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少し時が流れた。
本能寺から火の手が上がっていた。
炎に包まれた部屋に織田信長という男がいた。
男は笑って口を開く。
その瞳には憎しみも恐怖も浮かんでいない。
男はどこまでも強者であり続ける。
「まさかおまえが裏切るとはな。」
男はいつぞやにした猫との会話を思い出した。
少女は男に裏切られることについてどう思うか尋ねた。
「ああ、あいつは俺がこうやって死ぬのだと知っていたのか。」
男の表情は穏やかなものであった。
男は少女に対する怒りなんて微塵も浮かんでこなかった。
ただ最後に見た少女の顔を思い出した。
少女は男がもう帰って来ないことを知っていたのだなと気づき、もう少し撫でておけば良かったと思った。
「あいつ?ああ、あなたのお気に入りの猫のことですか。あれにあなたがそこまで気に入るほどの何かがあるとは思えませんが……」
男と対峙しているのはもちろんあの『明智光秀』である。
「あいつほどおもしろい猫はいないぜ。」
明智光秀は不思議そうに首を傾げる。
「興味深いですね。なんならこれからは私が飼って差し上げましょうか?」
人が良さそうな笑顔で明智光秀は言う。
しかし、目は全く笑っていない。
「はっ、必要ねーよ。」
男は挑発されてもニヤリとした余裕のある表情を崩さない。
「いいんですか?あの子身寄りがないのでしょう?」
「あいつはああ見えてやる時はやるやつだ。心配しなくても路頭に迷ったりしねーよ。」
「ほぉー、それは意外ですね。」
彼らは燃え盛る炎の中そんな緊張感のない会話をしていた。
火の手は次第に大きくなり、本能寺の外は明智光秀の手下に見事に囲まれているはずだ。
男はここまで来て命乞いなんてするつもりは毛頭なかった。
これは明智光秀が男を殺すまでの戯れの会話である。
そうここが男の死に場所であり、今ここには男と男を殺そうとしている元部下しかいない。
………はずだった。
その場で聞こえるはずがない声を聞くまではそう思われていた。
「うん。たぶん割と大丈夫だと思うよ?」
先ほどの会話の中心の少女の声が聞こえくるまでは。
見慣れた制服姿で少女は火の海となったこの部屋にひょっこりと現れた。
これにはさすがの男も驚きを隠せなかった。
明智光秀も固まっていた。
「……おまえなんでこんなところに!どうやって入った!」
男は少女の肩を掴み、少女が怪我をしていないか確認した。
少女は悪戯が成功した悪餓鬼のような顔で笑った。
「入ったんじゃなくて、昨日からここにいたんだよ。」
「はぁ!?なんで……」
なんでそんなことをしたのか聞こうとして、男はハッとした。
「やはり知っていたのか?」
「さすがに何日かはわからなかったけどね。そこは情報が入ったら逐次連絡してくれるように頼んだよ。それで昨日のうちにここまで送ってもらった。」
『明智光秀』は相変わらず人が良さそうな笑顔で少女に話しかける。
「ほぉ、あなただけでそんなことできるとは思えませんが。」
「うん。全部城の人がやってくれた。だって、私の頼み事は何でも聞くように言ったんでしょ?」
明智光秀の疑問に答えてから、少女は勝ち誇った顔で男の方を見た。
「まさかそんな頼みをするとは思わなかったからな。………なんで来た?」
男は少し怒っているようである。
少女は深く息を吸って口を開く。
「最初に言ったよね。私は何も教えないし、何もしないって。ずっとそうしてきた。最後までそうするつもりだった。」
少女はゆっくり言葉を紡ぐ。
少女の表情はいつも通りの無表情で何も考えていないように見えたが、その目にはしっかりとした覚悟が浮かんでいた。
「だけど、本能寺に行くって聞いて初めて『どうしよう』って考えた。たぶんずっと考えないようにしてたんだと思う。」
男は静かに少女の言葉を聞いていた。
「でも、あの人に言われて気がついちゃったんだよね。『どうしよう』って考えてる時点でもうダメだって。だから、会いに来た。」
少女は真っ直ぐ男の目を見つめる。
「バカだろ。」
男はいつも通り少女の頭の上に手を乗せた。
呆れた様子ではあったが、その手は相変わらず優しかった。




