30.レンヤ戦
「っ……」
ヤマトの微細な足運びが、ほんの僅かに遅れた。
静かに通った一閃が、赤い線を刻みつけていた。
「ヤマト!」
頬から鮮血が溢れて流れ落ちる。一歩間違えてしまえば致命傷だった。
「問題ない」
ヤマトは片手で銃を構えたまま冷徹に告げるが、息は僅かに乱れていた。
「やはり、まだまだ」
対峙するレンヤが、すべてを見透かしたように微笑む。
「その程度では私に勝てませんよ」
「……チッ」
だめだ。完全に押されている。このままじゃ危ない。
「……っ」
俺は刀の柄を握り締めながら、じりじりと焦りを募らせた。
どうすればいい。何か、あいつの完璧なリズムを崩す隙さえあればっ。
「じいちゃん先生!!いやだよぉお!!」
空気を裂くような悲痛な叫び声に、俺ははっと我に返った。
ダイゴローだった。血を流して倒れている優しい神父様のそばで、小さな身体を激しく震わせている。ピクリとも動かない神父様の姿を前に、俺の背筋に冷たい戦慄が走った。
ゆっくりとダイゴローの顔が上がる。その新緑の瞳から、光が完全に消え失せていた。
「……よくも」
低く、押し殺したような声。
さっきまでの無邪気な子供のそれとは、完全に別人だった。幼い怒りが、彼の小さな輪郭を塗り替えていく。
「よくも、じいちゃん先生をっ!!」
ダイゴローの魂の叫びに呼応するように、周囲の空気がざわつき始めた。
「みんな……力を貸して!!」
ぶわっ、と。
空間の歪みから、半透明の羽を持つ妖精たちが一斉に湧き出し、その数は瞬く間に何十、何百と膨れ上がっていく。集まった妖精たちは口々に下品な言葉を吐き散らした。
『なんだコラ、やんのかクソが!』
『優しいじいちゃんをよくもやりやがったな!!』
『あの白髪ヤロー、マジでむかつく!』
『まとめてぶち殺してやろーぜ!!』
『『うおおおおおおおおおおおお!!』』
「みんな、あいつをやっつけて!!」
ダイゴローの怒号と共に、無数の妖精が一斉に牙を剥いた。凄まじい魔力の嵐が巻き起こり、色彩豊かな光の弾丸が視界を完全に埋め尽くす。
火、風、水、土、爆裂、毒、幻覚。
ありとあらゆる属性の、嫌がらせのようなみみっちいデバフ攻撃が、執拗にレンヤへと降り注いだ。
一撃一撃の威力は微々たるものだが、絶え間なく続く弾幕は回避を完全に不可能にした。
「……ッ」
完璧な余裕を崩さなかったレンヤが、ここで初めて明確に顔をしかめた。
「これは……厄介ですね」
無数にまとわりつく妖精の羽音と状態異常の嵐によって、レンヤのナイフ捌きに僅かな狂いが生じ、投擲もずれていく。
「数で押すタイプですか。嫌いではありませんが……」
なおも冷徹さを失わないレンヤ。だが、彼が意識を妖精に向けたその瞬間を、ヤマトが見逃すはずがなかった。
システムウィンドウが展開される。超人的な速度で購入選択を終わらせた彼の手には、重厚な光を放つリボルバーだった。
「そこだ」
ドン。
先ほどとは違う乾いた銃声が響き渡る。
放たれた重い一発は、妖精の隙間を一直線に縫って、レンヤの心臓へと寸分の狂いもなく突き刺さった。
「……ッ!」
弾丸の凄まじい衝撃に、レンヤの身体が大きく傾き、その動きが完全に停止した。その顔に、初めて明確な動揺が走る。
「今です!」
サクラコさんの鋭い声が響いた。
太いリリアンの毛糸が蛇のように放たれる。一本に留まらず、二本、三本とレンヤの身体に何重にも絡みつき、その腕、脚、胴体を瞬時に縛り上げた。
だが、底知れない力を持つ魔族だ。すぐに消されるのは目に見えている。間髪入れずに次の強力な一撃が必要だった。
「ハヤミさん!!」
「任せて!!」
ハヤミがハンマーを両手で固く握り締める。力を込めて、全身全霊をぶつけるために跳躍。
「おりゃあああああッ!!」
渾身の力で、それは振り下ろされた。
ドガァァン。
衝撃と共に、レンヤの身体は容赦なく地面へと叩きつけられた。
常人なら肉塊と化しているはずの威力だが、彼の頑丈すぎる肉体はなおも原形を留めている。
「ユラ!!」
ダイゴローの喉を枯らした叫び。
その声が、なぜか俺の胸の奥底、魂の最も深い場所へとまっすぐに届いた。
世界の色が、一瞬で反転する。視界が恐ろしいほどに研ぎ澄まされ、時間の流れが極限まで遅くなっていく。
そして、視界が黄金色に輝く。
腰の剣を滑らかに引き抜き、地を蹴った。一瞬で距離を詰める。
地面に倒れていたレンヤが、驚愕に目を見開いて顔を上げる。
その瞬間、俺は一切の迷いを捨て去り、その首筋めがけて刃を真っ直ぐに振り抜いた。
閃光が走る。レンヤの身体が大きく吹き飛んで激しくもんどりうった。
「こ、れは」
口元から鮮血を吐き出しながらも、レンヤは不気味に笑ってみせた。
「さすがですねえ」
衣服を血に染めながら、彼は何事もなかったかのようにゆっくりと立ち上がる。
「想像以上です」
その瞳は、底知れない興味深さによって細められていた。
「少しだけ、本気を出すところでしたよ」




