世界の敵(後編)
【敵】
それは扶桑に住む俺たちにとって……いや、全世界にとって共通の存在を意味する。
すなわち――【影】。
「そう。影だ。安直過ぎる名の癖に間違っているのだが、まあしょうがないことか」
螺旋院は黒板に大きく文字を書いた。
【影障】
亜種構造体の総称、ならびにそれにより発生するあらゆる現象を示す。
「通称【影】。それは超自然的な現象による障害を意味する。地震や台風と同じものであると考えたのであろうな」
さらに黒板に文字を書き連ねる。
【影圏】
「これを実際に見たことがある奴いるか?」
螺旋院の言葉に教室の数人が手を挙げる。
南雲やメイド、リムといった実力者は、皆もれなく挙げていた。
「まあ、この程度か。影圏を簡単に示すなら『ゲート』だ。ここから影が現れる。えっと……なんだったかな。そこの凡愚モブ一号!」
そう言って螺旋院は指を差す。
たいへん認めたくないことだが、その指は明確に俺を示していた。
「な、なんでしょうか……」
「アラハバキでは覚醒に至った実戦科には影圏の破壊任務が義務付けられる。貴様も数日以内に通達が来るだろう。実際に任務に出ることになるかどうかは状況次第だが、覚悟はしておけ」
「覚悟……ですか?」
「ああそうだ。今までの雑魚なんかと違って危険度は跳ね上がるからな」
「わかりました。ありがとうございます」
「礼を言う知性はあるか。大変結構! 小生の講義を正しく学び、小生の栄光を知らしめるために生き伸びるが良い!」
そう言ってから、螺旋院はご機嫌な様子で影圏についての説明を始めた。
今までよりもわかりやすく、かつ少し丁寧なのは気のせいではないだろう。
影圏は形状は漆黒の球体であり、二メートルまでの空中か、もしくは地面に半分埋まった状態で発見される。
最初のサイズはボウリングの球くらいであり、この状態なら大した影は出てこない。
放置すると影圏はどんどん巨大化し、それに伴って中から現れる影も強大になっていく。
「外見は黒い球だが性質は亜空間だ。手を突っ込むなんて考えるなよ? どこと繋がっているかなんてわかったものじゃない。破壊方法は簡単だ。強い霊力を帯びたまま攻撃を叩き込めば良い。……【影圏】についてはここまでで良いな」
一旦チョークを置いて、螺旋院は考えるような仕草を見せる。
そして……。
「メイド。消せ」
「了解しました」
それだけ答え、メイドは目にもとまらぬ速度で黒板を綺麗にし、更に螺旋院の前に三種、色の異なる新品のチョークと濡れタオルを用意した。
「……ふむ。まあ悪くない。褒めてやろう」
メイドはぺこりと頭を下げ、席に戻った。
「影圏についてはそういうものがあるとだけ覚えておけば良い。本命は講義の後半だ。さ、次は【亜種構造体】についてだ。本日の講義内で使う専門用語として正しいのはこれだけだろうな」
【亜種構造体】
それは影圏から現れる、この世界のものではないあらゆる存在を示す。
「お前らが相手にする影の解説は……まあいらんだろう。学術的な解説をしておきたいところだが、貴様ら低能には関係ない話だ。だから、こいつだ」
黒板に『妖異』という文字が描かれた。
「実体化した影……とだけ思っているならテストで落第となるぞ。妖異。もともとは単なる妖や妖邪とも呼ばれていたが、今では妖異となった。これも時代だな。相も変わらず言葉は雑で適当だから、覚えるのは適当で良いぞ。カタカナでアヤカシでも意味は通じる」
螺旋院は空欄を三つ、黒板に書いた。
「妖異の分類は三種類だ。これを……メイド! ……は答えなくても良い。カムイ持ちに聞くのは意味がない。じゃあ……凡愚モブ一号で良いな。盛大に間違えろ」
どうやら螺旋院の中で俺はそんな名前になっているらしい。
「影が成った存在……ではないんですよね?」
「それが、一つ目だ」
螺旋院は【亜種構造:変質個体】と黒板に書く。
「三種の中で最も低級で、そして最も出会う確率が高い。影が脱皮し成虫になったとでも思っていろ。じゃ、次を答えろ」
「……わかりません。というか、どうして俺ばかりに聞くんですか?」
「特に意味はない。貴様なら答えられないだろうと思ったからだ。ちなみにだが、次は【通常体】だ」
【亜種構造:通常個体】
名前の通り最初から妖異として現れる存在。
「こいつらはある程度成長した影圏から現れる。人並に知性を持つ個体も多く、時に敵対しないことさえもある。……という話は、貴様らには言うまでもないことか」
螺旋院は俺の方を見ながら意味深にそう呟く。
ただ、それが何を指してどういう意味で言っているのか、俺にはまるでわからなかった。
「わからないということは……そうか。アセリアは違うのか。なら……いや、まあ良い。大したことではない。講義を再開する」
きょろきょろと周囲を見回す。
ぴよこと目が合い、二人で同時に首を傾げた。
「通常体はあらゆる意味で貴様らが相手にする次元の敵ではない。命令が出ない限りは逃げることを推奨する。まあ、逃げ切れるかどうかという話にもなるが。そういう意味で言えば……三つ目は話す価値さえないだろうな」
嫌味ったらしい笑みを浮かべながら、螺旋院は最後の空欄を埋めた。
【神】
そこには、確かにそう書かれていた。
「影圏がゲートであり、異なる次元と繋がるのなら、いないわけがないよな? 我ら扶桑を支える偉大なる御神々のように、そいつらの次元の神が。出会ったら、遺言が残せるよう祈れ。どうせ他に出来ることはない。もしも仮に討伐に成功したら……そいつは皇ノ命陛下より直々に国を賜るであろうな。そういう話なんだよ。神殺しってのはな」
何が楽しいのか、螺旋院はキヒヒと気持ち悪い笑い声を響かせていた。
「せんせー。しつもんでーす」
隣で南雲がそう発言する。
どこか媚びるような、くねっくねした声色だった。
「……なんだ? 言ってみろ」
「神よりヤバい敵っていないんですかー?」
「人。頭が悪い癖に増殖能力ばかり逞しく、しぶとい生けるゴキブリ」
螺旋院は真顔でそう言いきった。
「そういうんじゃなくってぇ、超強い敵とかぁ、有名な敵とかぁ、そういうのはないんですかぁ?」
螺旋院は眉を顰め、一瞬だけ黙った。
「秘匿情報ではないのだが……ううむ……」
「偉大なる螺旋院先生。どうか私に教えてくださぁい♡」
くねっくねした動きで、南雲は媚びた。
媚び媚びに媚びた。
ちょっと吐き気がした。
「まあ良いだろう。だからその気色悪い動きはやめろ」
【七柱の大罪神】
そう、螺旋院は黒板に書いた。
「カムイ使いだって知ってるやつは少ないだろう。メイド。貴様はどうだ?」
「名前くらいは……」
「だろうな。間違えても良い。答えろ」
メイドは頷き、席を立って答えだす。
「人類と敵対、もしくは人類をおもちゃ程度に考える最悪の七柱。世界そのものの癌細胞。いずれ倒すべき人類の宿敵であり、そして今は叶わぬ絶望の象徴。そう、聞かされております」
「……誰から……とは聞かない方が良い話だなこれは。まあ良い。小生の認識とも概ねだが一致している。正しいという保証はないぞ。なにせ確認さえ出来ぬ話だからな。御伽噺みたいなものだ。実在することが確定したな。さて南雲、これで満足か?」
南雲は無言のまま、とても良い笑顔で頷いた。
授業時間も残り少なくなり、頭脳労働の疲労と螺旋院疲れを体感しだしたころ。
螺旋院は言った。
「さあ、ここからがお待ちかねである『国家機密』の時間だ」
直後、部屋の明度が僅かに下がった。
窓の外はカーテンが閉められ、ドアのガラスはまるで暗幕が張られたように漆黒に。
その変化は、瞬きより短い時間だった。
空気が、戦場に等しいほどに張り詰めている。
俺たちは暗に……いや、直に警告を受けていた。
「世界地図を思い浮かべろ。適当で構わん。貴様らの海馬になどさほど期待していない」
そう言った後、大きな古臭いリモコンを螺旋院は操作する。
天井に、地球儀のホログラムが浮かぶ。
ゆるやかに回転する世界は、俺たちの知る世界地図そのままだった。
「これが、貴様らの学んだ常識だ。そして、今このときをもって非常識となる」
そう言って、かちりとスイッチを入れる。
「……へ?」
何か、変な形になっていた。
島国である扶桑は変わらない。
だが、それ以外のすべて、大陸の大半の形が、まるで違うものとなっていた。
ベースは同じ。
大陸の配分や配置なども名残はある。
だが、どの大陸も一割から二割ほど小さく、それでいて形も歪。
まるでネズミにかじられたビスケットのように、妙にジグザクしている。
また、大陸内に湖が幾つも出来ていた。
月に出来たクレーターのように。
「何故扶桑が世界最先端の霊力研究設備があるか。扶桑が優秀だから? はっ! 小生以外の人類にそう差などないわ! これが答え。扶桑は影障の被害が最も少ない地区であるからだ。理由はわからんがな。そして――」
もう一度、螺旋院はスイッチを入れる。
その瞬間、丸い地球に半球が生み出された。
世界を浸食するように、六つの半球が。
「消去が間に合わず、最大範囲と化した影圏だ。ここまで行くともはや巣と呼んだ方が良いな。一応人類の最優先目標としてこれの完全消去を目指しているのだが……難しいと言わざるを得ない」
六つの影圏に、七柱の神。
もしかして……。
「あの、せんせ――」
俺が手を挙げようとした瞬間……。
「この場で質問は許されない。疑問があるなら自ら調査、解明しろ。協力したいのなら自分の出来ることをしろ。解決したいなら英雄になれ」
叱っているわけではない。
けれど、叱られるよりよほど辛かった。
役立たず。
螺旋院の言葉は、そういうことだった。
「扶桑に余力はある。だが、逆に言えば世界で余力のある国が扶桑にしかなく、支援に追い詰められている。そしてもし扶桑にこの規模の影圏……【影の国】が生じれば、この国は終わる。海外と違い、扶桑に大規模影障への抵抗手段はないからだ。以上。本日の講義を終える! 繰り返すが、国家機密である。それを努々忘れるな」
リモコンを操作した後、ぱちんと指を弾く。
教室に光が戻り、緊張感が消えた中、螺旋院はいつものように堂々と教室の外に出て行った。
解き放たれ、教室に日常が戻る。
多くの生徒が俺と同じように、解き放たれた緊張感と疲労から机に突っ伏していた。
ありがとうございました。




