第77話 黄金と白銀の宣誓
季節はもう冬だというのに、首都の空気は帝国祭に集まった人々の熱で温まっていた。にぎやかな人々の声、パレードを飾る音楽。まさに帝国を祝うにふさわしい華やかな雰囲気の中、テオドールたちはアリリオのスピーチを見届けるために皇宮の前の人だかりに混ざっていた。
「これが……帝国祭……」
「うむうむ、ザフィーア。存分に楽しむがいい。三日もあるからな」
「そうだよ、思い切り楽しまなきゃね! あ、はいこれ。皆の分のホットチョコレート。熱いから気をつけて」
目を輝かせるハイド、満足気なアドム。テオドールもニコラウスとキョースケが広場でもらってきてくれたというホットチョコレートを受け取り、それを片手に定刻を待つ。テオドールの胸ポケットの中には、大粒のツィトリンが入っていた。
アリリオは今朝、緊張でずっとそわそわとしていた。正装に身を包んだ彼の姿はどう見ても気品あふれる気高い血筋の末裔なのだが、当の本人は原稿を片手に固すぎる笑顔を貼り付けていた。隣に立つのがアーサーという顔見知りどころか共に食卓を囲んだ仲の人間だっただけ良いほうだろう。
「あ、いたいた! テオさーん!」
「皆、ラーマ帝国に乾杯」
聞き馴染みのある声に振り向くと、そこには可愛らしい白のコートに身を包んだジェンティアとリーフェンシュタール家の紋章を光らせたエドゥアルトがいた。
「ジェンティ、義兄上。乾杯」
「乾杯です! アリリオさんのスピーチ、楽しみですね!」
「アリリオ……あいつ大丈夫かな」
「大丈夫だよ、彼は本番に強いだろうからね」
微笑むエドゥアルト。彼は誰かを探すように辺りを見回すハイドに気がついて言葉を続けた。
「ジキルならもうすぐ来るはずだよ。ムハンマド公爵と一緒にね」
「! ……ありがとうございます、エドゥアルトさん」
「は、ムハンマドのやつ来るのか? 砂漠で商売していればいいものを」
「そんなこと言わないでくださいラハブ様……」
アドムの背後からぬっと現れる気配。ムハンマド公爵だった。隣にはジキルもホットアップルサイダーを持って微笑んでいる。
「飲むかな、と思ったけど……もう飲み物はあるみたいだね、ハイド」
「いや、飲む。ちょうどそれも気になっていたんだ……お、お義父さん」
「ハイド……!」
「っ、貴方がそう呼んでいいって言ったんでしょう」
少しだけ照れたように、でも嬉しそうにそう言うハイドにテオドールも胸が熱くなった。ジキルも静かに天を仰いでいる。
定刻を告げる鐘が鳴る。テオドールもハイドもアドムも、ニコラウスもキョースケも、そしてジェンティアにエドゥアルト、ジキル、ムハンマドも視線を皇宮のバルコニーに集中させる。
祝典らしいきらびやかな、しかし厳かで上品な衣装を身にまとった二人が登場する。黄金。新文明の象徴である皇太子アーサーと、白銀。旧文明の遺産であるアリリオ。今朝の緊張が嘘のように、アリリオはその凛とした顔を上げていた。
「この良き日に帝国祭を開催することができて実に嬉しく思う! ラーマの民よ、喜べ、楽しめ、生を謳歌せよ!」
アーサーの声が響き、民衆が盛り上がる。
「さすが兄様だね」
「お前も行ってくれば」
「やだよ!」
テオドールとニコラウスが盛り上がりに紛れて笑っていると、アーサーがこちらを見る。彼は小さくこちらに手を振った。アリリオは熱気の中でも前を向いて硬直している。さては緊張してそんな余裕はないな、とテオドールは苦笑した。
アーサーの声が続く。
「さて、今年の帝国祭は例年とは異なる特別なものである。先日の厄災……首都を中心に帝国全土を巻き込んだあの事件は、知っての通り旧文明の亡霊が引き起こしたものだった。永遠のユートピアを望み、百年という時を経てもなおその執念を遺した旧文明の皇帝……しかし我々は勝ったのだ! かの皇帝に対抗して同じく百年の時を苦しみ、耐え抜き、生きた偉大なる魔女のお陰で、我々は我々の生を守り抜いた! そして我々は今ここに新たな時代の幕開けを宣言する! ここに立つのは余……アーサー・ロイ・ラーマと、旧皇家の正統なる末裔、アリリオ・ビディエーリャ・スバニアである!」
再び上がる歓声。
セシリア。テオドールの姉。彼女の百年が報われた、肯定された気がしてテオドールは嬉しかった。胸元の姉に微笑みかける。
「……だってさ、姉さん」
聞いているだろうか。感じているだろうか。この賛美を、感謝を、熱気を、愛を。
「ここに旧皇家の正統な末裔として立つことができていること、そして先祖の過ちに打ち勝ち帝国の喜ばしい日を迎えることができていることに、心から喜びと、感謝の気持ちを感じています」
アリリオがついに、いつもは何かを食べることに尽くしているその口を開く。涼やかな声。その様子は頼もしくも月のように柔らかで、どこかいつものアリリオの明るさも孕んでいる。
「スバニアは百年前、ユートピア計画という一人のための身勝手な箱庭作りに失敗して滅びました。この計画、そして旧文明から新文明への移行の中で生まれた犠牲者の無念を思うと胸が張り裂けそうな思いです。しかし二度とこのような悲劇が起こらないように、そしてこの先の帝国の未来が幸せに満ちたものになるように、我々は旧文明と新文明を代表とする者として手を取り合うことを決意しました。どうか、ラーマの民が自身の生を尊いものとして、最後には喜びも苦しみも悲しみも全てを愛せますように」
アーサーとアリリオの手が高く掲げられる。
花びらが舞う。黄金と白銀が重なり合う。高らかに、響き渡る声。
「「ラーマ帝国に、ラーマの民に、乾杯!」」
スピーチを聞いていた全ての民が、自身の持っていた飲み物を共に掲げる。ある者は家族と、ある者は恋人と、ある者は親友と、ある者は名前も知らない誰かと。掲げたそれを軽く触れ合わせる。
「乾杯」
「乾杯!」
「かんぱーい!」
あちこちから聞こえる楽しそうな声。アリリオもやっと緊張が解けたらしく、テオドールたちに向かって元気に手を振ってくれた。
これがきっと、姉の愛した世界だ。そして、テオドールが愛している世界。目覚めた姉がこれから愛するための世界。
テオドールは決めていた。目を覚ました姉が一番最初に映すのは、彼女が守った美しい景色であるべきだ。新文明の科学という力が彩る首都の景色……イルミネーション、という光の景色を彼女に一番に見せてやりたい。光の中で。生を一生懸命に生きる人々の賑やかな声の中で。帝国祭が一番盛り上がる、夜明けのような夕方の中で。彼女は目を覚ますべきだ。そして、一番楽しい夜を、幸せな夜を満喫するべきだ。
黎明は、すぐそこだった。
「皆ーっ! 疲れました! 褒めてください!」
アリリオの声でテオドールは我に返る。いつの間にかバルコニーから降りてきていたアリリオとアーサーがラフな服装で駆け寄ってきた。
「お疲れ様、アリリオ。頑張ったな」
「緊張しましたよ! あんなのをいつもなんて殿下はすごいですねえ」
「アーサーと呼べと言っただろう。そなたらにまで殿下殿下と呼ばれていては敵わん。未だに余を見て震える奴もいるくらいだから、なあ? ハイド・ロルバッハ」
「えっ、いや、それは、その……」
「少しはおれを見習えザフィーア」
「兄様にまでそんな不遜な態度でいられるのアドムくらいだよ……」
「あはは! アーサー様も『リョクチャ』飲みますか? さっき父上と春介……僕の弟が露店出してたんです」
キョースケが「リョクチャ」をアーサーとアリリオに渡す。アリリオはほっと一息ついた。
「サマになってたぞ、皇子」
「本当ですか? 俺、ちゃんと言えてました?」
「上手かったよ! なんかこう、びしって感じ!」
「途中でお腹が鳴らなくて良かったな」
テオドールが笑うと、皆も笑った。
帝国祭はまだ始まったばかりだ。この温もりの中で、ついにセシリアが目を覚ます。彼女は、どんな顔をするだろうか。どんな言葉を紡ぐだろうか。
テオドールは、姉にどんな言葉をかけようか。
考えていても、きっと先に涙が溢れてしまうだろうけれど。
「……早く、姉さんに会いたいな」
胸元のツィトリンにも、そっとホットチョコレートの入ったカップを触れさせた。




