24.幻覚2
『はあ……はぐれちゃった』
なんとなくだが、これから幻覚が始まるんだろう。
霧がどんどん濃くなっていく。どんな幻覚を見せられるのか不安より、わくわくの方が強かった。何事も勢いが大事だ。
光に導かれるように歩いた先は――――
暗い部屋だった。
セーラー服姿で、まだ中学生だった頃の自分だ。茫然としていたら、背後から伸びる手にぞくりとした。
『いいだろ、ちょっとくらい。母親はしばらく帰ってこない』
ねっとりとしたような男の声がした。そいつの声は知っている気がする。
瞬時に体が強張り、伸びてくる男の手に声が出ない。
『や……やめ……』
嫌悪感が限界突破して、気が付いたら手足が動いていた。
『触んじゃねえッ!』
男を思いっきり殴り飛ばしていた。
『このクズが!ケダモノ!どいつもこいつもそんな目で見やがってふざけんな!!死ねッ!!』
ひたすら蹴って、殴りつけて、下半身を潰して、このケダモノの息を止めようとした。
怖い。汚い。最低。触れるな。
ウーウー。
外からパトカーの音がする。
誰かが呼んだのか部屋にどっと警察が入ってきて、気が付いたら手錠をかけられていた。
男はかろうじて生きていた。男好きのクソみたいな母親の再婚相手だ。そんな母親に、泥棒猫って罵られた時はどうしてやろうかと思った。
気が付いたら場面は変わって、鑑別所にいた。苗字が変わった兄だけがたまに面会に来てくれた。
『ねえ、お兄ちゃん……なんで男って自分勝手なの?』
男なんて大っ嫌い。
『お兄ちゃんみたいな男ばかりだったらよかったのに』
『早美……すまない。オレはお前が思うほどいい男じゃない。むしろクズだ』
『え……』
『しばらく来れない。いや、オレの事はもう忘れた方がいい……』
『お兄ちゃん!』
『オレは……お前とは住んでいる世界が違う』
暗い顔の兄は席を立って、振り返らずに面会室を出ていく。
『待って!お兄ちゃん!大和ッ!!』
手を伸ばしても届かない。壁に遮られた。
そうして兄はもう来なくなった。あれから一度も会ってない。
『兄の馬鹿野郎……』
あたしの周りはろくな奴しかいない。愛情の欠片もない奴らばかり。兄だけは違うと思ってたのに、兄も所詮は薄情で冷たい奴だった。
男しか頭にない母親も、自分勝手な兄も、性的な目で見てくる男共も、どいつもこいつもあたしをなんだと思っている。
もう誰も頼らない。誰もいらない!
みんなみんな大ッ嫌い――――ッ!!
『ハヤミ』
優しい声がした。
振り返ればクマみたいな人が立っている。
『大丈夫だよ。俺がいるから』
本当にいてくれるの?
『何が何でも一緒にいてくれるんでしょ?そう言ってたじゃん』
あたしが初めて好きになった人。白馬の王子様。この世界では自分を省みずに助けてくれた。それにどれだけ救われたと思っているの。
もう一生逃してやらない。どこまでもついて行くって決めた。ユラだけは信じられるから。
「あったり前じゃん!あたしとユラは運命共同体なんだから!」
景色が崩れる。先ほどまでいた森の景色を見てほっとした。
*
「みなさん……どこに行ってしまったのかしら……」
霧の中を宛もなく彷徨う。
一体どこに何があるのかまったく見当もつかない。とにかく何かないかと探していると、向こうの方に光が見えた。
今はそれを頼りに足を進めた。
明るい部屋が広がる。
今日も従業員がお客様相手にプランを説明している。女性の美を追求し続けるエステティックサロン。
尊敬していた先輩のお店で働けて嬉しかった。だからこそ、お客様のため、お店のために誠心誠意がんばっていたはずだったのに。
『また指名?すごいですね~』
『いえ、そんな』
『壇ノ浦さんの施術ってとても上手で丁寧って評判だからねー』
仕事場はみんなが笑顔。和気あいあいで楽しい職場だった……はずだった。いつの日かそれも殺伐としていた。
『調子に乗ってない?』
『新人のくせに』
『媚びてるだけでしょ』
『私の方が早く入ったのに』
『うざいんだけど』
ひそひそと声が聞こえる。どれもが私を貶す言葉だった。陰口なんてどこにでもあると思っていた。
『ねえ、壇ノ浦さん。これもやっといてくれる?』
『あそこの掃除も』
『明日の面倒なお客様の担当、あなたがやって』
次第に店の雑用や嫌な仕事を全て押し付けられるようになった。人気ナンバーワンの指名だからできるでしょって。
『はあ……』
鏡に映る自分は今日もかろうじて笑っている。でも目は疲れているように見えた。それでも気にしないで仕事に没頭していたけど、みんなはそれ以上に私をよく思っていなかった。
『あなた、お店の化粧品を着服したの?』
『え……』
『あなたのかばんから大量に見つかったの』
そうして現場を見に行けば、かばんの中に大量の店の売り物や、レジの売り上げが一部入っていた。
『私はしていません!本当なんです!!』
誰かが故意にかばんの中に入れたって。何度そう説明しても、誰も信用してくれなかった。
同僚たちが遠目でこちらを見ていた。口の端を持ち上げながら。
ああ、謀られたんだって気づいた。
『残念だわ。あなたの事、大事にしてきた後輩だったのに』
尊敬していた先輩に失望され、店を追い出された。窃盗だからと警察にも注意されて、店のオーナーにも怒られて、二度とその業界では働けなくなった。
私、間違っていたのかな。
ただ、一生懸命働いていただけだったのに。もっと上手くやれていればよかったのかもしれない。
もう誰も、信用できない……。
誰も彼もが疑いの目で見てしまう。信用できる人なんて、いない。
『サクラコさん』
最近仲良くなった人が立っていた。
学校でいじめにあっても、馬鹿にされても、我慢し続けて笑顔でいた人。それを乗り越えた人。私とは大違い。
『あなたを……信じていいですか?』
前に踏み出すように問いかける。
『サクラコさんは短い中で、俺のためにいっぱい世話をしてくれた。それは嘘偽りのないまごころ』
この人はこんなに優しいけれど、いつかは私から離れていくんじゃないかって不安もある。
『疑っていいよ』
にっこり微笑む目はとても真っ直ぐ。
『でも、最後に信じる相手は、俺でいてほしい』
はっきりそう言ってくれた。
『じゃあずっと見ています。あなたの事を』
『うん、見ていて。俺が信用できる奴かどうかを』
幻覚とはいえ、やはり彼は優しい人。私がほしい言葉をくれる。
さあっと景色が風のように消える。元の森の中の景色に戻ってきていた。
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