襲撃者、現る
……蒼……
蒼い…蒼い世界……
深い水の揺らめきは、いつでも、彼を忌まわしい記憶と共にある。
◆◆◆◆◆◆
爆音が轟く。
建物が一つ、破壊された。住民達がざわめく。
「うろたえるな!壊されたのは物置だ!!」
誰かが叫んだ。
同時に、遠くから奇声が聞こえてくる。
「…来たな」
町の入り口のほうから、火の手が上がった。
微かな水の気配。それは確かに、あの行商人の言ったとおりであるらしい。
キールは人ごみから外れた。
「先生……?」
「…更にヤバイものが来る前に、さっさと開放しておかないとな」
「やばいもの?」
プライムが後から追いかける。
広場から、怒号か聞こえてきた。
「…先生!」
「心配するな。ああ見えて、腕がたつのが多い」
裏道を抜け、闇にまぎれて町を出る。
キールは何も言わなかったし、プライムも何も聞かなかった。
遠くに町の明かりとは違う、物騒な光が見えた。
キールは僅かに足を止め、その光を確認する。しかし、すぐに走り出した。
足音を全く立てない。まるで滑るような足取り。
亜人種でも、こんな風に走れる者は少ないというのに。
プライムの中で、何かが確信へと変わった。
「先生」
走りながら声をかける。光まではまだ、距離があった。
「先生は、半人なの?」
「……」
聞こえていたはずの声を、彼は無視した。同時に、肯定する答えでもあった。
プライムは本当に、それ以上何も言わなかった。
町で上がった火の手が、ますます大きくなっていた。
二人はそれに微かな心配を覚えながら、例の馬車へと近付く。
中からすすり泣く声が聞こえた。幸いにも、辺りに人気は無い。
勿論、多くの人間が残っていたが、皆、町の方向へ目を奪われている。
途中、仕事熱心な見張り番に出くわしたが、キールが一撃でのした。騒がれないように、見張りが持っていたロープでぐるぐる巻きにして、近くの茂みに隠しておく。
鉄格子の嵌った馬車には、頑丈な鍵がつけられていた。
「誰…?」
馬車の中から声がした。
プライムがキールを振り返る。仕草だけで、プライムに行くように指示する。
プライムはそっと、覆い布の中に顔を覗かせた。
中は暗い。辛うじて、人型のものがいることが確認できる。
「えっと…今、外に出してあげますから。ちょっと待ってて下さい」
「出す……?貴女は、誰?」
「虎族です」
「…貴女、一人?」
「いえ、もう一人…人間のお医者さんが……」
鍵の空く音がした。どうやったのか分からないが、鉄格子の扉が開く。
「急げ、時間がない」
キールの低い声が、闇に溶ける。
中の人物達は、警戒しつつも、扉をくぐった。
プライムがキールを見上げた。
「先生、これからどうするの?」
キールが息を吐く。
「…二人だけで海まで帰れるか?」
彼女達は首を左右に振った。怯えるように、身を寄せ合っている。
プライムに視線を戻す。
「マレヌ湖から、川を下って海に出る。急いだほうがいいが、流石に今は無理だ」
「海に出た後はどうするの?」
「…後は自分達で助けを呼ぶなり何なり…出来るだろう」
彼女達は微かに頷いた。
ふわりと、キールが身を翻す。
「戻るぞ。来い」
再び闇に紛れる。
しかし、行きと違い、二人もお荷物を抱えている。
水妖とはいえ、女。しかも、いかにも育ちの良さそうなお嬢様である。慣れない陸上では、動きも鈍る。
何とか森に身を潜めたところで、再び爆音が聞こえた。
キールが足を止める。
「…プライム」
「はいっ」
「先に行け」
「先生!?」
「すぐに追いつく。行って、敵の正体、見極めて来い」
キールは彼女の頭を撫でた。
「行け」
プライムは拒もうとした。
しかし、ここまできっぱりと言い切られては、どうしようもない。躊躇いつつも、夜の森に足を進める。
途中、一度だけ振り向いた。
表情は見えない。闇に浮かび上がる、柔らかな薄茶色の髪。位置から、こちらをじっと見ているのが解る。
それから、脱兎のごとく、森に分け入った。大急ぎで、道を引き返す。
「…何故、幼子を一人で行かせたのですか……?」
水妖の女性が言った。長い髪が、夜風に舞う。
「夜の森は、どんな種族の子供にも、危険に変わりないはずです」
「人の事より、自分の事を心配したらどうだ?」
銃を片手に、素っ気無く言った。さっさと歩き出す。
二人はその後に続く。
「追手を、心配しているのですか?」
水妖の女性が、再び口を開いた。
キールは振り返りもしない。
彼女もまた、それを気にせず、更に問いかける。
「……それとも、私たちの父を?」
キールは全く答えない。
三度、爆音が響いた。町のほうに、火の手が見える。
それに対して、僅かにキールの表情が動いた。
「急ぎましょう。炎なら、わたくし達にも何か、お手伝いできるはず」
意外な事に、水妖の女性が言った。
キールはほんの少し、目を見張る。足を止め、女性を振り返る。
「…貴女は……あの人に、よく似ている……」
「…同腹の姉妹ですから」
彼女は微笑んだ。
プライムは、闇夜を駆け抜けた。来た道を、必死で引き返す。
やがて、森を抜け、町を見下ろす高台へと出た。
町の入り口のほうが、燃えている。
息をひとつ、吐き出す。額の汗を拭った。
「…あの男……!」
目指すのは、ただ一人。
あの時、母を殺した男。その男が持っていた、猟銃に刻まれた紋章。
交差する剣に、絡みつく蛇。
古来より、蛇は王者の印として用いられてきた。
しかし、あれはあまりにも禍々しい。
高台を駆け降りる。一目散に、町を目指す。
町では、既に戦闘が始まっていた。あちこちに、血と硝煙の匂いが漂っている。
町の人は、健闘していた。逆に、ならず者達が押されている。
「先生とこの嬢ちゃん!!」
町の男の一人に、呼び止められた。男は彼女の首根っこを捕まえる。
「先生はどうした!?さっきから、姿が見えねぇが……」
「水妖を助けに行ってた!もう戻ってくるから!!それより、確かめなくっちゃ!」
プライムはその手から逃れる。激戦区に行こうとすると、男は大慌てで止める。
「危ないって!死にたいのか!?」
「死なないよ!」
するりとその手さえも抜け出すと、怒声のする咆哮へ走り去る。男の呼び止める声も聞きはしない。
町は混乱を極めている。子供一人、どうにでも身を潜められる。
プライムは一族の中でも、すばしっこい方だった。
騒ぎの中心部から離れ、物陰に隠れる。そっと様子を窺う。
こんな状態だ。
村に来て日の浅い彼女には、敵と味方の区別もつきにくい。
しかし、見覚えのあるものもある。
あの日。
彼女が全てを失った、あの日と同じ……
プライムはぐっと目を拭った。そして確信に至る。
これらは、自分達を襲ったものと同じものだ、と。
彼女は、自分の母を撃った者を探した。
男の浮かべた歪んだ笑みが、脳裏に焼きついて離れない。
物陰から物陰へ、場所を移動する。
そして探した。
不意に、額に冷たいものが当たる。
プライムは顔を上げた。
雨だ。いつの間にか空は曇り、小粒の雨が、シトシトと降り始める。
彼女はほっと息を吐く。雨が降れば、炎も勢いを弱める。
雨に気を取られたのは、彼女だけだった。殺気立つ周囲は、それどころではない。
プライムはいきなり腕をつかまれた。
「っ!!」
「はっはぁ!一匹見つけたぞ!!」
耳障りなだみ声。聞き覚えのある…しかし、二度と聞きたくなかった声。
プライムは反射的に、掴んだものに爪を立てた。しかし、厚手の手甲に阻まれ、傷一つつけられない。
男の顔が歪んだ。
「生意気なガキだな。亜人種のクセに!」
交差する剣に蛇が絡みついた紋章。あの日見た銃が、再び彼女に突きつけられる。
プライムは硬直した。
あの日の光景が、今の景色と交錯する。
(…お母さん……)
血に塗れた母の姿。
赤く染まった故郷。
「恐怖で声も出ないか。ふんっ、つまらん」
男が引き金を引こうとした。
しかし
男が銃を落とした。同時にプライムからも手を離す。
彼女はその場にへたり込んだ。ゆっくりと振り返る。
「おいで!」
町人の一人が言った。彼らは集まり、一塊になってこちらを睨みつけている。
その先頭にキールがいた。
手には短銃。構えたまま、微動だにしない。やはり険しい表情で、こちらを見ている。
プライムは立ち上がった。駆け出そうとしたところで、再び手を取られる。
再度銃声が鳴り響き、男の耳を掠めた。驚いた男は手を離す。
プライムは大急ぎで、キールに駆け寄った。しがみ付くと、大きな手が肩に添えられる。
男が呻いた。
「チクショウ…奴隷の分際で……」
「いい加減にしろ、ルイス」
キールが言った。
男が目を見開く。キールを凝視した。
「!!キール!?何故貴様がこんな所に……!」
キールは軽く息を吐く。
後ろで人々がざわめいた。
プライムが見上げる。
「知ってる人?」
「…昔、共に学んだ事がある。その程度だ」
キールの声は淡々としていて、何の変化も見られない。
しかし、相手の男はそうではないようだった。
刺すような目で、彼を睨んでいる。
「忘れたとは言わせんぞ…貴様が俺にした仕打ちを……」
襲撃者達も、男の後ろに集まりつつある。この男こそが、雇い主であるらしいが。
男が不気味な笑みを浮かべた。