20.朝のランニング
翌朝、学校が休みだったため、俺は朝からランニングをしようと外に出た。
なんだか体が少し軽い。昨日までの自分とは、何かが違う気がした。
歩みを止めると、まるで待ち構えていたかのような見慣れた姿がある。
「おはよう」
ヤマトがしれっとした顔で挨拶をしてきた。
いつもの格好ではなく、動きやすそうなラフな服を着こなしている。
「お、おはようごぜーます。どうしたの、今日休みなのに」
「走るんだろ」
「白馬の王子様のランニングに付き合ってあげる!」
ヤマトの後ろから、ひょっこりとハヤミも現れた。
「え、なんで」
「だって面白そうじゃん。あと家にいても筋トレしかやることなくてヒマだし」
一応確認するが、キミは公爵令嬢でしょ。淑女教育とかは受けなくていいのだろうか。
「体力つけろ勇者様」
ヤマトの言葉に心の中でツッコミを入れる。
いや、お宅だって一国の王太子だろう。やるべき公務がありすぎると思うのだが、暇なのかキミ。
まあ、いいか。一人で寂しく走るより、友達と一緒に走るほうが絶対に楽しい。
こうして、俺たちの奇妙な三人ランニングが始まった。
「ひい、ひい……」
走り始めてしばらくすると、早くも息が上がってきた。
この太りきった体で走り続けるのは、想像以上にきつい。視界がふらふらと揺れ始める。
「……はぁ、きっつぅ……おええ」
「ほら、もっとやれるだろ。肉まん勇者」
ヤマトがすぐ横を並走しながら、涼しい顔で煽ってきた。まったく息を切らせていないあたりが、本当に憎たらしい。容赦のない言葉に、少しだけ心が折れそうになる。これだからスカした腹黒王子って言われるんだろ。
「王子サマがタフすぎるだけでは?けっ」
「ほらほらー!がんばれユラー!走り切ったらほっぺにチューしてあげるよ」
「や、それはいい」
「遠慮しないでー」
ハヤミが前を走りながら、楽しそうに振り返る。
からかわれてばかりだが、なんだかんだで、こうして笑い合えるのが俺自身も嬉しかった。
一時間後、なんとか今日の目標ルートを走り終えた俺は、その場にぐったりと倒れ込んだ。もうだめだ。動けない。すべてをやり切った。信じられないくらい疲れたけれど、同時にお腹が猛烈に減ってくる。
「あ、私お弁当作ったんだよね。ユラがランニングするって言うから、朝の軽食」
「え、本当?」
「うん。ハヤミ特製の愛妻弁当でぇす!」
嬉しそうに微笑んだハヤミが、鞄からランチバッグを取り出した。
るんるん気分で蓋を開けると、中から紫色の不穏な瘴気を漂わせた、まるでゾンビの糞のような禍々しい物体が姿を現した。
「ハヤミ特製のサンドイッチだよ♡」
差し出された物体を前に、俺だけでなくヤマトまでもが完全に沈黙した。
「へ、へぇ……ウレシイナ」
「なんだそのゲテモノ。猛毒を纏ったゾンビの糞か」
ヤマトが一切の感情を排した真顔で、はっきりと言い放つ。
「ムッキー!!猛毒でも糞でもねぇよ! ハヤミの愛情サンドイッチじゃん!」
「その糞、ちゃんと味見したのか」
「してねえ。愛情なくなっちまう」
「いや、しろよ」
もはや言葉の勢いで、糞と言われたことを否定できていないことに気づいているだろうか、ハヤミサン。
「と、とりあえず、食べてみるな……」
見た目が完全にアウトなサンドイッチを持つ手が、恐怖で細かく震える。
「無理しなくていいだろ。死ぬぞ。お前が世界を救う前に」
「や、でも、せっかくハヤミが作ってくれたものだしね……ははは」
「やだぁ、もうユラってば超優しい!やっぱり理想の王子様じゃん!」
「い、いただきマンモス……」
グッバイ、俺の人生。
心の中で静かに別れを告げながら、意を決して口に放り込んだ。
もぐもぐと恐る恐る咀嚼する。……ん?
「うまい……」
「え……」
「お世辞抜きで、うまいんだけど……!」
「は……マジかよ」
んなバカな、と言わんばかりにヤマトが眉をひそめる。対するハヤミはおっしゃあ、と派手にガッツポーズを決めた。
「素直にゲロまずだって白状しとけ。じゃないとコイツのためにならん」
「失礼だ!ユラが嘘つくわけないでしょ、これが真の感想じゃん! 文句言うならクソ王子も食べてみろや!」
「……っ……まあ、ユラがそこまで言うくらいなら本当に……」
納得のいかないヤマトが、ハヤミの差し出した物体をぱくりと口に含む。ハヤミもつられて一緒に食べた。
一秒後。二人はこの世の終わりみたいな絶望の表情を浮かべ、同時に地面へ崩れ落ちた。
「ふ、二人ともーーー!?」
その後、俺は慌ててサクラコさんを呼びに走り、解毒魔法をかけてもらうことで事なきを得た。
「あらあらまあまあ〜、大変でしたわね〜」
いつも通りの笑顔でサクラコさんがハーブティーを淹れてくれる。
「あの世とこの世の地獄の狭間を見てきた。ゲロとウンコに挟まれる悪夢を見た気分だ。二度とコイツのメシは食わん。ヴォエ」
「あたしぃ、料理向いてないみた〜い。クソ王子ごめんちゃ〜い」
「……あれ、なんで俺だけ平気だったんだろ」
ちなみに、俺だけが何ともなかった理由。それは勇者の特性による毒耐性と、これは絶対に美味しいものだと強く自分に言い聞かせた、異常なまでの自己暗示の賜物であった。つくづく馬鹿だ、俺。
そんな騒動がありつつも、それから毎日、俺は二人に見守られながらランニングを続けた。二人は普通に50キロ以上とか走りやがるので、俺はついて行くのがやっとだった。なんで50キロ以上なんだよ。体力バケモンだろこの王子と令嬢。
毎日続けるうちに、確実に体が軽くなり、健康になっていくのを実感し始める。
足取りが軽い。呼吸も楽だ。どんどん体重が減っていくことが、素直に楽しかった。
サクラコさんのおかげだよ。
やっぱり好きだ。俺の女神だ。
こういう温かい人の隣にいられたら、俺もこれからの人生をちゃんと前を向いて生きていける気がした。




