52.微妙な距離
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夕暮れ時の【下町屋】は、暖簾をくぐると、いつものように活気に満ちた喧騒が広がっている。はずだった。
「……いらっしゃいませ……って、え」
厨房から顔を出した俺の、いつも通りの挨拶が途中でピタリと固まった。
店の入口に立っていたのは、ヤマトとハヤミだったからだ。
「……ほんとに、来たんだ」
自分でも分かるくらい、声がぎこちなく固くなってしまう。
「来た」
ヤマトは感情を削ぎ落としたような低い声で短く返した。
視線が一瞬だけ真っ直ぐ交錯したが、気まずさに耐えかねて俺はすぐに目を逸らしてしまった。
「……お、お茶出すよ」
まるでその場から逃げ出すみたいに、俺は背を向けた。そのまま厨房の奥へ逃げ込もうとする。
「ユラ」
背後から低く呼び止める声が響いた。嫌でも足がピタリと止まってしまう。
それでも、俺は振り返ることができなかった。だって、拒絶しちまったし。
「……今、仕込みで忙しいから」
「逃げているな」
「逃げてない」
「なら、こっちを見ろ」
「……無理」
即座に拒絶の言葉が出てしまった。
俺のあまりの拒絶ぶりに、後ろで見ていたハヤミが額に手を当てて「あちゃー」と呆れたように溜め息を漏らすのが聞こえた。
「か……買い物!買い出しに行ってくる!」
今の俺には、ヤマトの顔を正面から直視する勇気がない。一人になって頭を冷やしたかった。
「今夜の食材が足りないからさ!すぐ戻る!」
「おい、待て」
誰の制止も聞かずに、俺は逃げるように店の勝手口から外へ飛び出した。
人通りの少ない夕暮れの路地裏を、俺は早足で前へ前へと進んでいく。
背後からヤマトが追ってきている気配は、言われなくても嫌というほど伝わってきた。それでも、足を止めることができない。
気まずさが残っているのも事実だが、それ以上に変に意識してしまって顔が見られない。今ヤマトと向き合っても、まともに会話ができる自信なんて欠片もなかった。
「待てと言ってる」
背後から静かな声が響いたかと思うと、一瞬で距離を詰められ、がっしりと腕を掴まれた。
「……っ」
びくっと身体が跳ね上がる。
「……なぜ逃げる」
強引に向き直され、逃げ場のない正面から覗き込まれる。
「……逃げてないって」
「嘘だ」
「嘘じゃない」
「目が酷く泳いでる」
「そっちがそんなに怖い顔してるからだろっ!」
追い詰められた俺は、思わず声を張り上げてしまった。
ヤマトが一瞬、言葉を失って口をつぐむ。
「……オレが、嫌いか」
俺は気まずさに耐えきれず、視線を明後日の方向へと逸らした。
「ちがう」
「なら、なんだ」
「……自分でも、よくわからん」
胸の奥で固まっていた本音を口にする。
「……わからんけど……なんか、ヤマトが近くにいると……変」
「変……?」
「お前がムカつくんだ」
ヤマトがガックリ肩を落とした。やはり修行のせいか……と、ぶつぶつ呟いている。あの、何を言ってんだよお前さん。なんでそんな落ち込んでんの?ムカつくって言ったから?そりゃあお前さんはクソイケメンだからな。男からすりゃあハイスペックだから僻み根性でムカつきはするよ。ムカつきはするけどさぁ、違うんだよ。
「嫌いじゃねーんだ。嫌いじゃねーんだよ……」
「じゃあなんだ」
ヤマトがじっと俺を見つめてくる。圧があって怖いんですが。
「だからそれがわかんないんだって。ヤマトがスミカさんとやらといるとイライラするなーっていうか……」
必死で言葉をかき集めるが、自分の気持ちをうまく説明できない。しかし、ヤマトは妙に茫然としたかと思えば、
「……もういい。わかった」
急に俺の言葉を遮ってきた。
「え……」
「なんとなく、理由がわかった」
「なんとなくで?」
「ああ」
その声が、ほんの僅かだけ柔らかくなった。
どうしたんだよ急に。なんなのさ。
俺が首を傾げていると、ヤマトは真正面から真剣に俺を見つめてきた。
「ユラ」
改めて名前を呼ばれると緊張してしまう。
「……な、なんだよ」
「オレは、お前のそばにいたい」
はっきりと微かな迷いすらなく、彼はそう告げた。
「え……?」
ドキッと、心臓が跳ね上がった。
「理由は自分でも分からん」
「わかんねぇのかよ。分からないなら言うなっ」
「だが、お前から離れたくない」
自分の顔が一気に沸騰したみたいに熱くなっていくのが分かる。気づけば、ヤマトとの距離が息が触れ合いそうなほど近くなっていた。
「ちょ、ちょっと待て。なんで急に近寄ってくるんだよ!ちけぇ!」
じり、と後ろへ後退する。けれどヤマトの歩みは止まらない。
「……お前が逃げると、どこまでも追いかけたくなる。目が離せなくなる」
「それ、背後霊と一緒だぞ。酷い場合はストーカーという場合もある。どうかよしたまえ」
俺が引いた顔をしていると、ヤマトが動きを止める。
「……すまない」
珍しく素直に、彼は一歩だけ後ろに引いた。これ以上距離を詰めると、俺が本当に限界を迎えて逃げ出してしまうと察したのだろう。
「……一週間後には、十万の魔物が王都へ押し寄せてくるんだ」
俺はぽつりと呟いた。
「こんな時にさ、何やってるんだよ」
「そうだな」
「だから……そのだな……」
俺は視線を彷徨わせながら言葉を詰まらせる。
「……とりあえず、もうくだらない話は無しという事で!」
強引に話をまとめようとする。
「……仲直り、ってことでいいな?」
ヤマトは少しだけ考え込むように目を細めた。
「とりあえずだな」
「だーうるせえよ」
まだ胸の奥には気まずさが残っている。しかし、以前のような軽妙な空気が戻ってきた気がした。




