56.十万の魔物(1)
王都は、不気味なほど静まり返っていた。
あれほど活気ある街並みが、まるで別の場所のようだ。
軒を連ねる商店はすべて固く戸を閉ざし、通りを行き交う人々の話し声も完全に途絶えている。
吹き抜ける寒々しい風の音だけが響いていた。
避難はなんとか完了している。カオルさんたちの尽力もあり、住民の九割は安全圏へと送り出した。それでも、
「……まだ、残ってる人も少しいる」
足の悪い老人、動けない病人、避難の決断が遅れた者。
きっとまだ、この街のどこかに取り残されている。
だからこそ、逃げるわけにはいかない。
「ここで止める。絶対に王都へは入れさせない」
俺は視線を下げた。高くそびえる城壁の下。眼下に広がる地平線をじっと見据える。
遠くの大地が、どす黒くうごめいていた。
最初は、不気味な巨大な影にしか見えなかった。
だが、違った。地平線の彼方から押し寄せてくる塊。大地を隙間なく覆い尽くさんばかりの異形の集団だ。
「……来た」
隣にいた誰かが、戦慄に声を震わせて呟いた。直後、凄まじい地鳴りが五感を揺さぶる。
ズズズズ……と、大地そのものが低く唸るような不快な音だ。
肌にまとわりつく空気が、一気に重く沈み込んでいく。
魔物、魔物、魔物。
どこを見渡しても、邪悪な集団がこちらに向かってきている。
「……はは」
あまりの光景に、俺の喉から乾いた笑いが漏れた。
「本当に……来ちゃったな……」
数なんてもう肉眼では数え切れない。
地平線をすべて埋め尽くす黒の群れに緊張感が走る。
それでも、不思議と足は震えなかった。いや、本当は怖くて恐怖に震えている。だけど、一歩も後ろへ下がるつもりはなかった。
俺は胸いっぱいに大きく息を吸い込む。そして、肺の底から叫んだ。
「全員、聞けーーっ!!」
声を張り上げた。今まで生きてきた中で、一番大きな声だった。
遠くのようで近くにいる仲間たちの視線が、一斉に俺へと集まる。
一瞬だけ、プレッシャーで頭が白くなりそうだったが、踏み出した。
「前衛のゴランさん、ハヤミは最前列で迎撃!」
「サクラコさんはけが人を優先しつつ攻撃!ハチベエさん、強化の魔法は絶対切らせるな!その間にありったけの攻撃魔法を!」
「ダイゴローは広域デバフと召喚術!逃げ遅れた者を発見次第、そっちを優先!」
言葉が、堰を切ったように次々と溢れ出てくる。
頭が異様なほどに冴え渡っていた。戦場のすべてが見えるし、みんなの気配が一本の糸で繋がっている感覚だ。
「カオルさんは遊撃!陣形が崩れそうな場所のカバーを!そして、ヤマト」
遠く右に立つヤマトと目が合う。
「……全体を見てくれ。俺の指示じゃ届かないところ全部!」
ヤマトは切れ長の碧眼を細めて短く頷いた。
「了解」
それだけだが、俺たちの間には完全に言葉以上のものが通じ合っている。
大丈夫だ。怖くない。
俺は親父の作ってくれた刀の柄を握り締める。ぎゅっと、強く。
「……行くぞ」
地鳴りがさらに大きくなり、魔物の群れが加速する。血に飢えた怪物の群れが、牙を剥いて突っ込んでくる。
「迎え撃つ!!」
俺の号令が戦場に響き渡った。
その瞬間、十万の死闘が幕を開けた。
*
「どけどけぇい! 一匹残らず踏み潰すぞ!!」
鼓膜を震わせる轟音。
鉄の塊が、凄まじい爆音とともに異世界の大地を爆走する。
ブラックマーケットで購入したバイクだ。黒煙を激しく上げながら魔物の渦へと突っ込んでいくそのシートの上で、ハヤミは堂々と立ち上がっていた。
アクセル全開。片手でハンドルを固く握り、もう片方の手で巨大な戦鎚を振りかぶる。
「うちのユラの前を遮るんじゃねぇッ!!」
爆炎の魔力を纏わせたハンマーを、敵のド真ん中へと投げつけた。
ドゴォォォンッ。
着弾と同時に爆発する。爆裂の属性が炸裂し、哀れな魔物の群れがまとめて数十匹吹き飛ぶ。
「よっしゃあ!!」
ハヤミのバイクは止まらない。そのまま炎の車輪で敵の死体を踏み潰し、蹴散らし、突撃を続ける。
一方、激戦区の少し後方。
「こっちだよ!急いで、走って!!」
ダイゴローが、小さな手を懸命に振っていた。
恐怖に怯える子供や老人を誘導し、必死に安全な城門へと駆ける。
その背後から迫る巨大な魔物の影。
「大丈夫、大丈夫だから……!」
声は震えている。それでも、ダイゴローの足は止まらない。
「みんな、あいつらをやっつけちゃって!」
ダイゴローの周囲に広がる三匹の妖精たちが、一斉にニヤリと笑って飛び立った。
『うらああ!泥沼にハマりな!』
『動きが遅くて亀だろこいつら!』
『砂鉄、目潰しぃー!しねしねー!』
容赦のないデバフの嵐。
ダイゴローの弱体術によって、迫っていた魔物たちの動きが目に見えて鈍り、地面に足をとられて転倒していく。その隙に、ダイゴローは最後の一人を城門の中へと誘導に成功。
「……よし!次行くよ!」
その頃、別の戦線では、王派の兵隊たちが最前線で防衛戦を繰り広げていた。
「くそ……下がれ、下がれ!!」
平民を切り捨てた王を守るために動いていた彼らだったが、十万の物量を前に早々に自分達の陣営に押し込まれていた。足が恐怖で完全に止まっている。
死の恐怖に支配され、武器を握る手もガタガタと震えて動けない。
「もう無理だ……全滅する……!」
絶望の悲鳴が上がったその瞬間――――
パン。
乾いた高い音が戦場に響き、最前線の魔物の頭部が鮮烈に弾け飛んだ。
「……っ!」
呆然とした兵士が振り返る。そこに立っていたのはヤマトだった。
「立て。死にたくなければ、動け」
「な、なんで……あなたは王家を捨てたはずなのに、なぜ俺たちを助ける……」
王の敵として決裂したはずのヤマトだ。本来なら、王派の兵士など助ける義理は一ミリもない。
ヤマトは一瞬だけ碧い瞳を細め、ゴミを見るような目で言い放った。
「……オレの視界で無様に死なれるのが目障りだからだ」
言いながら、両手から銃声の嵐が吹き荒れた。
パン、パン、パン、パンッ。
正確無比。一発の無駄弾もない。
魔物の額や心臓の急所だけを見事に撃ち抜き、崩壊しかけていた戦線を一人で強引に押し戻していく。
「……足手まといは後ろに下がってろ。戦いの邪魔だ」
その圧倒的な強さと背負う威圧感は、もう完全に国を統べる王そのものだった。
「おし、いくぜ!変身ーっ!!」
グオオオオオオ!!
ゴランが叫ぶと、地響きと咆哮のような声が轟く。
巨大な赤い影が、戦場の上空を完全に覆い尽くした。それはもう人間の姿ではなかった。
「がはははは!!」
その身を巨大な赤いドラゴンに変えている。
「派手に行こうじゃねぇか、十万の大軍勢よ!!」
巨躯の顎を開くと、その奥から強力な複合ブレスが吐き出された。
激しい炎、すべてを凍らせる冷気、猛毒、そして暴風。
それぞれの圧倒的なブレスが、戦場の大地を扇状に薙ぎ払っていく。直撃を受けた魔物たちは、地面ごと消し飛んでいく。
「雑魚どもはまとめて一瞬で消え失せな!」
巨大な翼が一振りされるだけで、巻き起こる烈風が魔物の群れを紙切れのように吹き飛ばす。完全なる広範囲の雑魚一掃係だった。
そして、その巨体の背後では。
「……ふむ、実に見事な大火力ですじゃ」
ハチベエが感嘆な声をあげる。
その周囲には、まばゆい光を放つ魔法陣がいくつも同時に展開されていく。一つじゃない。二つでもない。十、二十、三十。
「わたくしも負けてられないですな」
とんがり帽子の頭上で優雅に指を振ると、展開された上級魔法が一斉に放たれた。
暴風が吹き荒れて魔物を切り刻み、天から巨大な火の玉が降り注ぐ。鋭い氷の槍が敵の群れを貫き、大地が生き物のように蠢いて魔物を飲み込んでいく。光と闇以外の全ての魔法を極めた魔法の猛攻により、魔物の群れが信じられないスピードで消滅していく。
「さあ、まだまだ残っています。次に行きますぞ」
高齢の身体でありながら、ハチベエの詠唱スピードも魔力も衰えない。一人で軍隊に匹敵する魔法の暴力だった。
*
戦場は、すでに敵味方が入り乱れる混沌と化している。
だが、こちらの防衛線は崩れていない。むしろ、十万の軍勢を相手にこちらが押し返している。
「……いける、押せてる!」
誰がどこにいて、どこに魔物の増援が向かい、何が足りないか。そのすべてが、クリアに見えている。
「左、さらに押し込める!ゴランさん、そのままブレスで一気に制圧!」
「中衛、前線の回復を最優先で!サクラコさん、そのまま治療のラインを維持して!」
「ヤマト、右の兵隊たちが崩れそうだ、そっちのカバーを頼む!」
指示が次々と口に出る。そこには一切の迷いはない。
俺の指示を受けた全員が、何一つ疑うことなく、完璧にその通りに動いてくれる。
とりあえずは上出来な滑り出しだった。




