おねえちゃんと一緒
アラハバキに、激震が走った。
それはきっと誰も想像していなかっただろう。
あの、朝霧綾華に弟子が出来るなんて――。
正門の前、登校する俺は無数の視線に晒されていた。
とはいえ、これはしょうがないことだ。
朝霧先輩……いや、あやねぇはアラハバキ最強の名を持っている。
その名を持つ彼女の弟子となったのだから、注目の的となることなんて当然覚悟していた。
ただ……ちょっとばかし……注目のされ方が、俺の予想とは違うというか……。
「おい……あれ……」
「綾華様……ですよね?」
「嘘……だろ……あの人が……」
「別人……じゃないのか……なんということだ……」
周りから、絶望と驚愕が入り混じったざわめきが聞こえる。
そのざわめきは俺ではなく、俺の隣にいるあやねぇを中心に広がっていた。
あやねぇは密着するほどの距離で、俺の隣に付いている。
そしてその顔は……あきれるほどに良い笑顔だった。
甘い。とにかく、甘い表情。
初孫を抱き上げたおじいちゃんくらい甘い顔。
まあ随分と満足げで、そして素敵な笑みを浮かべていた。
言ってしまえばたったそれだけのこと。
だが……その『それだけ』が、アラハバキにとっては完全な異常事態であった。
「……まあ、そうだよな」
俺は先日までのあやねぇの態度を思い返す。
いつも凛々しい表情で、力強い言葉遣い。
戦いにすべてを置いてきた、まるで刀に命を捧げたかのような態度。
それは、その身はアラハバキを体現さえしていた。
はっきり言えば、格好良かった。
剣士として、あこがれぬ者はいない。
まず間違いなく、ファンクラブくらいはできていたはずだ。
で、そのあやねぇが今は……。
「どうした伊織? 何かあるなら、お姉ちゃんにちゃんと言うんだぞ?」
ニコニコ顔で、嬉しそうに。
あんた誰と言いたいような表情で、これでもかと俺を甘やかしに来る。
これはまずい。
そう、俺の脳裏は警告を鳴らす。
これは、人を駄目にするタイプの甘やかし方だ。
たぶん、彼女の中で俺は小学生くらいで止まってしまっている。
しかもたちが悪いことに、この甘やかしに抵抗できない俺もいた。
それが美貌の所為か、忘れた記憶の所為かはわからないが。
反対側にいるぴよこにも目を向ける。
やはり同じような距離感でニコニコ微笑み、「どうしたの?」と首を傾げ、俺を見た。
(これ……俺、だいぶヤバくないか)
アラハバキ最強であり、人気者のあやねぇ。
亜人であり、人受けの良いぴよこ。
そんな二人に挟まれている、成績落ちこぼれ外見平凡な俺。
絵面は完全に、美人二人をはべらす最低男となっている。
弟子入りすることばかり考えていたから、この状況はちょっとばかし想定外だ。
というか、あやねぇと一緒に登下校することさえ想定していない。
早朝玄関で待つあやねぇを見た時の衝撃は、今なお強く残っていた。
「あの……すいません! 朝霧様。少し良いでしょうか?」
女生徒があやねぇに声をかける。
その表情には羨望と困惑が強く見られた。
彼女の方に意識を向けた瞬間、あやねぇの表情が元の凛々しい顔に戻った。
「ぬ? どうした? 何か私に用か?」
「えっと、その……隣の新入生を弟子にしたというのは、本当でしょうか?」
本当に僅かだが、俺は敵意のようなものを感じた。
いや、それはたぶん嫉妬。
その気持ちを抱くのは、彼女だけではないはずだ。
最強の弟子というのは、そういうことだと最初からわかっている。
あやねぇは堂々とした態度で、その問いに答えた。
「間違いではないが、その前に、彼は私の弟だ」
「へ? え? ……おと……うと?」
女性は、困惑した表情を浮かべる。
そんなの気にせずあやねぇは満面の笑みを浮かべ、大きく頷いた。
「うむ! つまり私はおねえちゃんというやつだ! 弟子でもあるし姉弟子でもあるが、それ以上におねえちゃんなんだ。そう、あの出会いを私はきっと忘れないだろう。あれは遠い昔のこと……」
何か変なスイッチが入って、思い出を語るフェーズに入ってしまっていた。
「あやねぇ。ストップ」
「おっと。すまない。つい嬉しすぎて語ってしまうところだった。そんなわけで、私の弟に何か用か?」
「い、いえ。その……お幸せに?」
「うむ! 祝福感謝する! さあ伊織、行こう」
そう言って、あやねぇは俺に腕を絡め、正門へと進む。
視線が、さらに強くなる。
それは弟子入りに対しての嫉妬ではない。
もっとねちっこく、もっと禍々しい。
殺意に等しい、嫉妬の炎。
男たちからの、黒い怒り。
「まあ……うん。しょうがない。コラテラルダメージというやつだ。これは……勲章として受け止めよう」
「何か困ってるのか、伊織」
「あやねぇが美人で困ってるって感じですね」
「はは、おねえちゃんを喜ばせるのが上手だな、伊織は」
そう言って、楽しそうに笑う。
その態度は本当に、自分が美人であるということに気づいていない態度であった。
たぶん、その笑みだけで男なら落とせるであろうに、それを知らないのは彼女自身だけ。
なんともまあ、自分に無頓着なことだろうか。
正門から歩き、校舎前になるとあやねぇの眉が露骨に下がった。
「さて、ここまでだな。寂しいだろうが昼休憩までおねえちゃんとはお別れだ」
顔に『寂しい』と書いているあやねぇはそう口にする。
いや、昼も会うのかよというツッコミは、そっと呑み込んでおいた。
「それで……だ。悪いが少しアセリアを借りても良いだろうか?」
「ぴよこを? どうしましたか?」
「少し話したいことがあってな。女だけの話だから、伊織がいると少し気まずいのだが……寂しくてどうしても来たいというのなら――」
「いえ、大丈夫です。というわけだが、ぴよこはそれでいいか?」
「うん。私もあやちゃんと話したかったし」
「わかった。じゃ、先に教室に行っているな」
そう言って、俺は二人を残し、先に校舎へと向かった。
最初、二人は学内のカフェに向かった。
けれど、すぐに引き返した。
あまりにも、目立ってしまったからだ。
長い灰色の髪と小さな羽を持つ美しい少女。
小柄で紫髪の凛々しい女性。
これで目立つなという方が無理がある。
亜人と学園最強という中身まで伴うのだから、なおさらだ。
だから綾華は、周りを威嚇しながらその場を後にし、アセリアを個室に招待した。
「……こんな場所もあるんだね」
小さな部屋の中で紅茶をもてなされ、感心したようにアセリアは呟く。
「それなりに貢献しているからな。多少の特別待遇は当然だろう」
綾華は当たり前のように言い切った。
そう、これは当然のことだった。
最愛の弟と約束しアセリアを借りたのだ。
彼女に何かあったら、姉として申し訳が立たない。
だから、このために個室を用意することなど、綾華にとっては当然のことに過ぎなかった。
「まず本題の前に聞きたいのだが……」
ずずーっと紅茶を熱そうに飲むアセリアの前に座りながら、綾華は口を開く。
「うぃ?」
「私は……その……邪魔では、なかっただろうか?」
「へ? 何が?」
「こう……つい衝動の赴くまま迎えに行ってしまったが、それで二人の時間を奪ってしまったのではないかと……」
「いや、別にそんなことないよ?」
「そうか。……伊織はどう思っていただろうか」
「困惑してたり、恥ずかしかったりはしたと思うけど、嫌そうではなかったよ」
「恥ずかしい? やはり姉と登校するというのは、弟にとって恥ずかしいことだったのか!?」
「いや、あやちゃんが美人さんだからじゃない?」
「は? ふふ、面白いことを言うな、アセリアは。ただ、アセリアの美貌でそれを言えば、嫌味になるから控えた方が良いと思うぞ?」
くすくすと笑いながら、先輩風を吹かせ、綾華はそう告げる。
アセリアは微妙な苦笑いを浮かべた。
「自覚ないって大変そうだなぁ。それで、あやちゃん。お話ってなに?」
「ああ。そうだ。わかっていると思うが、伊織についてだ」
ぴくりと、アセリアの表情が変わる。
柔らかい表情から、真剣な表情に。
それは、気軽に話して良い内容ではないと考えてのことだ。
「事件についてだよね?」
「いや、それは良い。気にならないと言えば嘘になるが、必要があれば伊織から聞く。私が教えて欲しいのは、その後のことだ」
「あと?」
「そう。もっと言えば、記憶喪失についてだな。単刀直入に聞こう。私は伊織に、私との過去について話した方が良いのか? それとも、黙っておいた方が良いのか?」
「それは……」
「私の知る伊織とは、まるで違う。私と戦っていた時は、限りなく近かった。けど、苦しそうでもあった。過去を思い出すと頭痛がするそうじゃないか」
「うん。原因はわからないけど、思い出そうとするとすごく痛いみたい。特定のトラウマのような記憶だけじゃなくて、全体的に」
「そう……か。アセリア、私はどうしたら良い? 黙っていろというのなら、墓まで持っていくが」
「ううん。そこまではしなくても良いよ。でも、気を付けては欲しいかな」
「つまり?」
「思い出すのは、少しずつで良いと思うんだ。いーくんが聞いてきたら答えるくらいで。私も今は聞かれたことを答えるくらいにしてるよ」
「……なるほど。そういうものか」
「うん。そういう感じ。本当に何も覚えてない時は、知らないと困ることも多かったけど今はそんなにないし」
「わかった、そうしよう。……それなら、昔の思い出を語れるのは、お前だけになるな。アセリア」
「そだね。可愛かったいーくんの話なら、いくらでも付き合うよ?」
「吐いた唾は飲めんぞ?」
「そこまで!? 怖いよ、あやちゃん」
「はは、冗談だ。一割くらいは」
「本気の割合が多すぎるよ!」
「私はそういう生き物だ。ところでアセリア。これはちょっとした相談なんだが……」
「この流れで聞きたくはないけど、なんだい、あやちゃん」
「こう……本当の記憶の代わりに偽の記憶を語るのは、許されると思うか? 道場ではずっと二人で抱き合っていたとか、別れるのが寂しすぎてさよならの時毎回二人で泣いていたとか、そういう美談な感じで」
「許すとか許されるとか以前に、それを美談と思うあやちゃんが怖いかな」
のほほんとした口調で、アセリアは答え、紅茶を飲む。
昔はもうちょっと理性的だったような気がしたアセリアだが……ちゃんと思い返せば、多少取り繕えてはいたが、昔からこんな感じだった。
アラハバキに来て随分大人びたと思ったが、そんなことはない。
それは、単なる『化けの皮』だった。
ありがとうございました。




