今だけは、闇夜の中に溶けてしまいたいと思うほどに。


 潜み、紛れ、恐怖の底に蓋をする。

 緊張感を押し殺しながら、その背を追って。


 じりじりとした歩みは、ナメクジのよう。

 なのに、疲労ばかりが積み重なっていく。


 精神的重圧というものがこれほど強いとは、俺は知らなかった。

 俺一人だったら、耐えられずに全力でこの場から逃げていた。


 だが、そうさせないよう、メイドが俺の前を進む。

 その背中がどこまでも頼もしいから、俺は水のたまった洗面器に顔をつけるような苦しい進行に耐えられていた。


 というか、改めてメイドのとんでもなさが理解できた。

 すぐ目の前で俺を先導してくれているのに、時折メイドが見えなくなる。

 足音含めた物音一切なく、気配は希薄で、背を追っているのに時折視界から外れる。


 隠密というのは極めたらここまでできるものなのか。

 感動というよりただただ恐怖を感じた。


 メイドが背中に手を回し、指を使ってハンドサインを。


 癖で覚醒開放を行おうとするが、何とか押しとどめる。

 それは覚醒開放の合図ではなく、『近づくように』の合図だった。


 立ち止まるメイドに、密着するくらいそばに近寄る。


「これより要注意警戒区域なので、警戒レベルを引き上げます」

「……わかった」

 気づけば、先の工場付近にまで戻って来ていた。


 ここまで来るのに、接敵回数は三度で合計五人。


 俺自身は、一度も戦闘を行っていない。

 それでも、俺はすでに一分程度の時間を消耗していた。




 緩やかに、工場の周りを注意深く進む。

 何かの痕跡を探すように、敵に見つからないように。


 メイドの緊張感が、背中からさも感じる。

 そんな警戒中、ふと、何か違和感を覚えた。


 メイドでもない。

 当然俺でもない。

 けれど、確かにそれは違和感だった。


 気のせいなのだろうか。


 ふと、メイドの横顔が見える。

 歯に物が挟まったような表情をしていた。

 何かが気になるような表情。


 それで俺は、この違和感が気のせいではないと理解する。


 物音、風、世界の気配。

 確かに、何かが違った。


「気を付けて! 囲まれています!」

 突然、メイドは叫ぶ。

 俺はその段階で、すでに覚醒開放状態に移行していた。


 木の影や建物の裏から、複数人の男たち。

 相も変わらず変なマークの入ったマスク姿で、死んだ魚みたいな目をしてやがる。


「少し離れます。その間何とか耐えてください」

 呟き、メイドの姿が消えた。


 その直後だった。

 十メートル以上先にいた集団の一人が、ばたりと倒れたのは。


 ほんの一手。

 ほんの一瞬。


 そう、一瞬だった。

 一瞬で、敵集団は混乱状態に陥り、機能停止した。


 まあ、暗闇でそんなニンジャめいたことをされたら、そうなるのは当然だろう。


 背後から、がさっと草木が揺れる音が聞こえた。

 前方の集団に注目し過ぎていた失敗に後悔しながら、慌てて振り向く。


 その時には、すでに銃口は俺に向いていた。

 急ぎ、腰を落として重心を深くし、刀と腕を交差させ、体を防ぐ。


 覚悟を決めるより早く、それは訪れる。


 夜を照らす閃光が轟く。

 衝撃は、後から襲い掛かってきた。


「ぐぅっ!」

 苦悶の声が、己から吐き出されていた。


 あまりにも……あまりにも重かった。

 想像の何十倍も。


 まるでハンマーで殴られたような、そんな衝撃だった。

 確かに、メイドは耐えられると言っていた。

 けれど、無事にとは言っていなかったと、今さらに気がついた。


(それでも、一発しのいだなら――)

 相手目掛け、地を蹴る。

 ほんの一歩。

 なのに、まるで浮遊したと感じる程に跳躍していた。


 タンッ、タンッと、ジグザグに移動し、銃口の狙いを揺さぶる。

 そのまま徐々に接近し、二発目が撃たれる寸前に、奇襲をかけ銃を蹴り飛ばした。


 いける。

 覚醒開放さえすれば、俺だって十分に戦える。


 両手で強く握り、渾身の力込め刀を振り下ろす。

 直後――目が合った。

 自分が、命を奪おうとする、その男と。


 ぴたり――と、男の頭上で刀が止まった。


 ……動かなかった。

 まるで、接着剤で空間に縫い付けられたかのように。

 ぶわっと、俺の身体から汗が噴き出る。


 俺の身体が、命を奪うことを拒絶していた。


(動け! 覚悟を決めただろ!)

 内心で叫び、必死に気合を入れるが、意味をなさない。


 そんな俺をあざ笑うように――男の顔が歪む。

 反対の左手に、男は拳銃を握っていた。


 今からでは防御姿勢も取れない。

 それ以前に、ゼロ距離で耐えられる自信がない。

 回避もできないし、この期に及んでも刀を振り下ろすビジョンが想像できない。


「まず――」

 男の指先に、力が入るのが見えた。


 けれど次の瞬間、ふっと男の指先から力が抜ける。

 かちゃん、と銃は地面に落ち、そのまま男も倒れた。


 倒れた男の背後に、メイドが立っていた。


「よく、耐えてくださいました。お見事です」

 メイドはぱちぱちと小さく拍手をして、俺に笑みを向ける。

 それは嫌味ではない純粋な賞賛なのだろう。

 けれど、俺はそんな賛辞を受け取る気になれなかった。


「すまない。……殺せなかった。わかっているはずなのに。あんたに手を汚させてるのに、俺は……」

 そう、これは正義でもなければ勇気でもなく、ただの臆病でしかない。


 本当に人殺しが嫌ならば、メイドにもさせないようにすればいい。

 メイドには人殺しをさせておいて、いざ自分の番になるとヘタレてブルって震えて、あまつさえ死にかけた。 


 最悪で最低の、ダブルスタンダードのゴミ野郎。

 だからこそ、申し訳がなかった。


 メイドは微笑みながら、首を横に振った。

「それで良いんです、伊織様は。だからこそですよ」

「そんな綺麗事なんていらない。俺は、戦うと決めたのに……」

「なら、綺麗事を貫く覚悟をお持ちくださいませ」

「貫く?」

「はい。殺せないのではなく、絶対に殺さない覚悟を持つんです。その方が……よほど、伊織様らしいですよ」

「だが……それは……いいのか?」

 他人の手を汚させるだけ汚させて自分の手を綺麗と誇る。

 そんなのはどうかしてる。

 だが、メイドは微笑を浮かべ首を横に振る。

「貴方は。……手を汚す必要なんてないんです」


 それは、さっきまでと、同じ笑み。

 なのに、なぜか俺はその笑みが、ひどく自虐的なものに見えた。




 工場周辺をメイドに付き従い、うろうろと歩く。

 理想を言えば、中に入り調査したい。

 依頼先でかつ俺たちが襲われた工場。

 そこ以上に、最も怪しいポイントはない。


 けれど、それがあまりにも危険だということは、俺にだって理解できた。


 しばらくして、メイドが呟く。

「これ、おかしいですね」

 蚊の鳴くような声で、だけど確かに、そう言った。

「何がだ?」

「影圏の痕跡がないんです」

「亜線が潰したんだろ?」

「それはないです。彼らにそんな能力はありませんので」

「どういうこと?」

「雑なんですよ。あいつらがやれば痕跡が残ります。それさえないということは……」

「影圏は発生していなかったってこと?」

「そう、推測せざるを得ません。そして、だったら私たちはなぜ、ここに派遣されたのでしょうか?」

 メイドは俺をじっと見ながら尋ねた。


 依頼ミス……と考えるのは、あまりにも相手に都合が良すぎる。

 単なるブッキングと呼ぶには、状況が悪すぎる。


 ならばなぜ?

 そう言われても、さっぱりわからない。


 ただ、俺たちはそのよくわからない事情に巻き込まれてしまっている。

 それは、間違いなかった。


 ふと、俺の顔を何かが横切った。

 後から、それがメイドの投げた何かであると気づく。

 後ろを見ると、脳天に銀食器の突き刺さった男が倒れていた。


「すまん。助かった」

「いえ、構いません。ただ……そろそろ情報収集にも限界が来ましたね。それと、伊織様のお時間にも」

「そ、そんなに使ったか、俺?」

「二分二十秒。余裕を持って考えれば、帰還のタイミングです。それに、この状況下で出来ることも、もうあまり……」


 メイドの言葉は正しい。

 それは最初からわかっている。

 それでも、これは理屈じゃない。

 正しいことではなく、俺は今、どこかの誰かのために何かがしたかった。


 とはいえ、俺自身は単なるへっぽこ学生で、単なる場違い。

 だから俺に出来ることなんてそうあるわけではなく……。


 ふと、脳天にナイフの刺さった無残な死体に目が行いった。


 あまりにも凄惨で、それでいて容赦のないもの。

 そして同時に慣れ過ぎて、心が麻痺し死体を見ても何も感じなくなった。


 だろうだろう。

 ふと、突拍子もないことが、頭に浮かんだ。


「あのさ……これは単なる思いつきなんだが……」

 そう言って、俺はメイドに作戦とさえ呼べない考えを伝えてみる。

 瞬間、メイドは怪訝な表情に変わった。


 予想通り、メイドは難色を示した。

 というか、あまりの雑さに困惑さえしていた。


「いや……まず前提として、危なすぎますよ、それは……」

「それでも、やってみる価値はあるだろ?」

「あります……かねぇ? いやぁ……ちょっと……」

「あるって、きっと」

「ちょっと同意できかねます。というか、否定しかできません」

 いつもは自分を消してでも相手を立てるメイドが、今回ばかりは譲る気配がなかった。


「どうしてもか?」

「……貴方は、伊織様は帰るべき人です。こんなことで亡くなってしまえば、私は皆さまに合わせる顔がございません」

 淡々と、子供に言い聞かせるように。


 ふと、気づいた。

 俺を見つめるメイドの表情は、今にも泣きそうだった。


 心配しているのは、間違いないだろう。

 けれど、それだけじゃあない。

 まるで追い詰められているような、そんな表情だった。


(トラウマを刺激したか)

 何がひっかかったかわからないが、俺の行動と過去がリンクしたのだろう。

 それでも、他に何も思いつかなくて、俺は作戦とさえ呼べない案を、強引にねじ込んだ。



ありがとうございました。

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