(19)
「下絵は完成したみたいだね」
授業後、首にかけた布で汗をふきながらやってきたカシェに声をかけられ、木の下に座っていたファルベはぱっと顔を上げた。
「うん。明日からは絵の具を持ってくるわ」
「ここで塗るの?」
「たいていの人はそうよ。ブジャルドみたいな記憶力はないもの。それに、外で作業するのも楽しいから」
「そうなんだ……隣、いい?」
周りで絵を描いていた女の子たちの視線がそそがれる中、「どうぞ」と応じると、カシェがはにかんだ笑みを浮かべて横に腰を下ろした。その際、軽く肩が触れ、ファルベはどきりとした。
「……なるほど、ここからだと訓練の様子が丸見えだね」
カシェが絵と練習場を見比べる。
「風景画の課題は毎年、戦闘科の練習場にする人が多いみたい」
ファルベはさりげなく視線を下げた。カシェのほうを向いてしゃべると、もう一つの目的がばれてしまいそうで怖い。
「いつになく見学者がたくさんいるから、みんな緊張してるよ。僕もファルベに気づいたときはしくじった」
苦笑するカシェにファルベは驚いた。
「全然わからなかった。カシェは一年生の中では一番強いでしょ?」
一人だけ動きが違っていたのだ。瞬間移動の速さも、戦い方も、同級生を圧倒している。
だから最近、同族の女の子たちが騒いでいる。もともとカエルラ・マールムに配属されたことで関心を集めていたところへ、実際に戦闘の様子を目にして熱を上げる女生徒が急増したのだ。
エグルやタキュスみたいにあらゆる種族からもてはやされるわけではないが、半避役族では時の人だ。戦闘科より知識科が似合いそうな落ち着いた外見でバルバルス・オースの幻影をさくさくなぎ払っていく姿に、自分も何度手をとめて魅入ったことか。
「僕にはオストレアほどの才能はないから、ひたすら練習あるのみだよ」
彼女の上をいけるとは思っていないけれど、せめて遅れをとらないようにしたいと意気込むカシェに、胸がうずいた。
「……カシェは……オストレアが好きなの?」
オストレアが総母だと聞いたときは大いに納得した。あの歌声は一度でも耳にすれば忘れられなくなる。
ほがらかで親しみやすい、とても魅力的な女の子と友達になれたのは幸運だ。自分もオストレアが大好きだ。
でも――。
「好きだけど、それは仲間とか友人とか、そういう意味だよ」
「……もしかして、オストレアの匂いを嗅いだことないの?」
「あるよ。すごくいい香りだった」
屈託のないカシェの笑顔に、ファルベはとまどった。
男子はみんな、総母に惹かれると思っていた。匂いに美声まで加わればなおのこと。
あんなに近くにいるのに。
いつも一緒に行動しているのに。
「別に強がってはないよ」とカシェはくすりと笑った。
「誰が最後まで匂いにつられないか、班で競争してるわけでもない」
どうやらこれまでさんざん疑われたらしく、ファルベが問いを重ねる前にカシェは答えた。
「オストレアといるのは楽しいし、匂いがしたときはどうしてもちょっと反応してしまうけど、異性として意識する気持ちはなぜかわかないんだ」
自分の立ち位置がうらやましがられるものだという自覚はあるが、それを利用してオストレアとどうこうなりたいとは思わないと言うカシェに、ファルベは不思議がりつつも安堵した。
カシェとオストレアはあくまでも仲間であり友達なのだ。
(よかった……)
つい心の内でこぼし、ファルベは恥ずかしくなった。もともと好きだという歌で皆を魅了することはしても、オストレアは極力総母という特異性を目立たせないようにしている。
ちやほやされたくて総母の印をひけらかしていたジェローシアとは違うのに、カシェを取られそうとか、浅ましい考えをちらとでももってしまうなんて。
「それに、オストレアは好きな人がいるしね」
「――あ、もしかしてあの噂は本当なの?」
オストレアとタキュスが想い合っているという話は、芸術科の生徒たちの間でも広まっている。オストレアは総母の印をタキュスと二人だけのときに解放しているとか。そのためタキュスを追いかけていた女の子は嘆いているが、エグル贔屓の子たちはほっとしているらしい。
「オストレアが積極的にリンゴの匂いでタキュス先輩を誘っているというのは嘘だよ。むしろオストレアは僕たちに迷惑をかけないようすごく気をつかってる。自室でも封じてるくらいだから」
相思相愛なのは間違いないけどね、とカシェは腰を上げた。
「そろそろ行くね。明日も練習時間に来る?」
「お邪魔でなければそのつもり」
そう、と微笑んで一度背を向けたカシェが、肩越しに見やった。
「……ああ、そうだ。舞踏会の同伴者、もう決めてる?」
「ううん、まったく」とファルベは首を横に振った。
「よかったら、一緒に行かない?」
「えっ……」
瞠目するファルベに、「考えておいて」と言葉を残し、カシェは去っていった。
しばらくたってからようやく理解が及び、ファルベは一人赤面した。
舞踏会では毎年一年生がお披露目を兼ねて順に入場する。同伴は一年生同士でもいいし、上級生に頼んでもかまわない。最初のダンスはそのままその相手と踊るので、もともとの知り合いか、もしくはこれを機に親密になりたい人に声をかけることが多いという。
別にカシェに告白されたわけではない。ただ一緒に行かないかと提案されただけだ。
知り合いだから――きっと、それだけだ。
でも、嬉しい。外に漏れそうな心音を手で押さえても、ファルベは頬がゆるむのをとめられなかった。
夕食をとうに過ぎた時分、寮の廊下を歩いていたトレーネは、あせった声が飛び交っているのを耳にした。
「くそ、鎖でつないでやがる」
「引き出しも鍵がかかってるぞ」
「この絵は?」
「まだ描きかけだからだめだ」
「おい、急げっ」
扉の開いていた部屋から数人の男子生徒が出てくる。彼らはトレーネと視線があうと、明らかにまずいという顔で逃げていった。
いったい何事かといぶかりながらのぞいたトレーネは、そこがブジャルドの部屋だと気づいた。
例の暴行事件以降引きこもっていた彼が最近ようやく制作を再開したと、噂に聞いた。留守なのは食事にでも行っているのかもしれない。
ということは、先ほどの生徒たちはブジャルドがいないすきに部屋を荒らしに来たのか。
ブジャルドが描きためているオストレアの絵を欲しがっている男子は多いから、盗みに入ったのだろう。
あきれつつ扉を閉めようとして、トレーネは途中やめになっている絵を見た。あれは憩いの噴水池だ。
いけないとは思ったが誘惑に勝てず、トレーネはそっと中に入った。
水の流れる音が今にもあふれてきそうな、情感豊かな筆致だった。噴水池に尾びれを浸しているのは半魚族の少女で、描き手本人と思しき人物が少し離れて立っている。
相変わらず素晴らしい出来栄えだと感心し、トレーネは作業台に飾られているもう一枚の絵を凝視した。
一年生ながら最優秀賞をとった『輝いている異性』は、間近で目にするとその魅力にめまいがしそうだった。
彼が描いた少女は本当に美しかった。実物はここまでではないと思えたのに、歌っているときの彼女はまさにこの絵のとおり色香を放っている。
入学時、タキュスはオストレアを一目見るなり強引に乗せて連れ去ったという。今まで異性をまったく寄せ付けなかったタキュスらしからぬ行動は、自分を含め女生徒たちを驚かせた。
それでも、仲間として受け入れただけならまだよかった。その想いが信頼と友愛であれば我慢できたのに。
あのとき故郷から届いた果物はタキュスの好物だった。いつ話しかけてもすげないタキュスが今度こそ嬉しそうに笑ってくれることを期待して持っていった先で見たのは、オストレアを押し倒すような形で見つめ合っているタキュスの姿だった。自分が邪魔をしなければ、口づけもしていたかもしれない。
思い出すと涙がにじみ、トレーネは唇をかんだ。
物心ついた頃からタキュスが好きだった。陽光を浴びてきらめく白金色の髪も、意志の強さに輝く金色の瞳もまぶしくて。女の子には目もくれず男の子たちと駆け回る活発な姿をいつも眺めていた。
早駆け大会にタキュスが出場する年になると、女の子は皆色めき立った。誰もが彼に選ばれたい、求婚されたいと願っていたが、その年の行事はバルバルス・オースの襲撃騒ぎで中断された。何人もの少年が命を落とし、生き残ったタキュスもけがを負った。
翌年、タキュスは集落を出てメソス・スコラに入学してしまった。だから自分もメソス・スコラに来たのだが……。
まさか、彼女が総母だったなんて。ジェローシアには見向きもしなかったのに、なぜタキュスは彼女に心奪われたのだろう。
声に惹かれた? 歌力も魅力も備えたオストレアの歌は聴く者を虜にする。ジェローシアがなじったように、妖しい歌でタキュスを惑わせたのか。
違う、とトレーネはかぶりを振った。受付で会ったときにはもう、タキュスの気持ちはオストレアに向いていたのだ。郷では誰にもそそがれることがなかった熱のこもったまなざしは、この先もずっとオストレアだけに――。
筆を洗った容器が視界に入り、トレーネは衝動的につかんだ。最優秀賞の絵に中身をぶちまけようとした刹那、戻ってきた部屋の主にとめられた。
「何をしてるんですか」
後ろ手に扉を閉めたブジャルドが大股で詰め寄ってくる。黒眼鏡をかけていてもわかるほど、ブジャルドは警戒と憤りをあらわにしていた。
「僕の絵を汚すつもりですか。僕のオストレアを」
ゆらりと立ち昇る異質な気に、トレーネはおびえた。彼は本当に半鼢族なのか。
本能でわき上がる恐怖と嫌悪に震えがとまらない。これは――このぞっとする気配は。
「あ……なた……半蛇――」
飛びかかられ、トレーネは寝台に尻をついた状態で首を絞められた。
唇をわななかせ、悲鳴すら上げられないまま目を見開く。半馬になって相手を蹴ればまだ――最後の望みにすがろうとしたトレーネはしかし、大きく裂けた口にかぶりつかれ、頭部を失った。
血しぶきは絵にはかからなかった。ブジャルドが掛布で自分とトレーネをくるんだのだ。代わりに大量の血を吸った掛布ごとトレーネを寝台に転がし、ブジャルドはかみちぎった頭を飲み込んだ。
長い髪の毛がのどに引っかかっていらいらする。荒い呼吸を繰り返しながら、ブジャルドは初めて自室で殺めた半人をねめつけた。
動揺より激昂を抑えるほうが難しかった。
あやうくオストレアの絵を傷つけられるところだったのだ。大事な、とても大事な宝を。
なぜだ。なぜ誰も彼もが奪おうとするのか。
そのとき扉がたたかれた。掛布も敷布も真っ赤に染まっていたため、ブジャルドはとっさに衣類箪笥を開けて手あたりしだいに服を取り、トレーネの遺体の上にバサバサと放った。しかし派手な物音のせいで部屋にいるのがばれたらしい。
「ブジャルド、いるの?」
扉を開けてひょこっと顔をのぞかせたのはファルベだった。
「先生に絵の進み具合を見てきてくれって頼まれたんだけど、どんな感――」
笑顔だったファルベがかたまる。視線の先にあるのは服が山積みされた寝台だ。そこからトレーネの足がはみ出ているのに気づいたブジャルドはファルベに迫り、室内に引きずり込んだ。床に倒れたファルベが驚惑のさまで寝台とブジャルドを交互に見やり、「嘘……」とつぶやく。
がたがたと震えながら尻を滑らせて後ずさるファルベを無言で見下ろし、ブジャルドは手をのばした。
早朝、まだ夢の中のオストレアの額に軽く接吻し、タキュスは寝台を下りた。枕を持参して三日になるが、離れがたい想いをかかえて抜け出す寂しさはぬぐえない。それでも安らいだ表情で眠るオストレアをわざわざ起こす気にもなれず、静かに扉を開閉したとき、隣の部屋から同じように出てきたラクスと目があった。
「――えええっ!?」
「朝から騒ぐな」
小声で注意する。しかしよほど驚いたのか、ラクスはさらに大声で問い詰めてきそうだったので、タキュスは急ぎ部屋を離れた。
「いや、だって驚くだろう。付き合いだしたのってつい先日だよね? さすがに早すぎない?」
「だから声を落とせ。まだだ」
ついてくるラクスに嘆息して否定する。半魚族の声量で他の生徒の起床までうながされてはたまらない。
「今は慣らし中だ」
「何それ」
とまどい顔でラクスが追及する。
半馬族の交際は結婚に直結するものであり戯れの概念はないため、日中は別行動をとっていても夜は基本的に寝床を共有する。しかし気持ちを通わせたばかりのオストレアはタキュスが触れるだけで緊張と羞恥に縮こまってしまうので、まずは毎夜寄り添って眠り、少しずつ心構えを養っていくことにしたのだ。
「タキュスって、仲良くなると本当に優しいよね。でもつらくない?」
男にとっては生殺しじゃないかと同情され、タキュスは口の端を曲げた。確かに我慢を試されている形ではあるが、はにかみながらすり寄り甘えてくるオストレアに自分の欲を押し通すのはためらわれた。
「オストレアがかわいいんだね」
にやにやして、ラクスが「匂いは封じてるんだよね?」と確認する。
「当たり前だ。解放されたら自制できなくなる」
むすっと応じるとラクスは笑った。
「でもよかったよ。君がオストレアを大事にしてるみたいで、モラが喜んでた」
幼い頃からオストレアと仲が良かったモラには、オストレアが関係の進展を報告した。そこからソンリッサに伝わり、カシェもオストレアにそれとなく聞いたらしい。マスィーフとタオヘンも空気を読み、班の中で一番やっかいなエグルは――もちろんあの手この手でからかってくるので非常に鬱陶しいが、嫌味ではなく祝福しているのがわかるし、本気で怒らせないぎりぎりのところでとめているからある意味憎らしい。
本当はソンリッサとシュタルクのように、どこからもちょっかいがかからない状態にしたいのだ。オストレアに近づこうとする輩は多いし、周囲への認知と牽制は早急に進めたい。人前での接吻は恥ずかしいからやめてとオストレアにはとめられているが、友達に立候補して『もしも』の時に備えたいと宣戦布告をしてきたアファブレに対しては、一度だけあえて見せつけた。後でオストレアに怒られたものの、真っ赤になって涙目で文句を言われても愛しさが増すばかりで怖くない。
嫁取りの儀から逃げたい気持ちもあってメソス・スコラに来たから、戦闘科に決まったときはほっとしたのだ。そして強くなることに夢中になり、揉め事のもとにもなる異性をずっと避けてきた自分が、まさか伴侶にしたいと思えるような相手に出会うとは。
半馬族には余裕で感じられるほどの好意を垂れ流しながらなぜ足踏みしているのかわからなかったが、それも解決した。ソンリッサの話を早とちりしていただけだったことにあきれて叱ると、本人はひたすら小さくなっていたが。
歌っているときはすきがなく圧倒的な存在感を示すのに、素は穴だらけで抜けていて、こちらまで気が緩みそうになる。添い寝だけが習慣になっても困るので様子を見て徐々に深めていくつもりだが、オストレアを腕に抱いていると、つい警戒心が解けて一緒に眠ってしまうのだ。
郷ならそれもいいが、少なくともあと一人、動向に注意しなければならない者がいる以上、今のメソス・スコラでのんきに過ごすわけにはいかない。
何があろうと守らなければ。たとえオストレアが泣くことになっても――憂いを残さないために。
部屋の外で弾けた誰かの叫び声に目を覚ましたオストレアは、隣にタキュスがいないことに気づいた。敷布をさわるとまだぬくもりが残っていたので、どうやら帰ったばかりのようだ。
タキュスが枕持参で訪ねてきたときはまともに呼吸ができないほど緊張したが、タキュスは無理強いしなかった。早く慣れろと口調はぞんざいでも、自分を抱きしめて横になり、初日はそのままおしゃべりした。
半魚族の付き合い方はどんな感じなのかと質問されたので、結婚を意識したら一緒に泳ぐのだと教えた。子作りのときだけは本来の姿に戻って泳ぎながら交わるため、息の合った泳ぎ方ができれば婚約に進み、できなければ別れる場合もあると。
「お前も元の姿にならないと子ができないのか?」
「うちはお父さんが人の状態でもお母さんは身ごもったそうだから、無理に半魚に戻らなくても問題ないとは思うんだけ……ん」
髪をすく手が優しくてどきりとしたところへ額に接吻までされて、オストレアは思わず鼻にかかる声を漏らした。
「ならいい」と吐息交じりのささやきが肌に触れてくすぐったい。そのまま点々と口づけを落としていくタキュスの追撃に動揺し、つい逃れようとオストレアがタキュスの胸にすり寄って顔を伏せると、今度は左足が乗ってきて全身を包むように抱きすくめられた。
自分がいいと言うまで手は出さないと約束してくれたから大丈夫なのはわかっているが、密着しすぎて恥ずかしい。それなのにもっとくっついていたいという欲もわいてきて、自分のことなのに混乱してしまう。
そういえばソンリッサとシュタルクもちょっとしたすきに触れ合っている。タキュスの変わりようからして、半馬族は生来愛情表現が過剰気味なのだろうか。
「お前は体温が低いな」
「冷たい?」
「いや。ひんやりして気持ちいい」
髪をなでられ、オストレアは目を閉じた。
「タキュスは温かいね」
「生煮えになるか?」
療養の泉での会話を覚えていたらしい。オストレアはふふっと笑った。
「生煮えにはならないけど、眠くなるわ」
聞こえてくる心音が心地よい。深い愛情にくるまれているみたいで安心する。
「なら、寝ろ」
「いいの?」
顔を上げると、「ああ、俺も寝る」と額に頬ずりされた。
結局その日も翌日も、さらに次の日も、抱き合っているうちに寝てしまった。起きているときはドキドキしているのに、いつの間にか意識が飛んでいる。
タキュスのぬくもりに慣れてきた証拠かもしれないが、目覚めたときに姿がないとまるで一人置いていかれたみたいで、胸にぽっかり穴があいた気分になる。
今度から部屋を出るときは起こしてもらおうか。黙って去られると寂しいから。
食堂に行けばまた会えるとわかっていても、物足りないと思うのはわがままかなとため息をつき、オストレアは寝台を下りた。
着替えて部屋の扉を開けると、ちょうど隣室のモラも出てきた。
「ラクスがタキュスに会ってびっくりしたみたいだね」
モラが苦笑する。では聞こえてきた叫び声の正体はラクスだったのか。
交際初日の夜に枕を持って来たタキュスを目にしても、モラは驚かなかった。先にソンリッサから半馬族の習慣について説明を受けていたらしい。そうしないと、オストレアの部屋に出入りするタキュスを見たモラが騒ぐかもしれないとソンリッサが心配したのだ。確かに事前知識がなければ、急ぎすぎだとモラはタキュスをなじっていたかもしれない。
ただ、もしタキュスが嫌がるオストレアを無視して迫るようならすぐ駆けつけるつもりでいたと、後でモラに言われた。翌朝のオストレアが照れ臭そうにしながらもしっかり休み、タキュスもオストレアの意向を尊重する気だと知ってからは、モラもタキュスを信用して任せることにしたようだ。
ラクスは毎日モラの部屋に来るわけではないし、シュタルクに聞いている可能性もあったので話していなかったのだと、モラはオストレアにあやまった。やはり先に教えておけばよかったねと。
半馬族の婚前同棲にかぎらず、受け継がれてきたしきたりは種族によってさまざまだ。また余裕があるときに他の種族のことも聞いてみたいなと思いながら、オストレアはモラと連れ立って食堂へ向かった。
班全員がそろった朝食時、次の出動日と行き先、さらにそれとは別にニグレードー・マールムから共闘の申し込みがあったことをソンリッサが告げた。
いよいよ外部への出動が決まったようだ。嬉しい知らせにオストレアたちは班内で拍手した。彼らの復帰第一戦に声をかけてもらったからには、こちらも全力で頑張りたい。
具体的な計画はこれからニグレードー・マールムと詰めていくというソンリッサに了承し、食事を終えた者から順に席を立つ中、オストレアは一人浮かない顔のカシェに首をかしげた。
「カシェ、どうかしたの?」
尋ねたオストレアをじっと見て、カシェは目を伏せた。
「ちょっと気になることがあって……ここ数日、ファルベの姿を見かけないんだ」
「絵の制作で寮にこもってるとかじゃないの?」
「そうだといいんだけど……」
ファルベは今回、戦闘科の半避役族が利用している練習場を描くと言って、毎日足を運んでいたらしい。カシェも間で絵をのぞき、よく言葉を交わしていたのだが、数日前から来なくなったのだと。
風景画は持ち運びのできる絵の具一式をかかえて現場である程度仕上げる生徒が多く、ファルベもそうすると聞いていたからと言うカシェに、オストレアも沈黙した。
自分と違ってカシェはいつも冷静だ。そのカシェの懸念を軽く流していいとは思えない。
「寮には行ってみた?」
カシェがかぶりを振る。一応部屋の場所は教えてもらっているものの、同族とはいえ所属する科が違うし、恋仲でもない異性の部屋を気軽に訪ねるのは抵抗があると遠慮しているカシェに、「じゃあ、一緒に行ってみよう」とオストレアは誘った。
「部屋で作業していると確認できれば安心でしょ」
「……うん。ありがとう、オストレア」
カシェがかすかに微笑む。昼休憩に約束をし、オストレアも授業に出席するため食堂を出たので、背後でカシェがタキュスと二人で話していたことに気づかなかった。




