表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
17時47分の終着駅―駅員の少女と、行き先のない僕―  作者: 明石竜


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

2/8

第二章 夢をやめた人

 朝、というのかどうか分からなかった。

 窓の外はずっと夕焼けのままだった。17時47分の光が、昨日と同じ角度で差し込んでいる。時計の針は動いていない。でも確かに、僕は眠って、目が覚めた。それだけは本物だった。

 夕さんが用意してくれた毛布は古かったけど、温かかった。駅舎の奥に小さな部屋があって、そこにベッド代わりの長椅子がある。「宿泊用ではないんですが」と夕さんは少し申し訳なさそうに言っていたけど、僕にとっては十分だった。

 目を覚ましてから少しの間、天井を見ていた。

 木目の古い天井。どこかで鳥が鳴いている。ターミナルが部屋の入り口に座っていて、僕を見ていた。

「おはよう」と言ってみた。

 ターミナルは一秒だけ僕を見て、それから視線を外した。

「……そっか」

 起き上がって、顔を洗った。蛇口をひねると水が出た。冷たくて、それがやけにはっきりしていた。鏡を見ると、寝ぐせがひどかった。直そうとしたけど、どうにもならなかったのでやめた。


 ホームに出ると、夕さんはすでにそこにいた。

 制服姿で、ホームの端に立って、線路の向こうを見ていた。遠くを見ているようで、でも何か特定のものを見ているわけでもなさそうな目だった。

 足音に気づいたのか、夕さんがこちらを向いた。

「おはようございます、渚さん。よく眠れましたか」

「はい。思ったより」

 正直に答えたら、夕さんは小さくうなずいた。

「それはよかったです」

 ターミナルがいつの間にか僕の足元にいた。相変わらず温度の低い目をしていたけど、一応ついてきているらしかった。

「今日も誰か来ますか?」

「来るかもしれません。分からない日もあります」

「夕さんは、毎日ここにいるんですか?」

 少し間があった。

「はい」

 それだけだった。続きはなかった。僕も追わなかった。


 午前中、と呼ぶことにした時間帯は、静かだった。

 夕さんはホームを掃いたり、駅舎の中を拭いたり、時々懐中時計を開いて何かを確認したりしていた。その動作はどれも無駄がなくて、何年も繰り返してきたことが分かった。

 僕はベンチに座って、それを眺めていた。

 スマホはまだ電波が入らなかった。バッテリーは減っていない。時計アプリを開いても、17時47分のままだった。家族に連絡できないことが少し気になったけど、不思議とそれほど焦らなかった。ここにいる間は、外の時間は動いていないのかもしれない、と思った。そういうことにしておくことにした。

 進路希望調査のことは、考えなかった。

 考えなくていい、と最初に感じていた。


 その人が来たのは、昼を過ぎた頃だった。

 二十歳くらいの男性で、昨日来た人とは少し雰囲気が違った。昨日の人は疲れた目をしていたけど、この人の目は違う種類の疲れ方をしていた。何かを溜め込んで、でもどこにも出せなくて、そのまま固まってしまったような目だった。

 リュックを背負っていた。大きなリュックで、中にいろんなものが入っているのか、ずっしりと重そうだった。

 ホームに現れた瞬間、きょろきょろと辺りを見回した。それから夕さんを見つけて、少し安心したような顔をした。

「あの、ここ、終着駅……ですか?」

「はい。ようこそ」

 夕さんは笑顔で答えた。


 男性の名前は、田中圭介と言った。

 大学四年生。就活は今年の春に終わった。

 夕さんに促されて駅舎の中に入り、ベンチに腰を下ろして、最初はなかなか話さなかった。僕が隣のベンチにいることに気づいて、少し驚いた顔をした。

「他にも、来てる人いるんですね」

「昨日から。まだ行き先が決まってないので」

 田中さんは「そうですか」と言って、少し考えるような顔をした。それから夕さんを見た。

「俺も……同じかもしれない」

 夕さんは何も言わずに、続きを待った。

 田中さんは大きく息を吸って、それから話し始めた。

「ゲームが、好きだったんです。ずっと」

 田中さんの声は低くて、最初はぽつぽつとしていた。

「中学のときに初めて自分でプログラムしたゲームが、クラスで少し話題になって。それが嬉しくて、高校でも独学で作り続けて。大学は情報系に入って、もうゲームクリエイターになるしかないって思ってたんです。ゲームを作ることが、俺にとっては全部だったから」

 懐中時計を夕さんがそっと手の中で転がしているのが見えた。話の邪魔をしない、でも聞いているという合図のように見えた。

「就活で、ゲーム会社を受けました。大手から中小まで、全部で十二社」

 田中さんは窓の外を見た。

「全部、落ちました」

 その言葉は、思ったより穏やかに出てきた。怒りでも悲しみでもなく、ただ事実として言ったような声だった。それがかえって、胸に刺さった。

「最終面接まで行ったのが三社あって、そこも全部ダメで。選考が終わるたびに、自分の作ったゲームのどこが悪かったんだろうって考えて、直して、また出して、また落ちて」

 田中さんはリュックを膝の上に引き寄せた。

「就職活動が終わって、親に報告したら、もう諦めろって言われました。ゲームなんて不安定な業界は向いてない、安定した会社に入れって。普通の就職をしろって」

「今は、どうしていますか」

夕さんが尋ねた。

「内定は一社だけもらってます。ゲームとは全然関係ない、物流系の会社。来年の四月から入ることになってます」

「それは、自分で決めましたか」

 田中さんは少しの間、答えなかった。


「……親が決めました。俺は、ただ、判子を押しました」

 駅舎の中がしんとした。

 ターミナルがいつの間にかベンチの下に入り込んでいて、丸くなっていた。眠っているのか起きているのか分からなかったけど、いるだけで少し空気が柔らかかった。

「本当は、まだ諦めたくないんです」

 田中さんの声が、ここで初めて揺れた。

「内定先には悪いと思ってる。でも、このまま判子を押したまま四月を迎えていいのかって。ゲームを作ることを、本当に諦めていいのかって。ずっと考えてて、でも答えが出なくて……気づいたら、ここに来てた」

「ゲームは、今も作っていますか?」

夕さんが尋ねた。

「就活が終わってから、作れてないです」

「なぜですか?」

 田中さんは少し驚いたような顔をした。なぜ、という問いを想定していなかったのかもしれない。

「……作っても、意味ないかなって思って」

「意味がない、というのは」

「どこにも出せないし、誰にも見てもらえないし」

「作ること自体は、好きですか」

 田中さんはまた黙った。今度の沈黙は短かった。

「好きです。好きだから、つらいんです」


 夕さんはしばらくの間、何も言わなかった。

 窓の外の夕焼けが、やわらかく差し込んでいた。17時47分の光は、いつでも同じ角度にあった。

「田中さん、少し聞いてもいいですか」

「はい」

「ゲーム会社に入ることと、ゲームを作ることは、同じことですか」

 田中さんは眉を動かした。

「……違う、と思います。でも……」

「でも?」

「ゲーム会社に入らないと、ゲームは作れないと思ってました。ちゃんとしたものは」

「ちゃんとしたもの、というのは」

「多くの人に届くもの。評価されるもの。仕事として成立するもの」

「それは、あなたが最初にゲームを作り始めた理由ですか」

 田中さんの口が、少し開いて、止まった。

 中学のとき、クラスで少し話題になった。それが嬉しかった。でも最初は、そのために作り始めたわけじゃなかったはずだ。最初はただ、作りたかっただけだったはずだ。

「……違います」

田中さんの声が少し変わっていた。

「最初は、作りたかったから、作ってた」

「今もその気持ちは、ありますか」

「……あります。消えてないです。消したかったけど、消えなかった」

 田中さんは自分で言った言葉に驚いているようだった。消したかったけど消えなかった、という言葉が、本人の中でも予想外に出てきたらしかった。


「ゲーム会社に入ることは、一つの道です。でも唯一の道ではないと思います」

「でも親は……」

「親御さんのことは、大切だと思います。心配されているのだと思います」

夕さんの言い方は、批判するものではなかった。

「でも、田中さんの人生の行き先を決めるのは、田中さんです」

 それは、すごく当たり前のことだった。

 でも当たり前のことが、一番言われていなかったりする。

「今すぐ全部を変えなくてもいいかもしれません。内定を辞退するかどうかは、田中さんが決めることです。でも、もしもう一つだけ道があるとしたら……ゲームを作りながら、別の仕事をする道も、あります」

「専門学校、ですか」

「ゲームの制作を学べる場所は、いくつかあります。働きながら通える夜間の学校もあります。内定を保留しながら、もう少し考える時間をつくることも、できるかもしれない」

 田中さんは俯いた。

「……そんな選択肢、あるんですね」

「最初から諦めるか続けるかの二択ではないかもしれません。もう少しだけ、細かく道を探してみることはできますか」


 田中さんはしばらく黙っていた。

 膝の上のリュックを両手で抱えていた。中に何が入っているか、僕には見えなかったけど、なんとなく分かる気がした。諦めようとしたものが、全部入っているんじゃないかと思った。

「一個、聞いていいですか」

田中さんは、夕さんではなく、どちらかというと自分自身に向けて言っているような声だった。

「はい」

「俺が専門学校に行って、それでもゲーム会社に入れなかったとしたら」

「その可能性はあります」

夕さんは囁くような声で言った。

「入れなかったとしても、作り続けることはできますか」

「それも、田中さんが決めることです。でも、作り続けることそのものに、意味はあると思います」

「根拠は?」

「根拠はありません。でも、好きだから消せなかった気持ちは、根拠のある気持ちだと思います」

 田中さんはしばらくそれを聞いていた。

 それから、笑った。

 泣きそうな笑顔だったけど、笑顔だった。

「ありがとうございます。なんか、少しだけ、息ができる気がします」


 夕さんが懐中時計を取り出した。

 蓋を開いて、何かを確認するようにしばらく見てから、指先でそっと触れた。するとまた、白い切符が現れた。

 田中さんに手渡されたそれを、僕は隣から見ようとした。文字が一瞬だけ見えた。

 そこには、駅の名前が書いてあった。

 知らない駅名だったけど、「専門」という文字が含まれていた気がした。

「これが、次の場所です」

夕さんは伝えた。

 田中さんは切符を受け取って、じっと見た。

「……これで、乗っていいんですか」

「はい。準備ができたら、ホームに来て下さい」


 電車が来るまでの間、田中さんはリュックを開いた。

 中に入っていたのは、ノートパソコンだった。古いモデルで、シールがいくつか貼ってある。そのうちの一枚は、キャラクターのシールで、たぶん田中さんが自分で作ったゲームのキャラクターだと思った。

「持ってきてたんですか」

僕は尋ねた。思わず声が出た。

「捨てようとしてたんです。諦めるなら、持ってたくないと思って」

「捨てなかったんですね」

「捨てられなかった。朝から何度もゴミ袋に入れようとして、でも最終的に持ってきてしまった」

 消したかったけど、消えなかった。

 さっきの言葉と、繋がった。

「持ってきてよかったと思います」

夕さんが言った。

 田中さんはパソコンをリュックに戻して、ファスナーを閉めた。さっきより少し手の力が違った。捨てるために持っていたときの力ではなくなっていた。

捨てられないものがある人は、どこにも行けないんじゃなくて、まだ行き先を手放していないのかもしれなかった。


 電車が来た。

 昨日と同じ古い型の車両で、窓から夕陽が差し込んでいた。扉が開いて、田中さんが乗り込もうとして、一度振り返った。

「あの」

田中さんは僕に向かって言った。

「あなたも、何か決められなくて来たんですか」

「そうです」

「何を?」

「どこに行きたいか」

 田中さんはそれを聞いて、少しの間考えるような顔をした。

「それは……難しいですね。俺は行き先はあったけど、道が分からなくなってたから。行き先自体が分からないのは、また別の話ですね」

「そうなんです」

「でも、俺、今日ここに来てよかったと思ってるんで。あなたも、きっといい場所が見つかりますよ」

 それは根拠のない励ましだったけど、悪くなかった。

「ありがとうございます」

 田中さんは笑って、電車に乗った。扉が閉まって、車両がゆっくりと動き出した。

 夕さんが頭を下げて見送った。

 電車が夕焼けの向こうに消えていくのを、僕は立ったまま見ていた。


 ホームに静けさが戻った。

 ターミナルがいつの間にかホームに出てきていて、電車の消えた方向を見ていた。その目は、さっきより少し優しかった気がした。

「夕さん」

「はい」

「さっき、田中さんに言ってたこと」

「はい」

「『行き先を決めるのは自分』って、あれは……田中さんだけじゃなくて、みんなに言ってることですか」

 夕さんは少しの間、夕焼けを見ていた。

「そうです。ここに来た方には、みなさんに」

「夕さん自身は?」

 また間があった。昨日の朝と同じような間だった。

「私は……」

夕さんは言いかけて、止まった。

 止まったまま、懐中時計を握った。

「私は、まだ少し時間がかかりそうです」

 それだけ言って、夕さんはホームの掃除を再開した。

 答えになっているようで、なっていないような言葉だった。でも僕は追わなかった。

 代わりに、ターミナルが僕の足元に近づいてきた。さっきまでより明らかに近い位置に来て、しばらくそこにいた。

 触っていいか分からなくて、そのままにしていた。

 でもターミナルは離れなかった。

 夕焼けの中で、時計は17時47分のままだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ