第75話 「ユートピア」
「厄災だよーっ! 皆逃げて!」
「落ち着いて! プレンシアのリーフェンシュタール公爵について行って!」
首都、突然の厄災に混乱する人々の中でキョースケとニコラウスは大きく声を上げていた。エドゥアルトと、テオドールと別れたアーサーが逃げ惑う人々を先導する。
被害は最小限にしなければならない、という満場一致の策だった。
『ニコラさん! キョースケ君! ネイプルもまだ人が入れます! こちらにも誘導を!』
『アラブリアも簡易避難所を建てているので準備はできております!』
黄金の蝶からジェンティアとムハンマド公爵の頼もしい声がする。ニコラウスとキョースケは頷きあって、ネイプルとアラブリアへの道を整えることにした。
「テオは上手くやったみたいだね」
「流石テオドール! 僕もブシとして頑張らなきゃね」
「うんうん……とりあえず、皇宮の周りにはもう人はいないね?」
「一人残らず! 老若男女全員避難済みだよ!」
キョースケが満面の笑みでグッドサインを出す。ニコラウスは安心したように胸をなで下ろした。
「ニコラス!」
「で……アーサー兄様?」
二人のもとに先ほどまで誘導に走っていたアーサーが息を切らして駆けつけてくる。エドゥアルトもその後ろから追いついてきた。
「何かトラブルですか?」
「いや、違う。セシリア嬢からだ。もう『仕上げ』に入ると……だが、まだ皇宮には陛下が」
「!」
皇帝。長く会ってもいないニコラウスの父。彼は今、まさにフラビオの檻の中だ。ここまで来ておいてセシリアが皇帝を気にして思い切り力を出せない……なんてことは避けたい。
「わかりました。俺も行きます」
「ニコラス……!」
「ニコラウス、殿下、あとは任せて! 僕とエドゥアルトさんで残りの誘導は完璧にするから!」
「なんとしても、作戦を成功させましょう」
キョースケとエドゥアルトの頼もしい言葉にニコラウスは決意を固める。そしてそのままアーサーと共に皇宮へと走った。道はセシリアが用意してくれるという。彼女が作ってくれた道なら、どんな茨道でもニコラウスは行ける気がする。
ついに暗雲の立ち込める空に輝く、赤と青に支えられた黄金が皇宮の屋根を吹き飛ばす。そのまま降り立つ姿は、少なくともニコラウスには魔女というよりは天使に見えた。
「……セシリア、頑張って。俺も頑張るから」
ニコラウスは強く、祈るようにつぶやいた。
☆☆☆
皇宮にセシリアが降り立つ。テオドールは最愛の姉に駆け寄った。既にその身体は黄金に蝕まれ、硬直し始めている。
「はは、は、ははははっ! セオドア…………セシリア……デイヴィッド、ナジフ! よくも、よくもやってくれましたね! また私のユートピアを邪魔するつもりですか!」
「……邪魔? 違うね、生ぬるい。完全に止めるに決まってんだろ」
テオドールは「セシリア」の服を脱ぎ捨ててフラビオを追い詰める。フラビオはなおその笑みを消さなかった。
「なるほど、あなたがたの計画は最初からこうだったと……でも忘れていませんか? ラーマ皇帝はここにいる。そして私のこの身体はアリリオのもの。私のことは殺せない」
『殺しませんよ! 貴方は生きて苦しむんです!』
アドムのポケットから石の振動が響く。アリリオの声だった。
『残念でしたねフラビオ! その身体は貴方の言う通り俺のです! テオを、セシリアを、帝国を傷つけるための身体じゃなくて、美味しいものを食べるための俺の身体なんですよ! 綺麗なまま返してもらいます!』
「…………」
フラビオの動揺はもはや隠しきれなくなっていた。彼の想定ではセシリアがまた一人で全てを背負い、あるいはフラビオにその身を捧げるというものだったのだろう。そのために皇宮に来た、と。
それがまさか中身が弟のセオドアで、帝国全土を巻き込む勢いで乗り込んで来たとは思わなかったのだ。想定と違う。囲まれているのは自分。読まれているのも自分。百年前にセオドアたちを掌の上で操っていた皇帝フラビオにとって、これは屈辱的なことだった。
「皇帝陛下!」
誘導から戻ってきたアーサーとニコラウスが屋根から飛び降り、皇帝をおぶる。これでもう皇帝を人質にはできない。フラビオの計画が完全に狂ったことを確信したテオドールは、しかし油断しなかった。そのアメトリンの瞳でフラビオをまっすぐに見つめて言い放つ。
「フラビオ。あんたの敗因は……くだらねえことで笑ったり、うまいもん食ったりする泥臭い仲間がいなかったことだ。そいつらと生きたいって思えなかったことだ。本当に可哀想なやつ」
「人を道具のように扱って、自分のわがままを押し通そうとする子供。百年経っても変われなかったみたいだな」
「気分はどうだ? 金と権威で動かせると思っていた人間が、時間とアイを糧に牙を剥いてきた気分は」
テオドール、ハイド、アドムの言葉がフラビオに突き刺さっていく。
その宝石眼から送られる哀れみのまなざしに、フラビオの顔がさらに歪んでいく。怒り。百年前には見ることのできなかった、敗北の顔。
少しでも反省していれば、テオドールたちだってほかの道を探そうとした……かもしれない。かつて裏切ったキョースケを許したように。非道な実験をしたジキルを許したように。許し合って、そうして、泥臭い生を。
だが、残念ながらフラビオにはその素質はなかったらしい。
「セオドア……デイヴィッド……ナジフ……っ!」
「悪いな、今はテオドールとハイドとアドムなんだわ」
「黙りなさい! 私の、私の理想を……私を、哀れむな! セシリアぁっ!」
掴みかかろうとするフラビオをセシリアが抱きとめる。それはまるで聖母のような、優しい、柔らかな……同時に残酷なほど美しい、魔女の抱擁。
時が止まったような、神秘的な瞬間。まるで絵画のような光景。金と銀が重なり合う。太陽と月が出会ったように。
「可哀想な人。でも大丈夫、『私』は貴方と一緒にいてあげる。百年の苦しみ、孤独、憎しみ、後悔、悲壮、痛み、憂い、恨み、怒り、絶望…………全部、貴方にあげる。そう、永遠にね」
「…………嫌だ、私は、私にはユートピアが」
「今からここが、貴方のユートピアよ」
私の……いえ、私たちの勝ちね、フラビオ。
黄金の光が帝国を覆う。暗雲が消える。全ての生の苦しみが、今この瞬間にツィトリンという宝石の中に。
永遠なんてない。吸収された苦しみも、いつかはまた生まれる。それでもこの時、この瞬間、帝国は幸福に包まれた。
首都ではエドゥアルトとキョースケが、ネイプルではジェンティア、イグリシアではその部下であるアーラファミリーの幹部たちが、アラブリアではムハンマド公爵が、ハーグリアではジキルが、ヒノモトではトクガワ伯爵やモウリ男爵、博俊、春介が。
皇宮。この場所で、テオドールが、ハイドが、アドムが、アリリオが、ニコラウスが、アーサーが。
セシリアから贈られた愛の物語の結末を、見届けている。この黄金の振り注ぐ帝国で。
セシリアの身体が石へと変わる。テオドールはそれを瞬きすらせずに見ていた。姉の美しい姿を、この目に焼き付けるため。覚えておくため。
その唇が小さく動く。ほとんどツィトリンの彫刻のようになったセシリアは、最後に言葉を紡いだ。
それは次に目覚める彼女を待つ、愛する人たちへの贈り物。
「愛してる。テオ、皆。次に私を起こすときは……優しく起こしてちょうだいね」
「……っ、ああ。任せろ。最高の黎明を用意するからさ」
だから、少しだけおやすみ。
テオドールは腕の中で大粒のツィトリンへと変わった姉を、羽毛に触れるような優しさで抱きしめた。
読んでいただきありがとうございます!
やっとここまで来ることができました! ここまで見届けてくださった皆様、ありがとうございました! これにて五章・黄水晶の章は完結です! 残りの3話はセシリアを目覚めさせるまでのお話です。どうか最後まで見守っていただけますと幸いです。
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タラノリオ(2026.8.28)




