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食堂店員兼勇者  作者: 平民
五章 現実世界

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60.日本

 ガタン、ガタン。

 それなりに大きな揺れを感じて茫然とする。

 視界が目まぐるしく加速し、一瞬で流れていく。


 ……どう、なってる……。


 白い天井。規則正しく並ぶ座席。頼りなく揺れるプラスチックの吊り革。

 窓の向こうを流れていくのは、嫌というほど見慣れた日本の街並みだ。

 学生、サラリーマン、OL、観光客。

 だるそうな話し声、電子音のアナウンス、スマートフォンの無機質な通知音。


 なんで急に日本に……。


 理解が追いつかない。

 さっきまで、俺は十万の魔物を相手に死線を彷徨っていたはずだ。

 こびりつく血の匂い、肌を焼く熱気、鼓膜を震わせる叫び声。そのすべてが、まだ身体の奥底に生々しく残っているというのに。


 なのに今は、朝の通勤バスの中。

 まるで長い夢から覚めたような錯覚に陥る。


「……ユラ?」


 すぐ隣から、低い声がした。

 視線を向けると、そこには見紛うことなきヤマトが立っていた。

 だが、その服装は異世界の王太子の姿ではない。黒のブレザーに、整ったネクタイ。日本一の難関校として名高いあの名門私立高校の制服だ。

 ヤマトは何事もなかったかのような顔で口を開く。


「……お前も、か」


 短く、確信を込めた確認。


「そう……みたいだ」


 頷くと、それだけで全てが通じた。


「ちょっと待ってよ」


 少し後ろから、低く尖った声が割り込んでくる。


「……これ、どういう状況なわけ?」


 ハヤミだった。見慣れないセーラー服を着ている。隠しきれない鋭さはあるものの、見た目だけは完全に普通の女子高生に擬態している。


「戻ってるじゃん。日本にさ」

「……マジ、なんだな……」


 俺はぐっと頭を押さえた。夢じゃない。

 さらに横の座席から、動揺に震える小さな声が響く。


「ここ……バス……?」


 ダイゴローだ。黄色い帽子をかぶり、小さな背中にランドセルを背負っている。


「ぼく……これから学校に行くところ?」

「……そのようです」


 前方から、凛とした落ち着いた声がした。

 スーツ姿のサクラコさんだ。その紫紺の瞳だけは、まだ戦場の鋭さを残している。


「状況を整理しましょう。ここは日本。時間帯は朝。いわゆる通勤通学のラッシュです」


 高級感のある腕時計を一瞥し、彼女は冷然と言い切った。


「……つまり」


 今度は横から、カオルさんが腕を組みながら現れた。同じくタイトなスーツ姿。隙のない「しごでき女性」のオーラが全身から溢れ出ている。


「現実に戻って来たって事」

「いきなりだな、マジで」


 前の席に座っていたゴランさんが笑う。泥のついた作業着姿が、豪快な彼に恐ろしいほど馴染んでいた。


「さっきまで死にかけてたのにな」

「……不思議なことに、体は無傷ですじゃ」


 よれよれのネクタイを締めたハチベエさんが、何度も自分の手のひらを握りしめている。


「傷も……疲労も……どこにもありませんな」


 一体マジでどうなっているんだ。あんな戦場にいた最中だったのに。

 それなのに、仕立てのいい制服、清潔な皮膚、痛みのない五体。

 あの死闘の感覚がリアルだったなら、このバスの振動だって現実だ。


「……とりあえず」


 俺は周囲を気にしながら声を潜めた。


「このまま話してると目立つ。周囲は完全に一般人だ」


 俺がコソコソと囁くと、ヤマトが深く頷く。


「たしかに、これ以上の接触は悪目立ちする」

「だよねー」


 ハヤミが肩をすくめて小声で笑う。


「このメンツ、普通にしてても浮きまくってるし」


 年齢も職業もバラバラの八人が、急に一箇所に固まって密談をしていれば、不審者集団に見えかねない。それに、今の俺たちの精神は、戦闘モードのままストップしている。体と精神が落ち着いていない。


「一旦、解散しよう」


 自然と言葉が出た。全員の視線が俺に集まる。


「それぞれ、今の立場に戻るんだ。学校とか仕事とか」

「了解です。そのあとは?」


 サクラコさんが確認するように訊ねる。


「合流する。18時くらいに」


 迷いはなかった。


「場所は?」


 ヤマトが短く問う。誰でも知っていて、ある程度長居ができる場所は……


「……駅前のファミレスだ」

「あら、それはいいわね」


 カオルさんが満足げに微笑む。


「かえって都合がいいわ」

「腹も減るしな」


 ゴランさんが声を抑えて頷く。


「了解ですじゃ。ですが、定時に帰れるか分からんので、即座に午後の有休申請をば……。ああ、また上司にネチネチどやされるのかと思うと胃が……ぶつぶつ……」

「ハチベエさん、一体どんなブラック企業で働いてるんですか……」

「あー……と、とりあえず後で話しますです……!」


 その悲壮感漂う反応に、「現代のハチベエさんは相当苦労しているんだな」と全員の心が一つになった。


「では、夜に」

「あ、もしもの時のために連絡先を交換しておこう」


 俺はさっとブレザーのポケットを探り、スマートフォンを取り出した。


「やっと現代っぽい話になったじゃん」


 ハヤミがニシシと笑う。全員がそれぞれの端末を取り出した。

 メッセージアプリのQRコードを読み込み、次々と名前が追加されていく。

 さっきまで命を預け合っていた戦友たちが、今はただの「連絡先」としてスマホの中に並んでいる。考えてみれば、現代日本において俺たちは赤の他人だったのだ。それが異世界という舞台で出会い、ここまで来た。妙な感慨深さが胸をくすぐる。


『次は、●●高校前~お降りの方は降車ボタンを――――』


 まもなくして、バスが速度を落とした。


「じゃ、私はここで」


 ハヤミが腰を浮かせる。


「あとでね。ユラ、みんなも」

「うん。いってらっしゃい」


 ダイゴローもランドセルを揺らして後に続く。


「またあとでねー!」

「お気をつけて」


 サクラコさんも軽く会釈をして降りていき、ゴランさんはひらひらと手を振るだけ。


「遅刻すんなよお前らー」

「はうあ!私も次の停留所に急がねばまた怒られるぅ~!」


 ハチベエさんが慌てふためきながら降車口へ走っていく。最後にカオルさんが振り返った。


「何かあったら、すぐに連絡入れなさいよ」


 そう言い残し、大人の余裕を見せながら去っていった。

 車内に残されたのは、ヤマトと俺だけだ。


「……お前は?」

「俺は次で降りるよ。ヤマトは?」

「オレの高校はまだ先だ」

「名門校はもっと先だもんな」


 他愛のない短い会話が続いた。

 ここは戦場ではない。あまりにも平和な日常だ。だけど、やっぱり落ち着くことができない。

 あの異世界の後始末は、ちゃんとついたのだろうか。魔物はすべて倒せたのか。親父やみんなは無事なのか。心配でしょうがないが、ここは別世界。考えても仕方がないなと一先ずこの現実と向き合う。


「ユラ」


 俺がいろい思案しながらぼうっとしていると、ヤマトに呼ばれる。


「お前は男になっても変わらないな」

「え……あ、そういえば男になってたんだった……」


 日本に戻った瞬間、俺の身体は平常時でも「男」に切り替わっていた。

 普段は勇者モードにより男になるが、平常時は女だったことから、やっと本来の自分に戻れた気がしてちょっと嬉しい。

 あまりにも日本に来たことに驚いていたから、自分の性別の事をすっかり忘れていたよ。

 身長は変わらないが、声は低くなってるし、力も女であった時より有り余っている気がする。


『●△町三丁目前~』

「あ、そろそろ降りないと」

「学校……行けるか?」


 ヤマトが俺の様子をじっと窺いながら訊いた。


「え……」

「なんとなく、行きたくなさそうだった」

「……まあ、いろいろとあるからな……でも、ここまで来ちゃったし、行くよ……」


 俺はヤマトに別れを告げてバスを降りた。


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