14.覚醒
「ユラ……っ」
声に振り向くと、彼女がハヤミさんがそこに立っていた。
その姿だけで胸が痛くなる。
「ハヤミ……様」
「様はいらないよ。それより学校の……」
ハヤミさんが弱々しく躊躇った様子でこちらを見る。
その目は怒っていなくて、傷ついているだけ。
責められた方が、どれだけ楽だったか。
「あの発言……」
声が少し震えている。
「本気なの?」
俺は言葉を詰まらせる。
違う、と言えばいいだけなのに、それだけなのに声が出ない。
「ねえ……なんで、あんなこと言うの。私……」
唇を噛みしめる。
いつもの勢いはどこにもない。
「仲良くなりたかったのに」
こんな俺と、仲良くなんてできるのだろうか。
「ただの遊びじゃなくて、ちゃんと……ちゃんとユラと仲良くしたかった」
夜風がさあっと吹く。俺はすぐには言葉を返せない。
ただ、こんな俺でもいいのかなって疑問だけが言いそうになった。
「こんなあたしじゃ……だめかな」
笑おうとしてうまくいかない。
「うるさいし、しつこいし、距離近いし」
自分で言って、自分で少しだけ傷ついている様子の彼女は、けな気で可愛らしく見える。
「やっぱ、いやかな」
胸がぎゅっと締め付けられる。
「ちが……」
その時、空気が一転した。
背筋に冷たいものが這い上がる。まるで何かに見られているような、そんな感覚だった。
息が詰まり、頭痛すらしてくる重苦しい雰囲気で、さっきまでの感情が一瞬で塗り潰される。
「あーあ」
頭上から女の声がした。
「この辺に勇者の気配がするって聞いたんだけどさぁ」
ゆっくりと影が落ちる。
月明かりを遮るように、俺たちは上を見上げる。
そこにいたのは、黒いドレスと黒い気配を纏った赤い髪の女だった。
すごい美人だけど、性格がきつそうだなって印象。木の上から薄気味悪く笑ってこちらを見下ろしていた。
「もしかして……」
じっとこちらを見てきた。値踏みするみたいに。
「……そのデブなわけ?」
一瞬の沈黙が流れる。
「うっわ、まじありえな~い!うそでしょぉ~!」
心底嫌そうに顔を歪める。
「どう見ても勇者って顔やスタイルに見えないじゃない。醜い熊か相撲取りにしか見えないわ」
女は指をさして嘲笑う。
あまりに言葉が容赦なくてグッサリ刺さった。でもその通りなので何も言えない。俺だってあり得ないと思っているので、相撲取りでも熊でもなんでも好きに呼んでくれと言いたい。
「……あん?」
ハヤミさんが聞き捨てならないと、女を鋭く睨みつける。殿下もすっと前に出る。
でも、女は余裕にくすくすと笑い続ける。
「まあいいわ。本物かどうかは試してみればわかるし」
女は指を軽く振ると空間が歪む。次元の裂け目のようなものが現れ、そこから邪悪な瘴気を漂わせた魔物が数匹飛び降りてきた。地面に着地した瞬間、低く唸り声を上げる。
やばい。こっちに来ると悟る。
黒い影が一斉にこちらへ飛びかかってきた。
「……ひっ」
体が、動かない。
さっきまでの会話も、痛みも、血の気が引いて全部吹き飛ぶ。
ただ、死の気配だけが目の前に迫る。
「ユラ!!」
叫びと同時に体を引かれて、抱きかかえられる。
そのまま逞しい胸に挟まれて視界がぐるぐるまわった。
思ったより衝撃が軽かったのは、庇われたからだった。
「っ……!」
衝撃が収まった先には、脇腹の血が見えた。
「殿下!!」
「……大丈夫だ」
低く吐き捨てるように言う。
「こんなもの……かすり、傷……」
そのまま殿下は崩れ落ちた。
地面にはおびただしい鮮血が広がっていく。それなりな出血量で蒼褪めた。
このままじゃ……と、切羽詰まる暇もなく再び魔物が唸って、間髪入れず二撃目がくる。
「くっ……!」
ハヤミさんが近くの棒を掴んで二撃目を受け流す。
「ふざけんなぁっ!!」
そのまま振り抜いた。が、
ガキン。
逆に硬い皮膚に弾かれた。
そのまま突進した魔物に、ハヤミさんの体が吹き飛ばされ、壁に叩きつけられた。
「が……っ!」
ずる、と崩れ落ちて気を失ってしまう。
その様子をサキは笑っていた。
「普通の人間が勝てるわけないじゃない。それなりに結構な強さの魔物よ?無謀な人間ね」
その女の髪がゆらりと動く。
次の瞬間、恐ろしい長さに一気に伸びた。赤い髪が蛇のようにうねりながら俺に絡みつく。
「ッ……なにこれっ、あ!」
シュルシュルと全身に巻きつき、そのまま締め上げられる。
「うぐ……っ、く……!」
呼吸ができない。
締め付けがどんどん強くなる。
「うご、け……な……!」
女がゆっくりと冷たく見下ろす。
「勇者だなんてやっぱり嘘くさい」
冷たい声が響く。
「デブなうえにノロマで、他人の助けを借りてる」
女はさらに嘲笑う。
「ダッサ。そんなんでよく生きてられるわね。あたしだったら死にたくなるわ」
胸がぐさりと抉られる。
「まあ、所詮気配だけかもしれないし、デブじゃなくてそっちの顔のいい王子様が勇者かもね」
ちらっと殿下を見る。どう見ても瀕死状態な彼を。
「こんな顔のいい男を殺すのは勿体ないけど、勇者と疑わしき者は殺せと命じられてるの。だからどっちでもいいわ」
女は再び指を軽く振る。
「全部殺せば手っ取り早い」
魔物が、再び突進しようと狙いを定める。
狙いは気を失っている殿下とハヤミさん。
死にかけの二人に、無情にもとどめを刺そうとする。
やめろ。やめろ。やめろ。やめろ。
声が出ない。体も動かない。何もできない。
なんて情けないんだ、俺は。
悔しくて涙すら出てくる。
こんなデブで、愚図で、無能で、ブサイクの俺は……本当に無能中の無能で……助けられるばっかり。
まだ、ちゃんと謝ってないのに……。
「いや、だ……でん、か……はや、み、さん……っ」
魔物がとどめを刺そうと襲い掛かる。腕の鉤爪が迫る。
やめろ。やめてくれ。殺さないで。
二人を俺から奪わないで。
やめて。やめて。やめて。
魔物の腕が振り下ろされる。
「やめろおおおおおおおおッ!!」
魂の叫びが、空気を裂いた。
わずか一瞬の刹那、殿下の懐のネックレスが光の速さで消えた。
一瞬で自分の胸元にそれはあって、光が迸る。
ズドオオオン。
落ちた光の雷は、一直線に魔物を貫いた。
二人を襲おうとした一体が、跡形もなく消え去った。
*
「なっ……!?」
女が目を見開いた。
ネックレスの光がさらに強まり、拘束していた髪がじりじりと熱で焼ける。
「熱っ!なによこれ」
悪意が解けたように、次々にほどけて髪は崩れていく。
光がさらに溢れる。自らの体を中心に、柱のように天へ伸びる。
あまりに眩しすぎて目を開けられない。
この瞬間は、遠く城の上でも、街の中でも、この国のほとんどがそれを見上げていた。
そして、光が収まる。
そこにいたのは、もうさっきまでの自分じゃなかった。
黒髪が風に揺れる。黄金色の瞳が静かに光る。
均整の取れた引き締まった体と、凛とした立ち姿。
「……なにそれ……。さっきまで、ただのゴミだったくせに」
女が驚きながら呟く。
「守る……」
静かに呟いた。
「殿下も……ハヤミさんも……」
迷いが吹っ切れる。
「俺が……守ってみせる……!」




