想定外の異常事態
深夜二時。
隔離封鎖された人の気配がない都市を、一人の男が歩いていた。
男の名は九条和聡。
"あの九条"で通じる、国内有数の権力一族。
その名を名乗ることを許された男だ。
とはいえ……男は己が姓に対し、あまり良い印象を持っていない。
もっとはっきり言えば、反吐が出ると思っている。
もともと九条は、その姓を名乗る許可を得た後に、家を出奔するつもりだった。
敢えて、こんなものに価値はないと吐き捨ててやるために。
それでも、自ら九条を名乗るようになる程度には、男は大人になった。
便利な道具と割り切れる程度に、九条への関心を失ったとも言える。
闇の中、九条は進みターゲットを目視する。
その標的を見て……目を丸くした。
九条は、滅多なことでは驚かない自負があった。
常在戦場を心掛け、常に死地にいると思え。
そういった世界に、九条という一族は生きている。
それでも、今この時ばかりは、九条と言えど驚かずにはいられなかった。
「どういうことだ……。何故……こいつらがここに……」
目の前に広がる無数の影。
数十という影の大群と、その奥に見える影圏。
それは、ここにあってはならないものだった。
「なんで……こんな雑魚がここに……」
比喩でもなんでもない。
ここには、本来学生が担うような低レベルの脅威しかなかった。
最悪の可能性が過り、九条は顔を歪ませた。
構えもせず、九条は影の群れに吶喊する。
後先なんて考える必要もない。
九条にとって影など羽虫に等しい。
何なら拳でだってこいつらは屠れる。
ただまっすぐ歩きながら、ぶん、ぶんと雑に刀を振り回し、襲ってくる影を切り払う。
剣術も型もいらない。
刃に触れるだけで、影は溶けていく。
一流の剣士が一流のカムイを持てば、影程度など足止めにもならない。
九条であるのならなおのことだ。
九条は影圏の前に立つ。
――闇夜に、銀が煌めいた。
一閃。
美しいほどに垂直に、刃は振り下ろされる。
心地よい金属音が響き、黒い球体は真っ二つとなった。
後は周囲の残存勢力を殲滅すれば、この依頼は終わる。
ぐるっと一瞬見回し、残った敵を見て……。
「時間が惜しい、か」
九条は刀を一旦納刀し、構える。
それは、おそろしく低い姿勢だった。
まるで、鷹が獲物に狙いを定めたように。
影が、群がる。
それは、異物である人間を排除せんとする防御反応のように。
そして影が群がった瞬間――。
抜刀、一閃。
軌跡は月のような環を描いた。
再び納刀したとき、そこに立つのは九条だけだった。
その車は、住宅街から妙に浮いていた。
不釣り合いで、まるで異物のようでさえある。
闇に紛れる黒いボディは、装甲板でも入っていそうなほど重厚。
一応普通車の形状だが妙に大きく、車幅は白線をはみ出しそうに見える。
少なくとも、国産車でないことは確かだろう。
デザインとしても、そのサイズとしても、そしてハンドルの位置さえも。
その高級車の後部座席ドアが乱暴に開かれる。
運転席で品のない雑誌を読んでいた男は後ろを向いた。
「おや、九条さん。今日はやけにお早いお戻りで」
にへらとした、しまりのない笑顔で、男は車の主を出迎える。
ドアを閉めた後、九条は足を組み、一言命じた。
「学園に戻れ。緊急事態だ」
「えー! この後、飯奢ってくれるって言ったじゃないですか!?」
「緊急事態と言ってるだろうに。早くしろ」
「うへぇ……。五時間もかけてこっちまで来たのに……。また五時間ドライブかぁ……」
「いや、二時間だ」
「は? あの……九条さん?」
「お前ならできるだろ」
「いや、そりゃできないとは言いませんが……ほら、法律とか、いろいろ問題ありません?」
「なら安心しろ」
男は、静かに顔をしかめる。
この後、彼が何を言うか運転手にはもうわかっていた。
「俺は、九条だ」
予想どおりの一言に、男は小さく溜息を吐く。
雇い主からそれを言われたら、どうしようもなかった。
「いやぁ! こりゃ想像以上に気持ちいいねぇ! 是非とも次の機会も頼むよ九条さん」
ころっと態度を一変させ、運転手はご機嫌な様子でアクセルを吹かす。
そりゃあ気持ちいいだろう。
高速道路を封鎖し、全速力で速度を出したら。
「事故るなよ」
「俺が事故るわけないでしょ? 九条さんにとっての刀みたいなもんすよ。俺にとって運転は」
「そうか」
「あ、ドリフトしていいっすか? ドリフト」
「それで速くなるなら好きにしろ。さっきも言ったが、緊急事態だ。一分一秒でも早い方がいい」
「……マジなんすね。九条さんが慌てるなんて」
「ああ」
「じゃ、やめときましょうかね」
「何故だ? 早くなるならドリフトでもなんでもすれば良いだろうに」
「本気で攻めるなら、コーナー一個ちょびっと早く走るより、タイヤが垂れるのを避ける方が無難なんで。遊びはなしなんでしょ?」
「……ああ、頼む」
九条に応えるように、速度が跳ねた。
「そんで九条さん。何があったか聞いてもいいですか?」
「討伐依頼が雑魚だった」
「いつものことじゃないですか」
「そうではない。本当の雑魚だ。学生の、それも新入生向けのレベルだ。そんなのにわざわざ九条を使うか?」
「軽の宣伝にF1パイロット乗せるようなものっすね。でも、どうしてそんなことに?」
「それを確認するため、学園に向かっている」
「あの、もし、もしもなんですが……九条さんの依頼を、もし新入生が受けたなら……」
運転手は呟きながら、青ざめる。
九条の受ける依頼というのは、本来軍や警察がプロジェクトを発足し対処に向かうレベルのものだ。
こんなのを一学生が受けたなら、死亡は当然、最悪事態が悪化し収束かさえ出来なくなる。
それこそ、外国のように影の国が誕生するようなことだって十分にあり得た。
だが……。
「その程度なら、問題ない」
「へ?」
「今の新入生である篠宮なら、足手まといを背負っても俺の依頼なら逃げる程度の能力はある。最悪の事態にはならん」
「新入生でしょ?」
「ああ。特高上がりのな」
運転手はその言葉に、嫌な意味で聞き覚えがあった。
「……詐欺じゃないっすか。というか、よく入学できましたね。うちと仲最悪じゃないっすか。うちだけじゃないですけど」
「政治的配慮という奴だろう。まあ、だから俺の依頼がそっちに回った程度なら問題ない」
「じゃあ、何が心配なんですか?」
「それを調べるために今急ぎ帰っている」
「九条さんが依頼間違えただけじゃないっすか?」
にやけ面で運転手が言うも、九条は表情を崩さずいつもの通り返した。
「そんなわけがないだろう。俺は九条だぞ?」
「その言葉、本当に強いっすねぇ。説得力という意味も含めて」
呆れ顔で運転手は呟き、溜息をこぼす。
「……今回の依頼ミスの理由、その可能性は二通りしか存在しない」
「ほほー。どんな可能性っすか?」
「まず、事務員の汚職だ。単純なミスの可能性もあるが、アラハバキの事務員で俺の書類を雑に扱うような馬鹿はまずいない」
「まあ、そうですね。九条に喧嘩を売るってことは扶桑に喧嘩を売るようなものですし。んで、もう一つの可能性は?」
「……神の気まぐれだ」
そう……アラハバキでは、時折こういうことが起きる。
どれだけ厳重に管理して、どれだけチェックを入念に行っても、歯車が狂う。
誰かが笑えるように、誰かが苦しむように、まるで試練を与えるかのように。
まさしく神の気まぐれだ。
そしてまずいのは、事務員の汚職にせよ神の気まぐれにせよ、騒動がまだ終わっていないということ。
自分ではない誰かが現在進行性で騒動の渦中にいる。
それを、九条は恐れていた。
自分が、九条が狙われたのなら、それでいい。
だが、この流れはむしろ逆に思えた。
何者かが、自分を学園から遠ざけようとしていると。
そして……九条の懸念は、見事的中する。
一時間半かけて学園に戻った九条は、学園にテロ組織が侵入し、幾ばくかの宝物を盗んで去っていったという、想定外かつ面倒な報告を受けた。
ありがとうございました。




