↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
食堂店員兼勇者  作者: 平民
五章 現実世界

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

70/74

69.元通りではない

 *


 翌朝、リビングにはいつもと変わらない騒がしい空気が戻っていた。


「みんな、昨日は心配かけて本当にごめん!」


 ハヤミが、ぱんっと大げさに両手を合わせた。

 ハニーブロンドのサイドポニテを揺らし、弾けるような明るい声と、いつも通りの豪快な笑顔を浮かべる。


「あはは!いやー、なんかちょっとセンチになっちゃってさ!完全にらしくなかったよね、あたし!」


 頭を掻きながら、ケラケラと軽く笑ってみせる。

 その大雑把な仕草も、ぶっきらぼうな言い方も、全部いつも通りそのものだった。


「……ま、無事でよかったじゃねぇかよ」


 ゴランさんが大きな身体をソファに沈め、ふぅと安堵の息を吐き出す。


「ええ。本当に良かったです」


 サクラコさんも深く頷いた。

 張り詰めていたリビングの空気が、目に見えて少しずつ緩んでいく。ここにいる全員が、言葉には出さずとも同じことを思っていた。とりあえず、いつもの日常に戻ってきたのだと。


「でさでさ!」


 ハヤミが待ってましたとばかりに、すぐに話題を切り替えた。


「なんか、パァーッと旅行とか行きたくない!?」


 あまりにも唐突な提案。だけど、どこか強引なまでに明るい。


「兄貴ぃ、どっか連れてってよ。あたしの快気祝いってことでさ!」


 ニヤリとヤマトに視線を送る。


「贅沢言わないから、南の島とかさ!」

「お前な……」


 ヤマトが心底呆れたように、低く静かな声で返す。その温度もいつも通りだ。


「金は天から湧いてくるわけじゃねぇ。オレのサイフをあてにするな」

「固いこと言うなよー。あるでしょ?現実でも異世界でもため込んでるくせに」

「お前、兄に向かって平気で物騒なこと言うな」


 いつも通りの軽口の応酬。

 空気は完全に、何事もなかったかのような日常へと修復されていく。


「まぁ……たまにはいいかもしれない」

「え!?」


 ハヤミのあずき色の瞳が、一気に輝いた。


「どういうこと?行ってくれるの?」

「飛行機を使う遠出」

「マジでっ!?」


 ハヤミのテンポが跳ね上がった。ソファーから飛び上がらんばかりの勢いだ。


「やったあ!いいじゃんそれ、最高じゃん!」

「次の連休なら、仕事を調整して動ける」

「決まり!決定ね!」


 ぱんぱん、とハヤミが嬉しそうに手を叩く。

 明るい。眩しいくらいに明るい。

 ……だけど。俺はハヤミのその横顔を、言葉にできない複雑な気持ちで見つめていた。

 絶対、無理してるよな。


 昨日、あれほど絶望してボロボロに崩れ落ちた人間が、完全に元通りになるはずがない。ハヤミは、みんなを心配させまいと、一生懸命に『いつも通りのハヤミ』を演じている。

 けれど、俺はそれに何も言わなかった。今は、その強がりに付き合ってあげるのが正解だと判断したからだ。


「……素晴らしい提案です」


 サクラコさんが上品に微笑む。


「賛成ですじゃ!わたくしも日頃のブラック労働のストレスを癒やしたいですじゃ!」


 ハチベエさんが涙目でしみじみと頷く。今日なんとか有休をとって、ここにいるのも奇跡なんだろうな。


「わーい旅行!ぼく、飛行機乗りたーい!」


 ダイゴローが元気にリビングを走り回り、その無邪気な声で、場がさらにふにゃりと柔らかくなった。


「……はいはい、盛り上がってるところ悪いんだけど」


 そこへ、カオルさんが現実を突きつけてきた。


「あんたたち学生組、来週から『定期テスト』があるわよね?」


 一瞬にして、リビングが静まり返った。


「……は?」


 ハヤミの動きが、完全にピキッと固まる。


「……あ」


 俺も思わず、持っていたコップを落としそうになった。

 忘れてた。完全に頭から抜け落ちていた。


「……やばくね?」

「やばいな、ユラ」


 ハヤミが青い顔で俺を見て、俺も同じく青い顔で即答した。

 全く勉強してねぇ。因数分解ってなんだっけ?


「旅行どころじゃなくね……?」

「言っておくが」


 ヤマトが冷たく淡々と言い放つ。


「赤点取った時点で旅行計画は全白紙だ。連帯責任とする」

「はあああっ!?」

「ヤマト、マジで言ってる……!?」

「オレがこの手の話で冗談を言ったことがあるか?」


 容赦のないセリフだった。


「というわけで」


 カオルさんがパンッと力強く手を叩き、全員を見回した。


「今日から勉強会を開催します!学生は勉強してナンボよ。おっさんたちもサポートに回りなさい!」

「なんで俺たちまで……」


 と、ゴランさんが面倒くさそうだ。


「あたし、終わった……」


 ハヤミが絶望に顔を歪めて天を仰いだ。


「終わってねぇよ。さっさと机につけ」


 ヤマトが間髪入れずにツッコミを入れる。


「うえーん、ユラ助けてぇ!」

「俺の方こそ助けてほしいんだが」


 嘆き悲しむハヤミを筆頭に、俺たちの歪で愛おしい日常が積み上がっていくのだった。


「……マジ無理。脳みそが沸騰して死ぬ」


 本日は朝から、リビングの特大テーブルを囲んでの合同勉強会。

 ……が、開始早々、さっそくハヤミが机にダラリと突っ伏していた。机の上には、数学の参考書とノートが新品状態で広がっている。全く使っていないのがよくわかるものだ。


「数式見ただけで強烈な睡魔が襲ってくるんだけど。これ絶対に魔王の精神攻撃だって」

「まだ始めてたったの十分でしょ、あんた」


 向かい側に座るカオルさんが、眼鏡をクイッと上げながら淡々と返す。


「10分も机に向かって鉛筆握ってたんだから、まずはそこを褒めてよ!」

「甘すぎるわ。普段、凶悪な魔物と戦ってるくせして数式ごときに負けてどうするのよ」

「うぐぐ……数式の方が魔王より強いってばぁ」


 呆れ果てるカオルさんとヤマトの視線に、ハヤミはぐったりと白目を剥く。


「ええと、ここって……公式、これで合ってる?」


 俺が自分のノートから少し顔を上げて、ハヤミの白紙に近いノートを覗き込んだ。


「あ、そこは違いますですじゃ、ユラさん」


 ハヤミの隣に座るハチベエさんが、指で数式を示した。


「そこはプラスではなくマイナスですじゃ。顧客のニーズを読み違えるのと同じくらい初歩的なミスですじゃ!」

「えー!全然わかんない!なんでプラスがマイナスになるのさ!」

「基礎が完全に抜けてますぞ、ハヤミさん……」

「うわー、ハゲにド正論言われたー!」

「ハゲって言わないでくだされ」


 いつもの、賑やかでくだらないやり取りだ。勉強っていうのが嫌だけど。

 俺が少しホッとした、その瞬間だった。

 ハヤミが、じり……じり……と、椅子ごと不自然に距離を詰めてくる。


「ねぇ、ユラぁ」


 甘えるような、少しだけ掠れた声で名前を呼ばれた。

 拒絶する間もなく、ハヤミの柔らかな身体が、自然な動作で俺の左肩にコテンと寄りかかってくる。


「ここ教えて~、王子様ぁ」


 差し出されたノートを見る。だけど、ハヤミの視線はノートをほとんど見ていない。上目遣いで、じっと俺の横顔を見つめている。


「……あー、でもこれ俺もわかんない。俺の勉強レベルわかってるだろ」


 心臓がドクンと跳ねる。ドギマギしてビビりつつも、必死で平静を装ってノートを睨みつける。


「ユラもあたしと同レベルな頭だもんねー!仲間がいて超ウレシい!」

「仲間っていうか、さすがにハヤミよりはマシだからな!?俺は一応、赤点なだけだし」

「何言ってんのさ。赤点な時点であたしと同レベルでしょ」

「ハヤミはどの教科もいつも一桁じゃん!さすがに俺は一桁レベルじゃないし!逆に数学で連続0点を取り続けられるのは、ある種の才能として尊敬できるけどさ」

「だってわかんないんだもーん!足し算と引き算しかできねーもん!ぶっちゃけ、生きてくためには算数だけで十分でしょ!」


 ハヤミはぷくーっと頬を膨らませる。そう言いながらも、俺の左腕に完全に全体重を預けて寄りかかってくる。

 ただのわがままじゃない。その腕が、かすかに震えていることに俺は気づいていた。

 彼女は今、俺の体温を感じることで、必死に昨日の恐怖から心を繋ぎ止めているのだ。


「……ねぇ、ユラ。もうちょい近く来てよ」

「いや、これ以上は物理的に無理だから!狭いって、ハヤミ」

「いいじゃん、減るもんじゃないしー」


 ぐい、と服の袖を引っ張られる。

 あまりにも遠慮のない距離ゼロ特攻に、俺の心臓は完全にオーバーヒート寸前だった。


「……ハヤミ、本当に近い。みんな見てるから」

「ユラは恥ずかしがり屋だよねー」


 ハヤミは悪戯っぽく笑う。けれど、俺の袖を掴む指先には、絶対に離さないという強い力がこもっていた。


「ユラ~!ぼく、ここ分かんない!引き算が合わないよ~!」


 すると今度は、反対側の右側からダイゴローがドタドタと突っ込んできた。

 俺の右腕にしがみつき、小さな身体でぎゅうぎゅうとくっついてくる。


「おい、ダイゴロー、引っ張るなってば!鉛筆がズレる!」


 俺はタジタジになりながら苦笑した。

 左からはハヤミ、右からはダイゴロー。完全に左右からがっちりと挟まれ、身動きが取れない形になる。


「あはは!ユラ、超人気者じゃん!」


 ハヤミが嬉しそうに声をあげて笑う。

 昨日までの影を振り払うようなその笑顔に安心しつつも、隣から放たれる甘い香りと、ダイゴローの全力の甘えっぷりに、激しくドギマギしてしまうのだった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。