49.母親とも決別
重い扉が閉まったその直後、慌てた声に呼び止められる。
「待ちなさい、ヤマト」
長く冷たい通路の先に、一人の女が立っていた。
現カノン王の妻であり、この世界のヤマトの母親であるスイーツ王妃だった。
完璧に整えられた髪と、微塵の乱れもない豪奢な衣装を身にまとい、感情を極限まで抑えた立ち姿を見せている。それでも瞳はわずかながら動揺を孕んでいた。
「……見ていたわ。謁見の間でのあなたの言動を」
ヤマトは不意に足を止める。が、実の母親に対しても酷く冷ややかだった。
王妃が静かに距離を詰める。
「あれが、どういう意味を持つか分かっているの?」
「分かっている」
ヤマトは一切の迷いなく即答した。
「王太子を辞める。王に背く。武器を向ける。それがどういうことか……」
「くどい。全部分かったうえだ」
冷たくそっけない返答に、王妃の美しい顔がわずかに歪んだ。
「戻りなさい、ヤマト。今ならまだ間に合うわ。王妃として命令します」
「無理だな」
一切の間を置かない無慈悲な拒絶だった。
「ヤマト……!あなたは王太子なのよ。この国の未来を背負う唯一無二の存在なの。その立場を、感情任せに簡単に捨てていいものではないわ」
「……立場?」
ヤマトが侮蔑を込めてわずかに目を細める。
「そうよ。あなたは「ただのアクセサリーだろ」
容赦なく遮られた王妃の言葉が詰まる。
「王家を飾るための都合のいい息子」
「……っ、違うわ」
すぐに否定する王妃の声を、ヤマトはさらに冷徹に切り捨てた。
「同じだろ。有能な駒で、従順な王子。都合のいい象徴。お前も、オレをずっとそういう目で見ていただろ」
そこには、母親を慕う息子の眼差しなど微塵もなかった。もはや母と呼ぶことすら拒み、ただの他人として見下している。
「……違うわ。私は……」
「期待していただろ。優秀な息子として、王に従う便利な存在として」
「……それは……」
「オレに利用価値があるからだ」
図星を突かれたからこそ、それ以上言葉を返すことができない。
「……もういい」
ヤマトは一瞬だけ目を伏せたが、再び顔を上げた時には完全に感情の消えた無表情に戻っていた。
「オレはもう、有能な息子なんていうアクセサリーに成り下がるつもりはない」
完全な絶縁を宣言され、王妃はただ立ち尽くすことしかできなかった。母親として、息子に何一つ届かない存在になってしまった現実を突きつけられていた。
「……ヤマト、あなたは……」
続く言葉を紡げない母親に背を向け、ヤマトは冷たく言い放った。
「……じゃあな、箱入りケバ女。あの無能王よりはマシだったが、お前の事は嫌いだった」
冷えた目で、これでもかと切り捨てた発言を残し、二度と振り返ることはなく歩き去っていく。残されたのは、何もできなかった元母親という存在だけだった。
ヤマトが消えた後、スイーツ王妃はその場に力なく崩れ落ちた。膝が冷たい床に触れ、小さな音が虚しく反響する。
「……違うのよ。私は……」
誰に届くわけでもない言葉が、震える唇から零れ落ちる。
あなたを大事に思っていたとそう伝えたかったのに、その言葉が今さら何の価値も持たないことを自分自身が一番よく理解していた。
「……あの子は、ずっと見ていたのね」
道具として利用される自分を。過度な期待を押し付けられる自分を。役割としてしか扱われない孤独な日々を。そして、現政治に対する不満も蓄積していた。
「……気づいていたのに、私はあの子と向き合わなかった。だから、息子は愛想が尽きて、私達を永遠に捨てる選択をしたのね」
それを呟いた瞬間、王妃の目から大粒の涙が床へと落ちた。音もなく広がったその雫は、もう二度と取り返しのつかない決別の証明だった。
「……妃殿下」
背後からかけられた声に振り向くと、そこには王家に長年仕えてきた老齢の側近が静かに佇んでいた。
「……見ていたのね、今のやり取りを」
「はい、すべて」
嘘偽りのない実直な返答に、王妃は壁を伝ってゆっくりと立ち上がった。
「……私は、あの子を止められなかったわ」
「止められません。殿下はもう、あちら側へ行かれましたから」
「あちら側……?」
「王ではなく、人の側です」
側近は静かに続ける。
「それを選ばれた時点で、殿下が王家に戻ることは二度とございません」
「……それでも、まだ説得すれば間に合うのでは……」
「いいえ、もう遅いのです。殿下は選ばれたのです。王族の地位を捨ててでも、守るべき人の側に立つことを」
残酷なまでの事実に、王妃の声が細く震えた。
「……あの子の選んだ道は、正しいの……?」
側近は少しだけ間を置き、静かに頭を下げた。
「はい。人間として、これ以上なく正しい道でございます」
「……っ」
王妃の目から、再び激しい後悔の涙が溢れ出した。
一度でもいいから、役目ではなく名前で呼び、抱きしめてやればよかった。親子として正面からぶつかり合うことを恐れ、向き合わなかったツケが、このような最悪の形で終わりを迎えるなんて思いもしなかった。
側近は一歩後ろに下がり、冷酷な現実を告げた。
「もう、昔のような関係には決して戻らないでしょう」
その言葉は、冷たい廊下に重く響き渡った。




