17.今日から勇者
*
闇の中の音のない空間。青いかがり火だけがゆらゆら燃える。
脈打つような禍々しい魔力だけが満ちていた。
「……なるほど」
低い男の声が響いた。
ユラ達を襲ったサキは片膝をついたまま、顔を伏せている。
「申し訳ありません。勇者と疑わしき存在を葬ることができず」
「別にいい」
言葉を遮るように、魔王が呟いた。
意外にも怒りはない。むしろ、
「ついに目覚めたか」
わずかに、愉しむような響き。
「……ユラ・ハナゾノ」
名前を正確に呼んだ。
「潜在能力は高そうだ。それに、千年も待った」
魔王の全身は薄いヴェールに包まれている。その内側は低級魔族では絶対に見られない。姿はもちろん、声すらも変声を使われているのか謎に包まれていた。
「これからの成長次第だな。真価を問えるのは」
魔王は口の端を吊り上げる。
「ずっと待っていたのだから」
空気がわずかに歪んだ。それだけで魔王の魔力が全身にひりつく。
「せっかく勇者が誕生したんだ。他の部下にも挨拶回りに伺えと伝えておこう」
*
朝、店の裏口前に慌ただしく立つ。
昨日はあんな大変な事があったというのに、今日はなんだかいつもと違って見える。
そろそろ行かなければ遅刻だから、ドアの取っ手に手をかける。
「行くのか」
親父が短く言う。
「うん」
緊張気味に頷く。
「無理すんなよ」
親父は薄々察している様子だった。昨日の事はもちろんの事、学校での事も。
「わかってるって」
扉を開けると、丁度外にいたサクラコさんが出迎えてくれた。
「ユラさん」
サクラコさんが弁当を差し出す。
「はい、どうぞ」
「……ありがとう。サクラコさん」
それを受け取る。ほのかに温かくて、美味しそうな香りがした。
「いってきます」
「おう」
「いってらっしゃい」
俺は振り返らずに前を歩いた。重い足取りは妙に軽くなっていた。
王立貴族学院の校門をくぐる。
歩くたびに緊張感が半端ないが、もう逃げないと決めた。
できたばかりの心強い友達がいるのだから、この場所はもう怖くないはずだ。
「あいつだ」
「デブスだ」
こちらの存在を認識すると、ざわつく周りの空気。
「勇者なんだろ」
「ほんとに……?」
「信じられない」
「あんなデブがどうやって勇者になったんだよ」
遠巻きの会話が次々耳に入る。でも、もう耳を塞ぐことはしない。立ち止まらない。
歩き続けた先、それぞれの教室が連なる廊下が見える。見知った可愛らしい美少女がこちらに気付き、笑顔で手を振って駆けてくる。
「おはよう、ユラ」
「おはよう、ハヤミ」
一瞬の間があった。
「……え」
ハヤミが固まる。
「っ、今、名前で呼んだ?」
「……ぅ、うん。ごめん。呼んでみた」
俺が照れたように頭をかく。実際、呼んでみると恥ずかしいものだ。
「っ~~もう……いろんな意味で滾るからぁ。不意打ち反則」
ハヤミは恥ずかしそうに頬を押さえている。
「でも、すっごく嬉しい」
最高の笑顔のハヤミに、こちらも嬉しくなる。
その後ろから、
「ユラ」
相変わらず不愛想で、こちらを見透かしたように見てくる殿下。
視界がキラキラして見えるのはイケメン補正だろう。
「おはようございます、で――」
「待て」
すぐに止められる。
「いい加減、殿下はやめろ」
「え」
「名前で呼べ」
それがとても不満だと言わんばかりだ。
「でもさすがに殿下を呼び捨ては……」
「不公平だろ。ハヤミにはため口で呼び捨てなくせに。フェアじゃないな、それは」
「う……」
正論に俺は言葉に詰まる。
「や、ヤマト……様」
「様はいらない」
即答された。ですよねーははは。
「や……ヤマト」
「……それでいい」
とりあえずご満悦な様子の殿下……じゃなくてヤマト。
そのやりとりを見ていた周囲がざわつく。
「ハヤミ様はまだしも王太子殿下を名前呼び……!?」
「不敬罪だろ!」
「距離近すぎ!」
「あれだけ忠告してあげたのになんなの」
周りの鋭い目や、嫉妬と羨望の眼差しがすごいが、もう俯かない。
また呼び出されるかもしれないけど、ぎゅっと少しだけ拳を握る。
「……前みたいにはならない、うん」
自分に言い聞かせて、毅然とした態度で前を歩く。
三人一緒に。
「ねえねえ、帰りハンバーガー食べに行こうよ」
「それいいね。俺、帰りに食べ歩きするの夢だったんだ」
「お、いいじゃんいいじゃん!夢を叶えようよ」
「昨日あれだけ食ってまだ食うのか。太るぞ」
「太らねぇし。それ以上にあたし動いてるから!家でも筋トレしまくってるし」
「豚になるのが先か、ゴリラになるのが先か」
「ムッキーー!!この腹黒クソ王子!」
「腹黒なのは自覚済みだから結構」
「あの、キミら息ぴったりだね」
この二人、まるで兄妹みたいだな……。
自分を間に挟んでのやり取りは困るけど。
そんな学園の有名人二人の中に自分がいて、一緒に笑える。
友達のいなかった自分では考えられない日常だ。
朝の光の中、もうあの日の距離じゃない。
俺はもう孤独じゃない。
一章 完




