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食堂店員兼勇者  作者: 平民
四章 十万魔物

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52/65

52.微妙な距離

 *


 夕暮れ時の【下町屋】は、暖簾をくぐると、いつものように活気に満ちた喧騒が広がっている。はずだった。


「……いらっしゃいませ……って、え」


 厨房から顔を出した俺の、いつも通りの挨拶が途中でピタリと固まった。

 店の入口に立っていたのは、ヤマトとハヤミだったからだ。


「……ほんとに、来たんだ」


 自分でも分かるくらい、声がぎこちなく固くなってしまう。


「来た」


 ヤマトは感情を削ぎ落としたような低い声で短く返した。

 視線が一瞬だけ真っ直ぐ交錯したが、気まずさに耐えかねて俺はすぐに目を逸らしてしまった。


「……お、お茶出すよ」


 まるでその場から逃げ出すみたいに、俺は背を向けた。そのまま厨房の奥へ逃げ込もうとする。


「ユラ」


 背後から低く呼び止める声が響いた。嫌でも足がピタリと止まってしまう。

 それでも、俺は振り返ることができなかった。だって、拒絶しちまったし。


「……今、仕込みで忙しいから」

「逃げているな」

「逃げてない」

「なら、こっちを見ろ」

「……無理」


 即座に拒絶の言葉が出てしまった。

 俺のあまりの拒絶ぶりに、後ろで見ていたハヤミが額に手を当てて「あちゃー」と呆れたように溜め息を漏らすのが聞こえた。


「か……買い物!買い出しに行ってくる!」


 今の俺には、ヤマトの顔を正面から直視する勇気がない。一人になって頭を冷やしたかった。


「今夜の食材が足りないからさ!すぐ戻る!」

「おい、待て」


 誰の制止も聞かずに、俺は逃げるように店の勝手口から外へ飛び出した。

 人通りの少ない夕暮れの路地裏を、俺は早足で前へ前へと進んでいく。

 背後からヤマトが追ってきている気配は、言われなくても嫌というほど伝わってきた。それでも、足を止めることができない。


 気まずさが残っているのも事実だが、それ以上に変に意識してしまって顔が見られない。今ヤマトと向き合っても、まともに会話ができる自信なんて欠片もなかった。


「待てと言ってる」


 背後から静かな声が響いたかと思うと、一瞬で距離を詰められ、がっしりと腕を掴まれた。


「……っ」


 びくっと身体が跳ね上がる。


「……なぜ逃げる」


 強引に向き直され、逃げ場のない正面から覗き込まれる。


「……逃げてないって」

「嘘だ」

「嘘じゃない」

「目が酷く泳いでる」

「そっちがそんなに怖い顔してるからだろっ!」


 追い詰められた俺は、思わず声を張り上げてしまった。

 ヤマトが一瞬、言葉を失って口をつぐむ。


「……オレが、嫌いか」


 俺は気まずさに耐えきれず、視線を明後日の方向へと逸らした。


「ちがう」

「なら、なんだ」

「……自分でも、よくわからん」


 胸の奥で固まっていた本音を口にする。


「……わからんけど……なんか、ヤマトが近くにいると……変」

「変……?」

「お前がムカつくんだ」


 ヤマトがガックリ肩を落とした。やはり修行のせいか……と、ぶつぶつ呟いている。あの、何を言ってんだよお前さん。なんでそんな落ち込んでんの?ムカつくって言ったから?そりゃあお前さんはクソイケメンだからな。男からすりゃあハイスペックだから僻み根性でムカつきはするよ。ムカつきはするけどさぁ、違うんだよ。


「嫌いじゃねーんだ。嫌いじゃねーんだよ……」

「じゃあなんだ」


 ヤマトがじっと俺を見つめてくる。圧があって怖いんですが。


「だからそれがわかんないんだって。ヤマトがスミカさんとやらといるとイライラするなーっていうか……」


 必死で言葉をかき集めるが、自分の気持ちをうまく説明できない。しかし、ヤマトは妙に茫然としたかと思えば、


「……もういい。わかった」


 急に俺の言葉を遮ってきた。


「え……」

「なんとなく、理由がわかった」

「なんとなくで?」

「ああ」


 その声が、ほんの僅かだけ柔らかくなった。

 どうしたんだよ急に。なんなのさ。

 俺が首を傾げていると、ヤマトは真正面から真剣に俺を見つめてきた。


「ユラ」


 改めて名前を呼ばれると緊張してしまう。


「……な、なんだよ」

「オレは、お前のそばにいたい」


 はっきりと微かな迷いすらなく、彼はそう告げた。


「え……?」


 ドキッと、心臓が跳ね上がった。


「理由は自分でも分からん」

「わかんねぇのかよ。分からないなら言うなっ」

「だが、お前から離れたくない」


 自分の顔が一気に沸騰したみたいに熱くなっていくのが分かる。気づけば、ヤマトとの距離が息が触れ合いそうなほど近くなっていた。


「ちょ、ちょっと待て。なんで急に近寄ってくるんだよ!ちけぇ!」


 じり、と後ろへ後退する。けれどヤマトの歩みは止まらない。


「……お前が逃げると、どこまでも追いかけたくなる。目が離せなくなる」

「それ、背後霊と一緒だぞ。酷い場合はストーカーという場合もある。どうかよしたまえ」


 俺が引いた顔をしていると、ヤマトが動きを止める。


「……すまない」


 珍しく素直に、彼は一歩だけ後ろに引いた。これ以上距離を詰めると、俺が本当に限界を迎えて逃げ出してしまうと察したのだろう。


「……一週間後には、十万の魔物が王都へ押し寄せてくるんだ」


 俺はぽつりと呟いた。


「こんな時にさ、何やってるんだよ」

「そうだな」

「だから……そのだな……」


 俺は視線を彷徨わせながら言葉を詰まらせる。


「……とりあえず、もうくだらない話は無しという事で!」


 強引に話をまとめようとする。


「……仲直り、ってことでいいな?」


 ヤマトは少しだけ考え込むように目を細めた。


「とりあえずだな」

「だーうるせえよ」


 まだ胸の奥には気まずさが残っている。しかし、以前のような軽妙な空気が戻ってきた気がした。



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