はちみつよりもメープル派
俺が教室に入った瞬間、空気が変わった。
二限目半ばなんて中途半端な時間。
俺の姿を、皆がぎょっとした目で見ていた。
全員の視線を一斉に釘付け。
それはもう、ほとんど授業妨害に近かった。
だというのに、今日は俺を叱責しようとしない。
教師さえも、言葉を失い、立ち竦んでいた。
そのくらい、俺の姿はボロボロだった。
白の制服はほとんど灰に等しく、全身切り傷や打撲まみれ。
顔も腫れ、左右不均等。
普通の学校なら職員会議ものだろう。
「すいません。九条先生のスペシャル補習コースで遅れました」
嫌味たっぷりな俺の一言で、みんななんとなく事情はさっせたようだ。
俺が、九条に嬲り者にされたと。
恨みつらみは……ぶっちゃけある。
ありまくる。
俺が望んだこととはいえ、ここまで痛めつけなくても良いだろうと、今でも怒りが燻っている。
ただの逆恨みであるとわかっている。
わかっちゃいるけど、バチクソ腹立つ。
そんなわけで、九条に一撃入れるという野望が俺の目標に追加された。
「……とりあえず、先に保健室に行きなさい」
席に着こうとする俺に対しての教師の一言は、これ以上ないほどに常識的なものだった。
そして昼。
俺は南雲に事情を伝え、手伝いを頼んだ。
さすがに土下座はしなかったが、深く頭を下げて真摯に。
「というわけでなっちゃん。できるだけの詫びはする。だから――」
ぽんと、南雲は俺の肩をたたいた。
「皆まで言わなくてもいいわ、伊織ちゃん。喜んで協力する。というかこんな面白そうなこと、私抜きでやるなんて許さないわ」
「そうか。まあ、そう言ってもらえるとは思っていた。とはいえ謝礼をするつもりはあるぞ? 俺にあるのは金くらいだが」
「別にいらないけど、伊織ちゃんお金持ちなの? ちょっと意外ね」
「遺族金がたんまりと残ってるからな」
珍しく、本当に珍しく、南雲はただただ渋い顔を見せた。
「そんなお金もらえるわけないじゃない……」
「だろうな。なっちゃんの美学に反するとは思ってた」
「いや、美学以前に人としてよ……。反抗期で親に反発してる私が、子供にしか思えなくなったわ」
「生きているうちにちゃんと話し合った方が良いぞ」
「だから、当事者の言葉は重いのよ……」
そう言って、呆れ顔を南雲は見せた。
「いーくんさ、自分が気にしてないことをアピールするために軽い態度で話して、そのたびにドン引かれてるのに、その癖なかなか治らないね」
ぴよこの言葉が俺に刺さった。
「ぐっ! わ、わかってるつもりではあるんだよ。中学の時から。ただ……本当に気にしてないんだよな」
そう言って、コロッケを口に放り込む。
家族のことをほとんど覚えていない俺は、悲しむことさえ出来ていなかった。
「あのさ、一つ聞いていい?」
いぶかしげな目を向けながら、南雲が尋ねてきた。
「なんだい、なっちゃん」
「あんたたちの食べてるのって……何?」
「え? 見ての通り、お弁当だけど?」
そう言って俺とぴよこは今食べかけの弁当を見せる。
三角食べ主義者である俺の方はバランス良く食べられ、どのおかずも残っている。
半面、ぴよこの方は食べる順番そのものに拘るため野菜が先行してなくなり、メインが丸々残っている。
同じ物を食べているのに、食べ方の癖が違うのはちょっと面白かった。
「同じお弁当……よね?」
俺たちは頷いた。
「それ、どっちが作ったの?」
シュバッとぴよこが手を挙げた。
うまくいった日だからだろう。
それはそれは、見事なドヤ顔だった。
「あんたたち……いや、なんでもないわ。これも踏み込むとなんか闇出そうだからやめとく」
俺とぴよこはわけがわからず首を傾げた。
しばらく南雲と談笑をし、食べ終わったあたりで、メイドが俺たち三人にお茶を用意した。
急須で入れた、温かいお茶。
どうやってという疑問は、たぶん気にしない方が精神衛生上良いだろう。
俺はちらりとメイドを見る。
ニコニコとした顔で、幸せそうにしていた。
メイドであることの誇り。
誰かを助けることの喜び。
そういうものも、きっとある。
だが、それが根本ではないだろう。
だって彼女は……。
(俺の予想通りなら、たぶんこれで……)
「メイド」
「はい。なんでしょうか伊織様」
「聞いての通りだ。手伝え」
「はい! お任せください! できる限りの助力をさせていただきます」
満面の笑みで、そうメイドは答える。
半面、南雲とぴよこはドン引きの表情だった。
(やっぱりか……)
俺はメイドに対し、自分の見立てが正しいことを確信した。
あまり好ましくない見立てで、正直当たってほしくなかったが。
「ちょっと伊織ちゃん。どういうつもり?」
南雲は怒りと困惑が混ざり合った目を、俺に向けてきた。
さっきの態度は、あまりにも無礼なものだった。
いくらメイド扱いを望んでいるとはいえ、クラスメイトにしていい対応じゃない。
なのに、メイドの反応はこれまでで最も良いものだった。
それが南雲には異質に映っただろう。
「ねえ、いーくん。メイドさんってもしかして……」
ぴよこの言葉に俺は頷いた。
南雲は俺とぴよこの様子を疑うようなそぶりで見る。
そのあと、小さく溜息を吐いて苦笑した。
「まあ良いわ。よくわからないけど、伊織ちゃんが悪い子じゃないのは知ってる。何か事情があるんでしょ」
「悪いな、なっちゃん。今度飯奢るから許してくれ」
「あら? 私を食事で満足させられるかしら?」
「金ならあるぞ」
「お金なんてもので美食が味わえるなんて思ったら大間違いよ。そもそも、贅沢を求めてないことくらいこれを見たらわかるでしょうに」
そう言って南雲はさっき自分が食べた菓子パンの袋をひらひらと見せた。
「……お金ないのか?」
「私がそんなダサいわけないでしょ。単純に好きなのよ」
「ふむ……。つまり、ホットケーキを用意すれば良いのか? なっちゃんとのご飯は?」
「あ、それならいっそホットケーキパーティーしない?」
ぴよこは横から入り、そう提案した。
「俺としちゃそれでも良いけど、なっちゃんはどう?」
「……ホットケーキミックスは〇永のしか認めないわ」
「なっちゃんって食べ物は割と庶民的なんだな」
「美味しい物に貴賤はないわ。高くても安くても、美味しい物は美しいのよ」
「そう言いながら、なっちゃんはトッピングに金をかけるタイプで、そして俺たちに負担をかけないために自分で豪華なフルーツとかチョコを用意すると見た」
俺の一言に、南雲は目を丸くする。
短い付き合いだが、それでも独特の美学と美意識、そして拘りを持つ南雲の行動は時折驚くほどわかりやすかった。
ありがとうございました。




