35.ヤマトの憂鬱(後編)
貴族街の一角。
静かで整いすぎた大きな屋敷前まで来た。
ここへ向かう前、側近に護衛を付けて馬車で送りますと言われたが断った。
それでもあなたは王族だなんだと小言を言われたが、無視して城を出た。
護衛を付けられて見張られるなんてごめんだ。だからいつも無理やり側近を付けられても、巻いて単独行動をしている。雑魚な側近などいても邪魔でしかない。大した盾にもなりゃしない。
そもそも、あんな遅い荷車より自分で行った方が早い。
ブラックマーケットでバイクでも出したいくらいだ。目立つのでやらないが。
「お待ちしておりました、ヤマト様」
屋敷の扉が開くと、柔らかな声と共に出迎えられる。
完璧に整えられた所作と目がくらむようなドレス。
そこにいたのは婚約者のスミカだった。
「……遅くなりました」
表情を整える。
ここでも王城にいた時のような仮面をつける。
王太子としての営業の顔だ。
「いえ、お忙しいのは承知しております」
伯爵令嬢としての完璧な笑みで隙がない。
でもどこか飾りつけたような顔で、素の顔ではない事は一目瞭然だ。
「さあ、こちらへ」
案内されるまま豪奢な部屋へ招かれ、席に着く。用意された料理と整えられた空間は、王太子が来るという事で家中が洗礼されすぎている。全て完璧で用意周到。無駄がない。
だが、形式ばっていてつまらない。息が詰まりすぎる空間だった。
「最近は勇者様とご一緒されているそうで……どのような方なのですか?」」
スミカがナイフを持ちながら訊ねる。
その質問は、個人の興味ではなく、情報共有のもの。
「……普通の人間ですよ」
余計な事は言わず、それだけを言う。
「まあ」
大げさに驚いたように目を細める。
「平民の方なのでしょう?」
「そうです」
「それは……」
一瞬だけ言葉を選ぶと、
「大変ですわね」
その一言で、完全に心は冷えた。
何がだ。何が大変だという。その一言で、この女の考えも見通してしまう。
わかっていた事だが、やはりどの王侯貴族も同じように勇者という存在を見下すだけ。
それでもあえて顔には出さない。まだ出すべきではない。
「……問題ありません」
淡々と返しながら料理を口に運ぶ。それで会話は成立するし、それ以上は必要ない。余計な情報は与えない。こんな箱入り女には必要最低限で十分。
……味気のない料理だ。あいつの料理の方がよほど美味しい。
「そういえば」
この屋敷の執事に、預けていた箱を持ってくるよう訴える。
数日前に送ったもので、この食事会で開けるよう事前に伝えてある。
執事が恭しく手袋越しで持ってきて、テーブルの上に置く。
「これは」
スミカの目がわずかに輝く。
「次の夜会用のものです」
簡潔に言う。
「まあ……!」
嬉しそうに手を伸ばす。
箱を開けると中にはそれなりに華やかで、上質なドレスが入っていた。
「素敵……」
本心だろう。自分個人としては心底どうでもいい。
「お気に召したのなら何よりです」
営業用の顔で微笑む。
我ながら完璧な角度で、自画自賛。己は無駄に顔がいいので、どんな女も騙せる王子スマイルである。こんな顔を張り付けておけば、多少は貴族共を騙せる。
「ありがとうございます、ヤマト様」
嬉しそうに胸に抱く。
「これで恥ずかしくない姿でご一緒できますわ」
恥ずかしいのは中身だ。見た目をどんなに飾ろうが、中身は薄っぺらい箱入り女に過ぎない。守られるだけのか弱い女や、形式ばった外見だけの女など、心底興味はない。その手の女は現実世界で腐るほど見てきた。ようするにノイズやモブでしかない。
そう思っていても、やっぱり口には出さない。
ちなみにこのドレスは、店に行くのが面倒だったのでブラックマーケットで適当に選んだもの。
質は保証されている。この世界にはない生地で既製品だが、この程度の女には十分だ。
どうでもいい。あいつが着るわけじゃない。
正直なところ、誰が何を着ようと興味はない。
能面がキラキラした服を着て、紳士淑女の狭い視野でしか語れない会の何が楽しい。自慢と虚栄と媚び諂うだけのダンス会だなんて反吐が出る。
「夜会、楽しみですわ」
全然楽しみじゃねぇし、参加するのも時間の無駄だ。
「勇者様もいらっしゃるのでしょう?」
「……そうですね」
営業スマイルで返す。
「どのような方か、直接拝見できるのですね」
そう言いながらも、その奥にあるのは好奇心と選別だ。
二時間弱で食事は滞りなく終わる。
会話も関係も問題ない。すべてが滞りなく進む。
退屈で、くだらなくて、あくびが出そうな時間。
最初から最後まで、何も残らなかった。
「では、また夜会で」
スミカが優雅に頭を下げる。
「ええ。失礼します」
同じように返す。
いつのもの形式通りの礼で終わり、さっさと屋敷の外を出る。
夜の空気を感じて、少しだけ息がしやすくなる。
やっと終わった。
予定のひとつを消化しただけで、それ以上でも以下でもない。
思い浮かぶのは、やはりあの食堂だ。
騒がしい声、くだらないやり取り、食欲をそそる庶民の料理たち。
帰る方向を変える。
あいつの顔を見れば、全部どうでもよくなる。
王城ではなく、貴族街でもなく、やっと下町へ行ける。




