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 昼食後、オストレアはカシェとともに芸術科の寮に向かった。ファルベはやはり今日の練習時間にも来ず、カシェは明らかに焦燥していた。 

 大丈夫だと安易になぐさめることができない。ファルベは他の芸術科の生徒と同じく、集中すると周りが見えなくなる面はあるが、カシェを心配させるような行動はとらないのではないかとオストレアは思っていた。

 半避役(カマエレオーン)族の練習場を題材に選んだのも、カシェのいるときにわざわざ通っていたのも、きっと……自分が知らないうちに、二人の距離は縮まっていたのだ。友情から静かに、緩やかに、まるで彼らの特性のように変化していったに違いない。

「ファルベ、いる? オストレアだけど」

 三階にある部屋の扉をたたいて呼びかけたが、応答はなかった。もう一度声をかけ、オストレアがそっと把手を引っ張ると開いた。

 室内は窓に幕が引かれていて暗い。まさか体調を崩して寝ているのかと思ったが、寝台はからっぽだった。

 先に踏み込み、オストレアはぐるりと見回した。カシェの目にとまるとまずいものはなさそうだったので手招きすると、カシェも遠慮気味に入ってきた。

 気のせいだろうか。もう何日も使っていないような違和感を覚える。陽光を入れようと幕を開けかけたオストレアは、「これ――」というカシェのつぶやきにふり返った。

 作業台に置かれていた下絵を手に取り、カシェは食い入るように見つめていた。

「僕が最後にファルベと会った日に、明日から色をつけるって言ってたやつだ」

 まったく手をつけていないと声を震わせ、カシェは唇をかんだ。

「何かあったんだ」

 ぱっとカシェがオストレアを見向く。

「幕が引かれているし、たぶん夜にどこかへ出かけて行って、そのまま……」

 続く言葉はお互いに出なかった。鼓動が速まり、嫌な汗がにじむ。

「カシェ、ブジャルドのところに行ってみよう。何か知ってるかも」

 どうか知っていてほしいという願いとともにオストレアが部屋を飛び出したところで、誰かにぶつかった。悲鳴を上げて尻をついたのは芸術科の女生徒だ。

「ごめんなさい」とあやまるオストレアの後ろからカシェが姿を見せると、その生徒や一緒にいた女の子二人の容相が喜色にきらめいた。どうやら半避役族のようだ。

「君たち、ここ最近ファルベをどこかで見かけた?」

 カシェの質問に三人は顔を見合わせ、首を横に振って否定した。

 オストレアが「ありがとう」と言って、ますます青ざめているカシェの腕を引いてうながしたとき、女生徒たちに呼びとめられた。

「あ、ねえ、カシェ。舞踏会なんだけど、もう誰かと約束してる?」

「……オストレアじゃないわよね?」

 まだカシェの腕をつかんだままでいたオストレアは、彼女たちの刺すような視線に慌てて手を放した。

「違うよ。オストレアはすでに相手が決まってる。変に勘ぐる人が多いけど、僕にとってオストレアはカエルラ・マールムの大事な仲間で友人だから」

 カシェがきっぱり断言する。これまでずっと二人の関係を邪推され、似たような問いを投げられていたのかと、オストレアはカシェに対して申し訳なく思った。

「それじゃあ、私――」

「悪いけど」とカシェは女の子の言葉をさえぎった。

「僕には一緒に行きたい人がいるから」

 呆然とする彼女たちを残し、カシェはオストレアを連れて場を離れた。

 戦闘科の寮は班ごとにある程度部屋をかためられているが、芸術科の寮は男子と女子で階を分けているらしい。ブジャルドの部屋がある一階へと階段を降りていたオストレアの隣で、カシェがため息をついた。

「ちょっときつい言い方になったかも」

 こんなときに舞踏会のことなんか考えられなくてとこぼすカシェに、「当然だよ」とオストレアはなぐさめた。今何が起きているのか把握していない彼女たちに悪気はないとわかっているが、苛立つカシェの気持ちも痛いほど理解できる。

「ブジャルドには僕が聞きにいくから、オストレアは先にリサ姉さんに報告してほしい」

「え、でも……」

「寮の入口でタキュス先輩が待ってるはずだから」

「タキュスが? どうして?」

 いぶかったオストレアははっとした。

「まさか、私がブジャルドと会うのを警戒してるの?」

 一人じゃないのにとかっとなったオストレアは、カシェの厳しい顔つきに口をつぐんだ。

「……カシェも……反対なの?」

「僕には判断がつかない」

 カシェは目をそらした。

「四人でいた頃が楽しかったのは本当だ。でもブジャルドは変わった」

「それは、サエウム先輩に暴力を振るわれて――」

「……もう一人、半蛇(オピース)族がいると言われているよね」

 カシェの指摘に血の気が引いた。まだ捕まっていないとされるのは、半鼢(タルパ)族の見た目をしている生徒だ。

「……待っ……嘘でしょ。ブジャルドを疑ってるの?」

 どうして、とカシェの胸をこぶしでたたく。

「オストレア――」

「やめてよ。ブジャルドじゃないわ。絶対に別の……」

 そのとき足音がした。近づいてきたタキュスにオストレアはこわばった。

「オストレアをお願いします」

「気をつけて行け」

「大丈夫です。今日はちょっと尋ねるだけにしますから」

 ぎこちなく口角を上げ、カシェはオストレアをかえりみた。

「僕だって信じたいよ。でももしファルベを手にかけていたなら……誰であっても許さない」

 身をひるがえしてカシェが歩きだす。後を追おうとしたオストレアは背後からタキュスに抱きしめられた。

「タキュス、どうして? ブジャルドは違うわ。あんなに苦しんでるのに――」

「トレーネもいなくなった」

 ささやかれ、オストレアは息をのんだ。

「最後にあいつを見たのは、ブジャルドの部屋でお前の絵を盗もうとした連中だ。逃げ出したところをトレーネに目撃されたらしい」

 その後トレーネがどうしたかまでは知らないそうだが、行方不明になっているのは確かだとタキュスが語る。

「そんなの、ブジャルドとは関係ないかもしれないじゃないっ」

 何でもかんでもブジャルドと結びつけるのはやめてと、オストレアは訴えた。

「まずはカシェの報告を待つんだ」

「だって、あんまりだわ」

 気持ちが高ぶって涙があふれる。すすり泣くオストレアの髪にタキュスが口づけた。

「疑いを晴らしたいなら、なおのこと調べたほうがいい」

「もし、ブジャルドが無実だったら?」

「そのときは、潔くあいつにあやまる」

 だからはっきりするまでは近づくなと言われ、オストレアは体の力を抜いた。

 以前、タキュスの直感はむげにするなとエグルに忠告された。 

 タキュスも、そしてソンリッサもブジャルドにいい印象をもっていない。

 ブジャルドが半蛇族なら、どうして今まで自分たちは無事だったのだろう。仲良くなってから食うつもりだったのか。

 ファルベはどこに行ったのか。トレーネは。

「タキュスの勘が外れてたら、ぼこぼこにしてやるんだから」

 嗚咽を漏らしながら文句を吐くと、抱擁が強まった。

「甘んじて受ける。好きなだけ殴れ」

 優しい響きにいっそう涙腺を刺激され、オストレアは自分を抱くタキュスの腕に手を重ねた。



 昼休憩後、午後の授業を欠席して食堂に集まったカエルラ・マールムの班員に、カシェは暗くかたい表情で話した。

 ブジャルドによると、所在がわからなくなったと思しき夜に、絵の進み具合をファルベが確認に来たらしい。自分が部屋にこもるようになってから、ファルベは連絡係として先生との間に入っていたのだと。しかしその日を最後に来なくなり、てっきり風景画の制作にのめり込んでいるものとばかり思っていたという。

「部屋の中は観察できた?」

 ソンリッサの問いかけに、「多少はですが」とカシェは答えた。

 ブジャルドは扉を全開にして歓迎してくれたわけではなく、むしろ少ししか開けなかった。それでもかろうじて見たのは、寝台の上に山積みされた服と、大きなかばんだった。

 この絵を描いたら一度郷へ帰る予定だとブジャルドは説明した。母に会う必要があるからと。

「絵はほぼでき上がっている感じでした」

「風景画だったよね。何の絵だい?」

 エグルの質問に「憩いの噴水池でした」とカシェがオストレアを一瞥する。描かれていた小さな人影はたぶんオストレアとブジャルドだと言われ、オストレアは肩をはね上げた。

「すごい執着だね……結論、室内に違和感は?」

 腕組をして椅子の背もたれに寄りかかるエグルとは反対に、カシェは姿勢を正した。

「ありました」

 オストレアは唇をかんだ。膝上でにぎったこぶしを、隣にいたタキュスの大きな手が包み込む。

「戦闘科長に調査申請を出すか?」

 マスィーフがソンリッサに視線を投げる。

「そうね。すでに証拠隠滅をはかっている可能性も高いけど」

「探るとしたら、食堂に行っている間かな」

 エグルの言葉に、カシェはかぶりを振った。

「おそらく食事はとっていません。まともに眠ってもいない様子でした。作品の提出が近くなると似たような生徒が多くなるので微妙なところですが、もし部屋を空けて誰かに入られるのを警戒しているのが理由なら……」

「私がブジャルドを外に連れ出すわ」

 手を挙げたオストレアに全員の目が向いた。

「作品が完成間近なら、差し入れを持っていって誘えば動くかも」

「だめよ。そんな危ないまねをしなくても」

 一番にモラが反対した。

「でも、ブジャルドは私を傷つけたりしないと思うの」

「追い込まれればわからないわよ」

 とめないのかと、モラがタキュスを見やる。タキュスはむっつりとした顔でオストレアを黙視していた。

「お願い。私にやらせて」

 オストレアの意志のかたさに、ソンリッサは一度目を伏せてから了承した。

「いいわ。でも無茶はしないでね」

「うん。ありがとう、リサ姉さん」

 オストレアもうなずき返す。それから皆で作戦を立てた。



 筆を置き、ブジャルドは深く息をついた。出来栄えを確かめ、満足のいく仕上がりになったことに瞳をすがめる。

 夕暮れの迫る中、噴水池に尾びれを浸した少女は今にも水に入りそうな姿勢でいる。本当はもう、彼女が単独で過ごすことはない。いつも誰かが――たくさんの人が囲み、注目しているから。

 しかし絵の中で彼女を見つめているのは一人だけだった。一定の距離までしか近づけない噴水池で、他種族である身を嘆くことしかできない不満をかかえ、背後にじっと立っているのは。

「君がうらやましいよ」

 ブジャルドはつぶやいた。

「僕も、彼女と同じ種族に生まれたかった」

 返事はない。衣類をすべて取り出した箪笥からは物音一つしない。

 そのとき、窓がたたかれた。扉ではなく窓であったことにブジャルドはびくりとした。絵を描くときは外している黒眼鏡をつかみ、息を殺して注視していると、またコツコツとたたかれて白い手が振られた。

 すっかり暗くなった外でぼんやりにじむ柔らかそうな手にまさかと胸が高鳴り、ブジャルドは黒眼鏡をかけながら走り寄った。

 掛け金を外すのももどかしいまま乱暴に窓を開けると、オストレアがいた。

「こんばんは、ブジャルド」

「オストレア? こんなところで何をやってるんだい?」

「ブジャルドのまねをしてみたの」とオストレアは微笑んだ。寮の玄関は閉まっていて入れなかったのだと。

「最近来ないからどうしてるのかなって思ってたんだけど、ブジャルドが少しやせてたってカシェに聞いて……よかったら一緒に食べない?」

 パンや菓子の入ったかごをちょっと持ち上げてみせるオストレアに、ブジャルドの心は揺れた。

「部屋は散らかってて……それにこんな遅くに女の子を上げるわけにはいかないよ」

「じゃあ、ここで食べようよ」

 そのとき、室内でカタリと音がした。オストレアにも聞こえたらしく、いぶかしげな容相になったので、ブジャルドはさっと飛び降りて窓を閉めた。

「敷物がないと君の服が汚れるよ」

「平気。私は戦闘科よ」

 得意げに笑い、オストレアが地面に座る。その隣にブジャルドも腰を下ろした。

「作品展には間に合いそう?」

「たった今、描き終わったよ」

「そうなの? 後で見せてもらってもいい?」

「……作品展のときにね。それより、ファルベは見つかった?」

 尋ねると、オストレアはうつむいた。

「今日、部屋に行ってみたんだけど、何日も使われていないみたいで……幕が引かれてたし、やっぱりブジャルドのところに顔を出した日の夜にいなくなったのかも」

「そうか」とブジャルドは視線をそらした。

「本当は、カシェと捜してくるって言って寮を出たの。でもブジャルドと話したいから、今はカシェ一人でこの近辺を探ってもらってる」

 郷に帰るのかと聞かれ、ブジャルドは口ごもった。

「もしかして、もうメソス・スコラには戻ってこないつもりなの?」

 銀色の双眸がひどく揺れている。

「せっかく友達になったのに」

 胸の奥がざわつき、ブジャルドはふいと顔をそむけた。

「……母さんにもらった首飾りを、サエウム先輩に壊されたんだ。僕にとってはとても大事なものだから」

「じゃあ、修理するか新しいものをもらうってこと? そうしたらまた会える?」

 すがりつくような問いかけが、振り切れない未練をいっそう煽る。

 自分とて、できることならそうしたい。

「……かないか」

 こらえきれず漏れた言葉に、「え?」とオストレアが首を傾けた。

「一緒に行ってくれないか」

 目を見開くオストレアの手をにぎり、ブジャルドは訴えた。

「君がいないと僕はだめになる。あの半馬は君なしでも平気だろうけど、僕は――」

 不意に背後で泣き声がわっと弾けた。

 血の気が引き、ブジャルドは立ち上がった。そこへ頭上で羽音が響く。

 仰いだときにはもう、急襲してきた半鳥(アウィス)族の男子生徒に蹴倒されていた。慌てて身を起こしたところを縄で縛られて、もう一度地面に転がされる。

「捕獲」とエグルの冷えた宣言が闇夜に染み込んでいく。背中を踏まれてうめいたブジャルドは、半馬が近づいてくるのを見た。夜の暗さをものともせずきらめく白金色の髪に、鋭い金色の瞳。

「大丈夫か」

 彼が手をのばした先にいたオストレアは泣いていた。

「……どうして……どうしてブジャルドなの……?」

 銀色の瞳からこぼれ落ちる滴は、輝いていて美しい。こんなときでも、彼女の声は耳に心地よかった。

「こんなの嫌だよ……噓だと言ってよ……」

 自分ははめられたのか。オストレアが自分を誘い出したすきに、誰かが部屋に侵入した?

 玄関に鍵がかけられる前に、寮に潜り込んでいたというわけか。

 閉めたはずの窓が内側から開かれた。現れたのは、怒りと悲痛の色濃い面持ちのカシェだ。

 ブジャルドは唇をかんだ。やはりカシェをごまかすことはできなかった。何かを隠していると勘づかれ、カエルラ・マールムが調べにきたのだ。

「ブジャルド……どうして……?」

 オストレアはただ一人むせび泣いている。彼女は最後まで自分を信じようとしてくれたのだ。

 だからそばにいたかった。

 彼女と……いたかったのに――。



 廊下で扉に張り付いて聞き耳を立てていたカシェは、オストレアに招かれたブジャルドが外に移動するのを待って少しだけ扉を開け、中をのぞいた。

 部屋を出る際、ブジャルドは窓を閉めたらしい。念のため体色変化して姿を消し、カシェはそっと入室した。

 絵が完成している他は、昼休憩に来たときと変わらない。寝台の上には不自然に衣服が積まれ、箪笥は――そこでカシェははっとした。両開きの箪笥の把手が紐代わりにした服で結ばれている。まるで開かないようにしているみたいだ。

 足音を忍ばせて箪笥に近寄り、カシェは声をひそませた。

「誰かいますか?」

 とたん、内側から反応がきた。

「ちょっと待って。今開けるので静かに」

 必死に扉をたたく相手に注意をうながし、カシェは結び目をほどいた。解放された箪笥から転がるように出てきたファルベは、カシェに飛びついて大泣きした。

 ブジャルドは気づいただろうが、きっと屋根にいたエグルにも聞こえたはずだ。まもなく激しい羽音がし、「捕獲」の一声が届いた。

 犯人はブジャルドだった。オストレアの心情を想うと胸が痛んだが、目の前の少女が生きていたことにカシェは喜びを隠しきれなかった。

「無事でよかった。ファルベ……」

 正直、絶望しかけていた。間に合わないかもしれないと。

 何度も自分の名を呼んでしがみつき泣きじゃくるファルベを、カシェは強く抱きしめた。

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