57.十万の魔物(2)
*
しばらくして、数刻が経った。
戦線はまだ保っていた。次々と仲間達がありとあらゆる魔物を倒し、退け、手を止めることなく動き続ける。王城周辺はまだまだ無事だ。
だが、それも徐々に陰りが見えてくる頃……。
「退けぇえええええ!!」
カオルが鋭い踏み込みとともに、渾身の拳を地面に向けて殴りつける。一瞬、大気の振動が止まった。
ドゴォォォォンッ。
激しい音を立てて大地が割れた。一直線に走る巨大な亀裂。カオルさんの土属性の拳が合わさり、大地ごと引き裂いて魔物の群れを奈落の底へと飲み込んでいく。
「……これで、どう」
カオルは息一つ乱さずに凛と言い放つが、その額にはうっすらと脂汗が浮かんでいた。
「終わらせませんわ……!」
サクラコが前へ出る。腰まである青髪を揺らし、指先を静かに動かした。
「掃除機召喚!すべて吸い込みなさい!」
空間がグニャリと歪む。ゴォォッと恐ろしい音を立てて、虚空に見えない暗黒の口が開いた。
魔物たちが抵抗する間もなく、悲鳴すら上げられずに次々とその中へ吸い込まれていく。彼女の持つ強力な即死技だ。だが、その消費魔力はあまりにも莫大だった。
「これで……少しは……」
言いかけて、サクラコの身体がぐらりと揺れた。
その表情には明らかな疲弊が色濃く滲んでいる。
「ぼく、まだいけるよ!!」
ダイゴローが声を張り上げた。茶髪のマッシュヘアを振り乱し、小さな両手を天高く大きく振り上げる。
「恐竜さーん!!」
空間がバリバリと裂け、地面にドシンと重い衝撃音が響く。ダイゴローの術によって、召喚された巨大な恐竜数体が姿を現した。
「ぐおおおおおおおっ!!」
恐竜たちが凄まじい咆哮を上げる。そのまま魔物の群れへと突進し、圧倒的な質量で踏み潰し、巨大な顎で喰いちぎっていく。
「すご……」
遊撃隊の誰かが呆然と呟いた。
だが、それでも敵の数は減らない。次から次へと、地平線の奥から無限のように湧き出してくる。
「……チッ」
右の戦線で、ヤマトが静かに舌打ちをする。ありとあらゆる重火器による銃声や、機関銃の乱射音は未だに止んでいない。
パン、パン、パン、パンッ。
ばららららららららっ。
ドォンッ、ドォンッ。
その射撃精度は狂いもなく、一発で魔物の急所を撃ち抜き続けている。それでも、物理的な数に対して処理が間に合っていなかった。
気付けば、ヤマトの腕や額に血が流れている。幾千もの爪や牙に、確実にその身体を削り取られていた。
「くっ……!」
左の方から、ハヤミの苦悶の悲鳴が聞こえた。ハヤミが地面に片膝をついている。
自慢の巨大なハンマーを辛うじて握り締めているが、愛車であるバイクは既に魔物の濁流に揉まれて粉々に壊されていた。
「まだ……あたしは、いける……っ」
それでも息が酷く荒い。前衛を張ってきたハヤミの肉体も、限界が近い。
「……申し訳ない……ですじゃ……」
さらに後方で、ハチベエさんががっくりと膝から崩れ落ちた。
完全な魔力切れだ。魔法力を回復させるポーションの備えも、もう残りわずかとなっていた。
そこら中の防衛線が、悲鳴のような音を立てて崩れ始める。じわじわと押し込まれるのではない。一気に、決壊するように崩壊していく。
「下がれ!!」
どこかの兵士が絶望に満ちた声を張り上げた。
「無理だ!!いくら倒してもキリがない!!数が多すぎる!!」
死の恐怖が、瞬く間に戦場全体へと伝染していく。戦う者たちの足が止まり、視線が泳ぐ。過酷な現実を前に、全員の心が完全に折れかけていた。
「立てッ!!」
その時、混沌とした戦場を真っ二つに切り裂いた。
一瞬、魔物も人間も、全ての動きがピタリと止まる。
*
崩壊しかけた陣形の中心に、俺は立っていた。
肩を激しく上下させ、肺が焼けるような呼吸を繰り返す。
「立てよ……!!」
俺の声は震えていた。怖くて、限界で、今にも逃げ出してしまいたい。でも、俺の言葉は止まらなかった。
「ここで諦めるのか!!」
血と泥で濡れた足で、力強く一歩前へと踏み出す。
「お前たちの力はそんなものなのかッ!!ここで無様に諦めてしまう程に、お前たちは弱いのか!!」
怒鳴る。叫ぶ。胸の奥に溜まったすべての感情を、仲間にぶつける。
「……違うだろうが」
少しだけ、俺の声のトーンが落ちる。でも、芯にある怒りと熱は消えない。
「お前らの力は、そんなもんじゃねぇだろうがッ!!」
俺は拳を強く握りしめる。
「ここまで来たんだろ。誰一人、途中で逃げなかったんだろ!」
仲間たちの視線が、真っ直ぐに俺の目とぶつかり合う。
「なら、立て」
短い。だけど、何よりも重い命令。
「俺は絶対に諦めない」
はっきりと、この戦場にいる全員に言い切ってやった。
「そんな所で簡単に諦めるような奴は、この俺が絶対に許さない」
その瞬間、俺の視界がカッと熱くなり、黄金が見えた気がした。
「……はは、あははは!」
左の方から、ハヤミが耐えきれずに笑い声を上げた。
「言うじゃん。なんか、ムカつくくらいカッコイイじゃん」
ハヤミが戦鎚を支えにして、ゆっくりと、だけど確実にその身を起こした。
「……悪いな、ユラ」
ヤマトが低く静かな声で呟いた。
「少し、油断した」
ヤマトは頬の血を拭うと、愛用の銃を完璧な動作で構え直す。
「まだやれます。これくらいではへこたれませんもの」
サクラコさんも優雅に笑顔を取り戻し、リリアンを構え直す。
「ぼくも……まだがんばる!絶対に負けないっ!」
「若い者にばかり、格好いいところを持たせるわけにはいかないわね」
ダイゴローが拳を握り、カオルさんも闘志の焔を宿らせる。
「老骨だろうと、わたくしはまだまだやれます!」
「がはははは!本当に成長したな、ユラ!おっさんもトドメまで付き合ってやるぜ!」
ハチベエさんとゴランさんの戦意も完全に蘇った。
他の遊撃隊のメンバーも、俺の鼓舞に応えるようにして、次々と武器を構え直していく。
絶望に染まり、一度は完全に折れかけた戦線が、俺の声によって再び戻っていった。
「うおおおおおおおお!」
「どえええええええい!!」
「いきますわよ!!」
「負けないもーん!!」
「つぶれろーーー!!」
「ここですじゃああ!!」
「全員斃す!」
それぞれが再び、狂ったように押し寄せる群衆相手に立ち向かっていく。
半分以上の数を倒した手応えは確かにあった。だが、残された敵の正確な数は誰にも分からなかった。
「うっ」
「きゃあああ!」
「いっつぅ!」
しかし、やっぱり敵の数がおかしかった。
視界の端から端まで、未だに全部が漆黒の魔物で埋め尽くされている。
「……っ、ユラ、左が崩れる」
ヤマトが銃撃の合間にそう言いかけた、まさにその瞬間だった。
「違う、右だ!!」
俺の声が、ヤマトの言葉に完全に被さった。ヤマトよりも先に、俺の口が的確な指示を叫んでいた。
「っ……!」
ヤマトの碧い目が、驚愕にわずかに入り開く。
右側の戦線。そこは本来なら数秒後に魔物の波に圧されて崩れるはずの、未来のラインだった。だが俺は、それが崩壊するよりも前に完全に先を見抜いていた。
「少し下がって、そこから左に回り込め!一瞬だけ隙が空く!」
俺の指示が飛ぶ。そこに迷いは一ミリもない。ハヤミが即座に動く。
「任せてよ!!」
「よし!俺はこっちだ!
ゴランさんも動き、みんなも俺の指示に合わせて完璧な連携で立ち回る。
「……的確だわ」
カオルさんが低く呟いた。
「よく見ているわね、ユラ」
戦場の空気が、一瞬にして塗り替えられていく。だが、俺の指揮は止まらない。
「ダイゴロー、それ以上前に出るな!敵に隙を与える!」
「ハチベエさん、魔力温存のために上級より低級魔法で!」
「サクラコさん、遊撃隊の回復を!負傷者が増えてる!」
全部、見えている。
いや違う。全部、次に何が起きるかが、起こる前に先に分かっているんだ。
「ふははは!」
ゴランさんが戦いながら豪快に笑った。
「なんだよ、あれ。なぁカオル」
「……信じられないわね」
驚きどころの騒ぎではない。
「少し前まで、立っているのがやっとだった奴だぞ?」
それなのに。
「……追いついた、とかの次元じゃない」
ヤマトが、銃口から硝煙を上げながら静かに言った。
「……完全に越えてきてる」
そんな仲間達の会話など全く聞こえず、俺は深く踏み込む。
必死の居合いの一閃が、キィンと悲鳴を上げて引き裂かれた。
押し寄せていた魔物の群れを、まるでモーセの海が割れるかのように真っ二つに叩き割った。
「……っ!?」
ハヤミが息を呑むのが分かった。
「今の一瞬で、一人であの数を……?」
遊撃隊の仲間の一人が、震える声でそう呟いた。
もう、誰も俺の速度に追いつけていない。気づけば、誰よりも前へと躍り出ていた。
「……はぁ……っ、は……っ」
呼吸は相変わらず苦しい。疲労のせいで膝はガタガタと震えている。
それでも、俺の足は止まらない。ここで俺が止まったら、総崩れになる。
ドクン。
胸の奥で、心臓が今までで一番強く、深く脈打った。
その瞬間、世界から雑音が消え失せ、すべての音が完全に消え去った。視界の色が鮮明に反転し、時間の流れが極限まで遅くなる。
「……あ」
世界のすべての動きが、手に取るように見える。
視界が完全に黄金に染まる。
「……来たか」
ヤマトが低く呟いた声を皮切りに、仲間たち全員がその圧倒的な気配に気づく。
そこに立っていたのは、先ほどまでの自分じゃない。
全身から揺らめき立つ圧倒的な勇者のエネルギー。
「ここからは、俺が全部見る」
鋭い眼差しを目の前の群衆へ向けた。




