23.幻覚1
知らないはずの、知っている場所にいた。
冷たい床と古びた壁。たくさんの目が死んでいるような年頃の少年少女達。
どこかの施設の一室だ。
『……あ』
幼い自分が佇んでいた。小さくて、痩せていて、怯えている。
目の前には背を向ける女がいた。いつも以上に化粧が濃くて、派手な格好をしていた。
『ごめんね。ここにいたらご飯くれるから』
それだけ言って、振り返らずに去っていく。
足取りはとても軽やかで、向こうに止めていた車に乗りこんでいく。
運転席には男が見えた。よく家にあがりこんでいた男だ。
『まって……!』
幼い自分が手を伸ばす。でも、届かない。扉が閉まっていく。
閉まる寸前、女は男とキスをしていた。
『いかないで!お母さん!』
がちゃりと閉められた。
世界が切り離される音がした。
場面がすぐに変わると、
『おい、お前』
教室に笑い声がする。たくさんの不躾な視線が向けられた。
『みなしごってマジ?』
『親に捨てられるとかカワイソ』
『くっさ』
『きもい』
弁当が床に落ちた。ぐしゃ、と踏まれた。それを見て、いつもみたいに胸が締め付けられる。侮蔑や嘲笑を含めたはやし立てる声は、どんどん大きくなる。
最悪だ。思い出したくない。こんな昔の記憶なんて。
辛い。胸が抉られる。
ああ、これは日本にいた時の自分だ。
全部知ってる。忘れたくても忘れられない記憶だ。
母親は男を優先して俺を捨てて、施設では弱虫だからっていじめられた。
そして学校でも、居場所なんてどこにもなかった。
どうせ俺なんか、誰からも必要とされない。
昔も、今も、これからも、ずっと独りぼっちだ。
何をしても笑われて、見下されて、貶されるばっかりで。
こんな奴、いる必要ある?
自分なんか……
自分なんか、いなくなってしまえばいい――――ッ!!
『ユラ』
声がした。はっとして振り向く。
そこには、ヤマトとハヤミが立っていた。
『逃げるなって言っただろ』
ヤマトが真っ直ぐ見てくる。
『一人じゃないでしょ。何が何でもユラと一緒にいたいって言ったんだから』
ハヤミが笑う。
「ヤマト……ハヤミ……っ」
胸が、じんわり熱くなる。
これは幻影だろう。だけど、どう見ても本物にも見える。
……そうだよ。前はいらないって思ってた。今だって、そう思う時は時々ある。
でも……それでも、ここにいるって決めた。
二人はかけがえのない友達だ。一生、一緒にいるって約束した。どこまでもついてきてくれる二人を裏切れない。
勝手に消すなよ、俺の記憶を。
俺はここにちゃんといるんだから。
「こんなまがいものの幻覚に日和ってる場合じゃないんだ!!」
過去の光景がひび割れていく。
音もなく崩れ落ちると、元の森の景色に戻っていた。
*
「ユラ!どこだ!」
急に視界が真っ白になり、当てもなく歩いていた。
仲間が誰もいなくなって少し焦るが、たぶんこれは幻覚を見せる領域に入ったと考えていいだろう。
向こうの方に光が見える。それを目指してさらに歩くと、視界が切り替わった。
広い屋敷に静まり返った空間が見える。
歴史がある武家屋敷のような家の前にいる。見たことがある。
これは、日本にいた時の自分だ。
『坊ちゃん』
『大和様』
『若』
黒服の親の部下達や使用人たちが一斉に頭を下げる。
誰も目を合わせない。誰も親しみを込めてしゃべりもしない。完全に腫れものを扱う態度だった。
『クソみたいな家……』
子供の頃の自分が他人事のように呟く。
周りにはたくさん人がいる。でも、誰も対等じゃない。
自分自身を見てくれる者なんてひとりもいない。
場面が変わると、派手なネオンが光る夜の街に自分はいた。隣には露出度が高い女が腕に絡みつく。
『大和く~ん、大好き~!』
笑顔で媚びてくる女は、下心ありありでほとんどが打算ありき。この女もその一人で、裏社会にコネがあるから付き合っていた。
『へぇ、なんでオレが好きなわけ?』
『身長高くて顔が超カッコいいからぁ。あとお金持ちで王子様みたいでぇ~』
『ふぅん』
典型的な頭の悪そうな女の回答だった。訊くだけ時間の無駄だった。
『大和くんはなんでぇ?どうせ仕事のためでしょぉ?』
『それもあるが、お前みたいなバカ女でもヤリたかっただけ』
『なにそれーひどーい。くすくす。でもうれしぃ~』
何が嬉しいだ。こっちはちっとも嬉しくもなんともない。
こんなクソ女でも抱かなきゃいけない事がな。
心はいつもからっぽで、まったく笑えない。生きるために仕方なく女を抱き、利用し、殺しだってする。それが実家の極道の世界だった。
そういう世界にいたせいで、何もかもが薄汚れて見える。
どうせこれからもこんな感じだ。
のらりくらりと過ごして、つまらん日々を送るだけ。
この異世界でも、好きでもない婚約者と結婚して、跡取りを作らされる。血統主義なバカ貴族の飼い主として、なんとなく過ごしていくのだろう。
どちらの世界も、ホントくだらない。
いっそ、全部壊れてしまえばいいのに。
『ヤマト!』
声に振り向くと、うだつの上がらなさそうな奴がいた。
とりたてて美人でもない、自己評価の低すぎるそいつ。だけど、自分の中で今一番気になる存在。
『ちゃんと見ろよ。そんな顔して勿体ない』
とても真っ直ぐな目で見つめられる。
『俺、ヤマトの言葉に助けられてるんだよ。いつもはっきり言ってくれる』
今まであった事のない畑違いの奴が、
『隣にいる頼れる相棒みたいな感じなんだからさ』
いつの間にか、オレの心に住み着いてしまっていた。
「相棒、か……それは光栄だ。勇者様」
こいつはもう手放せない。
自分がここにいる理由は、勇者がいるから。
今いる場所がひび割れていく。音もなく崩れ落ちると、森の中にもどっていた。




