58.十万の魔物(3)
光が戦場を真っ白に塗り潰していた。
俺が刀を振るうたびに、魔物の群れが光の粒子となって消える。
「はあああああああッ!!」
喉が裂けそうなほど叫び声を上げる。
天から雷を落とし、刃を振るい、深く踏み込む。また、目の前の敵を斬る。
もう、自分がどれだけ動き続けているのか分からなかった。ただ、目の前の黒い群れを機械的に斬り伏せる。仲間の前に立ち、誰も死なせない。
それだけの強い思いだけで、限界を迎えた身体が勝手に動いていた。
「すげぇ……」
どこか遠くで、兵士の呆然とした声が聞こえた。
「……あれが、勇者……」
誰かがそう呟く。俺はもう、それを否定しなかった。
以前までは、ずっと勇者なんて実感が持てなかった。選ばれたと言われても、怖くて、自分に自信なんてなくて、何度も現実から逃げ出したかった。でも、今は違う。
ここで俺が立たなきゃいけない。ここで斬らなきゃいけない。ここで、みんなを守らなきゃいけない。キモオタだろうとチー牛だろうと、勇者になったからには戦わなきゃならんのだ。
地平線を埋め尽くしていた数万の魔物が、数千へ。数千が、数百へ。俺たちの猛攻によってみるみるうちに減っていく。
そして……ついに残る敵を数体まで追い込んだ。
「……終わり、かな」
ハヤミが安堵の息を吐くように言った。彼女の声はガラガラにかすれていた。服はボロボロに破れ、腕も足も傷だらけだ。それでも戦鎚を固く握りしめて、まだ鋭い目で前を見ている。
「……いや。まだだ」
右隣のヤマトが冷たく返す。まだ、十万の死闘は終わっていない。最後に残った数体の魔物たちは、今までの雑魚とは完全に格が違っていた。
周囲に巻き散らされる黒い瘴気、じりじりと肌を刺す重い圧。目に見えないほど濃い悪意の塊。
「……あれは、魔界種ですじゃ……!」
ハチベエさんが、血の滲んだ口元を震える手で押さえながら呻いた。
「魔王幹部ほどではありませぬが……通常の魔物とは格が違います! 戦闘力の桁が違う……!」
「はあ……最後の最後になって、そんな面倒な隠し玉を出してくるとかわかってるじゃない」
カオルさんが肩を激しく上下させる。他の仲間達も肩で息をしていて、フラフラ状態だった。
「……一気に終わらせる!!」
俺は刀を両手で強く握り直した。全身の筋肉が鉛のように重いし、腕もビリビリと激しく痺れている。
それでも残る力を振り絞り、魔界種の懐へと一気に踏み込んだ。渾身の一撃。そう思って、全力で刀を振り下ろした。
ガキンッ。
「っ……!?」
止められた。完全に、刀の刃を素手で受け止められた。
俺の刀が、魔界種の黒い腕に食い込んだまま、びくとも動かない。
醜悪な顔をした魔界種が、ニヤリと裂けた口で嘲笑う。
「最後の最後で力が落ちているな、勇者」
喋った。知能のある高位の魔物だ。
その事実に驚いた瞬間、俺の視界が大きくぶれた。
魔界種の巨大な拳に吹っ飛ばされていた。
ドォォォォンッ。
「ぐ、あっ……っ!!」
地面に叩きつけられ、何度も無様に転がる。
「ユラァッ!!」
ハヤミの悲痛な叫びが鼓膜を打った。すぐに立ち上がろうとする。
俺が立たなきゃ、みんなが殺される。なのに、ガタガタと震える膝が完全に言うことを聞かない。
「……まだ……だ……」
刀を握る手のひらが狂ったように震える。勇者として覚醒した反動だ。身体の限界なんて、とうに超えていた。
魔界種が動けない俺にトドメを刺そうと、その巨大な足を振り上げた、その時だった。
「どけぇえええッ!!」
聞き慣れた泥臭い怒号が、死線に包まれた戦場を激しく切り裂いた。
横から弾丸のように突っ込んできた影が、魔界種の硬質な脇腹へ、容赦なく鉄の剣を叩き込む。
「スケさん……!?」
「ユラはそこで大人しく下がってろ!!」
食堂「下町屋」でいつも酒を飲みながら茶化してくる常連客だった。俺に好きな奴はできたかとか、最近景気はどうだとか、くだらないことばかり聞いてくる人。そのスケさんが今、全身血まみれになりながら、必死の形相で剣を握りしめていた。
「ここからは俺たち大人の出番だ!」
「カクさん……!」
続いて、相棒のカクさんが鋭い槍を正面から突き出す。
魔界種の巨体が、一瞬だけよろめいて動きを止めた。
「俺たちだって戦えるんだ!!」
「勇者様一人だけに、こんな重荷を背負わせてたまるかよ!!」
二人に続くように、遊撃隊の仲間たちや他の冒険者たちも、一斉に魔界種の周囲へと突っ込んでいった。みんな足はガタガタと震えているし、顔は恐怖で真っ青に引きつっている。それでも、誰一人として逃げ出さなかった。
「守られてばかりじゃ男が廃るんだよ!!」
「勇者様だけにこの国の未来を背負わせるな!!」
彼らは大声を張り上げ、必死に剣を振り、盾を叩き、槍を何度も突き出す。
死に物狂いで、圧倒的な力を持つ怪物に食らいついていく。しかし、やはり魔界種は普通の人間が敵う相手ではなかった。
「羽虫どもが、邪魔だ」
魔界種の冷酷な低い声が響いた。
ドガァァンッ。
「ぐああああああっ!!」
魔界種が巨大な腕をただ横に払っただけで、スケさんたち冒険者の身体がまとめて木の葉のように吹き飛ばされた。
「くっ……、う、あ……!」
地面に激しく叩きつけられ、スケさん達がガクリと膝をつく。口元からどくどくと赤黒い血が地面に落ちた。それでも、ボロボロになった剣を支えにして、必死に立ち上がろうとする。
「まだだ……。まだ終わらせてたまるかよっ!」
カクさんも折れた腕を必死に押さえながら、歯を食いしばっていた。
「みんな……」
胸の奥がぎゅっと締め付けられた。
なんで。なんでそこまでしてくれるんだ。
みんな、こんなボロボロになって、命を落としかけてまで。
その時、俺の視界の端から、凄まじい熱風が走り抜けた。
激しい炎が、魔界種の足元を舐め尽くすように爆発的な勢いで燃え広がる。
「……だらしねぇぞ、お前ら」
低く、地を這うような、だけど最高に頼もしい男の声がした。
俺がハッとして振り返った先。
「親父……!」
ゲンジロー親父が、そこに立っていた。
全身、戦闘の煤と血で黒く汚れている。親父の手には普段の包丁ではなく、見たこともないほど巨大な大剣が握られていた。
「可愛い我が子の戦場だ」
親父は大剣を真っ直ぐに構え、俺を守るように立ちはだかる。
「その親が、助けに来ねぇわけねぇだろうが」
親父の太い足が、一歩、力強く大地を踏み込んだ。
ドンッ。
重い大剣の一撃が、魔界種の黒い腕と正面から激しくぶつかり合う。
「ほう。勇者ども以外にも、この世界に骨のある人間が残っていたか」
「うるせぇよ、化け物」
親父は巨体を震わせ、大剣で魔界種の腕を力任せに押し込もうとする。
けれど、魔界種の身体はびくとも動かない。逆に、圧倒的な筋力の差に圧されている。
「ぐっ……うおおおおっ……!」
あの頼もしい親父でさえも、じりじりと後ろへと押されている。
スケさんたちも、遊撃隊も、そして前線で戦い続けてくれたヤマトたちも。全員がもう完全に限界だった。




