偽りの現実
話はニ十年ほど遡る。
ローゼンハーツ王立学院。
王侯貴族、名だたる名家に連なる者のみ入学を許可される、格式高い学校である。
勿論、全寮制。
下は七歳から約十年間、卒業資格がもらえるまで、長期休暇や特別な事情以外、外へは出られない。
ルイス・フェルナーも、学院に入学を許される、名門貴族の嫡男である。
入学初日、彼は運命的な出会いをした。
ルイスは思わず息を呑んだ。
花の咲き乱れる庭園。
肩に流れ落ちる髪は光に透けて、美しく輝く。石膏のような肌に、憂いを帯びた表情。深みのある緑の瞳は、赤い薔薇の花に向けられている。
声をかけようとした次の瞬間、少女が顔を上げた。こちらを見て、仄かな笑みを浮かべる。
実際は、ルイスなど見ていなかったのだが。
「キールや。何処にいるのだ?」
しわがれた声が聞こえた。
現れたのは、世界的な権威を持つ、名医。この学院の上に、高等学院があるのだが、そこの学長も任されている。
彼の一人息子も、今日からここで学ぶと聞いている。
ルイスは、彼から庭に視線を戻した。
そこで意外な事が起こった。
少女と思っていた人物が、彼の探す声に答えたのである。
「ここです、父上」
庭から戻り、医師に駆け寄る。彼は目を細めた。
「おお、そこにいたか。うむ、制服も良く似合っているな」
「ありがとうございます。父上も、入学式に参列してくださるのですか?」
「勿論だ。ただ、お前の父としては無いがな……」
遠ざかる彼らの会話を聞きながら、ルイスは傾いだ。
少し考えれば、当然である。
ここは男子校。女学院が併設されており、多少の交流は許されているものの、基本的に分離している。
女子生徒がいるはず無いのである。
こうして、ルイスの初恋は無残に砕け散った。
◆◆◆◆◆◆
キールは辟易したものである。
何かにつけては、その話題を持ち出されるのだ。迷惑極まりない。
緊迫した場に、しらけた空気が流れていた。
ルイスだけが憎しみに満ちた目で、キールを睨みつけている。
対するキールは冷ややかだ。構えた銃を降ろす事もない。
乾いた空気の中、彼らの間だけ、緊迫した空気が漂っている。
「ルイス、昔話をするつもりはない」
「ふん……」
ルイスは鼻で笑った。姿勢を直す。
「それだけじゃない!貴様はこの俺様の誇りを傷つけた!!」
「先生…一体何をしたんですかい?」
呆れた口調で、町人の一人が聞いた。
キールは淡々と答える。
「成績が常に僕のほうが上だったとか、惚れた女が尽く僕の事を好きだったとか」
町人もならず者達も、開いた口が塞がらない。唖然としている。
「そんな事で……?」
「そんな事とは何事か!!?」
ルイスが吼える。憤怒の表情で、怒鳴る。
「俺が何も言わない事をいいことに、やりたい放題で!口を開けば、人の事を馬鹿にした貴様が!!」
「ルイス……では、言わせて貰おう」
キールは軽く咳払いをした。
「人を目の敵にするのは勝手だが、僕はお前を眼中に入れたことなど、一度もない!」
町民も、荒くれ者も、皆が息を呑んだ。
ルイスは顔を真っ赤にして、口をパクパクさせている。
「成績も、お前がいつも2番手というなら話は分かるが、常に低空飛行。口を開けばお家自慢で、パパの権力を振りかざすお前を、好きになる女が何処にいる?」
「な、ななな……っ!!」
「いい加減気付いたらどうだ?お前が笑われるのは、僕のせいではない。お前が勝手に自分を道化にみせて、笑い者にさせているだけだ」
キールの言葉には容赦がない。しかし、あまりに正論過ぎて、誰も反論できない。
キールは小さく息を吐いた。
「悪ふざけはここまでだ」
視線が鋭くなる。改めて、銃を構えなおす。
「アンバスを襲ったのは、お前だな?」
「はっ…だからどうした?」
「…亜人種の母子を殺した……?」
「そんな事、いちいち覚えてないな。第一、それがどうしたって言うんだ?お前の親父だって、やってたことだろう!!」
ルイスの顔が不気味に歪んだ。
プライムがはっとして、キールを見上げる。
キールの表情に変わりはない。しかし、肩に添えられた手に、微かな力が込められた。
彼女はギュッと、キールにしがみ付く。
「だから何だ?」
答えたキールの声は、全く変わりなかった。
その声に、逆にルイスの方がたじろいだ。決まりの悪そうに、彼を睨む。
「父の所業と、お前の事…今、ここで、何の関係がある?」
「ふんっ。居直っても……」
「それがお前に、何の関係がある?」
ふと、キールの口元に笑みが上った。
ルイスの背に悪寒が走る。
「…シルフィーラ……」
ルイスの表情が強張った。
顔面蒼白で、キールを凝視したまま動かなくなってしまう。
キールが銃を下ろした。視線をそらせる。
「…?」
肩を抱く手が震えている。
プライムが訝しんで、キールの顔を覗きこむと、彼は銃を持った手を口元に当てていた。必死で、笑いをかみ殺しているように見える。
「先生?」
「…あぁ。すまない」
ポンポンと、プライムの頭を撫でる。キールは目元を拭い、改めて銃を構えた。
それでもまだ、笑いは収まりきらない。
「クソっ、キール!ぶっ殺してやる!!」
呆気にとられていた無頼漢たちが我に返った。それぞれが、それぞれの武器を構える。
町人達も負けていない。武器代わりの農具を突き出した。
しかし、どちらの武器も、その効果を挙げることはなかった。
ならず者達が悲鳴を上げる。その悲鳴さえ、途中で掻き消えてしまった。
再び、町人達は呆気に取られる。
空から、巨大な水の塊が降ってきたのだ。
それは形を崩す事無く、ならず者達を飲み込んで、ぶよぶよと地上で波打っている。
ルイスは難を逃れたが、何が起こったのか理解できず、忙しなく視線を動かしていた。
「なっ、なな、ななな……っ!」
「わたくし達を弄んだ罰ですわ」
凛とした声が響く。
水に乗り、水妖の女達がキールの前に舞い降りる。深い青い瞳が、ルイスを睨みつけた。一人が前に出る。
キールが顔を顰めた。
「アーティスウェラ…エークリューデ……」
「殺しはしません」
女が手を伸ばした。手の先に水が集まり、小さな塊を作る。それはふっと消えた。
ルイスの脇を、弾丸のようなものが掠める。
女の作った水の塊は、圧縮され、すごい勢いでルイスを襲ったのだ。
こうなると、銃弾より恐ろしい武器である。水弾は次々とルイスを襲い、彼は身を縮めた。両手で頭を多い、その場に蹲る。
もう一人の水妖が、背にそっと手を当てる。
「お姉さま。長居は無用ですわ。戻るなら、急ぎませんと……」
「分かっています」
アーティスウェラはルイスに一瞥をくれると、すっと踵を返した。
ならず者達を飲み込んだ水の塊が、その形を崩す。中でもがいていた彼らは、地面に叩きつけられた。
水妖の圧倒的な力を見せ付けられた彼らは、既に戦意を喪失していた。我先にと逃げ出す。
町人達が一斉に、その後を追い、追い立てて行った。
ルイスだけが震えながら、その場に丸くなっている。
プライムは、じっとルイスを見つめている。
「帰ります。海に続く河へと、案内してくださいますか?」
「…分かった」
キールは答えた。
プライムに視線を戻す。
「あんな奴でも、僕の幼馴染なんだ」
手が離れる。
プライムもまた、服を掴んでいた手を離した。頼りない足取りで、ルイスに近付く。
アーティスウェラも、申し訳なさそうな瞳を、彼女に向けていた。
「…こんな事、言える義理ではありませんが……」
「……」
「あの日、先に襲ってきたのは、彼らの方なのです」
プライムの足が止まった。虚ろな目で、水妖を見上げる。
彼女は視線を伏せ、ゆっくりとした口調で語り始めた。
「…あの日、この人間たちは貴方の村の近くで、野営を張りました」
日も暮れた頃。
突然、襲い掛かってきた一団がいた。
あまりにも突然の襲撃に、殆どの者が対応できず、死んだ者は1人や2人ではない。
何とか追い返したものの、負傷者も多く、彼らは近くの村に、助けを求めた。
「ですが、その村で見たのは、先ほど襲ってきた一団…皆怒り…そして……」
「うそだ」
プライムはとっさに反論していた。
「そんなこと、あるはずがない」
「……ないこともないよ、嬢ちゃん」
残っていた町人の1人が言った。眉を顰め、言い難そうに言葉を続ける。
「アンバスの周辺は、昔から山賊が出る。山賊の正体は、アンバスの住民だって…あくまで噂だったけどな」
プライムは呆然と、その話を聞いていた。
キールに視線を移す。
「うそ、だよね。先生……」
「噂は耳にした事はあった」
「うそ!」
プライムは叫んだ。耳を手で塞ぐ。
「そんなのうそだ!だって、お父さんもお母さんも……!!」
「嘘なものか……」
苦々しい声が言った。
ルイスが身を起こしている。彼は刺すような目で、プライムを睨みつけている。
「金の髪。赤味のかかった金の瞳。独特の顔の模様。何よりも顔。誰が間違えるものか……」
「私は知らない!そんなの知らない!!」
「知らなかっただけだろう!やってない証拠があるのか!?」
ルイスは立ち上がった。プライムに掴みかかる。
プライムの足が、宙に浮いた。
「どれだけの仲間が死んだと思ってる!?お前達のせいで……っ!!」
「ルイス!!」
キールが彼の手を引き剥がした。プライムを後ろへ押しやり、ルイスの腕を掴んだ。
ルイスはなおも叫ぶ。
「俺達は、村があることさえ知らなかった!襲う気だってなかった!!それを……っ」
「ルイス、止せ。相手は子供だぞ!?」
「だから何だって言うんだよ!」
叫びは、悲鳴にも似ていた。最初の頃の傲慢さは何処にもない。あるのは、何処までも悲痛な声だ。
突然、ルイスはキールの襟元を掴んだ。
「死んだんだ!何人も!!わけも、分からないまま……っ」
叫びが嗚咽に変わる。
キールの肩にルイスの額が乗った。
「…オルグも…っ、俺を庇って……!!」
キールは、軽くルイスの首に手を当てた。努めて穏やかに問いかける。
「彼女達…水妖を攫ったのは?」
「…妹を殺された……」
「彼女達に?」
「同じ場所に行けば、そいつの身内でも捕えられる…どいつでも良かった。セラと同じ目に遭わせてやるつもりだった」
驚くほど素直に、ルイスは答えた。
キールは彼の首根っこを掴んで、顔を上げさせる。
「お前の気持ちは解らなくもない」
キールは言った。
視線は鋭い。ルイスはぐちゃぐちゃの顔で、キールを見ている。
「だけど、お前のやった事は逆効果だ。更にお前の身を危険に晒す」
「俺の事なんてどうだっていい!セラが……!!」
「聞け!水妖の王は、そんなに優しい奴じゃない!!」
キールの手がルイスの肩を掴む。
ルイスは目を大きく見開いた。
「水妖の王は、自分の娘が地上に上がることを許さない。何があっても、決して。必ず自ら奪い返しに来る。娘を誘惑するもの、全てを破壊して」
「…どういう事だ?」
水妖の女達は、身を強張らせていた。
キールは頭を振る。
「詳しい話は後だ。水の気配が強くなった。彼女達を帰さなくてはいけない」
「キール?」
「悪いようにはしない。お前はしばらく、ここで監禁されてろ」
彼は残っていた町人に、幼馴染を引き渡した。その場に座り込んでいたプライムの前に膝をつく。
「…嘘だよ……」
キールは言った。
プライムが顔を上げる。大きな目に、いっぱいの涙を浮かべていた。
「プライムのお父さんとお母さんは、優しい人だったんだろう?」
小さく頷く。
頭の上に手が置かれた。
「ならきっと、何も知らなかったんだ。ご両親は」
プライムの顔が歪む。
すすり泣く彼女を抱き上げ、宥めるように、背を叩く。
「後でいっぱい話をしよう。色んな話。君のことも、僕のことも…知らないことを沢山。だから家に帰って、シルフィーラと待っててくれ」
しゃくり上げながら、プライムは訊ねた。
「す、すぐに、帰ってくる?」
「勿論だ」
地面に下ろすと、騒ぎが収まったことを知って出てきた町の女達に、プライムを預ける。
最後にもう一度、ギュッと抱きしめた。
「いい子で待ってるんだよ」
「うん。いってらっしゃい」
驚くほど穏やかな表情を見せ、彼は踵を返す。
水妖の女達に向かう。
「待たせた」
「急ぎましょう。もう、そんなに遠くはありません」
二人を連れ、彼は闇に消えた。
プライムは祈るように、両手を組んだ。
祈るような彼女の後ろから、慌てた声が聞こえた。その場にいた全員が振り返る。
亜人種の女性が、カンテラを大きく振り回しながら、走ってくる。
「先生!キール先生!!」
「先生なら、またどっかに……」
「何だって!?ああぁ、またこんな時に……!」
女は慌てるやら呆れるやら、忙しく手を動かす。
他の女たちは何の事か解らず、首を傾げた。
「一体、どうしたっていうの?怪我人でもあったのかい?」
「生まれそうなんだよ!赤ちゃんが!!」
女達は目を丸くする。その場全体が騒がしくなる。
呼びに来た女は、大きな溜息を吐いた。
「取り上げるのはいいさ。あたしらの方がベテランだからね。だけど、あの人は旦那で、父親なんだよ?いなきゃ拙いだろうって…あぁもう!こんな時に……!!」
女は苛立たしげに足を踏み鳴らした。




