54.作戦会議
夜の下町屋。
昼間の喧騒が嘘のように、店内は静まり返っていた。
椅子はすべて上げられ、床は磨かれ、厨房の火も落とされている。
けれど、中央の大きなテーブルだけは違った。
そこには王都周辺の地図が広げられている。
駒代わりの小皿、木片、酒瓶の栓、魔物の進軍予測、避難経路、防衛線。
いつもの食堂が、今だけは作戦本部になっていた。
「十万、か」
ゴランさんが腕を組んで呟く。
「まともに正面から受けたら終わりだな」
カオルさんがふうっと息を吐く。
「数の暴力はそれだけで脅威になる。強い弱い以前に押し潰される」
その言葉に、場が少しだけ重くなる。
「……でも、あたしらが守らないとね」
ハヤミがいつもの軽さで言う。でも、その奥にある目は真剣そのもの。
「逃げ遅れる人は必ず出てきます。足の悪い人も、子供も、老人もいます。あらかた避難先へ誘導させましたが、王都から離れた集落ではまだ数百人程残っています」
サクラコさんが静かに訴える。
「なら、時間を稼ぐしかないな」
ヤマトが短く言った。
「主戦場はここだ」
ヤマトが地図の一点を指す。
王都から少し離れた平原。左右には岩場と森。
正面から来る敵を受け止めるには、まだ形になる場所だった。
「ここで第一波を削る。全部倒そうとはするな。流れを曲げる」
「誘導ですな」
ハチベエさんが眼鏡を押し上げる。
「であれば、簡易結界をこの線に張れば、魔物の進路を多少歪められますぞ」
「ぼく、妖精さんたちにお願いできるよ!」
ダイゴローが手を上げる。
「森の方に誘導したり、足止めしたりできると思う!」
『めんどくせーけどな。でもやったるぜ』
『十万とか多すぎだろくそが』
『やるしかねーな。英雄になりてーし』
妖精達は口が悪いのに、ちゃんとやる気はあるらしい。
「前線はあたしとゴランで受ける」
ハヤミが拳を鳴らす。
「でかいのはあたしがぶっ潰す」
「いいだろう。俺も前に出るぜ」
ゴランさんがどんと胸をたたく。
「カオルとハチベエは中距離から支援。サクラコはけが人の回復と余裕があれば攻撃。ダイゴローは逃げ遅れた者の救助をしながらデバフ」
ヤマトが淡々と配置していく。
その指示に無駄はなかった。迷いもない。
でも、俺は黙って地図を見ていた。
十万だ。数字では分かっている。でも、実感が追いつかない。
十万の牙、十万の爪、十万の悪意。
もし、一匹でも抜けたら。
もし、誰かの家族が逃げ遅れたら。
もし、自分の判断が遅れたら。
その瞬間、誰かが死ぬ。
「……ユラさん?」
サクラコさんの声で、はっと顔を上げる。
「大丈夫ですか?」
「だ、大丈夫……ちょっと考え事。えっと、ヤマト」
気づけば、口が動いていた。
「この辺、逃げ込まれたらまずいよな」
俺が地図の端を指す。すぐ近くに村がある。
「そこから村に抜けられる」
ヤマトの目がわずかに細くなる。
「……気づいたか」
「ああ。だから、そこに誰か置いた方がいい」
「誰を置く?」
「カオルさんかな」
俺は少しだけ迷ってから言う。
「幻覚で道をずらせるし、万が一抜けても足が速い。あと、土属性もあるから足場を崩せる」
俺が仲間の戦術を思案して提案すると、ヤマトは数秒だけ地図を見て、
「正解だ」
短く言った。
「お、すごいじゃん」
ハヤミがにっと笑う。
「ちゃんと軍師っぽかった」
「まだ全然だよ」
俺は苦笑する。
「でも……見落としたくないんだ。誰かが死ぬ場所を」
その言葉に全員が黙った。
ヤマトだけが静かにこちらを見ており、何かを測るように言う。
「なら、お前が見て考えて、決めてみろ」
それは命令ではなく、突き放す言葉でもない。
「できるな」
俺に任せるための言葉だった。
「……やる」
俺は静かに力強く頷いた。
その後も作戦会議は続いた。
避難誘導、食料配布、怪我人の収容場所、魔物の進軍速度。
ブラックマーケットで揃える物資を次々購入。
「弾薬、回復薬、通信、簡易バリケード、爆薬、携帯食料」
ヤマトが次々と黒いウィンドウに指を走らせる。購入回数制限はまだ大丈夫らしい。
「買えるだけ買う」
「お金、大丈夫なのか?」
俺が不安げに聞く。
「問題ない」
「いや、問題ない金額じゃないと思うんだけど……」
「王太子を辞めたが、個人資産はある。それに、今使わずにいつ使う」
黒い空間から物資の木箱が次々と現れる。
下町屋の床が、あっという間に物資で埋まっていく。
「……ほんと、とんでもないスキルだな」
「日常最強だからな、兄貴は」
ハヤミが呆れたように笑う。
「戦場でも普通に最強寄りだけど」
その時、厨房の奥から低い声がした。
「ユラ」
振り向くと、ゲンジローが立っていた。
手には長い布包みを持っている。
「親父?」
「お前に渡すもんがある」
ゲンジローは無造作にそれを差し出した。
「開けてみろ」
俺は布をさっとほどく。
現れたのは、一振りの剣だった。いや、剣というより刀に近い。
軽く、静かで、鋭い。飾り気はない。しかし、握った瞬間に分かった。
これは、自分のために作られたものだ。
「……これ」
「鍛冶スキルだ」
ゲンジローがぼそっと言う。
「前から見てた。お前、振り回すより抜く方が向いてる」
「居合……」
「ああ」
ゲンジローは頷く。
「斬り合う剣じゃねぇ。一瞬で決める剣だ」
俺はそっと柄を握る。手に吸い付くようだった。
重すぎず軽すぎず、まるで自分の呼吸に合わせてくる。
「銘はない」
ゲンジローは言う。
「お前が決めろ」
「……俺が?」
「お前の剣だ」
決して勇者の剣ではない。
王家から与えられたものでもない。
誰かの期待を背負わされたものでもない。
親父が、自分を見て作ってくれた剣だ。
「……ありがとう」
声が少し震えた。
「大事にする」
「大事にしろとは言わねぇ」
ゲンジローはいつものようにそっけない。
「使え。生きて帰るためにな」
俺は強く頷いた。
「……おう」
明日から、戦争が始まる。
その事実だけが、静かに全員の背中に乗っていた。




