25.日本人
立ち込めていた不気味な霧が、ゆっくりと晴れていった。
気づけば、俺たちは全員同じ場所へと戻ってきていた。どうやら無事に幻覚の試練から抜け出すことができたみたいで、ホッとした安堵の息が漏れる。
「……はぁ……」
俺はその場に力なく座り込んだ。
怪我をしたわけではない。体ではなく、精神を直に削られたような酷い疲労感がある。あんな最悪な黒歴史、脳内から抹消したいものだ。
「えっぐ……」
ハヤミがぐったりとした様子で地面に寝転がった。
「なにあれ……思い出したくないものばっかり無理やり見せられるとか、反則じゃん」
「……趣味の悪い幻覚だ」
ヤマトも珍しく不快感を露わにし、険しい顔で眉間に深いしわを寄せている。
「でも……」
座り込む俺たちを見守りながら、サクラコさんが静かに微笑んだ。
「皆さん、無事に戻ってこれましたわ。それだけでも十分に良かったです」
何はともあれ、全員に怪我がなくて本当に良かった。
しかし、ホッとしたのも束の間、俺はある違和感に気づく。
ヤマトとハヤミの二人の間に流れる空気が、霧が晴れる前と後で微妙に変わっていた。
妙に距離が遠い。互いに目が合いそうになると、どちらからともなく不自然に視線を逸らす。気まずい感じというか……あれ、どうしたんだろう。
「……なあ」
沈黙に耐えかねたように、ヤマトが先に口を開いた。
「一応、言っとく」
その声は、いつもの冷静なトーンよりもさらに一段と低い。
「さっきの幻覚で思い出した」
ハヤミの体がピクリと跳ねるように反応した。
ヤマトはどこか迷いがあるように視線を彷徨わせたあと、意を決したように話す。
「オレとハヤミは……兄妹だった」
「…………え?」
俺の口から、間抜け極まりない声が出た。
「え、えーー!?」
ガチで声が裏返ってしまった。驚きすぎて頭が追いつかない。だが、言われてみれば確かに、よく見れば顔立ちの整い方や、漂う鋭い雰囲気がよく似ている。でもこの世界では血は繋がってないはずだが……。
「ちょ、ちょっと待って」
ハヤミが頭を抱え込むようにして顔を伏せた。
「あたしも、今ちょうど思い出したんだけど……」
「ほ、本当なんだ……?」
「本当だ。さっきの趣味の悪い幻覚のせいで、いろいろと余計なことまで思い出した」
ヤマトは深く大きなため息をついた。
「あの、それはいつの話で……」
「現実世界での話だ」
ヤマトの口から出たその言葉に、全員に思い当たる節がある。
現実世界。
俺とサクラコさんは自然と顔を見合わせた。
「……あの」
サクラコさんが探るように、静かに口を開く。
「それって……地球……いえ、日本の記憶のことですか?」
一同がぴくりと反応する。知らないはずなのに、知っている。
そんな現代日本の光景が、濁流のように脳裏へと蘇ってきた。電車の走る轟音、街の雑踏、学校のチャイム、重苦しい教室、そして竹刀の擦れる剣道場。
「お……思い出したんだ」
俺は呟くように言う。
「……俺は日本の高校生で……」
溢れ出した言葉はもう止まらない。
「花園由良って名前だった」
その名前をトリガーにするように、日本での嫌な記憶も、苦しかった日々も、一気に鮮明によみがえった。
「……っ」
ハヤミも口を開く。
「あたしは……藤堂早美。家に帰るのが嫌で、反抗ばっかりして……不良してた」
ヤマトがそれに続く。
「嘉納大和……ひでー家で育った」
全員の名前が、まぎれもない日本名だった。今の異世界での名前を逆読みしただけなのに、どうして今まで気づかなかったのかと、少しだけ悔しい気持ちになる。
「やっぱり、みんな日本人……」
「……そのようですね」
サクラコさんが痛みを共有するように、静かに頷いた。
「私も……壇ノ浦桜子。会社員として働いていました」
「……あ」
そういえば、なんだかよく見かけるパターンじゃね?と、ふと思う。
「これって、よくある異世界召喚ってやつかも」
「電車かバス……その辺のタイミングで、まとめて連れてこられた可能性が高い」
「うっわ、テンプレじゃん。引くわー」
ハヤミが少し引き気味に、苦笑いを浮かべた。
お互いの正体を知ったことで、場を支配していた重苦しい空気は少しだけ和らいだ。
しかし、ヤマトとハヤミの間にある微妙な距離感は、まだ完全には消え去っていない。お互いの事は共有はしたけれど、現在の関係性をどう整理すればいいのか戸惑っている様子だった。
俺はそれを見て声を掛ける。
「……まあ、兄妹とか過去の確執とか、いろいろあるとは思うけどさ」
ハヤミがこっちを見た。ヤマトも同じように、静かな視線を俺に注ぐ。
「一先ず、仲間でいいんじゃない?せっかく異世界で日本人同士が再会できたんだし」
俺の言葉に、二人は一瞬黙り込む。
「……まあ」
先にヤマトが肩をすくめた。
「今はそれで問題ない」
「……そーだね」
ハヤミも小さく、納得したように頷いた。
現実世界で二人の間に何があったのか、俺にはわからない。でも、自分達がこの世界で巡り会えた事は、きっと何か意味があるはず。
「みんなーはやく行こうよー!どーしたのー!」
離れた場所から、ダイゴローがぶんぶんと手を振ってこちらを呼んでいた。その周りでは、妖精たちが騒がしく飛び回っている。
「ごめん。今行くよ」
歩き出す足取りは、不思議とさっきよりもずっと軽い。
過去にあった事実は変えられない。でも、これから進む未来なら、自分たちの手で変えられる。




