それは決して善良などではなく
誰かの気配を感じる。
誰なのか、それはまだわからない。
けれど……そいつは確かにそこにいた。
(またこの夢か……)
入学してからもう二回目。
こんな頻度で現れたことは今までなかったのに……。
とはいえ……今回は少々事情が異なる。
なんというか……なんとなく程度の話だが、予感があったからだ。
あやねぇから教わった霊力強化訓練。
そのうちの一つにある瞑想法を行うと、ちょくちょく背後から気配を感じた。
それが、この男のもの。
だからきっと、こいつの夢を見るだろうなんて思っていた。
そう……今ようやく確信が持てた。
こいつは男だ。
それがわかる程度には、男と俺の距離は近づいていた。
今にして思えば、授業中、居眠りで感じていた背後の気配もこいつだった。
(そう思うと、なんかムカついてきたな)
ただ棒立ちの男相手に、来る日も来る日も怯え続けて。
しかもこうなったら学園を休まないといけない。
今がどれだけ大切な時だと思ってやがる。
へっぽこな俺がへっぽこを卒業できるかどうかの境目だぞ。
鉄は熱いうちに打てという通り、今頑張らないと俺は駄目になってしまう。
考えれば考えるほど、ムカついてくる。
なんでこんなくだらない夢に俺は振り回されなきゃいけないんだ。
(お前いい加減にしろよマジで! いつもいつも! 文句があるならかかってこいよ!)
全力で睨みながら、その男と向き合う。
ふと、気がついた。
怒りや不満を覚えるほど、今の俺には余裕がある。
いつものような焦燥感や激しい喪失感が、まるでなかった。
身体が何かに覆われている。
透明で見えない。
けれど、確かに膜のような何かを感じた。
だぶんだが、これが『霊力』なのだろう。
よくよく見ると、目の前の男は笑っていた。
まだ誰かわからないし、近づくこともできない。
けれど、確かに男の口角は上がっていた。
もっと、俺に強くなれと言わんばかりに……。
はっと、俺は目を覚ます。
あいつは、何を言いたかったのだろうか。
もう少しで、それが知れたかもしれないのに……。
目覚めは、悪くなかった。
あの夢を見たというのに、朝日が心地よい。
ただ、強いて言えば……。
「体がいてぇ……」
連日の訓練による筋肉痛が、俺の目覚めをそこはかとなくつらいものに変えていた。
その後、迎えに来たぴよこと相談し、説得して、今日は何とかカウンセリングに行かず学園に向かうことを許してもらえた。
朝、少し早めに登校した俺とぴよこは、正門前で大勢に囲まれるあやねぇの姿を目にした。
「うわぁ……すごいね……」
ぴよこがあんぐりと間抜け面を晒している。
そしてきっと、俺も同じような表情だろう。
アラハバキの広い正門であっても、通れず困っている人が出ていた。
「まあ、そうか。ぴよこに注目がいかないくらいだもんな……」
亜人であるぴよこが観衆の注目を浴びない。
それはなかなかにイレギュラーなことなのだが、アラハバキに入ってからは割と良く起きる現象となっていた。
ファンの対応にちょっと困った顔で笑うあやねぇを呆然と見ていると……あやねぇも俺たちに気づき、手を挙げた。
「すまない! 用事があるんだ! これで失礼する! サインはしない! 勘弁してほしい!」
叫びながら必死に人混みをかき分け、あやねぇは俺たちの傍に。
「二人とも。ちょっと来てくれ!」
あやねぇは俺たちの手を引きながら、逃げるように学校の方に走った。
そうしてあやねぇに手を引かれ、俺たちは校舎の中に入り、更に何故かいつものエレベーターに誘導されていた。
「すまないな、二人とも。いつもはあんな騒々しいことはないのだが……」
エレベーターの中で、あやねぇは不思議そうに呟く。
本当に、どうしてああなったのかわかっていないらしい。
俺とぴよこは顔を見合わせ、くすりと笑った。
(この人、本当に自分が人からどう見られているかわからないんだな)
外見も良く、最強の名を持つ剣士。
人気が出ない方がおかしい。
そこにあの天然っぷりだ。
拍車がかからないはずもなし。
「それであやねぇ。朝から訓練するのか? そんなに時間はないんだが……」
「安心しろ。そんなに時間は取らせない」
いつもの訓練ルームでエレベーターが止まり、扉が開かれる。
俺たちが何かを言うより早く、中にいたメイドが出迎えるよう頭を下げた。
「おはようございます」
そのまま、事前に用意したであろうテーブル席に俺たちを誘導。
流れるように、お茶の用意を始めた。
「お、おはよう」
「はい。おはようございます、伊織様」
「なんか、ご機嫌だね」
「そうなんですよ! こんな良い茶葉を皆さまにお出しできるなんて……朝霧先輩のおかげですね」
席に着いたあやねぇはメイドに微笑み、そっと紅茶を傾けると小さく頷いた。
「私が淹れるより断然美味しいな。ありがとう」
「お喜びになられたなら何よりです」
「ああ。それと、終わったら君も席についてくれ」
「皆さまと同席なんて恐れ多いのですが……」
「いや、是が非でも座ってもらう。今回は君も当事者だ」
少し強めの口調であやねぇは言う。
メイドは静かに頷き、俺の隣に座った。
俺は紅茶を飲もうとカップを持ち上げ、口元に運ぶ。
「さっそくだが、伊織、メイド。二人に指令が下った」
ぴたりと、カップを傾ける手が止まる。
何の話かは、予測できていた。
俺はカップを静かに下ろす。
ぴよこもまた、紅茶に手を添えたまま、あやねぇを真剣な表情で見ていた。
「想像しているとおり、『影圏破壊』の指令だ。明日……いや、明後日くらいに正式に発令されるだろう」
「どうしてあやねぇがそれを知ってるんだ?」
「立場上、私の耳は皆より少しだけ優れているんだ。さて……色々話をする前に一つだけ聞かせてくれ、伊織」
「なんだいあやねぇ」
「メイドとの連携は、最悪どうにかできると言っていたな。その言葉に、嘘はないな?」
その言葉に、俺は頷く。
「ああ。ただし、本当に最悪の場合の手段だ。できたら使いたくないんだが……」
「だが、もう時間がない」
「そうだな。その通りだ」
「だから、今それを見せてくれ。もしもそれが駄目とわかるなら……私はこの依頼を師匠権限で破棄する。――たとえ、伊織が退学になったとしても」
場の空気が静まり返る中、俺は静かに息を飲んだ。
「……今、見せたら良いか?」
「何か準備は必要か?」
「いらない。メイド、頼む」
メイドは不安そうな表情で頷いた。
「構いませんが……私はどうすれば……」
「いつも通りで大丈夫だ。一緒に戦ってくれ」
俺が席を立つと、あやねぇとメイドも続いて立ち上がった。
一人残されたぴよこは、紅茶に口をつけながら、少しだけ寂しそうだった。
フィールドに立つメイドとあやねぇは、不安そうな顔をしていた。
まあ、あの無様な結果を見れば、無理もない。
幼稚園児でもやらない失態レベルの連携だった。
けれど、原因はわかっている。
あくまで推測だが、それでも結果で言えばほぼ当たっているだろう。
なんてことはない。
メイドと俺は、『似た者同士』だった。
「本当は対処療法じゃなくて、ちゃんとしたかったんだが……まあ、こればかりは難しいか」
「それで伊織様。私はどうしたら良いのしょうか?」
「ん? ああ、正直気は乗らないんだけどさ」
「はい」
「今回だけは、俺はご主人様で良い」
「……はい?」
「俺の命令を聞いてくれ。俺に命以外をすべて預けてくれ。いけるか?」
「――たとえどのような命令であろうと、必ず」
そう言って、メイドは微笑を浮かべる。
それはいつものような、らし過ぎる作り笑いではなく、安堵の笑みだった。
そう……メイドにとっては嬉しいことだろう。
何も考えず、すべてを相手に委ねるというのは。
誰かに尽くす喜びと、思考停止の快適さ。
悲しいほどに、俺はその気持ちが理解できた。
たとえそれが、決して好ましいものではなかったとしても。
(とはいえ……どうこうするかは後日だな)
「伊織様、どうぞご命令を――」
俺の想像通り、メイドは考えを放棄し、指示待ち状態に入っていた。
「……まず、左からインファイト。撤退する時は合図をくれ」
「了解」
俺とメイドは師匠に目を向ける。
師匠が緩やかな動作で抜刀した瞬間――メイドは動きだした。
流れるような左右のステップを刻み、メイドはあやねぇに接近。
そのまま、右側面に斬撃を放った。
相手が師匠だからか、最初から二刀だった。
俺は師匠と距離を取ったまま、背に回り込もうとする。
そうそう取れるものではないが、取る必要もない。
その行動で十分。
俺を無視できないと思わせた時点で、俺は役割を果たしたことになる。。
「下がれ!」
俺の命令に従い、メイドはすぐあやねぇから距離を取る。
直後――メイドは師匠に急接近から斬撃を放った。
「なっ!?」
指示にない行動に師匠は一瞬怯みながらも、きっちり斬撃を凌いでいる。
さすがとしか言いようがない。
驚いているようだが、正直、なんてことはない。
師匠の視野外で、ハンドサインを出しただけだ。
まあ、やっておいてなんだが、通じるかは半信半疑だったけど。
その後も、俺はメイドのカバーを中心に、声、ハンドサイン、アイコンタクトを織り交ぜ、メイドに命令を下していく。
揺さぶるように、数的有利を最大限生かしながら。
手加減しているとはいえ師匠は師匠。
気分は猛獣狩りのそれだった。
メイドが、目にも留まらぬ連撃を浴びせる。
それを、師匠はたった一振りの刀で軽々と捌いていた。
例え二人がかりであっても、まるで意に介さぬような顔で。
ただ、少し外から俯瞰的に見れば、別の見方も出来る。
師匠は、明らかにリズムを崩していた。
(ここで攻めるか)
俺はダンッ! と、わざとらしく地面を蹴り刀を振りかぶる。
メイドから見たら、一発でブラフとわかるような、わざとらしい行動。
けれど、師匠はそれを大技の気配と察したのか、意識を俺に傾けた。
その瞬間――メイドが隙を縫う一閃を叩き込む。
それは、師匠にとっては完全に死角となる、不可避の一撃だった。
「ぐっ!」
うめくような声を放ちながら……それでも師匠は柄の先端――頭で叩くようにして、メイドの二刀目を凌いだ。
だが……。
「今です!」
そう、メイドは叫ぶ。
俺は思いっきり振りかぶった。
今度はブラフじゃない。
渾身を込めた、俺の全身全霊。
師匠なら、必ずどうにかしてくれる。
そう信じているからこそ、俺は一切の加減なく力を注げた。
「うおおおおおぉぉぉぉ!」
刃が風を裂く。
わずか一瞬の時間、俺は、刀と一体となったかのような万能感を覚えた。
師匠は俺を見て、微笑を浮かべ頷いた。
「――まあ、合格としておこう」
そして、師匠は――俺の渾身の一撃を、人差し指と親指で挟み、摘み取るように止めた。
音が消えた。
時間が止まった。
世界が、完全な静寂に沈んだ。
見学していたぴよこは、紅茶を片手にあんぐりと間抜け面をしていた。
「え……えぇ……」
そりゃ、どうにかするとは思っていた。
信頼はしてた。
だが、さすがにアマツを指で白刃取りするのは、ちょっと違うと思う。
なんというか……理不尽。
そう、理不尽。
チェスをしていたら、いきなり将棋の駒が盤外から出てきたような、そんな感覚だ。
「……さすが、アラハバキ序列一位。多少腕に自信はありましたが……これは……」
珍しく、メイドも苦笑いを浮かべることしかできていなかった。
ありがとうございました。




