46.魔王幹部襲来
突如として、鼓膜を震わせる轟音が夜会に響き渡った。
豪奢な天井の一部が、内側から爆散するように叩き割られる。
砕け散った石材が瓦礫の山となって降り注ぎ、粉々になったシャンデリアのガラスが雨のようにパラパラ落ちる
立ち込める白煙の向こうに、そいつは立っていた。
身長は二メートルを超える巨体。隆起した筋肉の塊。そしてその肩には、異様なまでに巨大な禍々しい両刃の斧が担がれている。
「ふはははははは!」
地鳴りのような、低く豪快な笑い声がホールに響き渡る。
「これが貴族どもの宴か。ここに勇者がいると聞いて来てみれば……」
奴が一歩を踏み出すたびに、頑丈な大理石の床が軋む。圧倒的な重量感。
「随分と、柔らかくて美味そうな面ばかりが揃っていやがるなぁ」
男が放つ凶悪な威圧感が波となって押し寄せる。
「ひ、ひいぃっ!?」
「ま、待て……!誰か、誰かおらぬか!」
「護衛は何をしている!早く盾になれ!」
さっきまで上品に微笑んでいた貴族共が、一斉に醜く崩れ落ちた。プライドも糞もなく、自分第一で我先にと逃げ惑う。押し合い、転び、互いを踏みつけ合う叫び声が重なる。会場の秩序は一瞬で崩壊した。
しかし、この場にいる王侯貴族の中で、一部だけは微動だにしなかった。
逃げるどころか、冷徹な双眸で侵入者を睨みつけた。
「……魔族か」
ヤマトが短く呟いた。
その頭脳はすでに分析を終えている。脅威度、敵の狙い、周囲の状況。すべてを瞬時に算出し、最適解を導き出す。
「全員、下がれ」
広いホール中に、ヤマトの声が響き渡った。
決して声を張り上げているわけではない。なのに、騒音を切り裂くように妙によく通る。
「出口は南側に集中させろ。押すな。騎士の誘導に従って順に出ろ」
一切の迷いがない完璧な避難指示。
「衛兵は外周を封鎖。ネズミ一匹中に通すな」
圧倒的な脅威の前にいるからこそ、その絶対的な冷徹さに人々は自然と従ってしまう。さっきまでパニックに陥っていた貴族共の動きが、見る見るうちに統制されていく。暴力ではなく、言葉だけで空間を支配する。
それは紛れもなく、王の器そのものだった。
*
「ほぉ……」
瓦礫の上に立つ筋肉が、獰猛に口元を吊り上げた。
ただの魔族ではない。この悍ましい圧は、間違いなく魔王幹部の一角。
「面白ぇな、お前。勇者かと思ったぜ」
男が肩からゆっくりと巨大な斧を下ろす。
「その胸の勲章は、ただの飾りじゃねぇってわけだ」
男が床を爆破するように踏み砕き、直線的な強引さで突進してくる。
「まとめて潰してやるよ、王子様ァ!この、魔王幹部ガリオ様がな!」
振り下ろされる斧の軌道は、視認できるほどに重く、遅いはずだった。なのに、空気そのものが強烈に押し潰され、身体が金縛りにあったように動けない。当たれば一瞬で肉塊に変わる。死を理解する前に肉体を消滅させる一撃。
パァン。
銃声が鳴り響き、放たれた弾が斧の側面を捉えて軌道をわずかに逸らした。
同時に、耳元で低く硬い声が響く。
「右、三歩」
ヤマトの声に、俺の身体は反射的に動いていた。恐怖で頭が真っ白になるより早く、肉体が勝手に動く。
あの斧の威力は異常だ。まともに受ければ周辺の床ごと吹き飛ぶ。近くにまだ残っている貴族の巻き添えを防ぐため、俺は衝撃を逃がすように剣の腹で斧の軌道をいなした。
火花を散らしながら威力を落とされた斧が、俺のすぐ横の大理石を爆破するように叩き割る。
「ちっ」
ガリオが苛立たしげに舌打ちする。
「小賢しいマネを」
間髪入れず、次の一撃が襲い来る。重量級とは思えないほどに速い、苛烈な横薙ぎ。それでも、少し前までの俺とは違っていた。はっきりと分かる。
「……見える!」
俺は深く踏み込み、半歩の最小動作でその刃を紙一重でかわす。
視界は驚くほど鮮明で、不思議と足はすくまない。頭の中が冷たく冴え渡っている。避けた勢いのままカウンターで剣を振るうが、ガリオは巨体に似合わぬ身軽さでそれを素早く回避した。
「……ほう」
ガリオの目が細まる。
「やるではないか。もうすぐ首が斬れたのにな」
一撃を入れることまでは出来なかった。だけど、あの地獄のような修行の成果は確実に出ていた。
「ユラ、下がって!あたしがいくッ!」
ハヤミの鋭い叫びとともに、赤い影が頭上を飛び越えた。
「どりゃああああ!!」
ハヤミの渾身のハンマーが上空から叩き込まれる。
ガリオはそれを分かっていたかのように斧の柄で受け止めた。激しい金属音とともに、周囲のガラスを全て粉砕するほどの衝撃波と火花が炸裂する。
「ガハハハ!いいねぇ!相変わらずいい一撃だ、ハヤミ!」
後方からゴランさんの豪快な笑い声が響く。
「目くらましだ」
カオルさんの幻影魔法が戦場を包み込む。何十人もの仲間の幻影が重なり合い、ガリオの視界を攪乱していく。
包囲され、視覚を奪われ、威圧されているというのに、このガリオという男は、なおも狂ったように笑っていた。
「はははは!やるではないか、人間ども!」
この圧倒的な劣勢すら、楽しくて仕方がないと言わんばかりだ。どんだけ戦闘狂なんだよこいつ。
「腰抜けの豚ばかりの王国だと思っていたがなぁ!やはり勇者誕生の噂は伊達ではなかったというわけか!」
俺は激しく上下する肩を落ち着かせ、息を整える。
正直に言えば、やっぱり怖い。目の前にいるのは本物の魔王幹部だ。存在の格が違いすぎる。いくら修行で力を付けたとはいえ、まだ実戦経験は少ない。
でも、足は止まらない。
前までの、いつ死んでもいいと怯えていた俺じゃない。もう逃げたくないし、ここで崩れるわけにはいかない。
しっかりと顎を引き、視線を上げて、目の前の怪物を真っ直ぐに見据える。
キモヲタチー牛だってやる時はやるのだ。
「……やってやる」
自分はできるんだと、心の中で暗示をかけるように何度も何度も繰り返す。
だって、あの死にかけの地獄の鍛錬を、俺は死に物狂いで食い縛ってこなしたんだ。全身ボロボロになって、四人の総攻撃に泣いて、それでも立ち上がったんだ。
現に今、その成果があの化け物に通じている。
だから、絶対にやれるッ!!
「ははははは!楽しいねえ!こんなにヒリつく戦いは数百年ぶりだぞ!」
ガリオは狂喜乱舞していた。
こいつには、攻撃を避けるという発想自体が存在しない。ハヤミたちの波状攻撃を次々と、肉体一つで受ける、弾く、力任せにねじ伏せる。ただそれだけの純粋な物理暴力で、戦場を成立させている。これぞ本当のTHE・脳筋である。
「軽いなァ!!」
ガリオの斧が、ハヤミのハンマーを正面から押し潰すように迎え撃った。
ギィィィィィィン。
耳を圧する火花と火線が走り、二人の足元の大理石が強烈な負荷で沈み込む。純粋な怪力と怪力の、凄まじい押し問答だ。
「くっ……う、おおおおお!」
ハヤミが奥歯をガチガチと鳴らし、顔を真っ赤にして踏ん張る。絶対に押し負けない。
それどころか、じりじりと、その巨躯を押し返していく。
「お前……」
ガリオの口元が驚愕に歪んだ。
「ただの人間の女がこれほどの剛力を……!」
「はぁ!?女だからってナメてんじゃねぇぞクソゴリラが!!」
ハヤミが咆哮し、さらに爆発的な力を込めて押し込む。
互いの武器が限界まで反発し合い、激しく弾けた。その一瞬の隙を見逃さず、横から巨影が滑り込む。
「どけいッ!」
ゴランさんが咆哮とともに割り込んだ。
鋭く振るわれるのは、龍族としての赤き鉤爪。重い圧力を伴ったその一撃を受け、流石のガリオも大きく一歩を後退させる。
「はは……っ!」
ガリオの瞳がさらに爛々と輝く。
「いいなァ!!」
戦いそのものを、骨の髄まで楽しんでいる。
「だが周りの雑魚どもが邪魔だな!死にたくなければさっさと失せろ、踏み潰されても知らんぞ!」
ガリオの斧が大きく振り上げられる。その凶刃の先、まだ逃げ遅れていた子供の悲鳴が小さく響いた。
「させませんッ!!」
サクラコさんの鋭い声とともに、リリアンが閃光のように走った。
幾重にも絡みつき、強固に締め上げる。ガリオの太い剛腕を、一瞬でガチガチに拘束した。
「……ぬ?」
一瞬、ガリオの動きが停止する。
「今ですじゃ!!」
ハチベエさんが素早く魔法陣を展開した。
「全員に強化を付与ですじゃ!!」
眩い光の奔流が全員の身体を駆け巡る。力と魔力が、爆発的に底上げされる感覚だ。
「ぼくもやるよ!!」
ダイゴローが小さな手を力強く振るう。
その周囲を、三匹の妖精たちが羽音を立てて一斉に飛び回った。
『だりぃけどやるぞーコラ』
『はいはい、デバフ一丁お待ちー』
『さっさと遅くなれよ、この筋肉ブタゴリラが!』
毒づく妖精たちの魔力がガリオにまとわりつき、その巨体の動きが目に見えて鈍くなる。
「……チョロチョロと小細工をッ!」
だが、それでもガリオは止まらない。強引に毛糸を引きちぎり、力ずくで全てをねじ伏せようと前へ進む。
「いつまでも……」
その死角から、カオルさんが鋭く踏み込んだ。
無駄なタメも予備動作も一切ない、極限まで洗練された最短距離の踏み込み。
「調子に乗ってんじゃないッ!!」
魂のこもった正拳突きが放たれる。
ドゴォッ。
完璧なタイミングで、ガリオの顔面に直撃した。
巨体が真横に吹き飛び、重々しい音を立ててホールの壁に激突する。周囲に濃い粉塵が舞い上がった。
「……へっ、効くじゃねぇか」
ガラガラと崩れる瓦礫を押しのけ、ガリオがゆっくりと立ち上がる。
口の端から流れる鮮血を手の甲で拭いながら、男はなおも不敵に笑っていた。その顔には、まだ圧倒的な余裕がある。
「本当に面白ぇ。人間の中にこれほどの骨のある奴らが揃っていようとはな」
舞い散る粉塵の向こう、俺の感覚が極限まで研ぎ澄まされていく。
あいつの動きをよく見ろ。筋肉の弛緩、呼吸の周期、床を踏みしめる音。ヒリつくような死線を肌で感じろ。
あの地獄の修行の日々を思い出せ。全員の動きは、ちゃんと一つの線で繋がっている。
「やれる!!」
俺はガリオに向かって走る。
それに応戦するように、ガリオも踏み込み、渾身の力でその巨大な斧を振り下ろす。
「遅い」
俺の身体は、すでにその軌道の外にあった。斧は虚しく空を切り、俺は剣を鞘に納めたまま、神速の踏み込みで奴の懐、絶対的な間合いへと滑り込む。
ここだ。修行で何度も叩き込まれた、勝利の境界線。
限界まで腰を落とし、鞘から一気に刃を抜き放った。
ヤマトが放った無数の弾丸を、剣の腹で弾いた時の感覚。
カオルさんの放つ幻影の隙間を、見破った時の感覚。
ゴランさんの放つ圧倒的な龍の圧に、決して膝を折らなかった時の感覚。
ハヤミの放つ山のような重さのハンマーを、真っ正面から受け止めたあの感覚。
その全てが脳内で神速の輝きとなり、一本の閃光へと昇華する。
ザシュゥゥゥッ。
金属と肉が擦れ合う、鈍く重い音が響いた。
これまで傷一つつけられなかったガリオの強靭な肉体に、初めて刃が深く喰い込む。
骨に達するほどの、確かな手応えを感じた。
「……が、はッ!?」
ガリオの目が、驚愕で大きく見開かれる。
確かにこの化け物に届いた。
「……入ったじゃん!」
ハヤミが驚きに感嘆の声をもらす。
サクラコさんが「まあ」と嬉しそうに口元を押さえた。
ヤマトだけが、最初からそれが当然だと言うように、細い目をさらに細めた。
「いい……!!」
傷口から大量の血を噴き出しながら、ガリオは顔を歪めて笑った。
「いいぞ、勇者ァッ!!」
怯むどころか、その血の匂いに狂喜してなおも前に出ようとする。
勇者モードでもない確かな一撃。
生身の肉体のままで、俺は初めて敵にその存在を認めさせた。




