60.日本
ガタン、ガタン。
それなりに大きな揺れを感じて茫然とする。
視界が目まぐるしく加速し、一瞬で流れていく。
……どう、なってる……。
白い天井。規則正しく並ぶ座席。頼りなく揺れるプラスチックの吊り革。
窓の向こうを流れていくのは、嫌というほど見慣れた日本の街並みだ。
学生、サラリーマン、OL、観光客。
だるそうな話し声、電子音のアナウンス、スマートフォンの無機質な通知音。
なんで急に日本に……。
理解が追いつかない。
さっきまで、俺は十万の魔物を相手に死線を彷徨っていたはずだ。
こびりつく血の匂い、肌を焼く熱気、鼓膜を震わせる叫び声。そのすべてが、まだ身体の奥底に生々しく残っているというのに。
なのに今は、朝の通勤バスの中。
まるで長い夢から覚めたような錯覚に陥る。
「……ユラ?」
すぐ隣から、低い声がした。
視線を向けると、そこには見紛うことなきヤマトが立っていた。
だが、その服装は異世界の王太子の姿ではない。黒のブレザーに、整ったネクタイ。日本一の難関校として名高いあの名門私立高校の制服だ。
ヤマトは何事もなかったかのような顔で口を開く。
「……お前も、か」
短く、確信を込めた確認。
「そう……みたいだ」
頷くと、それだけで全てが通じた。
「ちょっと待ってよ」
少し後ろから、低く尖った声が割り込んでくる。
「……これ、どういう状況なわけ?」
ハヤミだった。見慣れないセーラー服を着ている。隠しきれない鋭さはあるものの、見た目だけは完全に普通の女子高生に擬態している。
「戻ってるじゃん。日本にさ」
「……マジ、なんだな……」
俺はぐっと頭を押さえた。夢じゃない。
さらに横の座席から、動揺に震える小さな声が響く。
「ここ……バス……?」
ダイゴローだ。黄色い帽子をかぶり、小さな背中にランドセルを背負っている。
「ぼく……これから学校に行くところ?」
「……そのようです」
前方から、凛とした落ち着いた声がした。
スーツ姿のサクラコさんだ。その紫紺の瞳だけは、まだ戦場の鋭さを残している。
「状況を整理しましょう。ここは日本。時間帯は朝。いわゆる通勤通学のラッシュです」
高級感のある腕時計を一瞥し、彼女は冷然と言い切った。
「……つまり」
今度は横から、カオルさんが腕を組みながら現れた。同じくタイトなスーツ姿。隙のない「しごでき女性」のオーラが全身から溢れ出ている。
「現実に戻って来たって事」
「いきなりだな、マジで」
前の席に座っていたゴランさんが笑う。泥のついた作業着姿が、豪快な彼に恐ろしいほど馴染んでいた。
「さっきまで死にかけてたのにな」
「……不思議なことに、体は無傷ですじゃ」
よれよれのネクタイを締めたハチベエさんが、何度も自分の手のひらを握りしめている。
「傷も……疲労も……どこにもありませんな」
一体マジでどうなっているんだ。あんな戦場にいた最中だったのに。
それなのに、仕立てのいい制服、清潔な皮膚、痛みのない五体。
あの死闘の感覚がリアルだったなら、このバスの振動だって現実だ。
「……とりあえず」
俺は周囲を気にしながら声を潜めた。
「このまま話してると目立つ。周囲は完全に一般人だ」
俺がコソコソと囁くと、ヤマトが深く頷く。
「たしかに、これ以上の接触は悪目立ちする」
「だよねー」
ハヤミが肩をすくめて小声で笑う。
「このメンツ、普通にしてても浮きまくってるし」
年齢も職業もバラバラの八人が、急に一箇所に固まって密談をしていれば、不審者集団に見えかねない。それに、今の俺たちの精神は、戦闘モードのままストップしている。体と精神が落ち着いていない。
「一旦、解散しよう」
自然と言葉が出た。全員の視線が俺に集まる。
「それぞれ、今の立場に戻るんだ。学校とか仕事とか」
「了解です。そのあとは?」
サクラコさんが確認するように訊ねる。
「合流する。18時くらいに」
迷いはなかった。
「場所は?」
ヤマトが短く問う。誰でも知っていて、ある程度長居ができる場所は……
「……駅前のファミレスだ」
「あら、それはいいわね」
カオルさんが満足げに微笑む。
「かえって都合がいいわ」
「腹も減るしな」
ゴランさんが声を抑えて頷く。
「了解ですじゃ。ですが、定時に帰れるか分からんので、即座に午後の有休申請をば……。ああ、また上司にネチネチどやされるのかと思うと胃が……ぶつぶつ……」
「ハチベエさん、一体どんなブラック企業で働いてるんですか……」
「あー……と、とりあえず後で話しますです……!」
その悲壮感漂う反応に、「現代のハチベエさんは相当苦労しているんだな」と全員の心が一つになった。
「では、夜に」
「あ、もしもの時のために連絡先を交換しておこう」
俺はさっとブレザーのポケットを探り、スマートフォンを取り出した。
「やっと現代っぽい話になったじゃん」
ハヤミがニシシと笑う。全員がそれぞれの端末を取り出した。
メッセージアプリのQRコードを読み込み、次々と名前が追加されていく。
さっきまで命を預け合っていた戦友たちが、今はただの「連絡先」としてスマホの中に並んでいる。考えてみれば、現代日本において俺たちは赤の他人だったのだ。それが異世界という舞台で出会い、ここまで来た。妙な感慨深さが胸をくすぐる。
『次は、●●高校前~お降りの方は降車ボタンを――――』
まもなくして、バスが速度を落とした。
「じゃ、私はここで」
ハヤミが腰を浮かせる。
「あとでね。ユラ、みんなも」
「うん。いってらっしゃい」
ダイゴローもランドセルを揺らして後に続く。
「またあとでねー!」
「お気をつけて」
サクラコさんも軽く会釈をして降りていき、ゴランさんはひらひらと手を振るだけ。
「遅刻すんなよお前らー」
「はうあ!私も次の停留所に急がねばまた怒られるぅ~!」
ハチベエさんが慌てふためきながら降車口へ走っていく。最後にカオルさんが振り返った。
「何かあったら、すぐに連絡入れなさいよ」
そう言い残し、大人の余裕を見せながら去っていった。
車内に残されたのは、ヤマトと俺だけだ。
「……お前は?」
「俺は次で降りるよ。ヤマトは?」
「オレの高校はまだ先だ」
「名門校はもっと先だもんな」
他愛のない短い会話が続いた。
ここは戦場ではない。あまりにも平和な日常だ。だけど、やっぱり落ち着くことができない。
あの異世界の後始末は、ちゃんとついたのだろうか。魔物はすべて倒せたのか。親父やみんなは無事なのか。心配でしょうがないが、ここは別世界。考えても仕方がないなと一先ずこの現実と向き合う。
「ユラ」
俺がいろい思案しながらぼうっとしていると、ヤマトに呼ばれる。
「お前は男になっても変わらないな」
「え……あ、そういえば男になってたんだった……」
日本に戻った瞬間、俺の身体は平常時でも「男」に切り替わっていた。
普段は勇者モードにより男になるが、平常時は女だったことから、やっと本来の自分に戻れた気がしてちょっと嬉しい。
あまりにも日本に来たことに驚いていたから、自分の性別の事をすっかり忘れていたよ。
身長は変わらないが、声は低くなってるし、力も女であった時より有り余っている気がする。
『●△町三丁目前~』
「あ、そろそろ降りないと」
「学校……行けるか?」
ヤマトが俺の様子をじっと窺いながら訊いた。
「え……」
「なんとなく、行きたくなさそうだった」
「……まあ、いろいろとあるからな……でも、ここまで来ちゃったし、行くよ……」
俺はヤマトに別れを告げてバスを降りた。




