第76話 明日へ
「んー! やっぱり生身の身体は最高です! セシリア、セシリアにも早くこの感動を……!」
冬のヴァイスヴァルト。そこには寒さにも負けじと温かなグラタンを頬張るアリリオの姿があった。嬉しそうに口をもぐもぐと動かす姿はフラビオとは似ても似つかない、ただのテオドールの親友だ。
「まだだっつってんだろ。後処理が終わってねえんだよ。つーかお前ずっと食ってるけど帝国祭のことはいいのか?」
「へーほふはひ? はは、はへほほほへふへ」
「なんて?」
テオドールが聞き返すと、ハイドが追加のグラタンを持ったまま笑った。
「『帝国祭? ああ、あれのことですね』だって」
「それです! あ、おかわり良いんですか!」
「好きなだけ食べると良い」
君もおかわりはいるか? と聞かれてテオドールは頷いた。隣でニコラウスとキョースケ、アドムもよこせよこせと騒いでいる。
あの後。セシリアがツィトリンとして眠りについた後。帝国はとても忙しい毎日を送っていた。屋根の吹き飛んだ皇宮の修理、厄災の説明、洗脳状態だった人々の混乱、避難していた人々の送還……テオドールたちは休ませてもらえたが、アーサーやエドゥアルトをはじめとする帝国上層部の人々の苦労は計り知れない。おまけに、冬が近づいてきたということは帝国祭が近づいてきたということだ。そんな中でもテオドールたちのことを気にかけてくれる彼らは本当に偉大だ。アーサーに至っては演技中の乱暴を未だに謝ってくる。皇太子にここまで謝られると反応に困るのでやめてほしい限りだ。
「でも、帝国祭って結局どういうものなんだ?」
「ハイドお前知らねえの?」
「まあ、ジキルさんがフラビオ皇帝に憑かれていた頃のオレは単なる実験体だったし、その前は孤児院だったし……」
「悪かった。ごめん、ほんとごめん」
殿下みたいなことを、とハイドがまた笑う。
帝国祭というのは、毎年冬にある帝国の建国を祝う祝典だ。厄災により滅んだ旧文明からの新文明の復興、それに尽力した皇家や公爵家を称えるとともに、この先の帝国の平和と発展を願う。ただ、祝典と言っても厳かなものではなく、露店がたくさん出たり、首都が光で飾られたり、家族や友人で贈り物を交換し合ったり、各々で楽しめる。ラーマの人々にとっては一大イベントだ。
そして今年の帝国祭は厄災の真の終わりを告げ、タブーとされてきた旧文明について公に説明し、旧皇家と現皇家が手を取り合ったことを宣言することが決まっている。アリリオは旧皇家の末裔として、アーサーと一緒にスピーチをしなければならないのだ。
「アリリオがスピーチねえ」
「なんですかニコラ、その目は。いっそ代わってくださいよ。貴方も皇族でしょ」
「残念、今の俺には地位がないんだよね」
「殿下に言っておこっか? ニコラウスがスピーチしたいみたいって」
「名案ですキョースケ! あの人なら『ニコラスが積極的にスピーチを……!』って喜ぶと思います!」
「本当に言いそうだからやめて?」
なお、ニコラウスは既に何度もアーサーに皇宮を手伝えと催促されている。宰相にならないかとまで言われているが、本人は研究を続けたいから嫌だとの一点張りだ。
「姉さんも取り戻したんだしいいだろもう」
「いーや、俺は彼女の生きた時代を徹底的に調べ上げる」
「ぷぷぷ、それをなんと言うか知っているかメガネ。シューチャク、だぞ」
「執着で結構!」
ニコラウスがふふんと自慢げに胸を張る。テオドールはまだアメトリンの輝きを残したままの目でそれを見ていた。
テオドールは姉を取り戻した。ハイドとアドムも過去を取り戻し、ニコラウスも実家とうまくやっていけそうだ。アリリオも自分の家の真実を知るという目的を果たし、キョースケもヒノモトに家族がいる。
ああ、本当に終わったのか。
テオドールはどこかまだ他人事のような気持ちでいたが、実感するとグラタンの湯気が少しだけ目に染みる。
ニコラウスの手を取って始まった旅が、終点に近づいている。その事実がどうしようもなく切なくて、思い出が頭の中を駆け巡る。
胡散臭ささえ感じていたニコラウス。冷静で真面目だったアリリオ。気に食わないという印象から始まったハイド。アラブリアの「ラハブ様」として出会ったアドム。無邪気な顔をした復讐者だったキョースケ。
ネイプルで温かく出迎えてくれたジェンティア。義母を殺したと思い込んでいたテオドールを「おかえり」と抱きしめてくれたエドゥアルト。善人の皮をかぶった極悪非道だと思っていたジキル。第一皇子として圧を放っていたはずのアーサー。
「…………お前らさ、帝国祭が終わったらどうすんの」
ずっと怖くて、聞くことができなかった問い。
テオドールにとって彼らがいる日常は当たり前になっていて、離れるなんて考えられなかった。この旅が終わらなければ、なんて思うこともあった。だが、実際のところきっと皆それぞれの帰る場所があるはずだ。待っている人がいるはずだ。テオドールが引き留めることは、できない。
目頭が熱くなる。それでも、愛する仲間だから。友人だから。どんなに遠くへ行っても応援しようと思っていた。
……が、ニコラウスの口から発せられた答えはテオドールの予想の斜め上を行った。
「そりゃあ、セシリアにプロポーズだけど」
「…………は?」
「早すぎるかな? やっぱり。俺はね、彼女には花が似合うと思うんだ。ローゼも似合うけどリーリエも……」
「当たり前だろ、姉さんは何でも似合うんだよ! ああ、なんかしんみりして損した。俺は真剣にお前らの行く末をだな」
そこまで言ってテオドールははっとした。
視線がなんだか生温かい……というか、生ぬるい。
「な、なんだよ」
「そっかあ、テオ、俺たちがいないとさみしいんだ」
「はああぁ!? さみしいって……まあ、否定はしないけど。なんだよ、文句あるか? 別にいいよ、どこ行ったって応援してるよ!」
半ば怒鳴りながらそう言い切るテオドールに、皆の目はどんどんにこやかになっていく。しくじった、とテオドールは思った。
「そうですね、帝国祭が終わったらとりあえずヴァイスヴァルトでご飯ですよ!」
「オレがいないと君たちの生活が悲惨になるのはもうわかっていることだ」
「うむうむ、ラハブとして過ごすのはちと飽きたからな」
「僕もここにいるー! 父上と春介もたまに呼んでいい?」
……本当に、しんみりして損したとテオドールは苦笑する。まだ皆でいたいと願っているのは、どうやらテオドールだけではなかったらしい。
「しゃーねえなあ。魔法がなくなる分今度から電気と水が通ることになるから、家賃は払えよ」
「よし、キョカが出たぞ。全員家賃はムハンマドにセーキューだ」
「「「「ありがとうラハブ様!」」」」
「いいのかよ!」
ムハンマド公爵が頭を抱えるのを想像してテオドールは思わず吹き出した。この騒がしい家はまだまだ笑いが絶えないみたいだ。
「でもお前らちゃんと挨拶行けよ。それこそムハンマド公爵なんか『一度でいいので顔を見せてくださいラハブ様』ってずっと言ってるし、ハイドもジキルさんとちゃんと話すんだろ。キョースケお前も家族呼ぶなら一旦ヒノモトだし、アリリオも家族にうまいもん教えてやれ。あとニコラお前はたまには殿下を手伝え」
「うむ……ムハンマドのやつ、最近毎日電話がかかってくる。困ったものだ。だがまあ、おじじの墓参りのついでに顔を出してやるか」
「ふふ、ジキルさんとは今度こそ本当の義親子になれるといいな」
「じゃあ僕ヨシダさんにも会ってこようっと」
「うまいもの……ハイドを連れて行くのはありですかね」
「アーサー兄様の仕事を手伝うなんて無理! あれはあの人にしかできないよ! ……でも陛下にはちゃんとお礼する。俺を自由なままでいさせてくれてありがとうございますって」
それぞれの家族、それぞれの絆。それでも最後にはこのヴァイスヴァルトに帰ってきてくれる。テオドールにとってこんなに嬉しいことはなかった。
自分の生を生きるため、自分で自分の居場所を決める。帰る場所を愛する。フラビオにはわからなかったことだ。
「俺も、義兄上の仕事でも手伝うか」
「あー! じゃあテオ一緒に行こう! 俺も兄様の仕事ちょっとだけ、ほんとにちょっと手伝うからさ!」
「やる気になったみたいで何よりですね…………あ!」
アリリオが窓へと駆け寄る。既に暗い夜の景色に、ちらちらと舞う白銀。
「雪ですよ! 雪!」
「雪だあーっ!」
「わあ! 本当だ、積もるかな」
「ほう、アラブリアには降ったことがないから初見だぞ」
「明日も寒そうだな。温かいスープを作っておこうか」
「おう、頼んだぜ」
当たり前のように、明日を語る。
これこそ永遠がないからこそ成立するユートピアかもな、なんて思いながらテオドールは明日のスープに思いを馳せるのだった。




