13.すれちがい
昼休みの喧騒が引いた廊下。
人の流れはまばらで、笑い声だけが遠くに残っている。
「ユラ!」
背後からはっきりした彼女の声がする。殿下の気配もする。
足が一瞬だけ止まりかけるが、止められない。
振り向けば、全部終わる気がした。
俺はあんなにひどい事を言ってしまった。本人たちの前で。
最低だ。弁解のしようがない。
傷ついた二人の顔の残滓が、脳裏にループし続ける。
だからそのまま走る。振り向かない。
相手が殿下とはいえ、立ち止まれない。視線さえも合わせない。
靴音だけが、やけに大きく響く。
「なんで……」
背後にいる彼女の小さな声が哀切を帯びていた。
呼んだ側だけがいつまでも取り残されて、その声が未だ追いかけてくる。
振り払えないまま、胸の奥に刺さった。
翌日の休み時間、移動中の廊下で殿下が立っていた。
待っているわけではない。ただ、そこにいるだけ。彼の側近の者達もいる。
誰といようが、一人でいようが、関係ない。
自分と殿下が交差する瞬間、視線がかち合いかけて逸らした。
ほんの一瞬の、ほとんど反射みたいな動きを悟られたかもしれないが、もう合わす顔なんてない。
しかし、王族相手なので頭だけはちゃんと下げて、そのまま通り過ぎた。
彼がどんな顔をしていたかよく見なかったが、少しだけ拳が震えていたのが見えた気がした。
それが怒りなのか、違う感情なのか、確かめる勇気がなかった。
元に戻るだけだ。
そう、二人と出会う前の、ぼっちでうだつのあがらないデブスに戻るだけだ。
夜の店内は柔らかな灯りに包まれている。
昼の騒がしさとは違う静かな時間だった。
「いらっしゃいませ」
いつも通りの声で、いつも通りの動作をする。
しばらくは続きそうな、ぎこちない笑顔を貼り付けることになるが、いずれは普通の営業スマイルにもどれるはず。
来店の気配に振り返ると、
「……っ」
固まった。視界に入った瞬間、心臓が強く跳ねた。
もう逃げ場がない気がした。
そこにいたのは、殿下と彼女。
数日前の、お忍びで来ていた格好だった。
「……ご注文はお決まりでしょうか」
声が少しだけ上ずるのを、無理やり押し殺す。
二人を席へ案内するが、声はいつもより少しだけ硬い。
他人行儀だとわかっていても、二人は俺とは住んでいる世界が違う。
平民と王侯貴族とじゃ仲良くなんてなれやしないんだよ。
「……なに、そのしゃべり方……」
ハヤミ嬢が戸惑っている。
「おすすめは本日の煮込みとなっております」
視線を合わせない。テーブルの端だけを見る。
「ユラ」
殿下の視線はこちらを鋭く捉えている。
「……なんでしょうか、お客様」
自分で言っていて、ひどく滑稽に思えた。
「っ……ねえ、なんでそんな他人行儀なの……」
俺はとりあえず頭を下げる。
「申し訳ございません。至らないもので」
「そうじゃない!!」
ハヤミ嬢の声が上がる。
その声が真っ直ぐすぎて、こちらが痛くなってくる。
「別の店員に代わります。ご注文が決まりましたら、近くの店員にお声掛けください」
そうして背を向けて、逃げるように厨房へ引っ込んだ。
彼女は席に座ったまま、今にも立ち上がりそうな顔でこちらを見ていた。
けれど殿下が小さく手で制していた。
これ以上ここにいたら、いろんな意味で壊れる気がした。
厨房で作業をこなしてしばらく、休憩がてら勝手口の扉を押し開ける。
外の空気は清々しいはずなのに妙に冷たい。
「はあ……」
深く息を吐く。
壁に背を預けて力が抜ける。
「……なんで来るんだよ」
自然と小さく呟いた。
来てほしくなかったのに。
来てほしかったのに。
「それはこっちの台詞だ」
「……っ」
返ってきた低い声に、心臓が大きく跳ねる。
俺はぎぎぎぎと機械のように振り向くと、殿下がそこにいる。
腕を組んで、壁に寄りかかっていた。
「なんで避ける」
まっすぐ、逃げ場のない直球の問いだ。
「……」
言葉が出ない。
「答えろ」
いつもより低い声と圧と、少しだけ苛立ちが混じっていた。
「……忙しいので失礼します」
目を逸らす事しかできない。
そのまま横を通り過ぎようとすると、不意に腕を掴まれた。
「……っ」
強くはない。
でも、確実に止める力があった。
「逃げるな。オレからも……周りからも」
痛い核心を突く言葉だった。
「別に、逃げていません」
小さく反論する。
「嘘だな」
責める声じゃない。
俺を見透かす声だった。
「だって、お前は全然こちらに目を合わせようともしない」
「…………」
「話も聞かない。無視をする。極めつけは他人行儀な真似だ」
「…………」
「それを逃げてるって言うんだ」
はっきり言われて返す言葉もない。が、こちらだって思う事がいっぱいある。
「じゃあ……どうすればいいんだよッ!!」
まるで殿下を睨むような目で怒鳴ってしまった。
「貴方達はみんなの前でこちらを振り回して、こっちの立場も知らないでッ、だから俺はあんなことを言ってしまった」
後悔が胸を覆い、視線を落とす。
「今更……普通になんか話せるわけないじゃないですか……っ!」
殿下は俺の辛さを感じとったのか視線が揺らぐ。
「……悪かった」
静かに、殿下が言った。
「オレたちが、お前の立場を考えなかった」
その言葉に、胸の奥が変なふうに軋んだ。
責められると思っていた。怒られると思っていた。
なのに、謝られるなんて思っていなかった。
「でもな、ユラ」
殿下は俺の腕を離さない。強くはない。
けれど、絶対に逃がさないという意志だけがそこにある。
「心から親しくなりたいと思ったのは、本当だ」
「……」
「お前がどう思っていようが、周りが何を言おうが、オレはそれを撤回する気はない」
まっすぐ見られて、息が詰まる。
「オレはこのまま黙ってない。ユラがどう言おうが、どう避けようがだ」
夜風が通り抜ける。
俺と殿下の間に、もう言葉はなかった。
それでもその距離だけは、もう前みたいに遠くなかった。




