44.夜会
「……死ぬかと思いました」
地面に寝転んだまま、俺は天を仰いで呟いた。
つい先ほどまで、またあの三人同時攻撃の洗礼を受けたばかりだ。初っ端から盛大に気絶して、頭から容赦なく水をぶっかけられて無理やり起こされた。
「おいおいユラ、思っただけかよ。なら、まだ余裕だな」
「余裕ではないです」
「ははは!しゃべれる元気があるなら大丈夫だ。てことで、今から前衛陣全員参加な」
「はい……?」
「あはは!楽しそうでしょ?がんばろーね、ユラ!」
ハンマーを肩に担いだハヤミが楽しそうに笑う。
あの、全然楽しくないんだけど。集団リンチにあっている気分です、ぼくちゃん。
でも、ここで引き下がるわけにはいかない。
「……やってやる!」
剣を強く握り直した瞬間、全方位から一斉にすべてが襲いかかってきた。
ハヤミの烈火のごとき一撃、ゴランさんの猛烈な火炎ブレス、カオルさんの脳を狂わせる幻影、そしてヤマトの冷徹極まる銃撃。
全部避けるか……いや、無理だ。
動きが全く追いつかない。全てにおいて間に合わない。四人の個性が噛み合った連携を止めきる術など、今の俺にはなかった。
ドガァァァン。
轟音と共に、俺の体は木の葉のように虚しく吹き飛んだ。荒野の地面へと派手に叩きつけられる。
起き上がれない。体に力が入らない。息をするたびに肺が潰れるような激痛が走り、全身の骨がきしむ。
「……っ」
視界がじわじわと滲む。もう立てない。確実にどこかの骨が折れている感覚があった。もう……さすがに無理だ。
「……なんで」
掠れた声が勝手に漏れる。
「こんなの……っ」
誰も俺を責めていないのに、自分だけが皆の領域についていけないことが悔しくて、もどかしくてたまらない。ただでさえ自信がないのに、一番弱い現実を突きつけられて、自尊心の欠片すらズタズタに引き裂かれていく。
全部、届かない。手の届かない高みにある。
「……もう、できない……」
ぽつりと零れ落ちた涙が、乾いた地面を黒く濡らした。
「それがお前の限界か」
ヤマトの冷たい声がした。その瞳は、友達に向けるものとは思えないほど鋭く尖った眼差し。
もうやりたくない。辛い。苦しい。どうして俺がこんな目に遭わなきゃいけないんだ。勇者になんて、なりたくてなったわけじゃない。
そんな最低な泣き言が口から飛び出しそうになり、俺は必死に奥歯を噛み締めた。
思い出せ。あの時、守れなかったらどうしようと恐怖した瞬間を。先日の切羽詰まった魔物との戦いを。ヤマトやみんなに失望されるわけにはいかない。
「……まだ、まだ……っ」
泥を掴み、傷だらけでガタガタと震える体を無理やり動かす。
「やれる……ッ!」
ゆっくりと、地を這うようにして立ち上がる。両足は生まれたての小鹿のように無様に震えていた。それでも、前を向き続ける。
それから幾度となく衝撃を叩き込まれては気絶し、水を被って起こされ、ひたすらその地獄を繰り返した。ここ数日は寝ても覚めても、ずっと四人同時攻撃の雨を浴び続けている。
「……まだ立てるか、ユラ」
ヤマトの冷たい声と鋭い瞳が俺を捉える。ハヤミもいつもは俺を白馬の王子様だと騒いでいるくせに、今はその甘さが微塵もない。ゴランさんも口調こそ茶化しているが目は本気だし、カオルさんは常に厳しい視線で俺の挙動を監視している。
これが本当の戦場だったら、文字通り地獄そのものだろう。この四人はそれほどまでに圧倒的に強い。生半可な覚悟ならあっさり殺されている。
だけど、そろそろだ。何度も叩きのめされるうちに、何かが分かりそうな気がしていた。四日間もこの地獄を受け続けたんだ。さすがに隙の一つや二つ、身体が感覚として覚え始めている。
何千回目か分からない攻撃が始まる。いつもと同じ、容赦のない四人同時攻撃。
彼らの踏み込みと同時に押し寄せる、炎、銃声、幻覚、打撃。
見える。ずらす。剣を振る!
キィン、と激しい金属音が響く。
ヤマトの放った弾丸が逸れた。何千回と体に恐怖を叩き込まれた甲斐あって、皮膚を刺すようなヒリつく殺気任せに、すべての攻撃の軌道を紙一重で避けていく。もちろん全てを完璧にいなすことはできなかったが、ギリギリのところでまだ倒れない。
そして俺は、ついに四人の包囲網を抜けて距離を詰めた。ほんの一瞬だけ生まれたヤマトの間合いに入り込み、本能のままに剣を振るう。
「……」
その刹那、ヤマトの服の端が、わずかに鋭く裂けた。
「……っ」
初めて、俺の刃が届いた。
「あ!」
ハヤミが真っ先に反応した。
「やったじゃん!兄貴の服の裾を切るなんてさ!」
「へっ、ようやく一太刀入ったか」
ゴランさんが嬉しそうに首の骨を鳴らす。
「ふふ、随分と遅かったけれどね」
カオルさんが小さく息を吐き、どこか誇らしげに微笑んだ。
「よく頑張りました、ユラさん」
「サクラコさんの言う通り、ユラさんの成長は嬉しいかぎりですじゃ」
木陰で見守っていたサクラコさんとハチベエさんが、我が事のように顔をほころばせる。
「やったね、ユラ!」
ダイゴローが妖精たちと一緒にぴょんぴょんと飛び跳ねた。
喉の奥が焼けるように息が苦しい。それでも、俺の足はしっかりと地面を捉えて倒れなかった。
「……全部を避けきれたわけじゃない。まだ、誰にも勝ててない」
息を整えながら、俺ははっきりと告げた。これは事実だ。ただ掠めただけで、全員には全く通用していない。
「当然だ」
ヤマトが即答する。だが、その唇がわずかに不器用な弧を描いた。
「だが、届いた。少しだけな」
短い言葉だったが、彼なりの不器用な祝福であり、俺の成長を誰よりも喜んでくれている様子だ。
「……よし、おまけの合格だ!」
ゴランさんが祝いに俺の背中をバチコーンと叩いた。
「いってぇえええー!!」
悶絶する俺を他所に、ゴランさんは豪快に笑う。
「はっはっは!実戦で簡単に死なねぇレベルにはなったな」
「あくまで最低ラインだけどね」
カオルさんが厳しい口調で付け足す。やっぱりこの人が一番おっかない。物理的に一番容赦がなかったのはヤマトだが。
「でもまあ」
カオルさんは肩をすくめると、優しい目を俺に向けた。
「勇者の力がなくても、普通に戦えるレベルにはなったよ。やっと黒帯になった段階ね」
荒野を包んでいたギスギス感が緩んだ。
長かった。痛かった。何度も心が折れて、チー牛の俺は情けなく泣いた。それでも俺はここまで来られたんだ。完全じゃないし、最強でもない。だけど、確実に前へと進めた地獄の修行だったよ。
「ユラぁっ!!」
「ぐああああっ!!ほ、骨がっ、いでえええええ!!」
急にハヤミに抱きつかれて俺はハイパー悶絶。
「あ、ユラ、ごめん。大丈夫~?」
「いだあああいいいぃぃ!!うわあああああん!!びえええぇぇん!!」
情けなく悲鳴をあげる俺は、鼻水を垂らしながら痛みにまた泣いた。まじダッセー。勇者とはいえ、中身はただのチー牛なのだ。繊細なのだよ全く。
全治三カ月レベルの重傷だが、ゴランさんに話せる元気があるなら大丈夫だ!がはははは!と、また背中をぶっ叩かれて、今度こそ泣きながら気絶したのであった。
一週間後、王都カノンはいつも通りの賑わいを見せていた。
ただ、どこか街全体の空気が少しだけピリピリと張り詰めている。しかし、夜を迎えると、王都はいつもとは全く違う華やかな顔を覗かせた。
本日行われるのは、いつもの下町には存在しない特別な催しである。
「夜会とかどう考えても場違いだよな……」
行きたくねー。貧乏平民の俺が勇者ってだけで行かなきゃならん意味ある?いらない子でしょ。
「まあねー。行きたくないけど、美味しいメシは腹いっぱい食いたい。ローストビーフ20人前くらいは」
「ねえねえ。ハンバーグあるかな〜、サクラコ」
「ふふ、ダイゴローはハンバーグが大好きですものね。きっとありますわ」
本日の舞台は、全貴族が一堂に会する場所。王宮の絢爛な大ホール。
平民として育った俺には全く縁のない、華やかで、そして死ぬほど居心地の悪い空間に放り出されるのだ。勇者のお披露目という名目で。
こんなチー牛をお披露目しても笑われるだけだっつうの。笑われて恥かくだけじゃん。バカな見栄張り王が自慢したいだけの会にしか思えんわい。ま、そんな事言ったら不敬罪で打首獄門にあいそうだからお口にチャック。
大きな扉が開くと、豪奢なホールに眩い光が溢れ、鏡のように磨き上げられた床が広がっていた。あと化粧くさいドレスの女さんや偉そうな男さんがいっぱい。見た瞬間、本当に帰りたくなったが、ロースビーフのためだと言い聞かせて我慢した。それしか楽しみがねえもん。
「……キラキラしてて眩しすぎる。空気がピリピリしてるな」
俺が引きつった顔で言う。
「まあね、気持ちはわかるよ。偉そうな貴族共が蔓延る嫌な空気そのもの。大嫌いな場所だわ」
横からハヤミが、心底ウンザリしたように吐き捨てる。そんな彼女の格好は、いつもと違って短めの丈の赤のドレスだった。動きやすさ重視のデザインらしく、サイドポニテと相まってとてもよく似合っている。
「それにしても、ユラってばめちゃくちゃ似合ってるじゃんソレ。さすがハヤミの白馬の王子様だね!」
「……それ、本当に褒めてんのか?」
「褒めてる。大絶賛。ユラ、すっごくかっこいぃ〜♡」
軽い反応に苦笑しつつも、俺の緊張は少しだけほぐれた。周囲の貴族から浮いているかもしれないと不安だったからだ。
いつもと違う格好だから落ち着かないけれど、ドレスを着せられるよりは何倍もマシだ。ヒラヒラしたものは動きづらいし、中身が男の自分としてはドレスなんて絶対に勘弁してほしい。女装でもいいじゃんとかハヤミには突っ込まれたが、やっぱり俺にはこういうスーツ姿が一番しっくりくる。
「ユラ、かっこいいし、かわいい!」
ダイゴローが目を輝かせて俺を見上げてくる。七五三のタキシードみたいで凄くよく似合っているよ。
「ありがとね、ダイゴロー……」
「まあ、皆様とても素敵です」
サクラコさんが上品に微笑みながら歩み寄ってくる。彼女は裾の長い、落ち着いた青色のドレスを纏っていた。まるでどこぞの令嬢のようである。
なんか……俺だけが浮いている気がしてきたんだが……。
馬子にも衣装……馬子にもチー牛……むぅ。
「……よく似合ってる、ユラ」
突如、背後から低く響いた声に心臓が跳ね上がった。
振り返ると、そこにいたのはヤマトだった。この国の王家の軍服に身を包んでいる。装飾自体は少ないのに、彼自身の持つ圧倒的なオーラが、奇妙なまでの威圧感を放っていた。
食堂で床を磨いている姿とは、まるで別人だった。
「……どーもサンキュ」
一瞬だけ目が合う。だけど、すぐに視線を逸らした。
今のヤマトは少しだけ遠い存在に感じたからだ。同じ困難を乗り越えてきた大切な仲間のはずなのに、軍服を纏った彼は、まるで手の届かない別世界の存在のように思えた。




